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【考古学】石製の硯、福岡県を中心に150例以上を発見、弥生時代から文字文化浸透か?国学院大の柳田客員教授「纏向学」紀要で発表

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1: 2020/04/25(土) 14:04:34.93 ID:Y27034h+9

https://www.nara-np.co.jp/news/20200424090514.html
弥生時代中期中ごろから古墳時代中期までの石製品を調べた結果、硯(すずり)の可能性があるものが全国で150例以上あることが分かったと、
柳田康雄国学院大学客員教授(考古学)が発表した。
確認事例は西日本各地に分布し、多くが地域の拠点集落で出土していることから、「当時、交易にも文字文化が浸透していたことが推測できる」としている。
纒向学研究センター(桜井市)の紀要で研究成果を報告した。

柳田客員教授は、扁平(へんぺい)な板状石材で製作された「方形板石硯」と呼ばれる石製品の確認調査を実施。
中国・前漢中期から出現したもので、日本では島根県や福岡県で発見されるなど確認事例が増えている。
これまで砥石(といし)と考えられてきた石製品も、摩滅による窪みの形状や墨とみられる黒色、赤色の付着物から硯と判断。
福岡県を中心に北部九州から近畿・北陸までで150例以上あることを確認した。

県内では、纒向遺跡(桜井市)で平成26年に出土した石製品(縦約11センチ、幅約7センチ、厚さ約1センチ)をはじめ、唐古・鍵遺跡(田原本町)や
布留三島遺跡(天理市)、新堂遺跡(橿原市)出土の計10例を挙げている。

大半は拠点集落とみられる遺跡から見つかっており、柳田客員教授は「一定の集落内にも識字階級が存在することを示唆している」と指摘。
「国内では弥生時代から、外交文書だけでなく貿易交流にも文字が使われていたことが考えられる」と話している。

https://www.nara-np.co.jp/dbimage/article/08dbb3ade089406b90375ff59574e692.jpg

6: 2020/04/25(土) 14:09:34.64 ID:oEcVikNF0
紋身用だろ

 

8: 2020/04/25(土) 14:12:39.98 ID:NWaaEda30
ワサビすってたんでしょ

 

32: 2020/04/25(土) 16:23:28.03 ID:4fBCasu50
>>9
その頃の漢字は今の漢字とかなり違うよ

 

11: 2020/04/25(土) 14:18:10.89 ID:DzeNZcs50
硯使うなら墨
墨ってあの形であの時代からあったの?

 

15: 2020/04/25(土) 14:46:20.62 ID:WIZk0Pga0
>>11
そういや墨が全然付いてないように見えるのだが
ただの擦り石ではなくてかこれ

 

14: 2020/04/25(土) 14:44:07.69 ID:6Uw3fFpN0

そういや九州国立博物館のみなさん
太宰府から出土した木簡の「削りカ○」
ちゃんと保存してるよねw

まさか完全に破棄したりしてないよね?
そのうち硯みたいにきっちり公開してくれるよねw

 

19: 2020/04/25(土) 14:54:20.82 ID:f0Pz7Xr60
墨を擦るには硬い物質がいいなら
現代の科学力なら硯は石ではなく
チタンで代用できないの?

 

20: 2020/04/25(土) 15:03:56.73 ID:xIP9+G4Z0

そのうち、ある日とつぜん法隆寺移築説が定説となったりするのだろう
現時点ではほぼ全ての学者研究者が首の骨も折れんばかりにそっぽ向いてるがw
Wikiもこっそり編集されるのかねえw

恥も外聞も節操も捨てなければやってられんな
いまだに偽書記紀に逆らえない学者研究者たちに心底同情する

 

23: 2020/04/25(土) 15:29:17.13 ID:AkuTUHFu0
カチンと硯が割れたけん

 

24: 2020/04/25(土) 15:33:52.17 ID:XTrY3KpP0
鏡とかに書かれてる文字とか見るに、大陸からの直輸入だとしても聖徳太子の時代から文字が発生だと諸々無理っぽかったんだよね
大陸の王朝に貢物して、その返礼で鏡もらったとしても、貢物とする為に富がなくてはいけなくて
その富は測量とか収穫量の計算とか交易での損益が出せないと出てこないからね

 

27: 2020/04/25(土) 16:10:19.69 ID:VAbglB7g0
石製じゃない硯、ってあるのか?

