平安時代の安倍晴明など陰陽師について語るスレ
陰陽師について知っていることを語り合いましょう!
元々「おむやうじ」と読んで「や」にアクセントがあったのに最近の歴史番組は夢枕獏かなんかの三流ドラマの影響受けて
「お」にアクセントつけて読むナレータしかいないのってほんと浅薄な流行を追うバ○しかいない国になったって思う
どっかの師匠だが学者先生だかは、「おんようし」と発音しないと口も聞いてくれなかったとかもあるぞ。
高知物部村には民間信仰「いざなぎ流」の民間陰陽師が現在もいる
この現代でもまだ呪詛とかしてるんでしょ
すごいね~面白い。
呪詛を返すと、また返すと続いてしまうので祝い返しをするそうです
呪詛祓い、無かった事にするやり方です
今でも大金を持って呪詛(すそと言います)依頼する方がいるそうですが受けないそうです
人を呪わば穴二つなんで殆どの受けないそうなんですが、ごくたまに依頼を受ける方もいるそうですが数少なく珍しいそうです
呪詛(すそ)より現代医学ではどうにもならない病とか憑き物などは頻繁に依頼を受けるそうです
イザナギ流、ほぼ口伝で必ず呪詛も知らなければならないそうです
ただ決して使ってはならないと師に言われると伺ってます
神棚も祀り方が珍しくオンサキ様と聞きました
オンサキ様だけではなくて他にも祀るそうで紙垂、人型などで変わった祭壇でした
個人宅でも、かなり多い祀り方だそうです
>>5
この世に不思議などない、不思議に思うから不思議が存在してしまう。
呪詛の働きや仕組みを表にだして機能がまやかしだと公開するのに過ぎない。
その事実を知った被害者が呪詛を工作した当事者に何もしないわけねぇだろ。
呪詛が何故機能するかという点を曖昧にして魔法だから考えてはいけないみたいに
思ってないか?全ての現象に仕組みが存在し、ただ先天的に行われたものは
仕組みが明らかであるが後天的に発生するものが不明確ななけな。
月刊ムーや偽陰陽師高橋圭也なんかが「いざなぎ流=陰陽道」というイメージ
を作り出してしまったのだが、まあ陰陽道的要素も確かにあるけれども修験道
民俗信仰などがごちゃ混ぜになっていて、ピュアな陰陽道とはいいにくい。
四国には香川県にも「大夫」を名乗る、格好もいざなぎ流と酷似した「雨乞い
の儀式があるから、あまりにもコミックの陰陽師が一時流行したんで、いざなぎ流
がクローズアップされたんじゃないのかな?!。ま、陰陽師ってのは正確には
天体を観測して月食や日食などの天変地異(平安時代ははそうだったらしい)を
予測するなど暦法を作る職業だったらしいけどね。
でも、なぜに福井?
京の戦災から逃れてきた
「拝みや」を知らずに陰陽師とかさも知っている奴が多すぎる。
陰陽師を語る前にその起源となったものやら、派生したものを知らない奴が
多すぎる。
修験者が何かすらしらない奴やら仙道やら道教やら儒教の流れも知らないで
意味の因果関係だけで相関関係を理解できないバ○は魔術のカルト信仰のように
ただその手の由緒正しい魔術本とやらを崇拝するだけの趣味にすぎない。
陰陽道も過去の知恵を体系化しただけ、
それが神社で扱う原始的な週間や信仰のような類を相関関係による帰納法により
論理的に考えただけである。
いまの神社の形式が一般化したのは明治に入ってからの政令によるものすら
知識がないならそれ以前の混沌とした神信仰の多様度の無知をさらしているようなもの
物事を語るならば、その発生起源と流れを正しく知ることだ。
常識や辞書や権威で判断すると神職や神道を形骸化してしまう。
形骸化の言葉の意味すら知らない奴が語るのはやめておきたまえ。
物事を因果関係でしか見れない脳では古来の知恵もその形骸化した
計りや言葉によってしか見れない色眼鏡にすぎない。
一応民間陰陽師の末裔です
皆さんどんなことに興味ありますか?
