●江戸時代の食事を再現!
おひつにたっぷり盛られた玄米と、お漬物、汁物……そして塩? 質素に見える内容ながらも玄米の迫力がすごいこちらの写真。なんと、「江戸時代の食事」を再現したものなんだそうです。中部大学 人文学部 コミュニケーション学科 助教・王昊凡さん(@SUSHIwanghaofan)のツイートが話題になっていました。
いつも「江戸時代の食事がね」みたいなことを授業でしゃべってるんですけど、諸事情で自分でつくる必要がでてきてつくってみたんですよ。玄米2合はやべえっすね。豪華なときは、ちょっと魚がつきます(よけいに悲しみが出ますよね)(@SUSHIwanghaofanより引用)
それにしてもこの写真。「そもそもは授業用の資料として撮影した」そうなのですが、見れば見るほどシンプルながらも奥が深そうに感じられます。今回、王さんに江戸時代の食事事情についてお話を聞いてみました。
●毎日、同じような献立を作っていた
https://news.mynavi.jp/article/20200714-wadai/images/002.jpg
(C) 2020 王昊凡 ひと目見て感じる塩分量…… ※タップで拡大
「まず玄米なんですが、本当はもっと小さなお茶碗で“おかわり”していたようです。ただ今回は、授業用の資料ということで、わかりやすさを考えてドーンと置いてみました。
汁物は、シンプルなお味噌汁が多かったようです。具材は、今回はネギだけにしています。当時は自家製の味噌を作る家庭が多かったようですね。今回は私が買ってきた味噌です。自分で作るとなると大変なので……」。
――1年がかりになっちゃいますしね
「お漬物も、江戸時代は自家製です。畑で取れた野菜を旬のときに漬けて保存できるようにしていました。昔ながらの固いタクワンみたいなものをイメージしてもらえば。ちなみに、塩をそのまま、おかずがわりにして米を食べるということもあったようです。
現代で再現する場合、材料はすべて市販のものが使えますが、江戸時代にはガスもないですし、燃料も芝刈りで集めた枝を燃やさなきゃいけないですし、冷蔵庫もありません。質素な内容ですが、いま普通の料理を作るよりも手間がかかったと思います」。
――塩分量がかなり多そうですが……
「当時は、塩っぱいもので米を食べるのが主流で、毎日同じような塩分過多な献立を作ってたようです。これはマズいということで、戦後日本で行政中心に“減塩運動”が行われ、今のような食事になっていきました。一汁三菜を用意して、毎日違う献立で料理を作るようになったのは、実は日本が豊かになり、メディアが発達した1950年頃からと言われています」。
●現代のような全国流通網がなかったので……
――ちなみにこの食事を食べていたのは、江戸時代の中でも『尾張国の春日井郡に住む、貧困ではない自作農の20歳程度の長男の朝食もしくは夕食』を想定しつつ、アレンジを多めに加えました」ということでした。かなり限定的なんですね
「江戸時代は、現代のような全国流通網がなかったことと、貧富・身分の差がかなり激しかったので、全国で同じようなものを食べるということはありませんでした。どちらかといえば、地元のありあわせのもので米を食べるというのが主流で、例えば海沿いだと米の中にイワシが混ざっているとか、大根の葉っぱを混ぜるとか。
今回も、本当は麦入りの大根葉の混ぜご飯にしたかったんですが、あれ玄米と混ぜるとめちゃくちゃ美味しくないんでやめちゃいました(笑)。投稿を見た知り合いからは、『三河吉田藩下級藩士の夕飯的な雰囲気』と言われて、たしかにそっちの方がリアリティとしてはあったのかなあと」。
――今回のツイートが、大きな反響を呼んでいました。率直な感想はありますか?
「玄米2合がここまでのコンテンツ力を持っていることにまず驚きました(笑)。途中からリツイートが伸びはじめたときも、『いって500ぐらいかな』と思っていたんですよ。玄米2合炊いただけでここまで……」
――多くの人に、食文化に興味を持ってもらうきっかけにもなりましたね
「嬉しかったのが、当時の食文化に詳しい農家の方からもリプライをいただけたことですね。いろいろな人がああだこうだ言いながら知識を積み重ねていくことができました。それが玄米2合から生まれたというのが、見てて楽しかったです」。
https://twitter.com/SUSHIwanghaofan/status/1278654304174223360?s=20
一応武家の食事だったから白米だった記憶がある。
だから脚気がおこり「江戸患い」と言われた
栄養をとるのが目的
海外の食事とコンセプトは同じ
食えよバ○
食えなくはないだろうが
日常生活での運動量は
いろいろと便利な現代の方が少ないから
間違いなく太るぞw
ある時点での食事だろう
異議が出まくりだと思われる
ソース全く読んでなそう
もしかしてたんぱく質は玄米から取るの?
ライスプロテインあるじゃん
米はタンパク質結構入ってる
中学のとき親が玄米にこって弁当に玄米がはいっていたんだが
玄米の冷ご飯って辛いよw
江戸時代は主食の概念がなく地域差があった
大消費地で消費文化、外食文化の発達した江戸では白米が普及し、
長屋でも米を炊くくらいで料理はしないで惣菜を買ってくる
武士の家計簿的な話では外食が多い
節約のため米を炊き食材を買ってきて自分で調理もしていたらしい
玄米粗食はあったかもしれないがこれはどこかの一家の話
>中部大学 人文学部 コミュニケーション学科 助教・王昊凡さん
華僑の人かな?
ググったら高校は福岡、大学は名古屋大らしいけども。
農村を見ないと日本人の全体像は見えない
米多いよなあ
飢饉が来たらすぐコメ無くなるのも当たり前やろ
現代よりはるかに多かった、ってのは
聞いたことがあるな…
今の米よりタンパク質豊富だったって話も
昭和20 年代は今の倍くらい米を食べてたらしい
栃木県護国神社のサイトに
「軍隊調理法」のページがあるよ。
まぁ、おかずはそんなになかっただろうから
玄米でもたんぱく質やビタミンBの含有量は少ないから、大量に摂る必要があった
江戸時代ボンカレーは金持ちしか食えなかったらしい
超金持ちはボンカレーゴールドだと当時のナントカ草子に書いてあった記憶
刺客の子でも3分間じっと我慢してれば食べられたぞ。
実現しないと
農林1号とか稲の品種みたいだな。
岩手1号もかw
ガッツリ米食ってるじゃんかよ。
農民一日二食説も眉唾物
一説によると間食含めて一日五、六回は食べてたらしい
おやつ感覚で雀やタニシ取ってその場で焼いて食うとかザラだったから
そう言うのも含めるとこの回数でもおかしくない
おかわりしてた飯を丼に入れてる時点で歪曲だし
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