 

33: 2020/04/25(土) 16:24:18.30 ID:iSYvkjm10
>>27
陶磁器のもあるらしい

 

37: 2020/04/25(土) 16:47:37.19 ID:iGEZOAS70

硯の隠蔽が解けたか
朝倉とか今治とか開聞とか徹底的に発掘してみたらどうだ
偽書記紀が吹っ飛ぶような遺構が続出するだろう

日本国の安寧を願い偽書日本書紀を編纂したであろう不比等のタヒから1300年
まさか彼も1000年以上経ってなお我が国の学者研究者どもが無知蒙昧のままとは想像もつかなかったろう
彼の呪縛を吹き飛ばすことが何よりの供養になる

 

39: 2020/04/25(土) 17:06:20.89 ID:786NfK8g0
入れ墨用だろうな

 

61: 2020/04/25(土) 17:56:39.50 ID:FBa7J0bQ0
>>40
その可能性も否定できないんだよ
入れ墨や化粧や染料に使う顔料、棺に塗る朱、炭で漆を研いだ(こすった)可能性もある(なお、吉野ヶ里遺跡ではベンガラを用い筆で書いたような模様の土器が出土している)
なにせ、この柳田さんという元県職員一人だけが「墨用の砥石だ」と主張していて、他の考古学学者は概ね懐疑的だからね
重要なことに、この時代までの中国の硯は、陶硯(陶器製の硯)が主で、後の時代に石製に変わっていく
書と漢字が弥生時代の早い段階で中国から伝わったのであれば、陶器かその破片で出土する可能性のほうが高いわけだ(漢字と書が広まった可能性の高い飛鳥時代には陶硯が出土し始める)
そもそも同時代の文字資料がまったく出土してないことから、ローカルな仮説の域を出ていない

 

66: 2020/04/25(土) 17:59:45.40 ID:5dps99fe0
>>61
守旧派の牙城たる纒向学研究センターが紀要に掲載したというだけで画期的
君も早いうちに転向したほうが良いと思うよ
遅れれば遅れるほど恥を晒し出世にも影響する

 

44: 2020/04/25(土) 17:28:16.70 ID:p7OXlfnQ0
五経博士の名誉が・・・

 

45: 2020/04/25(土) 17:36:21.97 ID:Em53ijjs0
摺石じゃねえの?
墨も見つかってないし、同時期の文字物証もないだろ

 

48: 2020/04/25(土) 17:43:54.84 ID:6sWD0H+B0

>>45
銅鏡に文字が刻まれてる

鉄剣などにも

 

53: 2020/04/25(土) 17:49:40.44 ID:8xspX5ne0
>>48
日本の巨石にも刻まれている
日本は世界最古の文明があったと言うこともわかってきてるしな

 

56: 2020/04/25(土) 17:52:12.41 ID:6sWD0H+B0
>>53
ないない
銅鐸に文字入ってないだろ
弥生土器にも縄文土器にも、古墳の石室内の壁画などにも文字は入ってない

 

49: 2020/04/25(土) 17:45:41.08 ID:6sWD0H+B0

銅鏡や鉄剣に刻まれた文字までは消すことができなかったんだよ

ワカタケル鉄剣は確実に倭製、倭人の文
5世紀には文字文化がちゃんとあったわけだ

 

50: 2020/04/25(土) 17:46:36.30 ID:j8SCBj9v0

大陸と外交してた国が文字使わないってことは無い訳で。
当時でも、既に何千年もの文字使用の歴史が有ったんだから。

あれ? 福岡中心に出土??
邪馬台畿内説の人、息してるぅ?w

 

52: 2020/04/25(土) 17:48:38.36 ID:6sWD0H+B0
>>50
卑弥呼と魏も文書でやり取りしてるからな
当たり前だよな

 

150: 2020/04/26(日) 20:36:01.22 ID:6RoTzmtO0

>>50
北部九州を中心とした当時の墳墓からは、いわゆる三種の神器と言われる剣・鏡・玉がセットで多く出土しており、それを継承する形で、近畿地方では、銅鐸文化が滅んだ後古墳時代が始まっています。

