【戦国時代】秀吉のキリシタン弾圧、実は日本の文化を守るためにも正しかった説ってどう思う???
信長の支配地では従順だったからなイエズス会
荒木村重の乱の時はキリシタンだった高山親子を寝返らせるためにイエズス会を使ったが、
その時信長は「失敗したら布教許可取り消しな」と脅してる
所詮信長にとってイエズス会はその程度の存在
政教分離政策を始めたのは秀吉の親分の信長だからイエズス会の九州での有様知ったら間違いなく厳しい態度になるよ
信長は政教分離なんかしてない
天下布武ってのは政治は武家の独占って意味だから必然的に政教分離になるんだよ
イエズス会や南蛮(ポルトガル、スペイン)人について
インドの留学生と話す機会があって
ザビエルはインドにも行ったから、彼らも詳しい
連中の行動原理について概要を教えてくれた
旧植民地のフィリピン、南米等は、今でもカトリック優勢
布教目的で征服事業を働いた
(つまり、J1.政教一致)
テノチティトランを破壊、そこにメキシコシティを建設した様に
占領地の在来文化を粉砕、真っ新な土台に新天地を築くという壊滅的刷新を図った
(J2. 文化浄化)
反抗的な先住民を奴隷にしたり虐○した
(J3. 民族浄化)
イベリア本土では異端審問をして
ユダヤ、ムスリム、プロテスタントを摘発。半島から異教徒や異端を排除した
(J4. 宗教浄化)
征服について際限を据えなかった
(J5. 無限膨張)
ところで、西からインドに入った宗教と言えば
海路でイエズス会、陸路でイスラーム
イスラームの宗教書は預言者ムハンマドの伝説、あるいは言行録らしい
これを紐解くと
(続く)
>>4の続き
I1. メッカ占領
ヤスリブ軍を率いてメッカに攻め込む。それはメッカ市民への布教目当て
I2. カアバ神殿強奪
占領地メッカのカアバ神殿で偶像全廃をやってのける
それまで多神教の中心的聖地だった(要は伊勢神宮みたいな)所を
イスラームの中心にした
I3. クライザ族殲滅
征服地で敵対的だった先住民(クライザ)を抑留してから部族丸ごと撲滅
成年男子を全て皆○しに、女子供を全て奴隷にした
I4. 異教徒追放
アラビアを統一、盟主の座に就いた彼は
全異教徒(主にユダヤ・キリスト教徒)を半島から追放
反論、異論を一掃した
I5. ペルシア侵略、ビザンツ侵略
無限の席捲を目指した
貴重な示唆をもらって
イエズス会は基本的イスラームと瓜二つ
あるいはカトリックの鍍金を施したイスラーム
はっきり分かった
考えてみれば、海洋進出までの四百年間、両イベリア/アンダルスがイスラームの植民地だったのは初歩的史実
バ○でもチョンでも気付く様な話だけど
この辺を語る学者先生、寡聞にして存じませんね
庶民まで取り締まる徳川は不寛容
女好きの秀吉はキリスト教は良いけど、一夫多妻を禁じているから嫌だって言ったらしい
カトリックが日本にしてきたことを考えれば、
本来ならば、次のようなことをされても文句いえない。
●奴隷にされた少女像(以下「奴隷少女像」とする)が作成され、バチカン大使館前やカトリック教会前に立てられる。
●国内のみならず海外にも奴隷少女像が立てられ、「日本でも悪さしてたのか!」とカトリックの子女がムスリムから虐められる。
●「バチカン市国解体!」「スイス衛兵廃止!」「法王制打倒!」「法王フランシスコを許さないゾ!」というプロパガンダ活動を起こされる。
●挙句の果てに、カトリックの長に過ぎないのに「皇」や「王」を使うのは僭上の極みということから、貶める目的で「教酋」なる奇怪な造語が作られる。
●あまりの侮辱に耐えかねて、カトリック信者が抗議をしたら、「クリスチャン凹り隊」という謎の暴力集団から暴力を振るわれる。
しかし実際は、それとは正反対のことをされている・・・orz
だよね…。日本のみならず伝道師派遣された各国が、大使館やバチカン市国、教会にズラ~と様々な国の少女像をたててもおかしくない。
みたいに言ってるもんな。
ポルトガルって、いつから一流貿易国になったんだろう?
