立志伝のようなゲームじゃなくリアルに戦国時代で最強の戦法を挙げてみよう

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1: 2007/10/30(火) 04:16:58 ID:/ecqWKBM
○傷力でいえば,足軽が合戦の序盤に一斉に投げる石なんだが…
戦法では、謙信がよく好んだ「車がかり」じゃね?

22: 2007/11/01(木) 09:10:03 ID:CIa4DMWP

>>1
>謙信がよく好んだ「車がかり」じゃね?

よく好んだって書いてるけどその実例を第四次川中島の戦い以外で教えてくれ

 

2: 2007/10/30(火) 04:20:05 ID:AS6wccDm
島津の釣り野伏せとか。

 

3: 2007/10/30(火) 04:41:40 ID:haAu0Z/E

てか、どう考えても

鉄砲の三段撃ち体勢で敵を威嚇
双方、睨みあった状態で一斉に大砲ぶっ放す

敵は近づきたいが鉄砲の三段撃ちが待っている。
しかたなしに退く。

これを繰り返して敵を城まで追い詰める
後は城を包囲して、ひたすら大砲ぶっ放す

これが最強じゃね?

 

6: 2007/10/30(火) 09:01:17 ID:WIiibt2F
長槍で撲○だけは勘弁。
戦法としては鳥取城の干○し。恐ろしく理にかなってる上に今の歴史を解ってない官僚たちが一番引っ掛かりそうだから

 

9: 2007/10/30(火) 13:21:40 ID:4wuDmJ9I
長篠に代表される野戦陣地戦法。
塹壕戦という形で二十世紀まで残っているし、
基礎こそ最良の戦法。

 

11: 2007/10/30(火) 21:13:57 ID:Lr8uxLAN
>>9
じゃあナチスドイツの電撃戦は先祖かえりなのか。

 

10: 2007/10/30(火) 13:25:26 ID:chN/SRts
車がかりは旧陸軍も多用したが今では世界の常識突撃戦法
でも最強は水攻めと言う名のウン子攻め
篭城する兵士が糞をすればするほど肥溜め化し自滅

 

14: 2007/10/31(水) 00:22:12 ID:C5iqWtOA

釣り野伏せって戦術の中では基本中の基本なんだよね
信玄なんかはこういうやり方をしている

睨み合ったまま双方動かない

偶然を装って自軍の馬を数頭放つ

馬は敵陣近くまで逃げて行く

それを味方の雑兵が捕まえに行く

それを見た敵の雑兵も、その馬を捕まえに行く

それを見て味方の雑兵が複数助けに行く

それに対し敵の雑兵もより多くの雑兵が助けに行く

これを何度か繰り返し、徐々に規模が大きくなる

頃合を見て味方が一斉に退却

敵が勢いづいて攻めて来たとこを釣り野伏せ状態に

 

21: 2007/10/31(水) 20:44:29 ID:ihBqj+mj
>>14
それじゃだめじゃんw

 

15: 2007/10/31(水) 00:25:54 ID:KsxR3O8g
その基本が難しいんだろ

 

20: 2007/10/31(水) 08:38:04 ID:dHCUKXAy
家康最強  戦略、、我慢・強運

 

23: 2007/11/01(木) 09:44:12 ID:9/ANRutj
長尾政景と宇佐美が水没すると景勝が覚えるんだよね

 

24: 2007/11/01(木) 10:39:24 ID:n+47nHh4
それより車がかりの陣は横に円を描くとゆとり妄想しはじめたのは誰なんだ?
あれは前列の討たれた身体を押して(盾にして)次列が突撃、それが討たれれば
タヒ体を踏み越えてその次がって言う突撃陣でしょ
よって回転は縦

 

25: 2007/11/01(木) 16:35:04 ID:je/lM1wB
横回転て、そんな複雑な組織運動は不可能だよな。

 

26: 2007/11/02(金) 15:52:29 ID:AxjLW3q/
方円陣で移動中に霧が晴れると目の前に敵がいたもんだから
うろたえまくりながら攻撃態勢整えた椰子からとにかく突撃じゃーってやったのが車がかりのもとって聞いたけど