そして現在の皇室も三種の神器を引き継いでるわけです。この事は、自然に考えれば、300年迄九州勢力の一部が東征して、銅鐸文化を滅ぼし、古墳時代を始めたと考えられ、私もそうに違いないと思います。いやそうとしか考えられないのです。

古事記や日本書紀に記されている神武天皇の東征は、この時の事がモデルになったのでしょう。

 

51: 2020/04/25(土) 17:47:46.18 ID:XndZHJ8Z0

弥生時代に文字があったかといえば、そりゃ普通に考えればあったよね。

だって弥生時代とは何かといえば親韓左派の両班のウリが言うとる通り、
偉大なる大韓からやってきた渡来弥生人(ネトウヨの先祖)が
日本列島先住民族たる縄文人を駆逐した時代なわけでね。
弥生時代の開始や終局については諸説あるが、
紀元前500年ごろには釈迦牟尼も孔子も孫子もいて
それぞれ膨大なテキストがあるわけでねw そりゃあるでしょ、文字。

え? 釈迦牟尼は弥生時代にインドネパールにいたかもしらんが
仏典はまだ漢訳もされてないだろって?
うるせーよ、仏教の法(ダルマ)は
どこにでも遍在しているんだよwww

 

55: 2020/04/25(土) 17:50:24.87 ID:e2XfuekN0
弥生時代から漢字が使われていたとなると既に大きな政権があったことになるな

 

57: 2020/04/25(土) 17:52:32.44 ID:3gc+gNyl0
ゴッドハンド氏がけわしい表情で↓

 

58: 2020/04/25(土) 17:53:33.56 ID:69k898Y00
石製じゃない硯を見たことがないんだけど。

 

62: 2020/04/25(土) 17:56:53.00 ID:uKB3a+qj0

>>58

最近プラスチック製らしーぞ

 

63: 2020/04/25(土) 17:58:30.29 ID:/kj5d1Zt0
>>58
高い硯は石だけど 我々の使う安いのは瓦だよ
妹に「段を取ったら硯を買ってやる」と言ったら、、、数千円したonz、、石製なのは小さくても高いんやで

 

59: 2020/04/25(土) 17:53:42.33 ID:/kj5d1Zt0
金印を貰った時点で文字があったはずだろ
読み書き出来ない土人に文明の利器たる金印を渡さないよ
読み書きだけでなく 文化的な振る舞いが出来無いと一人前に付き合って貰えないし

 

60: 2020/04/25(土) 17:54:36.46 ID:6sWD0H+B0
>>59
外人が変な漢字のタトゥー入れてたりするだろ

 

68: 2020/04/25(土) 18:05:01.92 ID:FBa7J0bQ0
>>59
金印などの冊封された際に与えられる印は紙や木(竹)簡に押すものではなく、
文書や荷物を縛った縄の上に貼った粘土に押して、封印として使うものなんだよ
これを封泥と呼ぶわけだ
もしこれが破られたり、壊れたら、その国からの正式な書や荷物として認められなかった場合もあったわけだ
あと、当時は言葉さえ通じればよく、とくに書のやりとりは必要なかったわけだ
中国から見れば、夷人など攻撃してこずに毎年朝貢さえしてくればそれでよいだけの存在なわけだから

 

99: 2020/04/25(土) 22:15:20.52 ID:IiGR95k60
>>68
朝貢を通した国際秩序の中で他国より有利な位置を得ようと、
当然、文字を使おうとする。

 

122: 2020/04/25(土) 23:05:14.58 ID:FBa7J0bQ0
>>99
弥生時代にそんな国際競争意識が生じえたのかはかなりの疑問だが、いずれにしても、
漢字であると確実に判断できる国産資料は古墳時代中後期になるまでは一切出てこないので、
有利な地位を得ようとしたという根拠もないわけだ

 

65: 2020/04/25(土) 17:59:38.50 ID:9H7Vxq0q0
中国人漢字使ってるんだからそりゃ弥生人も九州の人は使ってたさ
大和が遅れてたから日本史の教科書に嘘を書くはめになったわけで

 

67: 2020/04/25(土) 18:02:08.18 ID:MjUaxsut0
やはり邪馬台国は九州だな
それが東征したか、機内勢力に滅ぼされたか

 

70: 2020/04/25(土) 18:09:36.92 ID:7Pd0K60F0
しかし弥生時代の木簡が出土しないのはなぜだ
本当に焚書があったのかな

 

