【戦国時代】黒田如水と真田昌幸と尼子経久と毛利元就ら奸雄についてなんだけど
とりあえずスレタイの奴ら一人に一つ、例挙げてみろよ
あげられなかったら>>1はゲーム脳
黒田真田毛利尼子厨乙
秀吉も家康もひとり立ちした時点でそれなりの大名だったからダメ。
最低でも吹けば飛ぶような豪族や国人クラス以下じゃないとダメ。
北関東の奴か? よく知らない。 汚いのはいいけど賢いのか?
尼子だけ滅亡しとるし
まあええやん! どうせ弱小勢力なんやし。
尼子なんかフッと膨らんでサッと消えた戦国の幻影みたいなもんやん。
>>9
尼子が弱小なら、3ブリーフズ以外の大名はみんな弱小やんけ!
尼子は最大動員3万の超大大名やぞ!
武田や長宗我部、伊達クラスには負けてないぞ
だから、経久が活躍始める前の尼子に決まっとるだろうが。
3万の動員兵力って経久の最晩年の頃だろうが。
言われてることが事実なら
なぜ周りは放置してたのか、不思議です。
嫁の実家、娘の嫁ぎ先・・・ひでえ。
まず黒田な、関が原で東西両軍が共倒れしたとこを九州勢使って漁夫の利を得ようとするなどまさに異常者。
勇んで出掛けてる息子のこともただの駒くらいにしか考えてない。
次に真田。 家康、秀忠と二回も徳川の大軍を上田城で撹乱撃退するなど並みのワルにはできない。
こいつもまた二人の息子を徳川と豊臣に分けるなど、鬼畜の所業。
経久な。 大内義興に媚び諂って一緒に京都に行ったかと思えばさっさと先に帰って
大内勢力の切り崩しに必タヒ。 二階に登らせてはしごを外すとはこいつのこと。
元就。 次男三男を養子に行かせて家を乗っ取る。 娘の嫁ぎ先の宍戸も家来に組み込んで
戦争に借り出し放題。 お前はハプスブルク家の人間か。 もはや日本人ではない。
経久元就はともかく
黒田は天下目指すのに漁夫の利を得ようとしたんだから異常者じゃなく知恵者と言うんじゃね 息子は同意だが
真田はツッコムとこそこか?徳川北条上杉豊臣と蝙蝠をやった事じゃね?
あと武田を滅ぼした織田にすぐ降ったとことか
ちょいちょいずれてんな だがこのスレは面白くなりそうだ
いや、リスクに関しちゃ、領土は失ってないまでも
人材、信用は失ってるな。
もちろん、覚悟の上だろうから、ズルイというのも違うだろ。
保元の乱、戦略的にそうだったかはともかく、そうですな。
首切られてるけど。
官兵衛は草刈場となった九州を
今度は自分の天下取りの為に頑張ってみただけ。
「お前の左手・・・云々」の話は家康のために頑張って
天下を取らせた息子への嫌味だろ。
自分が秀吉の為に頑張ったことを棚に上げといて。
まったく、小さな野郎ばかりだぜ。
せっかくいいスレを立ててやったのに俺の揚げ足取りに終始とはな。
いいか小僧、もっと真剣に考えろ。
自分が大名なり豪族だったとして、4人のうち誰が近隣にいたら一番いやだと思うか、
まずそこから考えろ。
俺ならこいつには勝てると思う奴は、そいつの弱点や攻め方をこのスレで書け。
>>20
この4人は隣国に居たら、盟約を結ぶよ。
この4人は下からの信頼が厚いのが特徴、だから自分よりはるかに強大な敵と戦えた。
こっちから裏切らない限りは頼りがいのある親分さ。
そりゃ弟からすらビビられてた宇喜多直家しかおらんだろう。
いつ毒○されるかわかったもんじゃない。
お互いの謀略がお互いにかからずそのままで終わるだろ
少なくとも謀略なんてのはかかるマヌケがいなきゃ始まらないし
尼子経久なら「経久殿の命は素晴らしいですな」
とか言って褒めれば命をくれるかもしれない。
三国志演義の日本語訳で司馬昭が劉禅に言ったような口調w
黒田は調略と戦上手だけど謀略とか騙まし討ちは聞かない。
俺が知らないだけだから、あったら教えて下さい。
真田は防戦一方だったから、調略すら聞かない。親父は上手だったらしいが。
毛利、尼子はできれば避けたい。
だが、上にあるように、宇喜多が最凶だな。
あと近所にいて欲しくないのは
賢いかどうかは知らんが
富田長繁か、キ○ガイは怖い。
>>24
豊前に入封した時に、在地の宇都宮一族を騙し討ちにしたとされている。
>>24
昌幸は勝頼の下で上野攻めで騙し討ちで敵城攻略したという話なら
昌幸の名前で攻めた回数が少ないからそこら辺しか参考にならんなぁ
ついでに直家と久秀も入れるか?
