江戸時代の鎖国ってメリットがあったん???あと、もし鎖国しなかったらどうなったの?
日本が鎖国しなかったらという設定の小説「開国ニッポン」著者 清水 義範があるよ。
目次は、第一章 按針と家康 第二章 切支丹冥加金 第三章 お春と由井正雪
第四章 元禄流行事情 第五章 吉宗と宗春 第六章 風来山人世界漫遊
第七章 安政の大欲 第八章 幕府瓦解 と書いてあったよ。
>>105
録画して見たよ。
>>1
鎖国は、戦国時代後の、江戸時代にはじまったかのような、前提が間違っている。
鎖国は平安時代からはじまった。唐王朝に使者を送ることを止めたのが発端だ。
その前の隋王朝に使者を送ったときの記録がおぼろげに残っているが、
支那や朝鮮との対等な交際はなかった。
必ずどちらかが上になり、下になった。大概は支那が上になるが、そうでないときは戦争になった。
支那北部を占領したモンゴルが、元を名乗り、日本に服属するよう使者を送った。
高圧的な書面だったために、鎌倉執権北条時宗はモンゴルの使者を斬り、戦争となった。
同様の問題は、室町時代、戦国時代に繰り返され、やはり日本を属国視した明朝と戦争になった。
徳川幕府は、諸事を曖昧に済ませ、支那との交際は無し、朝鮮から通信士は来るモノの、
上下関係は朝鮮は日本を属国視し、日本もまた朝鮮を属国扱いした、なんともいかがわしいモノであった。
(書類の書き換えがばれて大問題になっている。朝鮮が日本の対馬を属国視しているのは、
この際の対応のいかがわしさが尾を引いている)
支那の旧王朝によって属国扱いとされたかっての諸国は、今日ことごとく支那に併呑されているから、
日本の行った鎖国政策は無意味ではなかったように思える。
(日本でも支那からの自立が遅れた沖縄は、支那によると琉球であり、日本でなく支那領と言うことになっている)
金銀の湧出を止めるのとキリスト教の弾圧のため
鎖国=悪と思ってる人はぜひ読んで認識を改めてくれ
日本国全体のメリットじゃなくて、徳川幕府にとってのメリットな
これ中学生で習うはず
幕府の独占貿易と規制、と表現すれば分かりやすいのだお
メリットは大まかに言えば徳川家のみが貿易で収入や技術・文化を得られると言う事だお
そして学問・思想・宗教等を篩にかけて徳川家に対する危険思想を除く事だお( ^ω^)
鎖国時代に熟成されたものばかりでは?
戦国時代の当時、日本から輸出できるモノって、何があったのさ?。
お隣の中国は広大なので、なんでもある。
日本が輸出できるものといえば、金銀銅か、奴隷ぐらいだろ。
日本人を奴隷として輸出するくらいなら鎖国の方がマシ。
そんで九州大名とかほんとに売れるもんは何でも、それこそ領民まで売っぱらっちまうから、
そういうのを統制するためにも徳川による独占貿易は必用だったわけで、
貿易はします。情報ももらいます。でもあなた方の要求は正式な国交が無いので聞きません。
つう、日本に非常に都合がいい政策であったわけで、
弊害が出たのは江戸幕府後期の動脈硬化で他の面もどうしようもなくなってきた時の話だし。
幕府の安定財源になった。大奥のお女中の豪華絢爛な着物もここからのお金。
幕府施薬院の医師を常駐させることにより、伝染病の進入を防いだ。
長崎奉行高橋清相著崎陽郡談によると3924坪船着き場42坪を1歩とする
とある。オランダ、アムステルダムへのスタート地。
易の陰陽学から扇の形は陽は商売繁盛を表す末広、陰は伝染病の進入を防ぐ
厄(邪気)よけ。三千世界二十四節気九星人の世の吉凶をあらわす。
嵐で船が沈めば終わり、伝染病でコロッとタヒねばこれも終わりということ。
人生何が起きるかわからない。一寸先は闇。
日本人商人は東インド会社なんかから見たら邪魔でしょうがなかったから
選択する余地なんかなかったんだよ
為替レートも安定した。30年戦争による戦乱の余波もなく平和な時代を迎えた。
伝染病の進入も防ぎ、アヘンを持ち込む変なヤツも進入できなくした。
まともな人が出島に集い、変なヤツはオミットした。
たしか「鎖国」した後の方が海外との貿易額はそれまでよりずっと大きくなって
