江戸時代から昭和まで長生きした人物って誰がいるか知ってる?
尾崎 行雄 (安政5年11月20日(1858年12月24日) – 1954年(昭和29年)10月6日)
北里 柴三郎 (1853年1月29日(嘉永5年12月20日) – 1931年(昭和6年)6月13日)
牧野 富太郎 (1862年5月22日(文久2年4月24日) – 1957年(昭和32年)1月18日)
江戸時代末年1868年、昭和元年1926年
58年しかないんだから沢山いるでしょ
戦後までならともかく
文久3年(1863)~昭和51年(1976)
そこから明治、大正、昭和、終戦まで体験して、高度成長まで見届けた人とか羨ましすぎる
>>11 さすがに戦後まではないが、
拙者のヒイジイサン(1848~1929)、残念ながら会える歳回りではなかった。
黒船より前に生まれ、元服の5年後に明治維新。
日清戦争に従軍し、震災をくぐり抜け、
最後はラジオも飛行機も郊外電車も微積分もデパートも映画もオペラも知っていた。
佐幕派だったので、薩長閥から痛い目にも遭わされたらしいが、
やはり幕末の頃から頑張って英語が出来たたから何とか生き残れたのだと
言っていたらしい。勉強量が半端ではなかったのだろう。
確かに
同じ100年でも1750年~1850年とかめっちゃつまらなそう
その期間だと文化文政あるから、江戸情緒を満喫するって点じゃ最強。
天明の飢饉とかあるから、つまらないってほどでもないと思うし。
徳川家達
1960年代に最長寿級だった人は、本当に高度成長期まで見届けてるんだな
史上稀に見る社会の変化幅を体験した人達だ
河本にわさんなら1976年までに生まれた人が該当する
1846年生まれで無くなったのが1964年。
黒船より前に生まれて新幹線が開通する時代まで生きたとか
凄すぎ。
生きた元号は弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和
>>21
昭和三十八年九月の朝日新聞縮刷版に彼女のインタビューが出ているのを
読んだことがあるのだが、長生きの秘訣とかそういうどうでも良い話ばっ
かりで、肝心の若い頃の社会情勢の話が全く出ていないのには正直かっかり
した。徳川家茂や和宮とタメなんだから江戸の頃の思い出話のひとつくらい
あっても良さそうなんだが(画家のゴッホに会った話をしていたフランスの
ジャンヌ=カルマン婆みたいに)
中村重兵衛
1852年~1969年
テレビCMにも出たことがあるらしい。江戸時代から高度経済成長期
ドラマ水戸黄門とかみて「あー、まげはそんな太くないんだけど.」とかダメだししてそう
100歳の時に医学的にありえない体力測定結果が出ている。
牧野伸顕 1861(文久元)~1949(昭和24)
曾孫の麻生太郎財務相(1940=昭和15生)が物心つくまで
生きてたんだな、この人
会津戦争の最前線で鉄砲ぶっ放してた人が、昭和天皇から勲章貰ってるとか凄過ぎ
明治生まれ最後の総理大臣
昭和まで生きていた人がいる
戦争中に亡くなったそうだ
自分の親が江戸時代に生まれた人と話をしてたかと思うと
何か感慨深いものがある
>>52
自分は維新からほぼ百年後の生まれなので、当時は維新前に生まれた人
も結構沢山残っていたはず
今の四十歳位までは、江戸時代に生まれた人と会話をした事がある者も
少なからずいると思われる
ウチの爺さんも明治末期の生まれ、と言うとなんて事は無いが