 

27: 2007/11/02(金) 16:28:57 ID:2T7R9CuM
戦国時代の陣形戦法は1970年前後の学生運動鎮圧の際に
大いに役立ったと、警察庁官僚OBの佐々淳行らが言っていた

 

28: 2007/11/02(金) 17:00:06 ID:m5OT6ZVs

最近の研究で明らかになってきているのは
鶴翼の陣での騎鉄砲による"突撃総射"によるものであると、学者の間で定説になりつつある。
ほら貝の音とともに両翼から騎鉄隊が、一斉に敵の両脇に迂回するように回り込み
一気に敵本陣へ向けて突撃し、一斉射撃するというものである。
これによって、敵本陣の周りの部隊は総崩れとなり配送するしかないと言われている。

大坂の陣の真田隊か良い例である。

 

29: 2007/11/02(金) 17:20:13 ID:1eSYXsWB

佐々成政の末裔か? 彼なら詳しい陣形資料持ってるかもしれんね

横方向に兵を回転させるのは一般的に双胴の陣とか蛇の陣と呼ばれてる物じゃないかと思われる
でもこれは防御陣形らしいので突撃陣の車がかりと見間違う事はない気も駿河

 

31: 2007/11/03(土) 01:12:36 ID:8k6+WaVV

本陣が移動しないで、兵を横機動させるのはできるだろう。
移動は横の一軸のみだから。
本陣が移動しつつそれにあわせて、横にあわせて縦の機動も同時に完璧にしなければならない訳で。

>>29の言うとおり防御用としてなら納得できる、攻撃用・突撃用としてはちょっと・・・

 

30: 2007/11/02(金) 20:00:48 ID:YCtISshi
せまい日本で陣形なんて鶴翼か魚鱗くらいしかできんよ

 

32: 2007/11/03(土) 11:53:12 ID:g7bS8hfF
本屋行って陣形の資料探したけど本当に無いな
なんでも陸軍中野学校の本によると徳川幕府時代に孫子や孔明の陣形改良資料は幕府打倒勢力に知られないように見つけ次第強制処分したらしい
なんだかなぁ

 

33: 2007/11/07(水) 22:37:30 ID:hw86RoR6

三好三人衆によるジェットストリームアタックでしょう。

 

 

34: 2007/11/08(木) 01:13:44 ID:EuSQe+dA
そして、松永に踏み台にされるんですか?

 

36: 2008/02/06(水) 03:14:52 ID:LUuCGGy/
○傷能力強いのは石垣の上から落とす丸太
あと大筒水平発射して、バウンド成功した鉄弾

 

39: 2008/02/06(水) 04:52:18 ID:8y9W2+zn
煮えたぎったおかゆならぬおでんをかける

 

40: 2008/02/06(水) 11:19:32 ID:RJ82Hnyu
釣り野伏せ。蛇の陣。双胴の陣とかは呼び名が違うだけで動きは同じ
起源は地中海ローマの戦術

 

41: 2008/02/06(水) 11:32:41 ID:cV4s3Tb9

キツツキの戦法が最強だろ。
要は読まれてなけりゃいいんだ。

で、言われてる横回転の車係ってのは、円月状態で回転しながら突っ込む感じなの?
前線が釣りながら斜め後ろに流れ、後陣が出るスペースを空ける
→次も同様
→本陣同士がぶつかる
みたいな。

別に回転までしなくても、前線ぶつかった後左右どっちか決めて広がっていきゃ
少数側が敵の本陣目指すには好都合…かな?