いたんじゃなかったっけ。
「徳川幕府が対外貿易を独占した」というだけのことで、海外と接触を絶った
わけじゃないだろう。そりゃまあ日本国民がみんな自由に貿易できたわけじゃ
ないのはいまさら言うまでもないけど。
税金によって賄われていた。
>>28
日本文化の芽生えは室町時代だ
猿楽、茶道、連歌、おとぎ草子などが日本固有の芸能の源流になってる
これら全て、室町時代に隆盛したものだ
室町時代は各貿易港が活発活動し、流通によって生産余剰が生まれたことで
これらの文化のパトロンとなる人物が現れたこと
さらに南北朝期の動乱において、足利尊氏、足利直冬、北畠顕家といった面々が
南北の軍勢を率いて日本を横断し、掻き混ぜたことも大きい
江戸文化が完全にオリジナルかというとそうでもないし
鎖国しなければ文化が発達しなかったという根拠もないおね( ^ω^)
つまりかなりの出鱈目だお( ^ω^)
家康が幕府開いたころはヨーロッパ全盛期なので、
その時期にひきこもってられたのはでかい
200数十年あいつらだけでゴタゴタやって、あいつらの蓄積疲労たまった頃に、
腐敗勢力を打倒した士気高き革新勢力の幹部を首脳とした日本の奮起で棚ボタを得られた
まあ最終的に調子乗ってバ○やって国家滅亡の危機に瀕したが、
偶然米ソ対立が根強く、独立も果たせ、結果よければすべてよし
最近またやばくなってきてるけど、今まで幸運が何度も舞い込んできてるので
神風の再来を期待したいところ
時々そのことを徹底的に調べた人らに
潰しかけられているのではないかと
悲惨な気持ちになる
よくある誤解が「家康が鎖国を始めた」だが、
本当は全くそんなことはない。
それどころめ家康は大阪の陣に備えて大砲を大量輸入したりしている。
家康がやったことは
単にキリシタンの禁制と貿易船の数を制限したことだけだが、
キリシタンの禁制は別に彼独自ではなく、
貿易船を制限したのは「単に質の高い貿易をしたかった」という事だ。
ただ、家光や幕閣が家康の意思を誤解した可能性はあるが
基本的には島原の乱を恐れた家光らが勝手にやったこと。
なんにせよ、江戸時代の出来事なので完璧、板違いだな。
でも譲位後はみんな率先してキリシタンになってどうなんだろう。
原住民の扱いとかみてるとなんだか・・。
例えキリスト教を受け入れても植民地になる事はあるまいお
だが、鎖国も決して悪いシステムではないお
政府が全体に網をかけて情報や物流を取捨選択できれば
国内秩序を維持するには理想的であると言えるお
ただし、それだけ政府の責任は重い
広く内外の情報を集め常に国益に適うように、より慎重な選択を求められるお
そして国内外からの干渉を跳ね退けられるだけの軍事力を保持し続けなくてはならないお( ^ω^)
つまり鎖国のシステムに不備があったというより
幕府の運営者たる将軍や閣僚が恐ろしく無能、且つ努力も怠っていた事こそ大罪なのだお( ^ω^)
それはそのまま現代日本に通じるものだけど
全てが穴だらけな分、現在の方が尚悪い状態だお
アメリカに頭を押さえつけられ中国韓国に足元から食われている状況で危機管理意識の無い政府
清々しい程に亡国のシナリオだお( ^+ω^)bキュピーン
いっそ鎖国でもした方がいいお┐ (´ω`) ┌
チ○ンコロとかチ○ンコがいなくて空気が清々しかった、この一点だろ。
>>37
いや、だからさ。
明治より前の朝鮮、中国からの渡来人と
現代の在日は比較にならない。
基本的に渡来人は文化的だったり特殊な技術を持ったりしてて歓迎された。
なんせ、朝鮮の役の時に大量の陶工を連行し、
彼らに武士としての地位や所領まで与えたくらいだし。
有名なのが伊万里焼の祖の沈寿官がそう。
今みたいにチ○ンコロやだのチ○ンコーが邪魔だったみたいな考えはない。
むしろ好ましいものと考えられていた。
>>41
朝○使節団みたいなのが毎年来られた時に
偉い出費がかかって難儀してった文献に書いてあったっよ
>>45
まあ、そういうこともあったろうけど、
そんなこと、言ってたら「朝鮮征伐」とかどうなんだと思うんだけどね。