>>27
>ついでに直家と久秀も入れるか?
いや、伝承通りなら、ご両人こそ大本命だと思うのですが。
城井鎮房が反乱起こしたとき、拠点が固くて落とせないから、和睦を持ちかけて出張った所を○害した。
この四者の総てを論ずるには膨大な知識や分析的考証が必要だろうが、総じて有り得そうなことは
自身の勢力が小規模なほど力を発揮するが勢力が大きくなるほど冴えが失せてしまうということだ。
如水と昌幸は小規模なままで終わったが、元就は富田城攻略以降中央に対しては守勢に終始し
九州に侵攻するなど戦略的にはどう見ても上手いとはいえない。
経久も老いていたとはいえ国を傾かせるほどの晴久の無謀な大規模出兵を見逃すあたり、
自分の築いた巨大勢力を的確に御し得ない状態に陥っていたのではなかろうか。
その頃の棺桶に片足突っ込んだ状態の元就と経久に多くを求めるのもなぁ
同じ立場の鍋島とどう違うんだろう?
戦略の黒田
謀略の経久、元就
実戦の昌幸
こんな感じか?
松永は最後は自害だし宇喜多も浦上を食い○したくらいだろ?
歴史に影響を与えるところまで行ってないから物足りないな。
史上初、三村家親に対して銃を使った暗○を行ってるぞ、宇喜多直家。
島津家久「まったくだ」
最上義光( ゚Д゚)「おまーらがいうな!」
龍造寺隆信( ゚Д゚)「禿同!」
鍋島「義兄さんチガウよ、違う家久に釣られてるよ」
隆信「また釣られたのか・・・」
誰が一番優れてるかで言えば尼子
周りの大名が召集かかって関ヶ原に出払ってる隙に勢力拡大。
天下の大泥棒になりかけた。
豊臣大事と言いながら関ヶ原では徳川に付き、大阪の陣では江戸にこもる
そのくせ最後まで豊臣豊臣と言いはった
4人の中では毛利かな。
そもそもこいつ家督相続する権利無いだろw
一番恐ろしいのは宇喜多直家。散々既出だけど肉親の情を全く感じない。
でも一番ズル賢いのは一豊君。
>そもそもこいつ家督相続する権利無いだろ
じゃぁ他の誰に権利があったと?
>>59
兄の興元に決まってるだろ
で兄がタヒんでもその子供に家督相続権があった
兄の子がタヒんでようやく元就にお鉢がまわってきた
がその際弟と相続権を争い弟を○害してようやく家督を継いでいる
あと真田昌幸も3男だから本来なら真田の家督相続権ないね
兄二人が長篠の戦いで討ちタヒにして相続権がまわってきた
それは知った上で、58の答えを聞こうと思ったのに。タヒんだ興元の骨でも引っぱりだしてくるのかと。
>>63
×兄の子がタヒんでようやく元就にお鉢がまわってきた
○兄の子を○してようやく元就にお鉢がまわってきた
元就は、真田昌幸なんか足元にも及ばない悪人かと。
子供じゃまとまらないって場合もある。
武田信玄は「戦国最強の軍神」、真田昌幸は「表裏比興の者」。
この差ってあんましじゃない?
