戦国時代の日本に 『オスマン帝国』 が攻めてきたら勝てるか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/1c21edad6223225ac620236702af3800ba00f818
イェニチェリ
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イェニチェリ武器
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オスマン歩兵
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オスマン騎兵
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オスマン帝国の武具
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ベオグラード包囲戦(1456年)
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ヨーロッパに侵攻するオスマン帝国(映画:Stars of Egerより)
https://www.youtube.com/watch?v=lpQmhrhydC4
○驚異の常備軍団
「トルコの軍隊は不敗である。彼らと戦おうと試みるのは、愚かなことである」
十五世紀半ばに、ローマ・カトリック教会の枢機卿スカランボはこう嘆いた。西欧人の恐れた常勝不敗の軍隊の中核に位置したのは、
当時の西欧では夢想だにできないほど大規模な常備軍であった。
オスマン朝の常備軍は、歩兵であるイェニチェリ軍団(イェニチェリ・オジャウ)と、常備騎兵軍団の六連隊衆(アルトゥ・ボリュク・ハルク)を
二本の柱としていた。
その補助軍団としては、砲兵軍団(トプジュ・オジャウ)、砲車兵軍団(トプ・アラバジュ・オジュウ)、鎧師軍団(ジュベジ・オジャウ)などがあった。
最後のジュベジは、原義は鎧師を意味するが、実際には武具・武器の作成と修理を主任務とし、工兵も含んでいた。
俸給支給表によれば、スレイマン大帝初年の一五二七年現在で、イェニチェリ軍団七八八六名、騎兵軍団五〇八八名、砲兵軍団六九五名、砲車兵軍団九四三名、
ジュベジ軍団五二四名である。一五世紀初めには一万名いたといわれるイェニチェリの数はやや少なめだが、それでも常勝軍団は総員一万五一三六名におよぶ。
一六○九年になると、イェニチェリ軍団三万七六二七名、騎兵軍団二万八六九名、砲兵軍団一五五二名、砲車兵軍団六八七名、ジュベジ軍団五七三〇名で、
総員六万六四六二名に達していた。
構成員の全員が銃器の扱いに習熟し、一糸乱れずに行動することで西欧人を震えあがらせたイェニチェリ軍団は、一六世紀には一九六の大隊に分かたれ、
全体がイェニチェリ・アースゥ(イェニチェリ軍団長官)の指揮下に置かれていた。その本隊はイスタンブル内の駐屯地(クシュラ)で生活していた。
首都にまとまって駐屯する巨大な軍事力は、帝都の治安を支えるとともに、地方に対しにらみをきかせた。スルタン子飼いのイェニチェリ軍団は、
君主専制的・中央集権的なオスマン帝国を象徴する存在であった。
オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」 (講談社現代新書) より
鎌倉武士は日本の歴史上間違いなく一番ヤバイ
正直戦国時代とか幕末・明治の日本人が品行方正にみえるレベル
開祖の頼朝がマキャベリストの権化だったせいか、鎌倉武士達はその薫陶宜しくリアリズムを徹底してたからな
実際○し合いに美学も糞も無い筈で、その流れを受け継げば良かったのだが、なぜか断絶してしまってるな
さすがのイェニチェリも苦戦するだろう
戦争に卑劣もクソもあるか
正直、分が悪いんじゃない
さすがに日本まで来てはムリ
東洋最強の軍事国家だし
まあお互いあの時代辺りでは唯二つの常備軍持ってた国だしな
時代の差を考えてもオスマンですらそこは間違いなく苦戦するポイントだ
情報伝達も無線も電話もない時代だし
局地戦では戦国大名が勝つが、オスマン帝国の物量で押しつぶされるだろ
その物量をどこから運んでくるんだ?どこでもドアか?
島国に上陸して攻め落とすとかまず無理
そのあと中華王朝最高傑作かつ史上最強の清朝に抜かれるが
突然関東平野にスレイマン1世のオスマントルコ全軍が現れたら多分勝てない
アンカラでティムールがバヤジットをブチ○してるからモンゴル帝国の方が強いんじゃねーかな
モンゴル帝国でさえ上陸できなかったんだし
徳川家康なら負ける
豊臣秀吉なら追い返す
織田信長なら取引して欧州人に背後から攻めさせる
オスマン帝国に引けを取らないぐらいエグイよ
島津家は車かかりといい、関ヶ原のあぐらかいて鉄砲撃ったことといい後の示現流といい頭がおかしすぎる。
島津そんな神懸かってんなら九州くらい統一してるわ
遠いから良かっただけで東京近かったら即取り潰しだろ
それが島津って地元では大したことなくて、貴久の妹婿だった大隅の肝付兼続に自分から喧嘩売った割に連戦連敗で、廻城で貴久の弟忠将を○されたり、義弘も飫肥城落とされたりと激ショボで逆にびっくりする。
悔しかったのか後に居城を落として肝付兼続を自刃させたとか嘘を捏造するほど。
連中の攻城兵器って山城には使えないだろ
新しい発明しそうだけど
アステカ帝国と同じで、天然痘や赤痢でやられるだろう
オスマン帝国はランドパワーの大陸国家。陸と海では戦術が全く異なりオスマン帝国は海軍余り強くないのよ
黒船以降じゃないと防衛戦は負けない
上陸地点周辺の小勢力はそりゃ簡単に滅ぼせるだろう
でもそこからどこに行くんだ
京都行って天皇家を抑えたところで当時の武士は大して影響されないだろ
上杉の御館の乱当時に停戦の勅許もらってきたけど越後国内の動揺は鎮めきれなかった話があったよな
上陸するとこからにしても潤沢にそれこそ無制限に補給受けられる前提にしとかないと話にならない
これタイトル一発ネタに見えて歴史考証めちゃ頑張ってるんだよな
でも初手でメフメト2世ぶっ○しちゃってるせいでコミカライズの話が立ち消えになったという
それでも朝廷が一声かけたら国防の体制は何とかできただろうか
大内義興とか有力者もいたけどこの時代だと外敵に通じる奴も出そうだな
ハンニバル vs 楠木正成 とか スパルタ vs 薩摩武士 とかさ
防衛戦なら地形効果で日本が有利でしょ
それはいつの時代でもかわらん
逆に大陸に攻め込んだら朝鮮半島落とすのが精一杯
つかそれだけやれりゃ立派だわな
兵は精強だけど
兵站がいい加減という致命的な欠点有るからなあ
ボロ勝ちの日清戦争でも焦土戦術やられたら
最終的には負ける可能性があったみたいだし
ただし明治政府はそこらの弱点理解して
日露戦で活かす辺り優秀なんだけど
その薫陶受けたはずの戦前軍部から
それを無視した牟田口みたいな無能が産まれる
不思議
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1677677107/
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