どう贔屓目に考えても朝鮮征伐で彼らが激しく迷惑したのは事実だしな。
確か朝鮮使節団は「敵国日本の国情を探る」のが目的だったらしいが、
朝鮮征伐しといて「朝鮮のそういう行動は迷惑だ」はスジが通らんだろう。
当時の日本もそういう朝鮮の猜疑心を解くのに腐心してたが、
同時にそういうのは「無理もないこと」と考えてた。
>>41 >>45
幕府は幕府で、「朝鮮王朝が幕府の威に服するの図」を通信使の来訪を通じて
演出しようとした、なんて思惑も指摘されていたりするな。
山王祭なんかに朝鮮人(の仮装)の行列が登場するなど、江戸時代の人間のなかで
朝鮮通信使がポピュラーでかつ、異国の物語を仮託できる存在だったみたいだな。
まあ、一方で肉を食う異人を不浄視したり、朝鮮<日本という考え方があったりもした。
いずれにせよ、かなりいろいろな方面からの見方があるので、昨今流行のネトウヨや
嫌韓的な見方に終始すべきではないだろうね。
亀だけど、渡来人だから重宝されたのではなく、
技術者だから国籍問わずに重宝されただけだろ。
技術も知識もないのに重宝されたのは織田信長の黒人家臣・弥助だけだ。
秀吉の乾煎りも、「劣等人種をわれ等が救う」的なスローガンは掲げてないよね。
備中あたりの武士が、越後辺りの武士を「あいつら単細胞で野蛮だから」って思っている程度の感覚なのかな?
>>38
その認識は逆だな。
基本的に朝鮮人、中国人は高級な人間だと思われてた。
特にを付けると中国人だな。
漢文とか大陸製の陶磁器とか中国文化は高級なものとされてた。
特に中国文化にハマってたのは武田信玄だな。
彼は漢文詩とかが好きで、兵法も孫子が基本だったし。
基本的に昔は優れた文化が中国や朝鮮やインドからやってくるという考えはあったよ。
遣唐使、遣隋使は中国の文化・技術を学ぶためのものだし、そもそも日本の文字の漢字もそうだ。
こんなことを言うと「サヨ」とか「在日」とか言われるかもしれんが、
本当には明治の脱亜入欧以前はそんなもんだったよ。
むしろ、朝鮮に上陸した日本人将兵が民の暮らしの貧しさや文化のなさに
驚いたのではないかな。
幕府の人間だけが海外渡航可能な制度にすればよかったのに
幕府だけが海外の情報・技術を独占できて利益を上げられた筈
やっぱり鎖国の意図がよく分からない
そもそもが海外に感化されるのを嫌って入出国に制限を与えたのだからね
しかしながら富を生む貿易を完全に遮断するのは惜しいから
幕府の監視の下で物流だけは維持していたというわけだお( ^ω^)
幕臣が海外渡航して妙な思想でも持ち込んだら本末転倒だお( ^ω^)
朝鮮通信使は庶民が2階から見下ろしたりするような扱いだったらしいな
密入国、麻薬の持ち込み、伝染病の進入、銃器の持ち込み等々悪い物、者を防いだ。
>伝染病の進入
出島に船が来航するたびに付近の住民が大量タヒしてたってNHKのなんかの番組で言ってたぞ
そしてそれを惰性で続けていたに過ぎず明確な外交策は一切もっていなかったお
だから、いざ外国と摩擦が起きてみると管内閣と同じく腰が抜けてうろたえるばかりだったお( ^ω^)
欧州ではクワランチンという。借りてはオランダあたりに本部を置く東インド株式会社
が年額、銀55貫目で落札した。
あちこちの藩と海上で交易をする方が
儲かったのではないかと思う。
幕府も全国の海上をチェックできないだろうし。
左翼的な教科書だとキリストの平等精神が民衆に伝わるのを
恐れて、禁キリシタンしたって書いてあったけど
本場の欧州の方が差別的だったのに平等も何もないお( ^ω^)
理由は同じところが原因じゃないの。
平等精神だけじゃなくていろいろ違うもんねぇ。
ましてや徳川時代には家康が神なのに、認めません、ではなぁ。
海外に流出していく金銀銅の産出量が減少すればするほど貧困になっていったから江戸幕府後半の衰退ぶりはヤバかった。
唐船が現れて長府藩が拿捕して数日で解放している記述が
散見されるんで管理貿易政策としては
実質無力化してるっぽいけどね。
あんな惨めな戦争なんて起こんなかったんじゃないの? と言いたいんだろう?