守備側は反対側の兵を前線へ回すか後方から回すか迫られる訳だし
判断は後手に回るしね。

 

50: 2008/07/22(火) 09:34:54 ID:dibFMIHO
>>41
兵法でいう所のキツツキ戦法とは本来別物なのだが…
川中島での信玄のキツツキ戦法は単なる講談
あれとは別にちゃんとある

 

42: 2008/02/06(水) 13:37:19 ID:rAGWH9KE
経済関係ないなら鉄砲、大砲100万丁も用意して弾幕張れば戦術など無用だお( ^ω^)

 

45: 2008/02/06(水) 15:31:47 ID:cV4s3Tb9
>>42
それこそ戦術が必要。
相手を撃つ前に味方撃っちまうな。

 

44: 2008/02/06(水) 14:23:07 ID:MiM9iOSM
だったら中華人海戦術が最強だな

 

46: 2008/02/06(水) 16:13:14 ID:I7PtE8Wb
勝った!勝ったぞ!と叫びながら手当たり次第斬りまくり。
これ最強

 

48: 2008/03/19(水) 03:15:08 ID:cYbxvWD/
相手より多い戦力動員する戦法がお勧め

 

49: 2008/07/22(火) 07:51:19 ID:Itl1le1K
質は量に駆逐される

 

51: 2008/07/22(火) 10:36:04 ID:8kRLkvxQ
本隊と別働隊による挟撃 山県とかの機動部隊による迂回強襲
伏兵 最後は勝つように出来てる武田の軍法

 

52: 2008/07/22(火) 12:43:27 ID:YZOhgr5d

軍略、戦略、兵法、戦法、戦術

すべて似てるようで全くの別物。

 

53: 2008/07/22(火) 12:46:26 ID:Q/3jwEBY
啄木鳥は別で言うとどう言う名称になるの?
中国やヨーロッパ調べても近い戦い方が出てこない

 

54: 2008/07/22(火) 15:09:05 ID:YZOhgr5d

>>53
本陣を囮にするなんて普通の戦条件じゃできない。

第四回川中島の戦いは天候悪く地形が特殊?だったからじゃないかな。

 

66: 2008/07/26(土) 14:46:05 ID:5QmBLNb7

>>53
一隊を分けて攻め掛かってる間に挟撃というのなら「ハンマーと金床」という言葉があります。
ナポレオンななんかがよくやったようです。

ただ、伝承に伝わる啄木鳥は、攻め掛かれば“相手は退くので”その退路を別の一隊で潰す。
というよく分からない戦法なので、それは前例に無いだろうかと思います。
ニ隊に分けたのは本当かもだけど、退路云々のくだりは誤伝じゃないかなぁと思う。

 

55: 2008/07/22(火) 18:16:02 ID:Itl1le1K
単なる挟撃を狙った戦術機動にわざわざ大層な名前なんかつけないから

 

59: 2008/07/22(火) 19:00:04 ID:Q/3jwEBY
>>55
つ[啄木鳥の戦法]なんて大袈裟な名前付けた江戸時代の人もいるのです
織田徳川島津や関ヶ原なんて古代ヨーロッパで使われた陣形だから理解しやすいけど
武田は三方ヶ原以外はさっぱりわからん
左右に兵を分けていたら全て鶴翼の陣と名付ける江戸の人も困った物だが

 

56: 2008/07/22(火) 18:40:00 ID:H+KiATCQ
ステルス爆撃機作戦がおすすめ

 

58: 2008/07/22(火) 18:53:01 ID:Itl1le1K
>>56
ステルスにする意味あんの?

 

63: 2008/07/22(火) 20:42:51 ID:NvWsi70g

>>58

冷静なつっこみ

 

60: 2008/07/22(火) 19:45:07 ID:dibFMIHO
そもそもキツツキにあんな習性ないしな

 

62: 2008/07/22(火) 19:57:47 ID:sV9Nu3h7
58サンへ!凄く意味ありますぅ。

 

64: 2008/07/24(木) 20:31:51 ID:Wvz1hIr4
目暗相手に光学迷彩並に無駄な技術だな

 

65: 2008/07/25(金) 13:42:33 ID:5MGNwnHj
鎧を漆黒カラーにしただけで昔はステルスと呼ばれてたんだよ

 

