岐阜県御嵩町にある寺で、解体修理が行われている本堂の壁から400年以上前に書かれたとみられる落書きが見つかり、当時の旅人が書いたのではないかと見られています。
落書きが見つかったのは御嵩町にある願興寺です。
国の重要文化財に指定されている本堂は、平成29年から10年をかけて解体修理が行われていますが、去年8月、本尊の後ろの壁から神奈川県鎌倉市にある「玉縄」や現在の栃木県の「下野国」など、地名とみられる落書きが見つかりました。また、織田信長が活躍した「天正六年(1578年)」の文字もあり、落書きは400年以上前に書かれたとみられます。
工事を監修している文化財建造物保存技術協会によりますと、近くの街道を行き交う旅人が寺に立ち寄った記念に書いたのではないかということです。
文化財建造物保存技術協会の内山都伊美さんは「落書きとはいえ、貴重なので残すべきだと思う」と話しています。
願興寺の小川文甫住職は「資料としてありがたいですが、現代のかたは、落書きはやめてほしい」と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200717/K10012519601_2007162317_2007170544_01_02.jpg
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200717/K10012519601_2007162317_2007170544_01_03.jpg
NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200717/k10012519601000.html
これほんまに400年前か?
筆跡がマジックっぽいけど
>>1
アンコールワットにも日本人の落書きが
たしか加藤清正の家来の
>>1
400年前とかバンクシーとか関係ない
落書きは消せよ!
.
落書きって日本だけの悪習なのかい?
>>6
トルコじゃ1500年前のガキのエ○絵が見つかってるな
人類は果たして進化しているのだろか(´・ω・`)
今の感覚からすると
南アフリカやブラジルにいく、くらいの感覚かないくまでに何日もかかって安全保証がない
そんなことない。カンボジアのアンコールワットにも日本人の同時代の落書が残っている。
その時代なら傭兵で出た武士じゃね?
父母の菩提を弔うために仏像を奉納しにアンコールワットを訪れた
素姓もはっきりしていて加藤清正の重臣森本義太夫の息子
現代の人のでも400年経てば貴重になるんだから
ガンガン書いてもらったらいいんじゃね?
ダメなら有り難がるなよ
>>25
400年前に旅人(町民)が文字が書けて旅に出るのに筆記用具を
持ち歩いてたと言うのが凄んだけど?
韓国なんか100年前でも字は書けない持ち運び出来る筆記用具も無い
「旅の恥はかき捨て」は、「旅先で分からないことを聞くのは恥ずかしくても聞きなさい」っていう意味
プッ
学の無さを晒すんじゃないよ
可児才蔵の寺だよね
浮世絵もエ○画だらけだし
さすがAV大国ニッポンだわ、昔から変態だったんだね
せやで
ど変態だけど想像力豊かで真っ当な浮世絵師が小遣い稼ぎに変態絵を書いてた
それを複製して庶民が娯楽として買ったりする文化が江戸時代にはすでにあったんだぞ
当時の岐阜ならまさに織田の支配下か
義昭上洛の年なので、往古の古河公方や鎌倉公方に関連した身分高めの人物が上洛途中に宿舎にした可能性があるな
木材調達の可能性もあるけど、途中に木曽があるからその可能性は低い
信用できん
補修作業中に昔の落書きが見つかるのよくあるぞ
当時の大工が書いたのとか
そこまで珍しい話でもない
書類記入用に旅に筆記用具持ってくなんて今と大して変わらねえな
>>124
・400年前の物でこんにち残っている物
・こんにちの物で400年後に残る物
これでは数が違うだろうから、素人の無意味な落書きは400年後に大した価値は出ないと思う
21号線が横断してるな
まさに当時の中仙道だから常磐方面からの往来があった
ただし国境の臨検があったはずなので公用でないと往来は難しい
宿場町も無いので寺で寝泊まり
落書きも悪いものではないんやねぇw
一般人が字を書けるというのも凄いんやで。
日本の識字率の高さは昔からやね。
よく玉縄や下野辺りから美濃まで旅に行けたな
しかも年代的に織田徳川と武田のタヒ闘が繰り広げられてる最中で、
その最前線を通り抜けていかないといけないから大変だったろうに
いったいどういう立場の人だったんだろうか
映像記録が大量に残る時代なんで、なんの価値もでない。
むしろ書いたやつの子孫が謝罪させられるまである。
現代の宮大工も普通にやってる
完全に隠れる木材に揮ごうする
伊勢神宮の式年遷宮でもやってる
数百年前の「ここの宮司はケチで酒を振る舞わない」という愚痴の落書きとか普通にあるな
大工に読み書きができたことを示す貴重な資料なんて言われたり
これだね
郡山八幡神社の改修の際に発見された。
1559年(永禄2年8月11日)の大工二人の文句が書かれた木片
https://i.redd.it/vwznrrm3ho751.jpg
>>262
その画像で検索したら、全部外国のサイトだったw
なんか琴線に触れたのかな?
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d0/Shochu-rakugaki.jpg
やばすぎやろ織田の天下の時代
旅用の持ち運べる竹製の簡易筆記用具があって
画家たちも重宝したんだよ
すぐに筆でスケッチもできたんだ
むかしと言えど必要から発明は生まれることを知ろうよ
いまだって硯無くても墨汁があるだろう
あれはむかしからのものだ
寺に立ち寄った記念に書いたのではないかということです。
記念に落書きするのはいいんじゃねーか
神社仏閣の改築工事で大工が給料低いとか
こき使いやがってとか宮司も住職も酒も出さないケチ野郎とか
結構、室町・戦国からの柱などに書かれている
織田と行き来してたのはどんなやつなんだ?
安土城に誰から行く際にこの寺で宿とったとは思えない。街道筋からかなり離れているから。
わざわざこの旧土岐氏の領地に来たんだろう。下野のやつも含めて,関東に散らばっていた土岐氏の誰かか?
なんか勘違いしてるよなこういうの
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1594938497/
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