古代エジプトで「鼻が欠けた像」が多い理由は事故じゃなかった?謎に迫る考察
四大文明と言われるように、人類の文明はチグリス・ユーフラテス川、ナイル川、インダス川、黄河の4つの流域から発達したことが知られている。しかし、洋の東西を問わず、最も人気なのは古代エジプト文明だ。
エジプト文明は、ピラミッドやミイラをはじめ、ツタンカーメンの黄金のマスクのように、まだ見つかっていない遺物の発見など、さまざまなロマンにあふれているが、ひときわ優れているのが芸術性だ。ファラオや古代の民衆の生活をあらわした彫像や装飾品が、圧倒的なリアリティーをもって作られている。
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■なぜ鼻が欠けるのか?
ギリシャの哲学者プラトンが「エジプト美術は1万年を経ても変わっていない」という言葉を残したように、伝統や保守性を重視するエジプト文化は、宗教やタヒ後の世界とのつながりが強く、「太陽のように永遠に変わらないもの」とか「永遠の生命・健康・富」を好んで、堅牢な石の彫像を数多く残した。ただひとつ残念なのは、多くの彫像の鼻がことごとく欠けている点だ。
有名なところで言えば、第19王朝で66年間にわたって絶対的権力を握ったラムセス2世や、第18王朝のハトシェプスト女王。統治期間が長いファラオは、それだけ多くの彫像が残されているが、鼻がつぶれているものが多い。
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■彫像が倒れたから鼻が欠けた?
現代の我々は、長い歴史の間に、彫像が倒れたり、風や雨に晒されたりして、最もとんがって華奢な先端部分が欠けたり、侵食してしまったのだろうと考えている。
もちろんその理由も考えられるが、ニューヨークのメトロポリタン美術館でエジプト美術を担当するアデーラ・オッペンハイム学芸員は、「ほとんどの場合、悪意ある人為的な破壊行為の結果なのです」と指摘する。
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■口開けの儀式で彫像に霊魂が宿る
オッペンハイムさんによると、古代エジプト人は彫像には生命力があると信じていたという。もちろん、石や金属でできた像が歩き回ったり、呼吸したりすることはないということは知っていたが、ミイラや彫像に「口開けの儀式」を行うことで、霊魂が入り、タヒ者が再生すると考えていた。
この考え方は、権力者に敵対するライバルや、墓荒らしを行った侵入者にも広まっていたことから、タヒ者がよみがえるのを防ぐために、呼吸できないよう鼻や顔を傷つけたり、手足を破壊することで、彫像の中に宿る魂を、文字どおり「息の根を止めて」いたのだという。タヒんだ後にもう一回、○された証が欠けた鼻なのだ。
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ハザードラボ
https://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/8/28782.html
ナポレオン率いるフランス軍が射撃練習の的にしたから欠けたんじゃなかったの?
破壊したという説
これ嘘だったのかな
顔を狙って大砲を撃ち、鼻に命中したというのは正直信じられなかった
当時の大砲にそんな精度があったのか。また、正面から撃ったら顔ごと砕けるんじゃないかな。
銃弾では威力が足らないだろうし。
エジプト行った時、現地ガイド(エジプト人)は
「キリスト教徒が破壊した」
って言ってた
俺もイスラム教徒の仕業だと思ったが
勝手に持ち帰った人たちは悪意ないのか???
デモだか暴動だかで文化財を破壊しているエジプト人を見たら、イギリスやフランスのやった事が間違った行為だと断言出来なくなるな。
フランスも街破壊はしたことあるぜ
ノートルダムも市民革命でやったことあるし
盗掘するような冒涜者が石像の霊威を恐れてわざわざ小細工するかね。
>>34
例えば
墓を暴いた奴が、親族や生前仏さんを敵視していた奴
…とかだったらどうだろうね
生前顔見知りだったから、殊更そういうのを恐れたんだろうね
墓の中の壁画のヒエ○グリフ部分の、気に入らない部分も削り取られたりしてる
ギリシャはエジプトの派生文明と言える。
だが近代化した欧州は自分の文明的起源をギリシャにしたいあまり、
黒いエジプトと白いギリシャとに分けた。なぜ?