70: 2009/01/13(火) 23:57:59 ID:TBs5YoDi
鎚と金床戦法か。アレクサンドロス大王だな。敵の正面攻撃を長大な槍を持った
独特のファランクスで受け止めて、騎兵を側背に回す・・・・
しかしアレクサンドロス大王ってのは戦術もとことん優秀な上に、東方に遠征するだけの
兵站線の構築だとか、戦略面でもズバ抜けている。17世紀ぐらいまでのヨーロッパだったら、
そのまんま通用する気がする。

 

71: 2009/01/14(水) 22:13:55 ID:Zmy9fuy1

日テレの『東大落城』が凄く面白かったんだが、
講堂に篭った人らはどうやってたら勝てたんだろうかw

とりあえず車の横付けをさせないような工夫はしなければいけなかったなと思った。
それこそ壕を掘るとかして。

 

72: 2009/01/15(木) 06:26:19 ID:Xy4p3coH
車懸かりの陣が最強だろ
どうみても

 

73: 2009/01/17(土) 16:06:37 ID:y+wfsgvN

日本では大陸の陣形が使えない、と武田信玄も山本勘助も言っている。
大陸基準でみれば、日本の戦法はほとんど機動部隊による戦闘。

 

 

74: 2009/01/17(土) 18:05:19 ID:b2xGHJJZ
鋒矢の陣

 

78: 2009/01/18(日) 21:50:23 ID:nlbMQn/d
>>74
日本の戦闘が劣っているといいたかったわけじゃなく、
中華式、或いは欧州式の陣形や戦闘教義は日本の戦闘形式には合わないということを言いたかった。
複雑な地形と封建体制で発達した日本の戦闘は、在地領主率いる結束の固い小部隊が機動戦術でぶつかり合う。
これが日本式戦闘だな。当たらずと言えども遠からず。
明軍と日本軍の戦闘は戦闘思想対決ともいうべき様相を呈していてなかなか面白い。

 

79: 2009/01/18(日) 23:00:56 ID:nFxccJYt
>>78
孫子に具体的な陣形は出てこないし六韜も散集を自在にしろってぐらいで
具体的な陣形は言ってない。

 

75: 2009/01/18(日) 19:12:44 ID:ahHU+5yQ
でもその大陸の軍隊は秀吉の軍隊に負けっぱなしだったよな
中国人の書いた本にあったが先頭の武士が扇一つ動かすだけで自在に陣形が変化して訳がわからぬまま屠られていったそうだ

 

76: 2009/01/18(日) 19:30:30 ID:FcSZqs0n
そもそも信玄も勘助も大陸の兵法などたいして知らんだろw
そしてまた明軍は自分たちのふがいなさを日本人が戦闘民族だと
主張してすり替えてるだけという不思議。

 

78: 2009/01/18(日) 21:50:23 ID:nlbMQn/d

>>76
もちろん両者とも大陸の戦法を直接は知らないんだが、一応孫子や六韜は信玄や勘助は当時の必須の兵書として知っている。
でも、その通りには行かないぜ!と甲陽軍鑑に書いてある。

そりゃそうだ。隣の村に行くのに山を越えるような日本で戦をしようと思えば、
鶴翼だの井雁行だの、滅多にキレイに陣形作れないと思う。
もっと柔軟性と機動性に富んだ小部隊を地形に応じて配置した方が意味がある。

 

79: 2009/01/18(日) 23:00:56 ID:nFxccJYt
>>78
孫子に具体的な陣形は出てこないし六韜も散集を自在にしろってぐらいで
具体的な陣形は言ってない。

 

82: 2009/01/21(水) 14:36:35 ID:J6YiaE7b
>>76
大阪城のトーチカはオランダの影響でそ?

