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全国初出土の「鎮兵」木簡、市民や歴史愛好家らも興味津々 福島市の西久保遺跡で見学会

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1: 2023/09/24(日) 10:39:55.83 ID:T4DL0GXA0● BE:121394521-2BP(3112)
福島市平石の西久保遺跡(奈良~平安時代)の見学会は23日、遺跡内で開かれ、全国で初めて出土した「鎮兵(ちんぺい)」の2文字がそろう木簡に歴史愛好家らが見入った。木簡は長さ29・6センチ、幅2・5センチ、厚さ1・1センチ。約1200年前の奈良末期から平安初頭のものとみられる。「出羽国牒下野国司 鎮兵□□□之状□□□」の18文字(□は判読不能)が墨で書かれている。
赤外線分析により、古代東北地方で蝦夷(えみし)からの防備を担った兵士「鎮兵」などが解読できた。「牒(ちょう)」は同格の相手に送る際の書式で、出羽国(秋田・山形両県周辺)から下野国(栃木県周辺)の行政官・国司に当てた鎮兵に関係する書状であるのが分かった。
劣化を防ぐため暗室状態にした小屋の中で披露され、発掘担当者が来場者の質問に答えながら発見時の状況などを説明した。

木簡発見箇所周辺は前夜の雨でぬかるんでいるため遠方から眺めるのみとし、遺跡内にある集落跡の前で担当者が解説した。
近くに古代の官道東山道の推定箇所があり、出土した建物跡の配置などを踏まえると、役所機能のある場所だったと考えられるとした。

見学会は午前と午後に開かれ、午前は約120人が詰めかけた。市内大森の渡辺祐吉さん(82)は木簡が長い年月を経て日の目を見たことに改めて驚き「今まで保存されていたことは素晴らしい」と語った。
地元の平石地区に住む丹治武志さん(71)は「しっかりと調査をして記録を残してほしい」と話した。

西久保遺跡の発掘調査は福島西道路改築事業に伴い市の委託を受けた市振興公社が5月に始め、12月まで続けている。木簡はレプリカや保存処理をした現物を公開する方向で検討する。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d2f920df5dbd472157b697670f01ee343d450a43

3: 2023/09/24(日) 10:44:27.29 ID:3lMrCNes0
へたれガンダムのとこか
4: 2023/09/24(日) 10:45:12.02 ID:9eHT3AjS0
ゴッドハンドはまだ生きてるのかね
9: 2023/09/24(日) 11:22:42.30 ID:NRzKE+Ki0
古墳時代4~5世紀に関東・東海地方から大規模な移住があり、大崎平野の北上川をほくじょうする様に土師器や須恵器などが出土するようになる
https://adeac.jp/hirosaki-lib/texthtml/d110000/mp000070-110000/images/328.jpg
蝦夷の末裔を名乗った奥州藤原三代のミイラは渡来系
陸奥栗原の蝦夷の族長伊治公砦麻呂(鳥矢ヶ崎古墳群)の発掘人骨も一族ともに渡来系だった

同時代で陸奥胆沢の蝦夷の族長阿弖流為アテルイも人骨が残っていれば渡来系だったであろうことは想像に難くない

11: 2023/09/24(日) 11:34:47.36 ID:NRzKE+Ki0
古墳と祭祀遺跡は、いずれも古墳時代を考える上で重要な要素である。
石製模造品は、その両者を共通して分析できる数少ない遺物の一つであり、古墳時代中期を代表する祭祀遺物である。
畿内を発祥の地とし関東地方まで盛行することから、大和政権の東国に対する勢力伸長を反映するものと理解されてきた。
この考えは、今日にいたるまで基本的な視点として受け継がれている。
倭の五王の時代、律令制国家以前
赤線は内陸部主要交通ルート
https://i.imgur.com/hoHEdkE.png
https://i.imgur.com/TA3rE0o.png