白人至上主義的に黒人がいたエジプトが欧州の起源ではまずいのだ。
ここから白い文明・古代ギリシャという捏造が始まる。
それいったら聖書やらラテン語がそやで
まあ精神が残るのさw
インド→イラン→メソポタミア→エジプト→ギリシャという流れで伝播してるから
エジプトとメソポタミアを分けることも良くない
「自然哲学(自然科学のこと)はエジプトが起源であり、
我々はすべてエジプトに学んだ」 ディオゲネス(列伝)
「エチオピア人はすべての民族でもっとも美しい」 ヘロドトス
しかしこのような事実はまずい。白人至上主義に黒人の祖先が
居ることはありえないのだ。だからエジプト文明圏からギリシャを切り取り、
単独文明にする必要があったのだ。
ヘレニズム都市、あるいはギリシャ化した北部インドという
白い文明的な歴史観に似る点も注意)と、
南部のドラヴィダ人文化とに恣意的に分け、インドを2つの文明に分けるのと
同じことだ。
スフィンクスの鼻はフランス軍が射撃訓練の的にしたから
フランス軍が射撃訓練で撃った記録が残っている
当時のスフィンクスは首まで砂に埋まっていて
砂の上に置かれた頭部のみの石像がそんなに重要なものだとは思われていなかった
ギリシャ文明もあくまでもエジプトやバビロニアの文明の上に乗っかってることが分かる
倒壊したときとか風雨砂の経年変化で壊れた可能性もあったわけだ
大理石の彫刻も鼻やち○こがかけやすかった気がする
補修されてたり
茶碗を割る場合があるが、それと同じような理由か
やったのはキリスト教徒だよ ギリシアやローマの神像を見に行ってみるとわかる
全部、鼻だけ欠けてるから
ローマ帝国がキリスト教化したとき、キリスト教徒による破壊が全土で荒れ狂った
そのせいでローマ神殿はほとんど残ってない
ギリシア神殿は巨大過ぎてこわせなかった だから残ってる
西洋古代史をやってる人なら、みんな知ってるよ
イスラム建築はスペインに残ってるし
ナポレオンの話はどうなんだろうね。
ナポレオンはエジプトの遺産に執着はして
いたことが断片的ながら歴史で言われてる。
トラファルガー海戦では、エジプトからの
資料をフランス側で積んでて、その前後で
フランス側が保持してたロゼッタストーン
がどっかの港に沈み、イギリスが持ち帰る
原因になったという。
名も学歴もないシャンポリオンに、エジプ
ト史研究の支援をしたのもナポレオンの時
代のフランスだし。
ヨーロッパ人ならヨーロッパ文明の基礎であるギリシャローマ文明の元ネタが
古代エジプト文明から来てること位皆知っとるやろ
ナポレオンは自分がヨーロッパを近代に導くくらいの誇大妄想を持ってたから
そのルーツである古代エジプト文明には当然関心があった
実際皇帝システム終焉させたのナポレオンだぞ
日本的に言えば天皇を中心とする封建制度ぶっ壊したようなもんで
>>114
ところがナポレオンの時代はそうでもなかったらしい。
アフリカ大陸の文明の跡はだからヨーロッパ人には
魅力的に見えたとか。
あと、エジプトの文明の年代をシャンポリオンが探る
につけ、キリスト教の世界創生の年代よりも古い
王朝の記録が見つかったときは、論文に推定年代を
載せないでいたとか。
最近ビザンツ(東ローマ帝国)史の本を読んでたんだけど
なんでも後継者(や候補者)は身体に不具とかがあると認められないとかで
後継争いで敵対者の鼻を削いだり、目をえぐるなんて事例が結構出てきます
(そのまま修道院に幽閉や処置が悪くてほどなく亡くなった人もいたとか)
相手に何らかのマイナス的要素を
与えたいって点では同じかもしれません
引用元: http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1556536618/
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