日本史しか知らない俺から言わせれば、
火縄銃が売れたから儲かったんだろう?
航海図から言えば、最も日本から遠い国だよな?
なんで憧れの南欧航路なんて言われるんだろ?
日本のおかげじゃね?儲かったの。
これは日本史しか知らない俺の意見なので、
世界史に強い人いたらなにかコメントくれ。
2018年12月9日
NIKKEI The STYLE
茶の湯とキリシタン(上)
脱俗と清浄 交わった東西の霊性
千宗守さんも94年にヴァチカンを訪ねている。枢機卿は「当時の宣教師の報告記録が残っている。
やがて公開され、茶の湯とローマの関係がわかる日がくるだろう」と告げたという。
捕虜にした女たちを、キリスト教宣教師を介して南蛮人に奴隷として売り渡し、
代価として火薬を受け取った。相場は当初、女 20 人が火薬 1 樽であったが、
女狩りの隆盛につれて、50 人が 1 樽に下落した。
南蛮人はおびただしい数の日本人女たちを交易品として、東南アジア、インドで商い、
彼女らはヨーロッパの娼館に流れていき、さらには大西洋を越えてメキシコ
にまで売られて行った。天正遣欧少年使節団がこれを目撃し、帰国後、
権力者である豊臣秀吉や徳川家康に伝えた。権力者らは烈火のごとく怒り、
キリシタン弾圧に踏み切った。
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1463438477/
秀吉の外交戦略(朝鮮出兵を含む)があってこそ、日本は欧米の植民地にならなくて済んだわけだ。
このあたりのこと、研究成果によって2018年は大きく浮き彫りになりましね。
平川新氏「戦国日本と大航海時代 -秀吉・家康・政宗の外交戦略」
松浦光修氏「明治維新という大業」
このあたり、未読の人は今からでも調達するとよいですね。
猿吉なんてどーでもイイ。
キリシタンは被害ばかり強調するけど、加害には完全沈黙。
今の長崎県のエリアは、キリシタンによって全ての寺社が破棄された。
当時ではなくて今も
日本の為政者としては確固たる方針だったのだろう。
家狸も己の野望のためにそうしただけ。
民を思ってのことじゃない。
それがたまたま白人どもの日本征服の魂胆を阻止したまで。
スターリンが侵略ドイツを撃退したからといって、立派だ、とは全くならない。
人民のためにやった訳ではないからな。己の権勢欲のため――
それとおんなじ。
建前にせよ「日本は神国であるからキリスト教のような邪教は禁じる」というのは間違っていない。
キリスト教・共産主義は西欧が非ヨーロッパ圏から発した悪意だと思う。
そこまで理解してのことではあるまい。
己の利益から禁教にしただけ。
逆に言えば…キリシタンどものやらかした存の寺社完全破壊を
「軍国主義の芽を摘んだ正義の行い」
と、捉えるくらいア○。
実のとこは、己のため。
上手すぎる喩え
そうです。為政者たるもの無私無欲でなければ資格無し。
そうしてきたのがミカドです。
過程も正しくなければ、真の正解とは決して言えない。
>過程も正しくなければ、真の正解とは決して言えない。
歴史にそんな論理持ち込んだら正解なんか殆ど無くなるんじゃね?
戦国は酷い世の中だったのさ。バ○サヨは何故だかそんなのがお好きだけど。
ってのがヒャッハーな奴等に受けた面もある。
実際既存の信仰を維持する住民達に闘争的でトラブルを起こして苦情が上がってきてたというし。
○信じる者は騙される
そもそも「百人救った医師が一人でも○したら断罪!」だもんな。
今の視点で語るな、という莫迦が歴史好きには多い。
今の視点だけで語るのは間違いだが、当時の感覚で正邪を判断するのも愚行。
江戸時代の倫理では「徳川さま絶対正義」。それを今も貫きますか、っちゅーの!