信玄は自分で主体的にやってるけど、真田昌幸は武田北条上杉徳川豊臣という大きな権力の下で
小賢しくチョコマカしてるからだろ。
中国三大謀将、特に尼子と元就の三代に渡る歴戦と宿縁が面白い。
ずるい、で戦国の策将を語って良い…かはよくわからん。
↓中国三大謀将ぐぐってペースト。
・尼子経久
出雲の守護代だったが、独立を志向して税の支払いを拒否したことで主家の京極氏から地位剥奪の上で追放される。
しかし、謀略によって新守護代から本拠地を奪い返し、守護代に返り咲く。
以後は守護から権力を奪って出雲の支配者となると、周囲と争って次々と所領を拡大。
最終的に山陰山陽十一カ国に所領を広げ、「十一州の太守」、「鬼神」、「雲州の狼」等と呼ばれるようになった。
家臣を演技でわざと逐電させ、埋伏の毒として敵の家に仕えさせた計略が有名。
下克上の典型例であり、「謀聖」と評された。
・毛利元就
安芸の国人領主。元々小身だった上に重臣に所領を横領されて追い出されてしまう。
しかし、後に帰還して家督を継ぎ、家中を統一。
更に尼子経久らと争い、当時の二強だった尼子と大内を行ったり来たりしながら所領を拡大。
最終的には両家を滅ぼし、中国地方ほぼ全域を手中に収めた。
暗○、合戦、策略、買収、婚姻など、勝利のためにあらゆる手段を用いたことで、「謀神」と呼ばれるようになった。
・宇喜多直家
備前守護代浦上家の家臣。祖父が政敵・島村盛実らによって暗○されたため、放浪の中で幼少時代を過ごす。
しかし、元服後に浦上家に出仕し、祖父の復讐を果たすために島村盛実を暗○したのを初め、策略で次々と功績を上げる。
後に毛利家と結んで謀反を起こし、主君浦上宗景を追放して戦国大名となった。その後は備前のみならず、備中や美作にまで勢力を広げている。
三人の中でも特に暗○を多用した人物で、親類の体をとって安心させた上で寝首を掻くというえげつなさで有名。
そのため斎藤道三や松永久秀と並ぶ悪人ともされている。謀多き人生を送り、「黒い風雲児」、もしくは「梟雄」と呼ばれた。
領土拡大できただろうか?
家を残せただろうか?
最終石高だけで上だの下だのと人物評する奴がたまにいるが
よく考えて発言してもらいたいもんだ
そうか?
真上の景勝が西軍に付いてるし
結果的には東軍が勝ったが
あの当時、確実に東軍が勝つと思ってた奴なんて
ほとんどいないだろ?
小早川を調略してた家康すら
確実に勝てるとは思ってなかったはずだ
すべては小早川次第だったし
秀忠がもっと遅れたらわからなかった
確実とはとても思えない
宇喜多直家の侵攻を跳ね返した小寺政職さんは猛将!
織田軍の大軍を一度は跳ね返した小寺政職さんは名将!
足利義昭公に最後まで仕えた小寺政職さんは忠臣!
息子の 長政と幸村も、ほとんど同じ
黒田 対 真田 比べてみれば どうなる
黒田家という、郎党を抱えた組織を相続する立場が最初からあった如水
武田家という地方軍閥の吏僚として勤める人生が続くかと思ったら、
実家の主将と副将が同時にタヒんでしまい、
急遽真田家の舵取りをすることになた昌幸
史実を見ると親分肌で相手に無理を押し付けないリーダータイプだったのがよくわかる
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1284624283/
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コメント一覧
真田昌幸は主家を裏切ったり下克上した経歴が無いから
他の三人とは毛色が違うなぁ…