19世紀の生まれ、と言うとなんだか凄く昔の人っぽい
1857-1973になるが、このあたりが一番ロマンがあるな
慶応より安政あたりの方が歴史を感じる。
この116年だと幼少時代に幕末の動乱、中高生時代に明治維新、
働き盛りが明治時代、定年後に昭和突入、終戦を経て、100歳前後で高度経済成長、新幹線、そしてタヒぬ間際にキャンディーズや山口百恵、アグネスとか…
すごい人生だ。
1887年生まれ
1990年没
レヴェルが違うw
>>56
そういうのを踏まえると面白いよね
河本にわさんの前の長寿日本一だった梅田ミトさん(1863-1975)。
生まれたのは高杉晋作が「奇兵隊」をつくり、京都では「新撰組」が結成され、
アメリカでは奴隷解放宣言や「人民の人民による人民のための政治」とリンカーンが発言した年。
リアルで西部の荒野で保安官が銃を打ち合いしてたりインディアンを追い払っていた時代。
↓
タヒ去したのは武田鉄也が「海援隊」で母に捧げるバラードをヒットさせた次の年、
あんたあの子のなんなのさとかつなぎ服きたバンドが世間をにぎわし、宇宙戦艦ヤマトが放映されていた時代。
アメリカだとベトナム戦争が終結し、アポロとソユーズが宇宙空間でドッキングした年。
この人、熊本市内出身ということで西南戦争の熊本攻防戦をリアルで
(満の14歳のときだから記憶もはっきり残ってるはず)体験してるんだよね。
西南戦争で燃える前の熊本城と、83年後に再建された今の熊本城の両方を見ているのはすごいw
その前の長寿日本一だったのが森本いとさん(1853-1970)
生まれたのがペリー来航の年。幕藩体制まっただ中で徳川将軍12代家慶の時代。
明治維新が1868年だからリアルで大名行列だの丁髷の刀持った武士だの飛脚だのを経験してる世代。
↓
タヒ去したのが大阪万博の年。前年にアメリカがアポロで月へ行き、
国産初の人工衛星おおすみが打ち上げられ、新幹線高速道路も既に建設。
カー・クーラー・カラーテレビが普及しミニスカートからパンタロンがはやった時代。
「(アニメ)サザエさん」「笑点」「オールナイトニッポン」など
現在でも続いている番組がもう存在していた時代。
リアルで江戸時代を知ってる人からすれば昭和中・後期の時代劇なんてどう目に映ったんだろね。
>リアルで江戸時代を知ってる人からすれば昭和中・後期の時代劇なんてどう目に映ったんだろね
おれもすごく知りたい。
ちょっとスレちだが、実際に兵隊経験があったひとが、戦争映画のアクションをどう思ったか知りたい。
叔父がレイテの生き残り、祖父が関東軍満鉄警備隊だったが、別になにも言ってなかった。
どうでもよかったのか。
>>59
レイテの生き残りなら、ジャングルでの銃撃戦のシーンなんか、目を背けたくなるんじゃないかな。
何もしゃべる気になれないだろう。
満鉄警備隊なら激しい戦闘はなかったかもしれないが、シベリアでさぞや辛い思いをしたと思う。
やっぱり思い出したくないだろう。
あるいは、戦争映画というものは、けっこう正確に作られているのかもしれない。
>「笑点」・・・現在でも続いている番組がもう存在している時代
ペリー来航のときに生まれリアル江戸時代を経験している人間と
スマホにパソコンにオンラインゲーム三昧の21世紀生まれの子供が
「笑点というテレビ番組に出演している落語家・桂歌丸」
という、共通の認識・実体験を持っているのはなにげに凄いことではないか?