宮城県大崎市青山横穴古墳群、大崎市混内山横穴古墳群、塩竈市清水洞窟
山形県米沢市戸塚山古墳、福島県喜多方市灰塚山古墳、福島県郡山市正直古墳群

いずれの古墳人も、縄文人の特性は見られず渡来系の特徴を持つ
東北南部は4世紀から5世紀にかけて、ヤマトの土師器・墓制を持った関東から多くの移住があったと思われる

12: 2023/09/24(日) 11:36:28.88 ID:udQPMUmX0
こんな昔から税金の相談してたの?
イヤだね人間社会って
13: 2023/09/24(日) 11:37:31.42 ID:NRzKE+Ki0
三陸河北新報社2022年8月24日【東北学院大博物館学芸員 佐藤敏幸氏】
宮城県は弥生時代の集団遺跡がとにかく少ない。人類の生活の痕跡が見えない中、古墳時代前期(4世紀)になって突然、蛇田の新金沼遺跡に集落が出現する。
石巻地方に古墳時代人が登場したのである。

突然、大集落が出現しただけでも驚きなのに、さらに驚いたのは住居から出土した土器である。関東・東海地方の特徴を持つ弥生土器よりも装飾のない「土師器(はじき)」と呼ばれる土器である。
東北地方の古墳時代は関東・東海地方の人々の移住から始まったのである。

ともかくも、こうして東北各地に移民による拠点集落ができていった。
岩手奥州の中半入遺跡、石巻の新金沼遺跡、大崎の名生館遺跡、多賀城の山王遺跡、仙台平野の南小泉遺跡、名取の清水遺跡などが有名だ。
いずれも結構な数の須恵器の出土が見られる。

当然、さまざまな道も生まれていった。
仙台平野から大崎平野をへて北上盆地に向かっては「山道」(さんどう)と呼ばれた幹線道路があったことも知られている。
「道奥」は道がなかったわけではなく、中央ヤマトがそのようにみなしただけだった。

15: 2023/09/24(日) 11:40:28.92 ID:NRzKE+Ki0
古墳文化が波及しなかった北海道と南西諸島、古墳人骨がほとんど出土していない北東北などを除く日本列島9地域の古墳人集団に
縄文人、弥生人、現代人の4集団を加え、頭蓋計測値の形態距離で集団関係を分析すると、男性の場合、古墳人集団は大きく2群に分かれる。
第1群は畿内、北東九州・西中国、東中国・西近畿、四国瀬戸内、関東・東北南部、南近畿(磯間人骨を含む)の6集団で、
第2群は南九州、西九州、北陸の3集団である。
近畿、四国瀬戸内、中国、北部九州、関東、東北南部には渡来形質が強く渡来系古墳人とよべる人々が広がっていたが、渡来系古墳人の最たるものが畿内古墳人である。

また、畿内古墳人は畿内現代人とほぼ同程度の頭蓋長幅示数をもち、上顔示数もかなり大きいが、バジオン・ブレグマ高は畿内現代人よりはるかに低いので、
短頭・高顔という畿内現代人の地域性は古墳時代すでに出現していたが、この地方における頭高の増大は古墳時代以降に起きた現象である。

鼻骨平坦示数は縄文時代人45、北海道アイヌ44、渡来系弥生人27、東日本古墳人31、南九州古墳人47~51
例えばコーカソイドはロシアスラブ系白人45、インド人47程度

17: 2023/09/24(日) 12:15:03.38 ID:yoXctNxY0
体格が良い大谷翔平は蝦夷系かもな
19: 2023/09/24(日) 12:38:14.21 ID:NRzKE+Ki0
>>17
蝦夷=和人だからな
東北古墳時代人の核DNA解析は灰塚山古墳など近年盛んになって来ているが結果は現代人日本人の範疇だった。mt.DNAも現代日本人と変わらない
北東北の終末期古墳も、集落を持たず定住しなかった人達が、外来の馬産や開拓者を受け入れて殆どが関東・東海からの移住の波が何度もあったことが最近知られてきている

そもそも東北の古墳時代期などの調査はゴッドハンドのせいもあるが、この地方の古代人の性格は他地域と比べると積極的に進まなかった

改めて東北の古墳時代を明らかにしていく段階に入り始めたと言える

20: 2023/09/24(日) 12:45:56.72 ID:NRzKE+Ki0
陸奥胆沢は古墳時代前期から朝廷、特に群馬県辺りと関係が深い
アテルイも朝廷側と同じ和人だったんだろう
21: 2023/09/24(日) 12:59:32.50 ID:yoXctNxY0
>>20
朝廷側と蝦夷との交渉には通訳が必要だったんだから同じって事は無いわな

引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1695519595/

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