実際西洋の歴史なんてキリストから始まる人間中心主義の世界だから自然を
加工物とみなす風潮なんて無い日本には真似は出来ても産業革命は無理だろ。
もう既にイギリスでは1600年代にケイの跳び杼が発明されてるんだぜ?
無駄に戦国時代生きた日本にはまず無理。
日本人都市とか作って華僑以上に勢力を誇ってただろう。
「鎖国」そのものが悪いのではなく「徳川幕府の鎖国」が悪かったという点を勘違いしてはいけないお( ^ω^)
徳川幕府と日本を混同すんな
>>77
>徳川幕府と日本を混同すんな
じゃあ、明確な違いや混同してはいけない理由は何だい?
幕末だけど、薩摩と長州は大陸や諸外国と秘密に接触を図ったからね。
幕府反抗の急先鋒になれた。
>>78
明確な違い→徳川幕府は今日日本と呼ばれる地域を遍く支配していた訳じゃない
混同してはいけない理由→それこそ幕末で自ら証明したように徳川幕府はあくまでも日本で一番大きな軍事組織なだけ
日本の代表政権である所に異論は無いけど
単独じゃ政権を維持出来ない政権与党が徳川幕府
>>77
徳川の都合はもちろんだけど、家康の時は安定した支配体制を
作るのが最重要なわけで、家光ぐらいになるとある程度は安定してるから
混乱の世の後、インフラ整備に当たった、というのもあるとは思う。
問題は家光がどのくらいそういう認識があったかということじゃないかな。
各大名が勝手に貿易したら裕福になって徳川も危険だし、利益独占という
勝手な都合のために鎖国令?を段々強化していった、のだろうけど、
同時に国内安定、徳川の名をもって混乱を完全に終結させる、というのは
徳川のためにも、日本のためにも必要。
要はそのバランスというか、認識というか。
最初はもちろん脆弱な支配体制だけど、安定したあたりで
国外に出ようとした将軍がいたら十分に可能だったんじゃないかな。
それが徳川の都合か日本のためかは、やっぱりその将軍の判断によるだろうけどね。
重農主義、(土地の個人所有を基本とする武士政権の範囲内では)中央集権主義の江戸幕府の
ほぼ反対にあるのが室町幕府~織豊政権だから、
重商主義、地方分権の政体が17世紀以降も続いていたら、
日本人がアジアや新大陸などの各地に進出していたことと、
国内政治が分裂、あるいは短期間での政権交代を繰り返すこととなってそう。
秀吉やその後継者が強力な政権作り、大名統制を進めようと思えば、
結局鎖国側に梶を切るか、信長のように独裁政治を行なうしかないのでは。
海賊や水軍の組織化とともに堺や博多らの商人らをバックアップした秀吉の重商主義による大航海時代になって珍しい文物が大量に流入して欧州の王のような発展を遂げていた。
結果、徳川幕府は細々と生き抜く事は成功したけどただそれだけだお┐ (´ω`) ┌
外圧がかかって慌てふためき国防を指示したけど
どこの藩も痩せ細っていて役に立たず、日本全体を巻き込んで200年越しの壮大な自爆を遂げたお( ^ω^)
>>89
ただそれだけ、というけど、それが究極の目標じゃないのかな。
平和で戦乱のない世を維持する、というのは。
後に産業革命がおきるなんてわからないし、島国なんだから
リスク犯して大航海時代で逆に攻められたり異教が増えておかしくなるよりも
平和な世が一番、というのは肯定的にとらえたいんだよね。
家康はそれを意識していただろうし、単に徳川だけの延命を図ったのでは
ないだろうから、「貧国弱兵」で長く細くやっていこうと。
とりあえず自分の子孫を残す、というのには成功してるわなぁ。
そこを解決する事が出来ない限り鎖国は正解だよ
その為の海外植民地搾取だ。
さらに海外貿易流通路の支配により
アジア各港の運上のあがりの富だけは日本国内支配者に入ってくる。
これって、まともかつ自主防衛できる国家ならどこでもやってる事だから。
幕末の開国論もミンスやサヨクみたいな売国グローバルではなく、本質はやっぱ大攘夷なんだよね。
現代でも、ムスリムや支那の移民を受け入れて国家崩壊しつつある今のヨーロッパ諸国は攘夷論になったし。
海外と交易したり、情報交換は大いにやるべきだと思うけど
海外の文化については、ある程度規制したほうがいいと思うよ
たとえ現代であっても
自分は江戸時代の鎖国は、移民系やその資本、多文化共生の押しつけを
排除したり管理する側面もあったのかなと想像している。
「鎖国」というと特殊な印象を受けるが、政策として日本でも欧米露でも
いくらでもこういった方向性はあり得るんじゃないか。
寛永16年まで蛮族打ち払いの令を出したにすぎない。ポルトガルと断交しただけ。
で貸した。検査は厳重で江戸時代という平和な時代を迎えた。それは260年続いた。
何で弾圧したんだ?
