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なぜ戦国時代の後に平和な江戸時代が到来したのか

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1: 2023/02/24(金) 16:56:41.68 ID:e1Rc32nz
歴史上には三つの幕府があったが、江戸幕府の支配力の強さは圧倒的で、江戸時代は前近代で最も平和な時代だった(前期近代と捉えられることもあるほど)
それは何故かと考えると、江戸時代の前の戦国時代-織豊時代の存在が大きいだろう
では戦国-織豊期の何が江戸時代の平和を産んだのか?というのを考察するスレ

生産力の上昇、文書行政の進化、大名統制のシステム、鉄砲の普及、検地や刀狩など色々考えられるが、日本の中世近世移行の主要因は一体何だろうか

24: 2023/02/27(月) 03:16:03.98 ID:cI+xfGrh
>>1
そこそこマシなスレだが、少し浅い。

十四世紀から地球を覆った気候寒冷化は世界的に軍事/政治の激動をもたらした。
日本の所謂「戦国」も根本的にはこの人類史的運動の一要素である。
更に日本個有の事情として同時期に列島周辺のプレート運動が活性化、大規模地震が異常な頻度で発生した。
これも「戦国」の主要原因を成していた。

十七世紀後半に至ってこれらの地球物理学的変動は漸く緩和鎮静に向かう。
江戸幕府統治下の日本が概ね平和に推移したことの原因は全てここに在る。

26: 2023/02/27(月) 09:12:28.63 ID:rKsj7oWO
>>24
世界的気候変動が政治システムの変動をもたらすというのは確かにもっと考慮すべきかもしれない
後漢から魏晋南北朝の乱世になったのとローマ帝国の崩壊がパラレルだったのも、世界規模の気候変動による遊牧民の南下という背景を共有していたから
ただ、古代秩序の崩壊が温帯帝国の崩壊だった一方で、16世紀世界は熱帯まで手を広げていたし、南北アメリカという広大な後背地があったわけだから気候変動だけに原因を求めることはできないと考えたい
気候が安定していたとしても中世的秩序ならば江戸時代のような完全平和は成し遂げられなかったはずなので、やはり政治的基礎構造の転回に戦国という歴史的経緯による影響があったと考えるのが自然と思う
戦国という経験があり地下からの武士の乖離と集住が発生したこと、農村の政治的経済的成長があったことを他の要素と上手く結びつけたい
44: 2023/03/12(日) 01:30:55.28 ID:AdXlRoXn
>>43
その歴史観は否定しない。
生物種ヒトの本能を上書きしてしまう、それが共同幻想というものの恐ろしさだな。
しかし共同幻想の論理が生物本能を著しく侵害する時、例えばロシア革命の如く本能回復への激しい反動が発生する。
(まあ、あれは即座に別種の共同幻想がその本能を利用したわけだが)

話をスレのテーマに戻すならば、俺の考えは>>24に記した通りで特に加えることは無い。
飢餓と暴力は常に螺旋的な循環拡大再生産に向かうが、
飢餓の程度が閾値以下になれば、
つまり暴力によらずとも生存が実現できるならば、物理的危険を冒して暴力を発動する理由は消滅する。
江戸幕府体制下で重ねられた再分配機能充実への人為を否定するものではないが、
やはり気候寒冷化終焉による生産状況改善こそが「徳川の平和」の根本要因だろう。