 

77: 2009/01/18(日) 20:07:38 ID:ud2mc3nw

車懸かりの陣なんて言葉ばかり先行して、実際の運用は現実的じゃないだろ。

そもそも戦国時代の組織的な戦術の運用は信長、秀吉、家康がやっと形を創った程度のもの。
それ以前は地域土豪たちの統率力と熟練度の高さ、主君個人のカリスマに頼るところが大きい。

 

80: 2009/01/18(日) 23:28:11 ID:nlbMQn/d


信玄
「唐より日本へわたりたる軍書を見聞きたるばかりにては、人数をくばり、備えを立て、
陣取りをとりしき、境目の城が前などの、よき軍法を定むること、成し難くおぼえたり(甲陽軍鑑品廿五)

勘助
「唐の軍法、一に魚燐、二に鶴翼、三に長蛇、四にエン月、五にホウ矢、六に方円、七に衡ヤク、
八に井雁行、是よきと申しても、日本にては合点仕らず候(甲陽軍鑑品大廿七)」

↑は『孫子(浅野祐一氏)』からの抜粋だけどね。

 

84: 2009/01/21(水) 21:30:41 ID:e3Ul1HVk

想像だけど、同じ名称の陣形が日本にあっても、運用は大陸とはかなり違う気がする。
そもそも日本には、戦闘教義と呼べるものがなかったし。
日本の部隊の武装を見ても、かなり小規模の部隊でも一通りは完結した武装を備えたりしているから、
全軍での集団運動はほとんどなかったと思う。
というか、日本国内で戦闘するかぎり、全軍が運動する前に地形や敵の攻撃で
細かく分断されてしまう気がする。

 

 

85: 2009/01/21(水) 23:06:14 ID:bWdTiA+e
毒矢これ最強の武器
毒矢の一斉射これ最強の戦法

 

89: 2009/01/22(木) 04:28:23 ID:Gj71Z4pW
鶴翼、魚鱗、など長所短所が分かりやすく、図解入りの書籍とかないですか?

 

91: 2009/01/22(木) 07:08:14 ID:ly4SBFkb
>>89
図説 日本戦陣作法事典

 

90: 2009/01/22(木) 07:06:33 ID:ly4SBFkb
賤ヶ岳の戦いでの山岳機動戦が、日本の戦闘の典型例だと思う。

 

93: 2009/01/22(木) 13:53:42 ID:2o1RzBOK
>>90
同意かな。
日本の合戦はだいたい山城をめぐる攻防がほとんどだし、また山を越えつつ攻撃するには機動力は不可欠かなと。

 

94: 2009/01/22(木) 16:09:17 ID:Q+tyZ0cv
>>93
攻城戦を除いても
関東の両上杉の合戦、姉川、三方原、長篠、関ヶ原等々
大軍を展開できる平地平原でどんぱち多いじゃまいか

 

92: 2009/01/22(木) 09:25:36 ID:Taj5ejTN
風上で硫黄を燃やす、これウ○コより強力

 

96: 2009/01/22(木) 19:13:59 ID:nUjfyXFQ
釣り野伏せ最強なり~!

 

97: 2009/01/23(金) 13:41:33 ID:K2tpCXCv
>>96さんへ。
捨てがまりもね!!

 

99: 2009/03/06(金) 17:08:18 ID:f/r1ME00
大友宗麟のフランキ砲国崩しだろ。

 

100: 2009/03/06(金) 20:38:30 ID:gWnrJBrp
ムシロをおっ立てて
農具で襲ってくる
トッコー本願寺の戦法が
コワイと思う。

 

102: 2009/03/06(金) 22:32:58 ID:jEMFzug3
戦法なんて地形や兵力差、天候で大きく変わるのに最強なんて決められん

 

103: 2009/03/07(土) 00:01:50 ID:kRtucTgt
>>102に何気に最強の基本を見た

 

104: 2009/03/07(土) 00:44:54 ID:pwzwtNo8
亀甲船

 

107: 2009/03/07(土) 12:47:19 ID:MESAim5O
>>104
亀甲船は島津義弘軍にフルボッコにされて
李舜臣○されてるから最強では無い。

 

105: 2009/03/07(土) 02:45:26 ID:Xs3iDzXX
松坂並みの剛肩の持ち主がいっぱいいた戦国時代の
小石投げは一発必○だよ

 

109: 2009/03/09(月) 09:52:18 ID:akMRlzt1

通説の車懸かりって有り得ないんだよなぁ。

それが備単位でも軍団単位でも。

何故なら足軽フルマラソン状態になるから。
しかもかき集めた農民にそんな機能的な動きが出来るとも思えないし。

 