>>124
キリスト教徒の、いやキリシタンの、忠誠心が海外に有ったのと、
日本人を奴隷化し、輸出していたから。
軍事力も、日本より上だった。
(小銃は模倣できても、大砲は作れなかった)
当時の連中が、日本を植民地化できなかったのは、軍事技術が上でも、
地球の反対側である日本には、陸上兵力を蓄積できなかったから。
戦国大名はそれらのことに目を瞑り、硝石を輸入するためにキリスト教徒南蛮人と付き合った。
明治以降のキリスト教徒「クリスチャン」と区別されている。
(明治以降は新教徒が多くなっている)
けど、鎖国するメリット、デメリット
どっちが大きかったかのかな?
中期以降はデメリットが
多かったでいいんじゃね
決済の為替ルートが安定する。伝染病の流入を抑える、麻薬を持ってくる
不届き者を抑える。何とか言う宗教家も勝手な布教ができなくなる。
欧州で起きた30年戦争にも巻き込まれない、戦乱で国を失ったボートピープル
に不法入国も阻止できる。完璧だった。
しかし中期以降は国際情勢がかわりデメリットも増えてきた。
内の人間を外に出さないという両面がある事が見逃されてるんじゃないのか?
対外的鎖国は確かに全面的ではなかったかもしれんが、対内的意味ではこれは徹底されてたのは否定できんだろ。
ヨーロッパでは出島のことQuarantineというみたい。答えはそこにあるよ。
利益にあった。
>>キリスト教徒保護の名目で出兵し植民地化していってたから
軍事大国の日本ではそれは無理だと知ってたよ。
むしろ日本の軍事力を傭兵として利用した方がいいと言ってる。
日本はスペインやポルトガルよりも軍事力がはるかに上だから
それらの国がやれることは日本でもやれる。
ましてや東アジアにおいて列強の軍事力派兵力なんて怖くも無い。
植民地化したがキリスト教徒なんてあんまりいないんじゃない。
日本を植民地にしたって採れるものなんにもないよ。
フィリピンは?