2: 2023/02/24(金) 17:01:34.39 ID:xvGXiT/1
分裂抗争の時代を勝ち抜いた強力な軍事力とその過程で築かれた権力でしょ
4: 2023/02/24(金) 17:11:38.73 ID:e1Rc32nz
>>2
分裂抗争の時代というのなら南北朝時代も全国で群雄割拠した時代だったけど、その上に立った室町幕府は弱体だった
そう考えると分裂抗争に勝ち抜くことだけが理由ではないのかもしれない
室町幕府と江戸幕府の違いを生んだのは何だろう?
また三国時代を勝ち抜いた晋は簡単に内部崩壊してしまったが、江戸幕府はそうはならなかった
6: 2023/02/24(金) 17:50:07.39 ID:e1Rc32nz
>>2
あと豊臣政権のように、有力大名が他大名をまとめてある種革命を起こしてしまうようなことは江戸幕府には無かった
これはなんでだろう?
3: 2023/02/24(金) 17:05:58.09 ID:e1Rc32nz
私は一向一揆が原因だと考える
一向一揆の圧倒的な結束力や強さといったものは一個の大名では太刀打ちできない
大名は一向一揆を見て民衆の恐ろしさを知ったのではないか
そこで一向一揆に対する大名間の軍事同盟という意味で幕藩体制は安定したのではないか?(cf:島原の乱の平定)
逆に一向一揆の要因を考えると戦乱による民衆への被害や徴用への反発が考えられるが、幕藩体制というシステムが提示され平和と兵農分離が約束されると戦う理由は無くなるのではないか
これが理由の全てではないが、フレームワークとしてはこのようなモチベーションがあったのでなないだろうか?
5: 2023/02/24(金) 17:14:11.10 ID:e1Rc32nz
秦→漢
隋→唐
平家政権→鎌倉幕府
建武政権→室町幕府
豊臣政権→徳川幕府
最初の統一政権がすぐに倒れ、次に立つ政権が長続きするという現象も考慮すべきかもしれない
7: 2023/02/24(金) 20:45:59.32 ID:wBUrRh0H
豊臣政権もそうだったけど、近世政権はその配下の大名の、家中における
権威権力も同時に引き上げるんだよ。大名権力が大名を頂点とした
ピラミッド構造になるのは近世から。そういう意味で江戸幕府の強大化は
大名にとっても利益が大きかった。
9: 2023/02/24(金) 22:09:38.59 ID:e1Rc32nz
>>7
戦国大名の家中構造はあくまで同輩中の第一人者でしかないもんなあ
しかし大名権力の強大化が起きるのならば家中で反動も起きるはず
そのようなことが書いてある書籍とかオススメがあれば教えて欲しい
8: 2023/02/24(金) 21:43:18.43 ID:RXlso0xv
江戸時代は争いの少ない平和な時代ではあった
それは競争を徹底的に排除したから
家督は必ず長子、優秀かどうかは関係ない

