幕末の四賢侯の人柄を知って!福井で研究者ら初のシンポ、例えば 「山内容堂は酒好きで豪快。でも潔癖性で人が触れたものを触るのは嫌」だった
幕末の「四賢侯」と呼ばれた松平春嶽、島津斉彬、山内容堂、伊達宗城について語るパネリストたち=福井市のハピリンで
幕末期にそれぞれ藩主を務め、後に当代の「四賢侯(しけんこう)」と称された福井藩主の松平春嶽ら四人に焦点を当てた初めての「四賢侯シンポジウム」が二十三日、福井市のハピリンで開かれた。福井、鹿児島、高知、愛媛の四県から研究者が集い、四人の結び付きや歴史的な役割について掘り下げた。
四賢侯は、春嶽のほか、薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)、土佐藩主・山内容堂、宇和島藩主・伊達宗城(むねなり)の四人。県が幕末明治福井150年博の一環として企画した。
「四賢侯は昭和になって一般化した」と話したのは、NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」の時代考証を担当する東京学芸大の大石学教授。講演の中で「四賢侯」の言葉は司馬遼太郎の小説に登場し広まった、と説明。四人は幕府に味方する佐幕、その逆の討幕のどちらでもない「中間的な公武合体派。うまくいかなかったが、(国内の)被害をできるだけ抑えて、近代にという思想だった」と述べた。
四県の研究者によるパネル討論では人柄などに話が及んだ。福井市教委文化財保護課の田中伸卓さんは「春嶽は人の意見をよく聞いて考えを変えていけた。誠実で真面目でもあった」と評価した。
その春嶽は容堂と仲が良かった。「容堂は酒好きで豪快。でも潔癖性で人が触れたものを触るのは嫌だった」と高知県立高知城歴史博物館の藤田雅子課長。酒の飲めない春嶽に「『下戸先生』とあだ名をつけたが、大好き。政事総裁職の春嶽を支えた」と話した。
鹿児島大の佐藤宏之准教授は、斉彬を「海外に目を向け、先進的な知識をどんどん取り入れた」。愛媛大の胡(えべす)光教授は、宗城に関して「四賢侯で最もマイナーな存在。情報収集に長け調整役の人だった。容堂と交わした手紙に酒の話がたくさん出てくる」と解説した。
コーディネーターを務めた大石教授は「四人は自由にものを言った人たち。今回が四賢侯をさらに研究する第一歩になれば」と話していた。 (尾嶋隆宏)
2018年9月26日
中日新聞
http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20180926/CK2018092602000013.html
潔癖症は鍋島ではなかったかな?
ああ、今日はかぶってない。じゃあ続きを書こう。
ウリが四賢侯で一番好きなのは宇和島公なんだけど
そうか>>1によるとマイナーか、そうですか
宇和島なんて今じゃ四国のとっぱずれって感じだけど
当時は堂々立派な先進雄藩なわけでね、やはり大したもんですよ。
蒸気船とかもってなかったっけ? え? 自ら作っちゃった?
なぁ? すごいんだよw 宇和島10万石がね。
ついでにいうとウリが幕末維新史で最も敬する中井弘も若いころは
宇和島藩の周旋方やってたくらいだしね。人を見る目もあったと思うよ
(´・ω・`)
おーい竜馬では容堂は冷酷な悪人みたいに
描かれていたからあれでイメージ悪化した人も多そう
実際は武市を処刑した事をかなり後悔して
罪の意識に苛まされていたらしいが
武市半平太がもしも生きて明治維新を迎えてたら、木戸や大久保らと互角に意見を出し合って新政府を運営してたんじゃないかと思えるほど才能があった可能性
山内容堂は本当に惜しいことしたよ
武市は暗○しまくったからなあ
生きていたらもっと活躍はできたろうが
処刑されたのも正直、仕方ないと思う
あの時代だし仕方ないかもだけどね
○してるんだから○されもするよ
個人的には生きてて欲しかったけど
仇同士みたいなもんで、見捨てるもなにも
幼児を切り捨てとったからな
史実じゃなかったらあんな描き方は論外だわ