ちなみに「式占、暦、天文を扱ってないのに本物の陰陽師と唄うのはどうかと。
うちは民間なのでその辺りは無しで呪詛に特化しちゃってましたが。
江戸くらいには実は土御門の認可なんかも必要になったりもだけど
弓(ま、術に使ったり霊に帰ってもらうときに使う)使うなとかなりもの
使うなって注文多かったから結局無認可の民間の陰陽(ま、田舎の拝み屋さん)
やってたんだけど。
なので現在陰陽道って唄えるのって基本土御門の本家筋と極少数だと思うよ。
高知のあそこのむらだって陰陽道というよりは陰陽を基にした拝み屋の村というのが
正しいと思うし。
あそこのは色々調べると陰陽よりも実は神道的な要素のほうが案外大きいですね。
うちも祖母の代くらいまでは祭壇作って御幣きって祭文唱えたりしたが今は
全くやってないです。
そんな3日とか1週間も祭りする暇は現代人にはないし顧客も今時
中々そこまでのお金は出さないしね。ついでに言うとそこまでのお金と労力の
効果は現代ではないです。
連投スイマセン
だったら拝みやにいってストレートに呪詛してもらうほうが早いし効率的。
ちなみに福井は土御門の所領があったからだと思った。
あそこはいまだに天文と暦をやってますね。
名乗るならそこは根幹だから。
平安期にもね。陰陽寮=陰陽と思われてるが。
実は天文寮、暦寮(名称は違ったかも)もあって。それらも陰陽のお役所の
仕事だったわけ。
その辺りは聞きたい方がいればそのうちね。
うちも昔の呪詛の話伝わってるけど。
えぐすぎて書いていいやらいけないやら
ちょっと世間が本当に陰陽道に興味あるのか知りたかったので書き込みしてみました。
チャンポンをごった煮みたいなまざこぜと比喩するなら間違いはない、
ただ体系的にまとめ、それぞれ重なる部分と相互で活かせる部分などを
再構築したというべき。
そのほかにも仙道やら修験者やら占星術や儒学や易経や五行思想や自然哲学など
結び付いて生まれた思想だ、それが日本で独自の発展を遂げ、
自然科学と呪術の体系として纏め上げられた学派の知識の総体である。
本邦の陰陽道は、道教やら呪禁道やら仙人術やら修験道やらの
ごった煮ということですね?
”陰陽道と同時に伝わって来た道教の方位術に由来する「方違え、物忌、
反閇(へんばい)」などの呪術や、「泰山府君祭」などの道教的な神に
対する祭礼、更に土地の吉凶に関する風水説や、医術の一種であった
「呪禁道」なども取り入れ、日本の神道と相互に影響を受け合いながら
独自の発展を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・”
賀茂忠行(勘解由小路家)と安倍晴明(土御門家)の謎
http://miracle-jiyoudan.com/tutimikado_abe.html
>>65
安倍晴明なんかは経歴見ると天皇直下のトラブルシューター、公安や秘密警察っぽいけどな
隠(おに)っていうように呪や怨霊は『見えないから恐ろしい』って常識の中で
十二天将なんかは実体をもって家の中うろうろして、顔が怖いとか言われて詰め所を用意してる辺り
身分関係無く能力主義で選抜した探索や襲撃をする部隊を持ってる印象
で、犯人だのゲリラだのとっちめた後に、儀式の形で終息宣言して安心安全をPRと
本来はその程度の事なんでしょうけど清明に限っては伝統的な術など無視した形でそういう事を行ってる節があるという事ですね
実際、警察組織である京識、左京権大夫に着いておられますしね
まぁ主計寮や穀倉院なんかも行ったりしてますので徴税絡みの会計監査員みたいな事かもしれませんが
伝統的に天皇の近臣には位の低い人物なども能力主義で取り立てられる事も多いので
単純に能力主義的な抜擢をひけらかすよりも、迷信的なモノに支配されがちな時代背景を利用して
自由に活動していたのでは?というような憶測もできるという事です
陰陽寮のトップ以上の裁量や官位を得てる訳ですし、体裁というのを考えた結果の
自分個人に限らず陰陽師というものがスゴイものなのだ