優秀な人間にとっては大変生きにくい時代
平和ではあるが希望のない世界だった

10: 2023/02/24(金) 22:12:52.04 ID:e1Rc32nz
>>8
完成系は確かに競争排除が行われているように見える
身分秩序の固定もそうだし、兵農分離も同じ文脈で捉えられそう
じゃあなんでそうなったんだろう?
主にどの階級が望んだんだろう
全階級でコンセンサスが取れたんだろうか
11: 2023/02/24(金) 22:58:22.05 ID:RXlso0xv
>>10
望んだのは家康と将軍家
それより下の者にとっては立身出世は夢だから
外様大名も親藩大名も将軍になりたいが、その気配がある者は全て改易した
そうしてみんな反逆は諦めた
12: 2023/02/24(金) 23:12:29.48 ID:e1Rc32nz
>>11
強力な武力を背景にした改易はとても有効な手段だったと思う、秀吉は家康が重すぎて制御しきれなかったようだけども…
でもこれは少しアクターを支配層に限定した考え方な気もする
民衆たちは戦乱をどのように捉えていたのだろう
18: 2023/02/25(土) 18:56:46.63 ID:vteCfuPA
>>8
頭がキレれば戦下手でも出世出来る世界でもある。
堀田が良い例
13: 2023/02/24(金) 23:20:43.88 ID:e1Rc32nz
家格の固定について今思いついたこと
国境に近い国人の動向が戦国大名を半ば強制的に戦争へと追い立てていたわけだけども
惣無事によって戦乱が無くなると国人層の寝返りなどは原則無くなる、つまり国人層の政治世界が所属領国内に固定・限定されるわけだよね
そうなると家格の固定化は一気に進行し、大名家中の秩序は安定するように思う
戦争を止めること自体が戦争の原因を無くすという逆説的な現象と…いえる?
23: 2023/02/26(日) 19:57:56.15 ID:Bcqt4FCl
最初の50年間くらいは武士も民も戦国メンタルのままだけど徳川家が強すぎて全く勝ち目がなかったから誰も蜂起しなかっただけ(島原の乱除く)
それ以降は平和慣れや儒学の浸透でそもそも人の命とか奪うの良くないよね…って感じになったし
平和の基に築かれている各々の既得権益を壊すのもア○らしくなった
25: 2023/02/27(月) 06:39:00.21 ID:kQvErfLA
そもそも論
不安定から安定な世の中に移行するのがなぜ疑問なのか?
不安定な状態が通常状態ならいざ知らず大きな歴史の流れでは安定してるほうが通常なんだが
28: 2023/02/27(月) 12:57:05.35 ID:JgDEj8Xa
織豊政権の地均しによって徳川幕府が相対的に強大化したというのはあるんじゃない
秀吉による統一~関が原で土着の勢力は転封で土地と切り離されるか敗北による領地の召し上げで弱体化して
その後釜に入った成り上がりの大名は統治権の保障を幕府に求めざるを得ないので
公然と幕府に背くことができるようになるまで時間がかかった
30: 2023/02/27(月) 21:52:33.59 ID:o6X+fjw1
武士の起こりが自分の開拓した土地の権利を保証しろだからねえ
武士は先祖伝来の土地のために戦い、幕府は働いた武士のその権利を保証する
信長秀吉の大規模な統一戦争によって武士達は先祖伝来の土地から切り離されて新たに天下人信長秀吉から土地を与えられて鉢植え大名化した
33: 2023/02/27(月) 22:13:59.58 ID:uiDsso9i
>>30
武士が開拓領主というのは現在はほぼ否定されてるぞ。武士というのはその出現からあくまで都市居住者であり、
荘園などの管理者として在地の土地に権利を持ったに過ぎず、彼らが一定の土地に縛られるようになったのは
戦国大名権力による支配地域の一円化が進行した中世末期から近世だな。
31: 2023/02/27(月) 21:58:56.65 ID:rKsj7oWO
石井進の名著『中世武士団』で導入に使われるのが秀吉による鉢植え化に反抗して滅ぼされる古武士然とした地侍だったなあ
そのエピソード自体は小説の話だけど中世的世界と近世織豊権力の衝突の本質を捉えていると書かれていた
36: 2023/03/10(金) 23:59:48.93 ID:y+c5fDPh
中世続いてた土地と武士の繋がりを1度ほとんどぶっ壊して改めて土地を預け置くという形で与え直した
そうやって武士の鉢植え化を進めた信長秀吉からの流れだよね
37: 2023/03/11(土) 03:22:49.68 ID:faORgWPf
んなもん武田も北条もやってる。
わざわざ特筆するべきことでもない。
39: 2023/03/11(土) 13:06:08.55 ID:CC8e7d7m
比叡山とか本願寺みたいな宗教勢力や自治商人などの武力を信長秀吉が削いでたから
40: 2023/03/11(土) 20:37:54.50 ID:TWD8r0Oq
みんななんやかんや理屈を捏ねるが
単純に徳川の軍事力が圧倒的になったからでしょ
闘争は人間の本質だから圧倒的支配者の存在以外の理由で平和になることなんて無いよ
41: 2023/03/11(土) 21:07:12.40 ID:7f2/SOIo
>>40
それも一つの見識だと思うが、
ではその状態は何故生じたか、その原因の更に原因は、という所まで突き詰めなければ考察としては未徹だ。
46: 2023/03/29(水) 20:57:05.65 ID:CILXCJVc
よほど戦国時代がみんな嫌いだったんかな
48: 2023/03/29(水) 22:37:15.62 ID:07lAhLP3
普通の文章を書けないの?
厨二なの?

引用元: https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1677225401/

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