スペインの植民地時代にカトリックが広まって、今ではフィリピン人はほぼキリスト教徒だぞ
インドはキリスト教人口が1900万人、インドネシアは2000万人らしい。
思ったよりかはいるな。
バチカン図書館行って来い
輸出できるようになった。
保ちたい幕府によって鎖国令が敷かれた。これ以外はキリスト教の流入を防ぐため。
当時の清王朝はキリスト教もイスラム教も許していたが、幕府が恐れたのは漢字で書かれた
キリストの教えの書物の流入。これなら日本人でも読める。だから鎖国令は続いた。でも、
西日本や九州の大名・商人達はコッソリと中国大陸に貿易に行っていた。話しは少しそれたが
現在、キリスト教で使われている”福音”とか”伝道””聖書”なんかの用語はキリスト教の
中国語訳で中国のキリスト教から転用した言葉だ。
この頃は単にキリシタン排撃の一環としてのスペイン・ポルトガル締め出しにすぎなかったのが、
幕末になる頃には朱子学の影響もあってか、外人自体の締め出しにまで拡大しちゃってるし
幕末に開国した途端にアメリカ人を経由してコレラが流行ったのは知られた話だしね
日本の鎖国とは、これが字面だけ輸入されたモノ。
へぇ、そうかぁ。
鎌倉時代に元寇が有って、室町になると倭寇が流行り中華皇帝も日本人の
略奪振りになす術が無かったんだろうな。
>>179
支那人から、無知蒙昧の蒙、にして古いと言われた蒙古が、支那を征服し(金や南宋)、
今度中国になったから、有り難くも土下座して挨拶しろと、無礼千万な手紙を寄越した。
鎌倉幕府の執事である北条が、この元朝(そして朝鮮の高麗)の使者に返事を与えず、
追い返すよう朝廷に助言し、次に来た使者を斬った。
これで戦争になった。
唐入りを目指した豊臣秀吉。
文禄の役の戦争となり、一旦は講和条件が話し合われた。
しかし明朝が、秀吉を日本国王、つまり明皇帝の臣下に任じようとしたため、和議は為らず、
あくまでも日本を属国視しようとする明に対して、日本側が独立戦争を起こしたのが慶長の役。
元々日本は独立国なのに明からの独立戦争というのはおかしい
子分としか商売しない相手に開国しろと迫る通商権益の問題でしょ
>>179
歴代の支那王朝は、属国としか交際しない建前なので、
属国では無い、日本からの民間交易船を全て賊扱いし、海賊、山賊として取り締まった。
阿片戦争までの西欧列強も、支那(明朝、清朝)では属国として扱った。
地球の裏側から、属国が挨拶に訪れた、と解釈していたようだ。
要は倭寇を賊とするのは、支那によるプロパガンダ。
普通は、皇帝の目が届かないところで、平和な貿易が有り、
商売がこじれると極希に戦闘になった。
(商売していて、いきなり賊扱いされたら、誰だって怒る)
勘合貿易船については、地方政権が、勝手に日本の政権を自称して通商したモノで、
支那側に正体がばれると、貿易は取りやめになったり、続けるために知らないふりをした。
(足利義満の件は、その後の室町幕府以外にとって、都合が悪いので、無かったことにされた)
戦争に訴えなければ?
明は新たな版図に日本を加えたと、内外に宣伝したまで。
これを秀吉が覆したのだから、独立戦争で何ら間違っていない。
元々日本は独立国、などと言う概念自体を否定する国是が、
支那にあるのだから(世界には支那一国しか無いと言う考え)、
日本の意思、意識は関係ない。
支那に対して、日本はけっして支那では無いと、強制力で押しつけなければ意味が無いからだ。
朝廷が遣唐使送ってた時代と、貿易利権&朝廷への牽制の為に頭下げた義満の時代を除けば、
日本の対応はいつだって「勝手にほざけば?w」だろう。秀吉の侵略だってメンツじゃなくて利権の問題だし。
鎖国のメリットは
付き合う相手を選べること、国に入れるものを規制できることなど沢山あるな。
自由貿易のデメリットはアヘン漬けにされたり疫病バンバン持ってこられたり金銀流出したり、
奴隷として東南アジアで売られたりとこれまた沢山あるな。
鎖国してなきゃ技術が発展したとか言う人は夢みがちです。
鎖国でもバンバン金銀流出してたよ
三越みたいに客種を選んだ付き合い。安もの屋にいくと変な奴多いけど三越に行くと
落ち着くよな。
自由貿易なんてのは、大英帝国全盛期、もしくは米帝国全盛期にしか実施されなかったもので、
支那が朝貢貿易しか認めていなかった東亜では、あり得ない仮定。世界史的にもレアなケース。
鎖国とは貿易禁止ではなく、政府間交渉の禁止であり、
あらゆる海外、国外との交易が官営の支那では、ついでに貿易の禁止となる。
日本の場合は、長崎で海外との民間通商が認められていたし、
抜け道的な交易として、琉球が支那と朝貢貿易を行い、
対馬が朝鮮釜山の自治領和館で、朝鮮と交易していた。
琉球や対馬の交易は、支那の建前である華夷秩序的には、出鱈目な存在だったが、
双方に利があるうちは、建前は無視された。