と、ある意味ではスター選手として陰陽師全体の権威を高める事に貢献する振る舞いでもあるかもしれません
まぁ術で税収が増えるなら苦労しませんしね
そういった知識が消えて行くのは忍びないけど、呪術の手法を纏めて公開しようとしても、やれ口伝だとか秘法だとかで詳細が分からないだよな。
>口伝だとか秘法だとかで詳細が分からないだよな。
詳細が分かったとしても、それが何?ってことですよ。
秘密の知識とは、貴方が思っているような知識ではなく
人が使う具体的な「意味」に対して対極の位置に存在するものです。
75で書いた通り、儀式や術の方法というのはその時代の風習を伺い知れるものだから興味深い。
こういう名前のスレに来るんだから、多少五行思想に通じているし、これ使って術や儀式を分析するのも面白いと思っているんだ。
場合によっては五行に合うように改変出来るかも知れないしな。
陰陽師は当然陰陽生の中から選ばれる。時代が進み陰陽師が殿上人相手に占いをやる様になり、儲かりはじめると、
暦道、天文道の関係者も陰陽師を名乗り陰陽道の占いをやる様になる。つまり、陰陽師には誰でも修める事の出来る知識体系がある。
京都女子大学文学部史学科准教授 梅田千尋
山城国綴喜郡北谷村の歴代組陰陽師村を取り上げ、
この村の陰陽師たちは、中世の荘園(朱智庄)を母体とし、
近世に入ると、領主からは百姓身分として把握されたが、
近世に至ってなお神事や首座を介して結ばれていた普賢寺郷という郷村において、
「キヨメ」的役割を坦い、差別の対象となった村の内の一つである。
また、本村に従属する枝郷として位置付けられた北谷ではあるが、村の経済状況を示す石高分析からは、
陰陽師である西尾家の本村を凌ぐ富の集積が明らかとなり、同氏が枝郷庄屋であった事実とともに、
本村─枝郷という序列が、本村による北谷への一方的支配は貫徹していないこと、
いっぽう本所土御門家が認可した北谷陰陽師への名字帯刀が本村の訴えで否定されたように、
土御門家の支配も地域社会を規定するほどの影響を持ち得なかったこと、
比較的古くから土御門家の配下であった北谷の陰陽師は、
近世後期、組頭の西尾氏が陰陽師組織の重職に就くなど、
土御門家との関係をいっそう強めていったこと、また婚姻関係で結ばれた「仲間村」が、
寛政年間以降、貢納金の徴収単位として組織されたこと、
従来の研究で土御門家主宰の宮廷陰陽道に参加する特権を持った陰陽師を「歴代組」と呼んできたが、
その公認は嘉永期に寺社奉行によってなされたこと、を明らかにした。
さらに政治的賤民ではなかった陰陽師への賤視は、職能による蔑視というよりは、
種姓的な「筋目」=血筋そのものへの忌避として周囲の百姓に意識され、
それゆえに「ケガレ」観に基づく習俗的差別の対象となっていたこと、
こうした状況に対し陰陽師たちは土御門家の権威を利用することによって賤視からの脱却を図ったと論じる。
陰陽寮で陰陽天文の二部門を独占した土御門だって時代時代で資料を紛失して、
陰陽道の基礎技術である六壬式占(六壬神課ではない)で占う事さえ難しくなっていたと言うし、
飛鳥、奈良と平安、鎌倉、戦国と江戸、明治で陰陽師は分けられる。
術として機能していないなら、すでに存在はポエムとなんの違いもない。
読む間合いが浅いと、ありきたりすぎる誰かからの借り物の言葉ばかりでつまらない。
だからといって、間合いを近づけすぎると呪術世界の大渦に気づかず巻き込まれる。
注意した方が良い。
陰陽はホロスコープで過去や既知を割り当て、それに相対する未来や未知を
必然性の類を考え結びつけ世界の摂理をはかりとる。
より抽象的なそれに意味はなく、計り取れるものもことも意味はない。
正しく読み取れるのは具体性ではなく、抽象的なものである。
必然的に起こりえる事には具体性など必要はなく、それに意味を与える
側の相対する姿勢こそが術であり、はかり取る道具の使い方が技である。
失われしそれは、言葉がなかったころのその位置に立ち、それを行う術を
有するものに必然的に与えられた。その技は術がなければ意味を与えられず