73: 2020/04/25(土) 18:16:41.33 ID:6sWD0H+B0
3世紀まで「中国王朝との交流用のみに、渡来人の力を借りて文書作成」
4世紀「中国王朝との交流なし」
5世紀「倭の五王の朝鮮半島支配、中国王朝との交流再開、国内でのエリート層同士のやり取りに文字を使用」
6~7世紀「仏教伝来とともにさらに文字が普及」
8世紀「正史編纂のため過去の文字記録を消去」

 

74: 2020/04/25(土) 18:18:42.68 ID:6sWD0H+B0

>>73
記紀編纂にともない紙、木に記された文字は完全に消されたわけだけど

一部、鉄剣に記された文字とか、仏像の内部の隠し文字などが消されずに残ったわけだ

法隆寺仏像の文字とか興味深いぞ

 

78: 2020/04/25(土) 18:54:08.72 ID:z8zAT3Lc0
「うす(薄)」は、「薄っぺらい」という表現からもすぐに感じられるとおり、
「表面的/皮相的」であることだ。

 

92: 2020/04/25(土) 21:28:05.78 ID:lW0QBk9m0
>>81
>>88
倭国の交渉相手は当時の朝鮮半島の中で唯一そこだけ文明化していた中国の出先の飛び地の楽浪や帯方や熊津などの出張領域だけだから
それ以外の地域は半島の韓土人の荒廃の地でしたね

 

82: 2020/04/25(土) 19:24:15.71 ID:z8zAT3Lc0
「うつ(映/写/遷/移)す」は、「う(表面)」に「つ(着)く」ように「する」
ことを表現している。

 

84: 2020/04/25(土) 20:40:50.45 ID:z8zAT3Lc0

>「うつつ(現)」は、「『う(表面/地表)』に継続的に着いている」
>という意味で「現世」を表すことになり、「地について
>いる」ことで「天(あま)」と対比される。

中国語を流用した日本語のこのような表現の仕方は、日本語に
拘らずに外国語を参照するとすぐに分かる。例えば、英語で
“down-to-earth"と言えば、「現実的である」ことを意味する。
これは表現として、「う(地表)つつ(継続的についている)」に
ほとんどそのまま対応している。

 

89: 2020/04/25(土) 21:14:15.14 ID:zVYLUhkO0
やっぱニカワで固めた墨を使わないと木簡の文字が消えるから太古から使われてたのかな

 

112: 2020/04/25(土) 22:50:24.14 ID:7k6UHH2p0
硯があっても紙がないとだな

 

119: 2020/04/25(土) 23:02:22.29 ID:fnf0BBcf0
>>112
木簡や竹簡を削る削刀や文字を書くのに使った机も硯と同時に出土してるからな。

 

115: 2020/04/25(土) 22:56:01.00 ID:K1C/nK0l0
これで硯と
刃物でも研いだんだろw

 

116: 2020/04/25(土) 22:56:31.05 ID:JVGKMVeD0

刺青の塗料用

三国志魏志倭人の項の記述通り

 

121: 2020/04/25(土) 23:04:33.90 ID:5X+vsTv30
徐福が持ってきたんじゃねーの
130: 2020/04/25(土) 23:20:11.81 ID:hw5c2NyG0

邪馬台国は九州で間違いない
近畿圏の大和政権とは別

当時の日本は比較的温暖な九州の方が食料も文化も発展し易いと見るのが正しい
中国大陸とも近いし

卑弥呼は九州のどこかの国の長
近畿圏の大和とは別

 

133: 2020/04/26(日) 01:39:09.65 ID:wqeUcAaw0
考古学なんて信じないわ

 

137: 2020/04/26(日) 04:26:30.56 ID:FzYSYTld0

>>133
小学生が「首相なんかたいしたことはないわ。俺でもできる」と言ってるのと同じくらい
恥ずかしい発言であることに気づけるのはいつの日のことだろうな
まあ、学力の低い子は好き嫌いだけで思考停止して、実体や現実を見ようとしなくなるからな