110: 2009/03/09(月) 10:37:16 ID:VH1jw2A4
車は縦に回るものよ

 

112: 2009/03/10(火) 12:59:18 ID:8BNAYloN
人間無骨 VS 日本号

 

113: 2009/03/10(火) 13:06:27 ID:mGHsXUC2
鬼武蔵vs母里友信

 

114: 2009/03/10(火) 13:32:23 ID:lcO+uCed
福島正則に可児才蔵というアイテムを持たせれば最強

 

116: 2009/03/11(水) 15:27:30 ID:gX11oUdH
鶴翼の陣。

 

125: 2009/04/11(土) 22:13:14 ID:PW2EFHO7

槍同士による戦いを有利にする工夫はあったんだろうか
それとも、部隊の動かし方や配分、訓練、武将の勇猛さ、
これくらいしかなかったのだろうか

例えば槍を使うなら上から叩くのがいいとよく言うけど、
敵が槍を振り上げるのを見てから素早く後退し、
槍のふすまが倒れたところでふすまを足で踏みつけて無力化し、
一方的に槍を突き入れる
そんなようなやりとりなどはあったのだろうか

 

126: 2009/04/13(月) 11:57:07 ID:MOWq0G/L
>>125
ここで槍を高く評価している人は戦国時代前期の戦いを踏まえて
論じていて、戦国時代通期のものではないと思いますよ。
槍ふすまの槍は長ければ長いほどよく、その使い方は主力である武士が
攻撃に出るまでの前衛部隊。白兵戦になると自らを守れなくなる鉄砲弓
を防御するため、ただふすまを作るだけではなく一斉に振り下ろして牽制
する。主力である武士団が攻撃に出たらじゃまだから脇にどく。
その手柄も格付けが低いことから、突撃には関与していないと考えられる。
だから戦国時代後期には後衛に転化し人数も減る。
槍隊には2種類あるわけです。上に述べたように横長に分布し前衛となる部隊
と、個々に散会して手柄を競い合う部隊。下は一番槍とかで功名をあげられるが、
上はほとんど手柄に関与しない。

 

127: 2009/04/14(火) 18:56:48 ID:1zJTqioL

>>126
なるほど、そうすると断言するまではいかないけれども、
槍同士の駆け引きに工夫の余地はほぼなかったと思ってもよいと

槍衾が威嚇や牽制、防御の色が濃いものであることと、
槍部隊に個々で戦うものと壁役のものがあるのは初耳
ためになりますた、ありがとう

 

129: 2009/06/25(木) 20:12:22 ID:xWFII3sd
戦法も何も、大名武将一人で合戦するわけとちゃうからね。
統率力が優れていればいるほど、あらゆる状況に対処できるわけや。
よって信玄の戦術が全て最強という事で、このスレ終了。

 

133: 2009/06/26(金) 22:27:38 ID:8qEdxaps
金と雑兵の大軍に決まっておろう

 

134: 2009/06/27(土) 12:01:32 ID:l0BJjbRX
乱取り最強

 

135: 2009/06/29(月) 04:17:37 ID:4rgfzvVL
頭の悪い人間は知識皆無で視野も狭いから、中部地域に対して無知なんは仕方
あらへんけどなあ。
駿河一国をめぐって、あらゆる大国による外交戦などが展開され、それを勝ち抜いた
のを戦功では無いとすればどういうのを戦功と言うのか?