媒体となる人の意思が世界を憑依させ計り取る道具によって意味にする。
その意味とは意思が成される物事ではなく、意味を写す「器」であり、
物事に想念を写し具現化させうるには意味そのものではなく「器」に技を
篭める。我々科学の世代では意味ばかり捉われて意味を成す器の存在を
忘れ去っている。
陰陽師とは陰陽道の達人ってことだよ、
その成り立ち、それが使う道具、重視する思想、
新しく解釈した最近の陰陽師のイメージで置き換えたいんだろうけど
そんなものは妄想。
いまの科学世界では科学以外は存在しないような流れと、それを過信している
思考しかできない人がほとんどである。
非科学は解明されれば科学である、故に全ては科学で、科学は万能である
そういう思考のことだ。
すべてを論理的合理的に考える結果は見えている、道としての器を持つ心が構えは
消えうせ、高度に抽象的な思想は消え、形式だけの具体化した事実と理解と知識だけが
重要となり真似事だけが残り形骸化するだけ。
おまえらのことだよ。非科学を科学としちゃうのがお前らの無能さの証拠。
私としては陰陽道の典籍は占いの技術だから科学的に解明しようなんて気はさらさらない。それぞれが思う信条に従って考えれば良い。
どうして現代の陰陽道なんて言われたんだろうか。陰陽道が担当した祭祀でも継承してたのかな。
言葉の意味から陰陽師の基本は占い師で間違いない。太占や亀卜よりも陰陽師が行った式占は格が下がるもので、
有事に占うもあまり信用されていなかった。
覚えて、それらを魔法の呪文みたいに受け取るだけだろ。
海外でニンジャー、サムラーイに並ばないのには、何か理由があるのだろうか。
中国には陰陽道なんてないんだな。
何をもって本物と考えているのか、お前らの妄想で良いから教えてくれ。
周易、新撰陰陽書、黄帝金匱、五行大義は陰陽生の必須科目と定められている。
周易と五行大義は現在でも容易に入手出来、新撰陰陽書と黄帝金匱は入手手段はない。
ただし、この二つは占事略决に簡潔まとめられてるため、内容を窺い知る事は出来る。
これらの書物から問題を作り資格検定試験を実施する事で陰陽師を認定する事が出来るはずだ。
もっとも収益は見込めないだろうけどね。
>これらの書物から問題を作り資格検定試験を実施する事で陰陽師を認定する事が出来るはずだ。
大学と同じ、車の免許と同じ、
そんなもの、入り口であっても営みではない、
中国で金でその資格を得た人も多いが、同じことな。
英文科の大卒が就職して、突然米国人に接して翻訳してほしいといわれても
英文科をでたから英語ができるわけじゃない、赤点で他の成績だけで卒業した
やつやスポーツ就学で卒業しちゃったやつもいる。
大卒なのに中学で習うそれすらできない奴だらけだ、
形式だけの資格など何の意味もない、営業許可と店をもったラーメン店が
開店後に大量に潰れてゆく原理と同じだ、ラーメンが作れて営業できれば
結果がなせるとか思い込んだ単細胞が行き着く先な。
>>224
その投稿をした者だけど、それは良くわかる理屈だね。
ただ私はオカルトめいた事は表面的な作法しかないと考えているし、認識出来ない。
だから陰陽師という職種を作るには自称より資格という枠があった方が信用出来ると考えた。
加えておくが私は信心深くないわけではないし、これらの事柄はとても面白いと思っているよ。
まあ陰陽師の技や術は、呪、咒である。
基本は占いにより世界を秤り、計るのと同時に未来を縛る術ってことよ。
そんなものを技法としてテクノロジーにしても、反復再現できないなら
それは術でも技でもない。明白すぎる。
その本質は「術たることが何故と」いう問いを理解するものだけが受け継ぐことが可能だ。
簡単にいえば、偶然をもって必然を成すってこと。理屈では説明できるわけがない。
穢れにたいする清めの仕事をしているうちに、いつのまにか穢れと同一視され、
差別されたんだってよ。
>>229
民間系陰陽師とは陰陽師の高尚さを利用する類であっても
陰陽師という職業や官職のそれではない。