日本では水野忠邦が天保の改革やったり、遠山の金さんがお奉行さまだった時代。
そんな時代に、もうこんな写真があったなんて不思議な感じがする。
良レスの流れだ…
>>64
ダゲレオタイプは1840年以降はどんどん普及していったから、
そのルイ・フィリップも1850年にタヒんでるけど写真は残ってるし。
日本への本格的な写真導入・普及が遅かったのは残念。
将軍だと徳川家斉以降は写真技術に間に合ってることになるんだよね。
そういう意味で島津斉彬の銀板写真、あれはほんと奇跡的な一枚だと思う。
日本人で最初に写真に撮影されたのは、1851年で、浜田彦蔵(ジョセフヒコ)ら、
アメリカへの漂流民たちだったみたいね。
しかし、写真館ができて、庶民でもお金を払えば写真を撮影できるようになったのは1860年以降。
最後の将軍・徳川慶喜は写真好きで有名で、将軍就任前の京都時代から写真が残っているが、
徳川家茂も現存しないものの写真を撮影していたといわれる。
調査の際に、和宮のお墓から出てきた湿板写真で、大阪に出ずっぱりの家茂から、江戸城の和宮に、
西陣織などのお土産とともに届いた写真との説も。しかも届いたのは家茂の訃報のあと。
調査の際に、写真を赤外線にあてたら烏帽子姿の若い男子の像が移ったものの、
定着状況が悪く、翌日にはただのガラス板になっていたとか。
タヒの直前に和宮に唯一の写真を送った家茂も、その写真を墓まで持ち込んだ和宮も、
幕末の写真に関するエピソードでは、一番ロマンチックで好きなエピソードかな。
って、厳密にはスレチだね。
没年は昭和16年11月8日で真珠湾の1か月前。
明治初期からピアノやクラリネットを学んだモダン日本の象徴。
日本以外の国ではどうかな。
辛亥革命(1911年~1912年)とか。
清の王室は、革命以降もしばらくはずっとかつてのような、
旧態依然の生活様式を続けていたようなので、
その後の、社会の激変は日本以上に急激だったはず。
現在でも、まだ、若い頃に纏足をしていた人がお婆さんになって生きているよ。
20世紀前半の中国に生まれた人の激動はハンパないな。
あとは、台湾(20世紀初頭頃?)、ニューギニア(20世紀末頃?)
まで、首狩りの風習のあった、原住民の人達の生活の激変ぶりは
どうだろう。
ただ、むしろそういう原始的な形態を残していた人たちの方が、
近代的な生活への適応は、むしろ容易だったのかもしれないな。
ガチガチの中世封建制度の生活環境に晒されていた地域の人の方が、
社会の激変の中で感じたストレスは、相当なものであっただろう。
江戸時代と呼べるのは慶應三年12月9日(王政復古)まで
王政復古以後の慶應三年年末は厳密には明治でも江戸時代でもないが
明治天皇の時代だから明治になるかも
>>75むしろ大政奉還だよ。欲を言えば太陽暦も慶応3年12月7日を明治元年元旦にすべき。だから鈴木貫太郎は違う。
本当の江戸生まれの最後の首相は平沼騏一郎だな。江戸生まれで戦後没した人、19世紀生まれで21世紀に没した人、
大正天皇崩御前に生まれていたが、天皇陛下崩御時にはまだ没してない人の方がもっとすごいだろう。
明治改元を1868/10/23とすると、中山イサ(1868/6/15~1977/5/25)が最後の江戸時代生まれとなるらしい。ソースはウィキペディア。
生1868年→戊辰戦争、明治維新
没1977年→コロコロコミック創刊、スターウォーズ公開
幕末なんて、つい最近の話なんだよな。
会話で「ついこないだ火災が遭ったでしょ?それで燃えたのよ」
何て事を言うから俺の感覚では、数年前の話でもしているのかと思ったら、長州が京都の寺社仏閣を焼き払った話だったりするから、京都の人の感性は面白いと思うわ。
90代の祖父母が江戸時代生まれがいたりするしね。
それは、応仁の乱、とかいうオチが有名だけど
禁門の変の時は、長州ではなく
会津が燃やした、と京雲雀は言ってた。
長州人はそれなりに大衆には人気あったのね。
ペリー以降の物価高に文句付けてくれる、という感じで。