>>135
根拠のない陰謀論も思考停止の一種だな
硯らしいものは出るのに文字資料や、記録する資料(木簡、竹簡、墨書土器など)が破片すらまったく出ないというのはありえんよ
そもそも中国にあったような木簡、竹簡(細い板を糸でつないで紙のように文書として使えるようにしたもの)が弥生時代~古墳時代の
日本列島にあったという証拠すらまったくないのに、文書を持たない権力者が何のために焚書したのかw
これが飛鳥時代になって国の形が定まって官僚制度が出来て、必要に応じて漢字が一般化して、地方でも書物が作成されるように
なった時代なら、そういう焚書もありえるかもしれんが

 

140: 2020/04/26(日) 08:44:39.84 ID:rBcasb/80
>>137
木とか竹は土のphの具合によっちゃ溶けたり腐ったりしてしまうからなぁ…
中南米文明の考古学がこの辺の原因で色々難航してる

 

143: 2020/04/26(日) 11:13:37.05 ID:wURFZY5H0
>>137
硯らしいものは出るのに文字資料や、記録する資料(木簡、竹簡、墨書土器など)が破片すらまったく出ないのはヤマト王権の成立時に大規模な焚書が行われた為だな
続日本記に記述がある
708(和銅元年)「山沢に亡命して禁書を挾蔵し,百日まで首せずんば,罪に復すること初の如くす」
記紀の編纂にあたってヤマト王権の正当を脅かし邪魔になるそれまでの資料を全て燃やしたんだな。

 

142: 2020/04/26(日) 09:46:00.23 ID:c0uXGYy90
>>133
何十年も捏造を誰も見抜けなかった藤村新一大先生の偉業ですね。

 

139: 2020/04/26(日) 07:11:36.02 ID:IoPrMvFj0
最古の戸籍は豊前だしね

 

145: 2020/04/26(日) 11:42:42.22 ID:L5n6wnmk0
全く出ないのはそもそも文字を持たなかったからだな
焚書ごときで全部無くなるなんて無い

 

147: 2020/04/26(日) 18:14:58.74 ID:wtydUuxS0
>>145
文字はないけど硯は作る!

 

146: 2020/04/26(日) 17:23:22.75 ID:wURFZY5H0
文字を使える人がまだ少なかった頃の記録だからそもそも僅かしかなかったんだ
焚書されたら何も残らないな。

 

148: 2020/04/26(日) 18:16:10.24 ID:0E6kIzBo0
品物の目録だな

 

149: 2020/04/26(日) 19:35:34.53 ID:wtydUuxS0
硯を作って輸出していた可能性があるな

 

151: 2020/04/26(日) 21:17:01.18 ID:g7pW9Ljs0
どうせゴッドハンドなんでしょ

 

152: 2020/04/26(日) 22:06:44.94 ID:Ur5v47oQ0
字の種類はなんやろうね
漢字でいいんだろうか

 

153: 2020/04/27(月) 01:26:07.51 ID:PJWe07OM0
北九州は縄文海人や弥生海人が多国語ペラペラで大陸では文字で簡易契約やってたんじゃね

 

157: 2020/04/27(月) 03:09:36.97 ID:PFFnq1KK0
交易があったのに硯が無いなんてありえないしな

 

158: 2020/04/27(月) 03:15:37.42 ID:QjvDvpsf0
華南地方の文字文化地域から渡来したんだから、文字を使えて当たり前だ
半島から来たと主張している朝鮮猿と一緒にするなよ

 

159: 2020/04/27(月) 03:20:11.92 ID:PFFnq1KK0
殷の鬼道の影響も受けてるから占いの結果を書き残さない理由も無い
商人(殷人)が商人である理由も文字だろうな

 

160: 2020/04/27(月) 03:23:26.14 ID:QjvDvpsf0
と、尊大に構えていたら、文身の染料を擂り潰す皿だったりしてな
その場合は一気に土人国まで格下げだな

 

161: 2020/04/27(月) 03:26:53.35 ID:PFFnq1KK0
むしろ入れ墨が文字だった可能性がある
字が書かれた物があまり残ってない理由の1つだ

 

162: 2020/04/27(月) 03:37:26.79 ID:4hccE/9w0
邪馬台国と狗奴国が戦争して邪馬台国が不利な戦況になった時に魏国から檄文が
卑弥呼に送られているから、卑弥呼は当然漢字が読めたと言う事になる。
弥生時代の北部九州は思った以上に文明が開けていたと言う事だ。

 