正確には部下に通行の邪魔をした
子どもを斬らせた
おーい竜馬は板垣退助も終盤以外はかなり
嫌なキャラに描いてるし
上士と下士の身分の差を強調するために
脚色したんだろうな
あのイメージしかないわ
というか善人の要素ないだろ
上士と郷士の差別が苛烈で土佐藩えげつないなと漫画読んで思ったわ
そもそも土佐の郷士ってのは、土着の地侍を武士として取り立てようっていう仕組みなので、差別とは違うし、
差別する側の首魁のように描かれている吉田東洋は長宗我部家旧臣の末裔だし。
藩政改革して
西洋式の技術や軍備取り入れたからな
高野長英とか大村益次郎招いて
大河ドラマ花神に大村に蒸気船建造命じる場面がある
>>21
島津斉彬の父親は薩摩藩主。
山内容堂の父親は土佐藩主。
松平春嶽の父親は田安徳川家3代目。
伊達宗城の父親は3000石の旗本。
ある意味、伊達宗城が一番すごい。
ただし、伊達宗城の祖父は宇和島藩主の子供
関東の上杉氏の家臣→後北条氏の家臣から生き延びてきた家だから運が強いというか世渡り上手な家というか
山内一豊の頃というか、最初は違うのさ。
徳川将軍家なんて「三河武士が統治する。関東武士は殆ど全員帰農」だし。
郷士だって武士だから、徳川将軍家のやり方よりは待遇が良い。
あとは、半平太ら土佐勤皇党を処刑した上士集団「おこぜ組」から後藤象二郎も板垣退助も出ている。
>>24
関東と土佐じゃ全然違うわ
土佐では上士が郷士を斬り捨て御免で
上士が自分の刀を低く鑑定した郷士を斬ってもお咎め無しだった
関東の特に旗本領だと
領地が村ひとつやそれ未満の旗本はそこの名主に頼りきりになるんで
用人に次ぐ小姓頭格を与えて家中No.2になってたりする
>>88
関東の幕領、あるいは旗本領なんてのはね
代官やらなんやらがいて、時代劇だとひどそうな感じもするけどw
代官なんてのは読んで字のごとく幕府統治代理人のリーマン領主、雇われ領主なわけで
そりゃ封土たる大名領とは違って好き勝手出来ませんってwww
だって下手うちゃもう一存で左遷かクビかって話にもなるしね
旗本領に至っちゃ領主本人は江戸にいるわけだし、
相給村なんて複数領主がいるわけで、あんまり無体なことしてると
百姓ネットワークですぐチクりが中央に入るんでそりゃ変なことはできないよね
そういうわけで概ねラクチンだったというね、大名領に比べれば
…ま、その緩さがたたって幕末期などは博徒や無宿といったならずものが
旗本領に集ってきたりするんだけどさwww
しかし結局、切り捨てられたな
それでも切腹をさせられただけマシか
武士としてタヒねたのだから
武市を信じていた配下の多くが打ち首で○された。
特に人きりで知られる以蔵など、無宿人として打ち首だからな
武士の誇りまで踏みにじられている
彼は自分で身持ちを崩して仲間からも愛想つかされてたやん。
で実際に無宿者になってて商家押し入りやで。
まあ、それに近い汚れ仕事を仲間うちにいたときからずっとしてたにしても。
口封じのために差し入れの弁当に毒を入れられたのだよ
主と信じた武市のために汚れ仕事をやって来たのに
それは耐えがたかっただろうよ
それは事実だったとしても捕まったあとやん。その前から自堕落な生活になってたわけで。
まあ、自分で考えて上手く行動できるタイプならそもそもずっと下働きしてないだろうが
それ創作な
以蔵毒○の案は出たが武市と以蔵の親族は許さなかったし
以蔵に関しちゃ志士としても認められてないがな
田中新兵衛、河上彦斎が明治政府の顕彰受けたのと違ってな
人斬りで汚れ仕事やったからとか拷問に耐えられなくて吐いたってのも理由じゃなくて単に押し込み強盗や辻斬りとかやってて仲間内からもクズ扱いされてたのが原因
明治政府できたての頃に、春嶽公が民部卿兼大蔵卿だったり、宗城公が外務卿や民部卿兼大蔵卿だったしたくらい。
まあ林真理子の原作だからな~。いごっそうが斉彬の犬にビビる?
黒船を純国産で造ったな。大村益次郎も見出したし。
> 潔癖性で人が触れたものを触るのは嫌だった
誰かが物に触らないと掃除できないでしょ?