陰陽師の定義が陰陽師廃止と共に民間に落ちたとき
新しい形の陰陽師が拝みややら神官などへ名前が伝説と共に継承されているだけな。
本来の陰陽師は陰陽術といわれる類は一切行わない、
故に陰陽師の決まった術は存在しない。
真言系の仏教やら修験者やら仙道などが重なり陰陽師で得た一部の
学識を引き継いだだけでありそれらが陰陽師ではないのは明らかである。
五行思想やら天文学占いなどの本質を理解していれば、
そのもどき継承された術式の本質もわかるはずだ、
呪術やらエクソシスト的な術を抱擁した継承者の能力は陰陽師の名残があっても
それは本来の陰陽師ではない、原理原点を知ることがそれらの理解につながる。
その手の術の本質を理解したいなら、まずマインドコントロールと洗脳の違いを
調べるあたりからはじめたまえ、
他者へ向かい「この世に偶然なんてものはない。あるのは必然だけ」とか、
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」など、
よくある呪術の言葉、ここに潜むことをまず理解できれば自力でなんとかなるだろう。
一度本心が信じてしまえば逆らうことができない魔法の言葉だ、
平安京の地で姫君が次々と神隠しに遭った事件を安倍晴明が占い、
大江山に棲む鬼の酒呑童子の仕業とわかったという伝承がある。
犯人捜査が陰陽師の職掌と思えぬのだが、後世の安倍晴明の
後裔が、創作した伝承なのかな?
晴明神社の創建由緒について以下の珍説記事発見。
仏教全盛平安時代中葉摂関期に天皇が神社創建などありえないし、
当時祀られる実在人物は、早良親王・菅原道真等の例で判るように
不遇憤タヒによる祟りを怯れられた者で、決して偉人ではない。
このような荒唐無稽な由緒を創作したのは、何時代の誰なのかな?
「晴明が亡くなると、一条天皇はその偉業を讃え、1007年(寛弘4年)に晴明を祀る社を創建
した。当時の社地は、東は堀川、西は黒門、北は元誓願寺、南は中立売という広大なもの
だったという・・・・・・・・・・・・・・・・」
京都:晴明神社~陰陽師安倍晴明の屋敷跡~ 岡戸秀仁
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/nara-kyoto/seimei-jinjya.htm
>>245
国家のための陰陽師が貴族のために変わり、民の間でも法師陰陽師が流行り、
官と民が同列に扱われ記録された結果、国家大計から念仏までが陰陽道と纏められる。
宮廷陰陽師が軽んじられて、やがて陰陽寮が廃止されても、
法師陰陽師の血統や弟子は陰陽師を名乗り、祈祷もするし、占いもするし、霊媒もする。
どれが陰陽道かと聞かれれば、宮廷陰陽師が使った術に限り、陰陽道と認識するね。
見えない存在が見えたり声が聞こえたり
ってリアルで言うと統失扱いされますが
式神を操る安倍晴明もそうだし
昔の日本ではそういうのは当たり前にあることだったみたいですけど
みなさんその辺どう思われますか?
皆結果から原因を探ろうとする
一部の人間がその因果の逆転を実現させようと試みて成就させ万民を救う
現代も千年前もさほど世界は変わっていないのではないか
だから頭角を表すまで時間が掛かったのではないかと推測する
当時の世界は人治国家だからその構造を読み解くには組織での長い時間が必要だった
よって本格的に活躍する頃には50代(?)になっていた
あくまで仮説に過ぎないが…
そういう意味じゃ、実名でネットで悪口書かれて具合が悪くなるのも立派な呪いじゃんね。
明治維新でキリスト教(カトリック・プロテスタント・聖公会)のカレンダーを採用して陰陽師は仕事を失って解体された
そのうち霊能者が陰陽師を名乗りだして本家も職掌が増える。
戦国時代に軍師になって、後に大名に嫌われて規模縮小。
江戸時代に後援されて復活するも、免許制度が受け入れられず低迷。
陰陽寮が解体されて神官に鞍替えして今に至る。
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