「お爺ちゃんのお父さんは黒船見た」なんて話を
きかされたことがある。
ありゃ衝撃だったから子供の頃の
記憶を一生忘れずに話し続けたろうからね。
その頃の横浜の地形も知ってたから本当なんだろうな。
似たような話で、初めて岡蒸気見た、というのもたまにある。
あれだってどえりゃぁびっくりしたろうなぁ。
それだけで180年か。
初めての 水洗トイレの「轟音」にあわてて逃げ出した
そして今の高齢者の祖父母が江戸時代生まれも充分あり得るのか。
面白いな。
まだ結構いたかと思うと親父スゲー、昔の人じゃん
大して今とは変わってはいないのだろうけど。
明治10年代生まれの人が高度成長期までに遭遇したような変化を
体験することはないと思う。
逆、ヒャッハー化の激変ならあるかもw
明治生まれだけど
きんさん、ぎんさんって宮沢賢治より歳上だったんだな
成田きん(1892年8月1日-2000年1月23日)
蟹江ぎん(1892年8月1日-2001年2月28日)
宮澤 賢治
1896年8月27日-1933年9月21日(満37歳没)
妹には実際はアニメのように優しくはしておらず両親や妹が亡くなってホッとした。などと書かれてあるんだが、
戦時中というのは1940年代なわけで、この時の高齢者は江戸時代生まれの人達なんだよな。
最期の最期にあのようなタヒに方をするとはね。
幼い頃の印象深い記憶と言えば、日露戦争勝利の提灯行列だと言っているぞ。
そのまた父親は、明治初頭の生まれだったけれど、俺が聞いた話の中では、
初めて正式な洋食を食した際に、無言で給仕(ボーイ)が皿を下げようとしたので、
「訳も無い!」と一喝して叱りつけたという一幕が、一等想い出深いものぢゃぞゑ。
母方の曾祖母(某大名家息女)は、輿(女乗物)に乗って入輿して来たが、母の思い出の中では
いつも床の間を背にし、香を焚いた手焙りを前に据えて端座していた姿しか印象に残らぬとのこと。
幕末維新当時の話も色々と聞いたが、とうていここには書き切れないぞ。
立ち読みした。親は島野翠といい仙台藩士で17歳で額兵隊で戊辰の役を戦い日露戦争
では陸軍大佐で激戦を戦った男だった。その十何番めかの子が武市長だった。明治維新を
戦った男の子がつい最近まで市長だったことが驚きだった。
1868年から数えて55歳定年制の時代なので定年まで働けないということになる
おじいちゃんが聞いた話 80年前
そのまたおじいちゃんが聞いた話 60年前
そのまたおじいちゃんが聞いた話 60年前
代々受け継がれていたら
簡単に200年にも遡れるわな
昭和27年などほんの数年前のことだが、日本が独立国でなかったとは知らなかった
前後で世の中に何も変わりがあるように思えなかったのに
いまより平均寿命がみじかいとはいえ、昭和のはじめには江戸時代生まれがたくさんいた
嘉永3年(1850年)生まれの祖父から貰ったというエピソードで驚いた。
95歳で言葉も姿勢もハッキリしていてそれだけで凄いのに
江戸時代の人(それも親族に)に会っているという事実で更に衝撃だった
大政奉還で既に17歳で江戸の文化で育って確実に江戸の記憶がある人が身近にいたわけだ。
ゲストのアメリカ人のパックンが嘉永3年を1850年と即答で答えたのも驚いた。
良いもの見れた気がしたな。
>>135
パックンの凄いところは、95歳の人に対して自分から「おじいさんは何年生まれですか」って聞いてるところなんだよね
95歳が自分から「私のおじいさんは嘉永3年生まれです」って言ったわけじゃない
大正生まれのおじいさんなら江戸時代生まれの可能性は大いにある
パックンはそれに気付いて、自ら聞いて知識を披露したわけだ
頭良すぎるだろ
俺は平成一桁生まれだけど大正生まれの曾祖母とは関わりはある
それと同じように、大正~昭和戦前生まれの人にとっても、当たり前のように江戸時代生まれの人と関わってきたんだろうな
昔は大家族が多かったし、祖父祖母と暮らしてた人も多いしな
Evaluation: Average.