お部屋の掃除も自分でやってたの?
じゃなかったら、そういう時には人にやらせても平気な程度の潔癖症
藩主クラスの高位の侍はみんな若いのに好き勝手にやらせていただけで何もしていない
・ノンポリ
・異常者
・策士
・tabuse派
裸に むいてやれ
だいたい 要職の地位や 肩書き系に 釣られやすいのって どっか なにかが欠けてるんじゃないのか?
一般にはそっちが信用されるけど、
変わり者は信じないってことでしょ
幕末の四候会議から後付けで名づけられただけだった
本当の賢候ならもっと他に何人でもいただろ
賢人会議に出席した森喜朗が日本を代表する賢人、みたいなもんか
容堂は龍馬と9つしか違わないのにやたら妖怪ジジイみたいに描かれるな。
武市なんて2つしか違わないのに。そして同年代に描かれる武市と龍馬。
新選組の井上源三郎も年齢、他の隊士とそう変わんないのに初老レベルに
描かれたりするし
容堂は酒が過ぎて肝臓から出血をしている位なので、老け込んでいたと思う。
昔の九歳差は結構違うんじゃない?
昭和の頃の政治家見てみると
見た目画今だと60代なのに年齢が30代とか
今見たらビビるよ
一番不潔なのはてめーだっての
農民なんかに比べたら殿様なんか一般には恵まれてただろうけど
白粉による鉛中毒なんかは逆に上流特有だろうけど
漱石門下の俳人
宗城は子沢山だったからな
100回忌に親戚で集まったら血が入ってるのだけでも50人くらい来た。
それでも半分も来てないのに。
春嶽も若いだけにちょこちょこ怪しいとこあるしな。堀田に伊井の暗○けしかけたり橋本左内を救えなかったり
結局のとこ賢公ってのは鍋島直正と島津斉彬くらいのもんだろ
>>71
容堂だって吉田東洋・後藤象二郎・乾退助みたいな
有能な人材を抜擢してるから賢公と呼んでもいいんじゃないかな?
司馬遼太郎なんかは容堂のことを糞味噌に書いてるけど、
郷士目線だけで裁くのは一方的すぎる。
>>72
司馬の作品内での扱いは坂本をヒーローに仕立て上げるストーリー=上士と下士の対立=山内侍のメインアイコンにせゃならんのだから仕方あるまい
大体にして時代小説だぞ。そんなのをまともに受け取っちゃいかん
そこや人材発掘の功績を除いても酔えば勤皇、覚めれば左幕ってのはいい得て妙で毛利の殿様よりタチが悪い
人材発掘にしても別に下士から優秀な人材を取り立てたわけじゃないしね
ってのはかっこいいな。本当にいったかどうかは知らんが
土佐以外の新政府組では唯一、酒の席で一緒になって酔い潰れた木戸孝允は気に入ったらしく、
度々、木戸の家に春嶽公や秋月公を連れて呑みに行ったり、逆に酒宴に招いたりしたそうだ。
木戸はとことん気苦労の多い人だなあ…
そりゃ病気でぶっ倒れもするわ
鷹山の実家だったりしてなかなか優秀な家系
それまでの後藤や板垣をDQNに書きすぎて和解フラグもいい所0だったし
大義の為には憎い相手でも和解するという伏線が有れば
憎しみ合ってる長州と薩摩を手を組ませるのに説得力出るからな
恋愛ポエマーは土方くらいだろうけど、調べたら他の幕府側の人も抗幕側の人も面白いよ。
そうせい侯も、容堂のことを部下の話を聞いて
豪快を装っているけど実は小心者だって看破してる
島津久光は幕末を動かした大人物ではあるが、
西郷隆盛は常に敵対視し叩いていた。
あと、戊辰戦争以後は、歴史書集めに没頭した世捨て人状態だった。
興味深いスレが立ってるね、幕末四賢侯ね。
四天王みたいでちょっとカッコいいよなwww
また維新回転史のなかでは重要人物ではあるが
大身の身ながら主役張るほど活躍したわけでもないってところもね
(維新後も同様、まあ島津公は物故者だから除くが)
IDかぶりがなければ書いてみよう
所詮猿真似民族
史実かどうか知らんが
史実だったら薮蛇だしな
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1537995465/
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