それを変えずに200年過ごしたのは愚図としか言いようがない
ただ明も鎖国してたし仮に開国してもあんまり変わらない気がする。
当時のヨーロッパにとって明や清の方が圧倒的に魅力的だったろうし
わざわざ日本に来るメリットが見当たらない。
>>200
>わざわざ日本に来るメリットが見当たらない。
ほとんど金属資源目的だろう。
当時の中国は朝貢貿易しか認めなかった。
つまり中国側に圧倒的に有利な条件での貿易。
だから欧州各国にとって対中国貿易はあまり美味しくない。
しかし日本とは比較的対等な貿易が出来たから日本に来た。
欧州の中国の朝貢貿易に対する不満が頂点に達して発生したのがアヘン戦争。
産軍経済でかなり儲けており、安定した会社だった。そこが出島のお家賃年額銀55貫目
に応じ安定した交易ができた。鎖国ではなく長崎出島の開港とすべき。
紅毛人が自分の身の回りの物品を個人的に売りに出す事はあってもそれはメインの商取引ではない
詰まるところこれだな
徳川幕府存続の為の海禁であり
日本のメリット≠幕府のメリット
朝貢貿易が原因ではなくイギリスが輸入超過になり阿片の売り込みで帳消しにした。
中国はイギリスから輸入する物がなかった。
逆に言うと清はヨーロッパとの貿易に関しては
色々制約を加えていたが日本をはじめとした東アジア諸国には
それほど制約を加えてはいなかった。
この理由の一つとして得体のしれない病気が
欧米人からもたらされることを危惧していた為と言われてる。
徳川幕府も清との貿易には寛容だったにも関わらず
ヨーロッパとの貿易に規制を設けていたのも
流行り病の蔓延を防止するためと聞いた事がある。
そのとおり、バッチイ船が世界中に伝染病をばらまいた。
船っていうか、船員じゃねえの。
今の時代は流石にないだろうが、何百年も前の船員は何カ月、
下手すりゃ何年も女と縁の無い生活だったらしいから
色々なものと交合ってたとか・・・
俺らが産まれたかった可能性もある。
ヨーロッパから持ち込まれた天然痘を始めとする疫病だって言ってたな。
人口の9割以上が持ち込まれた疫病でタヒんだらしいぞ。
伝えたと。邪とは伝染病。法とは治療法。当時欧州ではアヘンチンキ
含有剤が使用されていた。日本国では厳禁だった。丹というのは薬の末尾だ。
一昔は「丸」現在は「剤」をつかう。キリスト教国から伝染病とアヘンを伝えた。
これはよくないので規制した。ということ。
伝染病から守り、文化面でも日本文化を守り、鉄砲などという野蛮な武器を持ち込む
蛮族の進入を厳しく食い止めた。そして260年の太平は経済文化面で多くのメリット
があった。
長崎で学び近代医学すなわち外科医学を習得してくる。出島で欧州の医師と相当の交流があったと
思われる。お互い情報交換をしたんだろうね。社会の変革期戦争により外科医が
重宝される様子がみえる。出島は医学、薬学ともに東西の貴重な情報源だった。
共にメリットがあった。
手塚良仙が学んだのは適塾で大坂じゃね?
異端審問などでひどい扱いを受けていた。そこから追放されたユダヤ人はアムステルダム
など各地に散在。ユダヤ人は商人などが多いので、東インド会社もユダヤ人が関係している。
と出ている。出島の貿易はメリットの多い貿易だった。
上にキャップがついている。密封されていたのだ。ということは
中に何かが入っていたとみるのが当然。なんにも入っていない壷に
蓋はいらない。何だろう・・・・・・・。おしえて。
いい生活してやがんな
そん時に事前に蓋取っとくわけよ
そうするってえとお客が来て塩梅のいい時にオリエンタルないい香りがただよってくるわけ
気付いた客が「あら奥様、この香り・・・」とか気を回すとおもむろに自慢話が始まるわけよ
うちの主人がインドで鉱山経営してるだのなんだの金持ち自慢から始まってね
東洋の最果て日本国は伊万里という在所の壺に安南の香木が入ってますのよとかますわけよ
そうすると楽しい午後のひと時が流れていくわけだね、よくわからんけど
秀吉が宣教師ガスパル・コエリョに対して送った質問状
予は商用のために当地方(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。それらは許すべからざる行為である。
よって、汝、伴天連は、現在までにインド、その他遠隔の地に売られていったすべての日本人をふたたび日本に連れ戻すように取り計られよ。
もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。予はそれに費やした銀子を支払うであろう。
-ルイス・フロイス「日本史4」中公文庫p.207-208
引用元: http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1257848621/
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