飛鳥時代の歴史をみてたら突然「中臣鎌足」って出てきたけど、こいつ誰なんだよ
のちの藤原鎌足
藤原不比等が藤原氏の地位を永続的なものにするために創作した作り話の英雄
聖徳太子も架空の人物である
>>5
聖徳太子が架空の人物だというならば
なぜ日本書紀は偉大な人物の出自を蘇我だらけにしたんだ?
渡来系なのに武士とか
天孫系だから渡来系より古いよ
縄文時代から既にいる
暗○や謀略多すぎじゃね?
特に鎌倉時代の頼朝の子孫は可哀想すぎるわ
何でこんな奴が?の言い訳として作られたのが天智天皇の大忠臣中臣鎌足。
日本書紀以外の歴史書をすべて燃やしてしまった
しかし中臣鎌足の正体は中臣氏ではなく百済王族という説もある
百済の記録でその王族の記述がない期間、日本で鎌足の記述がある
逆に日本の記録に鎌足がしばらく出てこない時、百済の記録にそいつが出ている
その百済の記録て12世紀に書かれた三国志のことか?
それ以前には朝鮮に記録はないと思うが流石に数年単位の出来事を500年後の書物に依拠するのは無理があるだろ
勝者が歴史を書き換えるなら日本の起源は負け続ける中に生まれたのか
人類の起源があやふやなのに起源がはっきりしてる国なんかどこの時代にもないわ
イギリスとかそうじゃん
ローマ到達以前の歴史がない
大化の改新までは日本の支配者だったっぽいし
それを簒奪したのが天皇家と藤原家だろ
藤原系の莫大な子孫の誰かの子孫だよ
ほとんどの日本人は中臣鎌足の子孫。
戦国武将も詐称しまくり
女系で武士階級の大半には中臣鎌足の血が流れている
そしておまえらの高祖父母16人のどれかにはその一つがあるだろ
つまり中臣鎌足の子孫だ
大王がそれらの力を借りるかわりに領地の私有を認めた
渡来人と大王系統はきっちり分離されてたんだがここに血の交わりを最初に作ったのが藤原氏
そのおかげで天皇の側近となって権力を独占し続けた
藤原不比等は古代日本屈指の天才
厳密に言うと渡来人と天孫は別
この辺りは天孫だから渡ってきたのが縄文とかだから一般的な渡来人より古い
ちなみにその時代の朝鮮半島は南端以外は不毛の地
華中より南から渡ってきた
デマを流すな
そしてなんで百済の王子が常陸の国に豪族としているんだよ
バ○らしい
よくそんなでたらめ信じるよな
嘘を流すならせめて飛鳥の近郊で人質生活を送っていたぐらいにしてくれよ
蘇我はおそらくスサノオに連なる家系
それが渡来かどうかはわからんけど
ただ当時は最先端技術を独占してたことで相当恨まれてたはず
日本史が藤原不比等が創作した説だとそう言われてるな
天皇を暗○して歴史を改変した
中臣以外にも氏がやまほどいるのに自前の神話づくりなんか許されんぞ
それこそ蘇我氏みたいに潰される
在日韓国人以上の反日だわ(笑)
そのため藤原氏にも蘇我の血が流れている
例えば
蘇我稲目-蘇我馬子-蘇我倉麻呂-蘇我連子-蘇我娼子-藤原房前-藤原真楯-藤原内麻呂-藤原冬嗣-藤原長良-藤原基経-藤原忠平-藤原師輔-藤原兼家-藤原道長
蘇我の1系統が消されただけであってその後も蘇我が大臣
例えば天智天皇の時の右大臣・蘇我連子の娘が蘇我娼子で藤原不比等の妻
蘇我こそ大和朝廷の本流でしょ
強いて言うなら
入鹿は悪人じゃなかった
(革新的な政治家だったのに中大兄と中臣に暗○され日本書紀で悪役に)
聖徳太子の実績の半分くらいは蘇我氏(馬子、蝦夷、入鹿)のもの
蘇我氏の手柄を天皇の子である聖徳太子にさせるために改竄
このくらいはやってそう
聖徳太子は父方からも母方からも蘇我の血を受け継いでいる蘇我の子
なぜ蘇我の手柄を蘇我の子へ?
もし仮に蘇我を否定したいならば非蘇我系皇族にすればいいのにしていない
入鹿が○されて大化の改新の時の右大臣は蘇我石川麻呂
そして天智天皇が即位したときの右大臣は蘇我連子
つまり
(説A) 入鹿は本当に悪人なので○されて蘇我自体は悪くないので重臣として続いた
(説B) 入鹿は悪人じゃないけど蘇我氏内の身内争いで○されて勝った側の蘇我が重臣として続いた
事情により時の施政者の都合のいいように書いてあるところはあるが
正しいと思われる記述もある
逆に一見何書いてあるか理解不能のところとかは事実そのままだったりする
非常にわかりやすい
そうなんだよね
蘇我氏は中大兄皇子に滅ぼされたと思っているバ○がなぜか多い
実際には大化の改新の右大臣が蘇我石川麻呂で天智天皇即位の右大臣が蘇我連子
つまり中大兄皇子(=天智天皇)を支えていた側が蘇我氏
そのため壬申の乱で大海人皇子(=天武天皇)が勝利したら蘇我氏は没落
滅びていない
蘇我馬子の孫の蘇我石川麻呂が大化の改新の右大臣
蘇我馬子の孫の蘇我連子が天智天皇即位時の右大臣
さらにその右大臣・蘇我連子の娘が藤原不比等の妻
つまり藤原四兄弟のうちの三兄弟の祖父が蘇我連子
壬申の乱では一族こぞって負けた側にいたから没落して終わった
それもウソ
天武天皇側の蘇我一族もいる
日本書紀に書かれているように
大海人皇子は仲の良い蘇我安麻呂の忠告のおかげで天智天皇の謀略を先につかみ
大海人皇子は天智天皇からの譲位の申し出を辞退して出家して吉野に脱出できたとある
つまり天武天皇の勝利を導いた最も重要な人物が蘇我安麻呂
ただし壬申の乱直後に蘇我安麻呂は亡くなってしまい子供の蘇我石足がまだ幼かったため
天武天皇の末期の頃にようやく成人して石川朝臣姓を与えられて石川石足となっている
この石川石足(蘇我石足)は藤原四兄弟と従兄弟でもあり藤原政権を支え
権参議として長屋王排除を決定し長屋王の自○後は生き残った妻子を赦免する勅を伝えている
そして従三位となり奈良時代も藤原氏のすぐ下に蘇我氏が活躍していた
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1625810711/
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