その時代の人間はただ勝つため生き残るために行動してるに過ぎない
あの時代だとキリスト教でも救えなよ。
‐日本の農民から穀潰しの子女を買い取り、奴隷として売り捌いてはならない
‐日本の浪人を倭寇(海賊)として雇い、幕府の朱印船を襲ってはならない
とあり、おそらく秀吉の時代もスペイン・ポルトガル宣教師たちも、同じようなことをしていたかもしれない。
まぁ、江戸時代にも飢饉は頻発していたし、戦国時代ならなおさら「おしん」みたいに子供を労働力として売るしか一家心中になっちゃうから、
が逆に、領主や地主が「おしん」として買い取ってくれない日本の農民の方から、イギリス人に売り込みに行ってたかもしれない。むしろイギリス人の方が高く買い取ってくれていたのかも。
大坂夏の陣で調子付き、外様大名を難癖付けては改易していた秀忠・家光の代になると、豊臣方の浪人が溢れかえり、治安が悪化していたらしいから、
逆にイギリス人に「幕府の朱印船は大量の宝物が積んでいるから、盗って来てやるぞ。俺たちを雇わなか?」みたいに、自分たちを売り込んでいたかもしれない。
韓国の慰安婦も、李氏朝鮮支配下の大地主による税の厳しい取り立ててで、食うに困った現地の小作農民たちが、(給料も高く衛生管理もしっかりした)日本軍に娘を売り込みに○到したらしいし、
同国人なら問題にならないことでも、異国人だと後々大問題になってしまう、ということかもしれない。
これだけ自由で、これだけ西洋化して、そんな現代でもキリシタンは増えない・・
当時がいかにヒドい社会だったから、それだけでもわかりそうなものだけど、愚かには無理かw
なぜか日本史の教科書でとりあげない
モザンビークにいくらでも日本人奴隷の子孫がおる
なぜかと言われても、日本人は同胞を売って武器を仕入れて奴隷狩り戦争をしてましたなんて
教科書に載せられるか??
フロイトとか宣教師が神の国へ行けると騙してルソン経由で売ってたわけだが?
徳川幕府の人も外人は本当に俺たちと違うと認識したのだろうて。
別に鎖国は徳川幕府の専売特許ではないしな。
平安貴族でも外人にはかかわりたくないとスルーしていたのだし。
その上戦国時代から江戸時代は連邦国家制だったんだから尚更ね。
キリスト教を通じて異国と結びついた挙句、奴隷を売って武器に変えて侵略者の手先になりました、とかだとシャレにならんし。
あの当時の奴隷商人は自分たちは人助けをしているつもりだったのではないかなぁ。
こいつらこのままアフリカにいても、○されるだけだしなぁ。
それなら文明国に奴隷として働いたほうが生き延びる可能性が
高いと思っていたのでないの?
家畜の売買をしてる人が野生より幸せだなんて思って商売してると思う?
人助けにしては奴隷船は酷過ぎるし。
あの時代は白人様の下層民でも人権なんてほとんどないような
時代だっただろう?
だったら別に連れてくる必要は無いんだよなぁ…
どのみち地獄なら放っておけよとね。
あの時代の人権や社会常識は当たり前すぎて記録に残らないから、
奴隷貿易を見て、あの時代の人は何を考えていたのだ?
と言った感覚になるのだろうて。
何せ公開処刑が娯楽として演出されていたくらいだしな。
古代ローマの剣闘士の○し合いにしても、最初は宗教儀礼として行われて
いたようだけど、その感覚も今では理解されなくなったしな。
娯楽としての感覚なら、今でもスポーツ興行があるから理解はできけど。
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1528898227/
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