 

140: 2009/12/09(水) 23:58:53 ID:wQax6Wet
楠木正成のウ○コ投げ最強

 

157: 2010/03/22(月) 13:53:26 ID:BUTWNdtw

鄭若曾「等潅図編」 日本人の戦法は支那人から胡蝶陣と呼ばれていたようだ

その兵を用うるや善く埋伏し、しばしば巡って我が軍の後ろに出で両面を討ち、
常に寡を以って衆に勝ち、塁を劫かし、華人たやすくその術中に堕つ。
その未だ戦わざるや、団結分散、三々五々にして、一人扇を揮うや伏兵四方に起る。
これを胡蝶陣という。

 

159: 2010/04/12(月) 10:17:04 ID:16ni49wo

「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ち振るい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。

日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。

 

165: 2010/05/22(土) 20:25:16 ID:8fIWkUaG

>>159
>左右にはげしく打ち振るい

ということは、示現流みたいに上から振り下ろすのではなく、
柳生新陰流のように廻し打ちをしていたということか?

 

166: 2010/05/22(土) 20:36:32 ID:kpU5lZ/z
>>165
介者剣術の時代に正面打ちはまれだよ。示現流もトンボの構えからの
ケサ斬りが基本。ついでにいうと示現流がお留流になるのは関が原より後ね。

 

168: 2010/05/27(木) 00:30:34 ID:0jZFEkZf
武器は文句なく鉄砲で、戦法は破壊力からいって車掛りだろうな

 

169: 2010/05/27(木) 04:51:50 ID:Zk3EdG/o
突撃銃が発明される前の鉄砲は
まだまだ防御的な使い方する比率が高いからなぁ
まして一発撃つまで早くて二分かかる火縄銃だし

 

170: 2010/05/28(金) 17:13:28 ID:EzJYKx4s
胡蝶陣と長蛇の陣が倭寇や秀吉軍の得意戦法で
明軍は苦しめられたとなんとかという書物に書かれてた

 

176: 2011/06/20(月) 00:28:19.65 ID:cgdQMDFx
真田信繁とか磯野員昌とかがやったみたいにぐわっと固まって錐みたいに本陣突撃、
ってのが一番効果あったんだろうな
成功例は桶狭間ぐらいだろうけど

 

179: 2011/10/06(木) 03:56:15.56 ID:Olue5G75
車掛りは実態不明すぎる
乗り崩し戦法の応用バージョンじゃないかなぁ と思う

 

180: 2011/10/06(木) 07:57:30.23 ID:JvHu0lPc
>>179
戦国自衛隊(昔の小説)で昔に読んだ記憶によると
自衛隊の輸送用トラックで自動小銃を撃ちまくりながら
戦場を駆け回るものらしい

 

182: 2011/10/06(木) 16:51:51.57 ID:Olue5G75

>>180
車掛りの事三ヶ条
我の備えを立てきりきり廻りていくめぐりめに敵の旗本と我が旗本と打合すると積もりでか
かるを云うなり
車輪のめぐりて行くごとく、あたらずと言う備えなく敵方へかかり行くを車掛りと云う
味方大軍なるか地形さわり多き時は人数を廻すこと自由ならず故に車掛りをなすべからず

あたらずと言う備えがない・・・やっぱりぐるぐる回すのだよ  はぁわからん

 

185: 2011/10/12(水) 21:51:42.77 ID:t/6QB7qc
火縄銃が一番だが、銃によってクセがあり、発射しても右にそれたり、不発だったりとイマイチ命中率が低い。それに比べ礫(つぶて=拳大の石)を投げる印地打ち、
弓隊の存在もある。本来、武士(もののふと読む)の道は剣術ではなく、武士の姿は流鏑馬のように弓矢を使った”飛び道具”だ。それぞれ名人級の人選で印地隊、
弓隊が編成され、専ら敵方の将校級の狙撃専門に活躍した。これなら格闘技(小具足術と言う)は無く、多少年齢が入っていても足腰さえ丈夫なら出来た。印地打ちなら
合戦で片腕を無くした兵士でも出来るし、そういった兵士を集めて印地隊を作った例もある。鉄砲の伝来で敵方を○傷し、首を取るのが戦国の戦いと言うのは早合点で
敵方の領土の村々を襲い、食料の強奪、降伏した兵士・村々の百姓を人買い商人に売りさばくのが目的だった。少し話はそれたが、関ヶ原では国友鍛冶の造った大砲も
出番があった。でも、弾は和紙に包んだ小石・鉛の玉を発射するだけで爆発するわけでもなく、○傷力は弱い。発射時の轟音が相手方を脅かした。大坂冬の陣では徳川勢が
昼夜となく、大砲を放ち淀殿をはじめ、大阪方を心理的に悩ませた。一度まぐれに徳川勢の放った弾が淀殿の御殿に当たり柱が折れ侍女が1人タヒ亡したことがあり、恐怖に
包まれた淀殿が、徳川に講和をもちかけ、冬の陣は終了。総堀を埋められた大阪城は裸城となり、夏の陣で豊臣は滅亡する。