163: 2020/04/27(月) 03:41:01.79 ID:PFFnq1KK0
大陸が三国時代やってる時に日本列島でも群雄割拠の戦国時代やってるから
各地の勢力も強かったんだろう
魏がわざわざおもてなしする程度には重要な勢力が多かった

 

166: 2020/04/27(月) 05:03:50.55 ID:bgYSTSVc0
>>163
魏は使者を日本に送り
倭国の状況を調べさせ
邪馬台国が倭国の覇者と言えるだけの位置づけであることも確認している
狗奴国はおそらく当時、畿内に対抗した有力な国だろう
三世紀ごろには、崇神天皇や垂仁天皇の御代だろう
この時代には当時、日本を二分したと思われる戦乱の記録がある
崇仁天皇の時代に武埴安彦の乱
垂仁天皇の時代には沙穂彦王の乱だ
狗奴国とはこれらの国の事を言うのかもしれない

 

165: 2020/04/27(月) 04:57:34.41 ID:bgYSTSVc0

遺跡の名称は旧磯城郡纒向村の地名に由来し
これは垂仁天皇の「纒向珠城宮」から名付けられたものだそうだ
遺跡は三世紀ごろのものと考えられ
周囲には三世紀ごろの最大の墳墓・箸墓古墳など
邪馬台国の女王卑弥呼の墓ともいわれている

三世紀ごろには、本州にあった銅鐸は突然に消え
代わって九州の神器であった銅剣が祭られるようになっている
神武天皇の東征あるいは崇神天皇の四道将軍の派遣にあたるような
九州の勢力が本州に広がる。何らかの政変があったのだろうな

 

167: 2020/04/27(月) 05:21:55.72 ID:bgYSTSVc0

天孫降臨の伝承には、まず出雲での国譲りの伝承がある
そして出雲では、それまでの銅剣のトータルを凌ぐ、大量の銅剣が発見され
出雲の地に巨大な王権が存在した事が確実と考えられている
つまるところ、国譲りで出雲の神が神武の王権を認めさせる必要があった
その何らかの事があったって事だろう
私は事によったら。畿内は出雲の支配下にあった事を、これらの事例が証明しているように思わる
畿内が支配者だった出雲に反旗を翻し、王権を取った
そうした歴史的な事実を正当化するために、出雲の神を畿内の王権を認める
それが必要だったので、国譲りの神話を作ったのだろうとな

天孫の伝承に関しては、沖縄に独自の天孫伝承が残され
物部氏の書いたとされる『先代旧事本紀』にも天孫の記録があるからな
もともと各地の豪族はそれぞれ独自の天孫の伝承が残され
畿内に屈服した時、天孫がいくつもあったら甚だマズイので大王にその伝承の放棄が迫られ
各地の豪族は大王の分家という事にして、天孫の地位を守る事にしたのだろう

出雲には大国主を天孫とする神話がもともと存在し
畿内も一時はそれを認めていた。
そうした歴史が記紀編纂の時代には知識階級にはよく知られており
隠しようが無かったから、国譲りの神話で畿内の王権の正当性を明かにする必要があったのだ

そんで話を硯や文字に戻すが
何故、何百年も前の事であったろうことが、記紀編纂の六世紀にはよく知られていたか
弥生時代にすでに歴史書のような記録があったと考えれば説明がつくってわけだ
失われてしまったが出雲王権の歴史書がかつては存在したのだろう

 

168: 2020/04/27(月) 07:52:14.24 ID:CiPZGWHV0
この人は畿内説だけど、卑弥呼前東遷説なんだよな

 

170: 2020/04/27(月) 13:36:57.58 ID:yqAG0qRM0
>>168
この人も九州から東征して畿内の銅鐸文化は滅ぼされたと思ってるはずだよ?九州からの平和てきな移転であって欲しいと思ってるだけだと思う

 

171: 2020/04/27(月) 13:46:55.03 ID:yqAG0qRM0
>>168
もし邪馬政権が九州からの平和的な移転だとしたら九州の伝統文化三種の神器だけじゃなくで関西の伝統文化の銅鐸文化も入って4種の神器になってたはず!なぜそれをやらなかったと言うのは九州のご先祖様が関西は九州人が侵略したんだよって子孫に対してのメッセージだと思う

 

 

引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1587791074/

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