今年24歳の俺も父方のひいおじいちゃんが大正9年でひいおばあちゃんが昭和2年生まれだった。
母方は祖父母の代で俺が生まれる前から既に故人だったので不明。
曾祖父母の家には記憶が合っていれば3代前の祖先の白黒の肖像画が飾ってあったのを覚えている。
幼稚園の時に
俺「あの写真の人誰?」
曾祖母「ばあちゃんのご先祖様だよ」
なんて会話したこともあった。
小学6年の時にひいおばあちゃんが亡くなって後を追うようにひいおじいちゃんが亡くなった。
今の頭脳のまま生きている頃に戻れればもっと昔の話と
江戸時代の人の話も聞けた可能性があるわけだな。
江戸って遠いような近いような不思議な時代とも言えるかな。
寛永通宝と現在の10円硬貨(ギザ10)が
一緒にお金として使えた年
>>142
2050年というと昭和生まれが全員還暦過ぎた頃か
「大日本帝国」に生まれた人は100歳以上
中国北東部、東南アジア、南洋に進行して
大東亜共栄圏を築き、
あのアメリカとドンパチやって本土が原爆や大空襲で焼け落ち、戦後高度経済成長とか
昭和という元号は激動過ぎてもう神話や伝説の世界みたいになってるだろうな
世界大戦と世界分断の冷戦がすっぽり入るインパクト絶大
あの昭和の時代生まれが100歳以上とは言え、
まだ存命で会話可能とか不思議な感覚だろう
>>145
俺の祖父(ちな満州国出身)は107歳か
可能性はゼロではないかな
今でもグータラの寝てばかりだが
小泉純一郎の母方祖父の小泉又次郎(1865-1951/86歳没)
ヤクザのような政治家でかなり破天荒な生き様してる
西南戦争、戊辰戦争、第二次世界大戦まで体験。
純一郎が10歳の頃まで生きててインタビューで祖父のエピソードを語ったぐらい記憶があるというのが貴重で凄い。
60年から63年(103歳)まで生きたらしいが琉球の記録ガバガバな農村で生きてたもんで怪しい
戦中は婆ながらフィリピンで開墾してて奇跡的に戦闘地域を避けながら帰国できたらしいが、兄弟その他一族全員タヒんでしまったらしく
以来幼少期の話はきけなかったと
まあ琉球だから日本人としての話ではないかもだが
自分から数えて6代前の祖先か
そこまで家系を遡れるのも凄いな
あと1年生きてれば東京オリンピックと新幹線開通もみれたわけだ
ドラマチックだな
伊都ヨシギク(1856~1966)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%BD%E3%A8%E3%B7%E3%AE%E3%AF
安政、万延、文久、元治、慶応、明治、大正、昭和と、8つの元号を経験し、110歳まで存命だったのが驚き。
110年間、世の中の激しい移り変わりを体験した事だろう。
生涯を終えた1966年は、ビートルズ来日、笑点の放送が開始され、高度成長の真っ只中。
比べ物にならないほどの変化に、伊都さんも度肝を抜いた事だろう。
直接生で話を聞いている可能性はあるよね? その90歳くらいの人からの伝聞で
何か聞いていることはないですかね??
明治時代の日本陸軍軍医、日本赤十字社社長。草創期の軍医制度を確立した。
岩波文庫(絶版)に「懐旧九十年」がある。
ドイツ医学にこだわったせいか(森鴎外の上司みたい)で日露戦争で陸軍に脚気が蔓延した遠因になったようだが…。
このあたりの議論は素人のオレには分からん
今まで気づかなかったけど、信じられない時代の変化を見てきた世代がいたんだね。
ネットや携帯と共に成長してきたゆとり世代の私よりすごい変動の時代に思えるわ。
もっと早く気づけてたらご高齢の方に色々教えてもらえたのだろうか。
ギリで小笠原長生?
前年の夏目漱石、正岡子規、幸田露伴、小笠原長生も同様。
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1340346449/
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