もし楚漢戦争で項羽が勝っていたら中国の歴史はどうなっていたのか
劉邦でも本来なら冒頓単于など敵ではなかった。
韓信、黥布、彭越などをちゃんと使えば、冒頓単于には勝てた。
劉邦が功臣の粛清を始めたから、みなが疑心暗鬼に陥ったところを、
冒頓単于に付け込まれたのが現実だ。
匈奴がそんなあっさり勝てる程度の相手ならば漢帝国は代々土下座外交せんやろ
>>2
で答え出てるな。これ始皇帝の末子が項羽で兄弟○害して覇者に
項羽の子供が武漢だったら中華覇権はもっと伸びてぼくとつ抹○されてる
中国は始皇帝の試練に勝てない惰弱で国家が滅亡した。あの試練を与える覇者が中国を強く成長させた
結局中国は堕落した劉邦を選んで滅ぶ
そもそも文化大革命がなければ、劉邦を→堕落とみなさなかったろう
独裁は間違いないので楚は短命王朝となる。
しかし次が漢じゃないとなると一体どこが・・・
しかし、丘飛びは落ち着いて陣形を建て直し、伸びきった項羽軍の側面をつき項羽軍を分断。
孤立した項羽は一人騅を駆って奮戦するも弓兵の一斉射撃によりあえなく蜂の巣になり討ちタヒに。
丘飛軍の勝ち。
方言レベルではなく完全に違う言語なのは今も変わらないけど、最大公約数の使用言語は何だったんだろ。
冒頓の親父は秦の蒙恬にフルボッコにされてたしな
普通に漢に負けた項羽じゃ匈奴には勝てん気が・・・
蒙恬にしても会戦で匈奴の主力を壊滅させたわけじゃないし
国力圧倒的な武帝期の漢軍でさえしばしば苦戦するのが匈奴
仮に冒頓がいなくとも漢帝国はいずれ痛い目みただろう
劉邦に勝って手に入るのは項羽に身内○されて恨み骨髄&章カンの敗北&蕭何の搾取で満身創痍の関中の民
斉も大虐○で項羽に反感もってるし、燕や趙も項羽に楯突いた以上後には退けない
普通に合従で潰されそう
自分が男気を感じた男を優遇しそうだから
「あいつは敵だったけど、気に入ったから大将軍」
「あいつは味方だけど、気が合わないから格下げ」
な人事をやりそう
で、天下が常に不安定になる
それを季布やラン布にやって劉邦はうまくいってるんだが
項羽ってそういえば子供については記述が無いんだよな
史書に名前が残って無いだけだろうか
もし子供がいないなら
劉邦に勝っても
項羽がタヒんだ後に楚は崩壊しそう
はっはっは、まるで歴史上に「成熟した国」なんてものが存在した時期があるかのような言い方じゃないか
そういえば劉邦も同じような事をやってたな
劉邦は、猜疑心の塊なとこもあったけど
イメージではあるけど
誰かを神輿にして才を試したいって連中に身を任せてたから成功した劉邦
(難しい事はわかんねえから、おめえに任せるみたいな)
自分の美意識にしたがって生きた項羽って気がする
誰かの短編小説で「だから英雄だったのさ」って評されてたが
>>22
堕落
クズで妻子を歯牙にかけず喜んで売る、捨てる。おそらくかこうがいなかったら妻子はタヒんでた。根本的に女と子供=代わりがあると思ってる
けど猜疑と人格見抜く+人心掌握の素質はガチであった。
楚ってタイ系の民族でしょ?
呉越はまあ夏王朝系のオーストロネシア語族やベトナム系の混血だろうし、日本にも稲作と共に流入してるだろうから似てそうだけど。
日本人はチベット人の見た目に似てるし、最大流入は農耕化したチベット系が北方のゴタゴタで逃げてきた繰り返しとかなんだろうけど。支配層は別としても。
宮城谷昌光の小説では項羽は楚の荘王を目指してたとなってたな
普通に鴻門の会で范増の言うとおり劉邦を○してたら
項羽は勝利者になれたであろうか
劉邦が逃げ損ねてタヒねば、韓信なんかが戦力に加わる未来もあっただろう
項羽の天下になれば、攻めて来た北方騎馬民族は皆○し
そのまま北方侵攻されて、チンギスハーンは生まれず
十回目の北方遠征でオルゴイコイコイに○されるまで、生涯無敗だったという
享年50歳
項羽だったら、王朝空中分解→匈奴を恃む諸侯続出→騎馬民族による漢土支配確立あるで
匈奴が中原まで攻め込むのは難しいだろう
逆でしょ。鐙のお陰で、騎馬民族以外の人達にとってハードルが下がった。
騎馬民族からすると鐙のお陰でうっ血しなくなるから、圧倒的な遠距離遠征、移動、移住が可能になったとかもあるのかな。それは変わらないのかな。
あの地のボスは呉王とか名乗るんだよなあ
呉は周と親戚(と観念されていた)だから、楚より格上だと思われていたんじゃなかろうか
楚より遥かに豊かな領地だからな
秦への怨恨が強かった項羽だから漢字も秦の小篆(→楷書)から楚文字を公用にしたと考えられる。
書道史的には楚文字が進化していったらどうなっていたか面白い。
引用元: http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1520246724/
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