 

186: 2011/11/12(土) 12:52:15.69 ID:ePMJ9l1t
>>185
紙に包んだ小石が着弾時飛び散るんなら○傷力はかなり上がると思う。

 

189: 2011/11/23(水) 21:14:40.65 ID:rYAeomQW
補給線を徹底的に叩くってのが最強の戦法
最強の武器は経済封鎖じゃないかな

 

190: 2011/11/23(水) 21:43:44.97 ID:YCc7bOn/
それは戦法ではない

 

192: 2012/01/21(土) 13:23:04.61 ID:LUp6OYMk
武田の投石機には石のほか金を少量まぜてたらしいな
金で隊列を乱すのが目的

 

193: 2012/01/21(土) 17:17:01.42 ID:RaWtazSP
上杉軍、島津軍、真田軍などの精神状態をタヒ兵に持っていくやり方ってどうだったんだろうね?
個人の覚悟に委ねていたのか、それとも現代軍隊のように徹底的な訓練プログラムみたいなのがあったのか。
戦法ではないけど、士気がなければ戦法も威力発揮しないだろうし。
やはりこの時代はメンタル部分の担当は宗教だったのかな

 

194: 2012/02/05(日) 11:40:26.04 ID:T3fEvCIu
立花宗茂が肥後一揆の際に火車懸って戦術を使ったって話があるけど、
騎馬鉄砲で車懸かりを仕掛けるって感じの戦術なんだろうかね

 

195: 2012/02/11(土) 20:38:59.96 ID:v1qj2aPG

一揆相手にそんなことやるだろうか?

いつ頃の文献に載ってるの?

 

196: 2012/03/03(土) 18:36:19.38 ID:vJ9eYI50
>>195
肥後国人一揆は佐々成正が鎮圧できなかったレベルの相手だぜ?
本気で戦わないとだめに決まってる

 

197: 2012/03/03(土) 20:20:34.76 ID:QNCDJb/5
佐々は重臣がいっぱいタヒんだようだけど最終的に鎮圧したけどな
立花家最高の差し入れ食った直後無敵モードのスーパーマリオに変化した

 

199: 2012/06/17(日) 21:48:18.52 ID:U5TUJvdi
長篠の戦いにおける信長公の戦略と火縄銃の用法が凄過ぎ、さすが天下人
織田・徳川連合軍砲手による一斉射撃に小便ちびって逃げ出した武田将兵多数
1000丁の火縄銃の一斉射撃はさすがに恐怖だったろうな
敵前逃亡した将兵が多過ぎて戦線が崩れたのが武田の敗因らしいし
それでも9時間粘れて連合軍に大損害を与えた武田も相当なもんだけど

 

201: 2012/07/05(木) 10:28:33.49 ID:wH4CqKkr
武田の石打ち隊

 

203: 2013/04/28(日) 20:02:19.02 ID:TJXppDBa

車掛りはテバイの斜線陣と同じものだと思う
ギリシア重装歩兵は盾のない右側からの攻撃に弱かった
だから敵の右翼から血祭りに上げていく陣形が斜線陣
これと同じことを槍足軽でやった奴がいたんだろう

で、この戦術は敵の弱点を突くが味方の弱点は突かせない
先の重装歩兵の例だと右翼は最後まで敵と交戦しない
結果として左翼がぐるりと一周して敵を殲滅してしまう
日本でこれをやった人がいたら車輪を連想する光景だろうね

 

209: 2014/10/22(水) 05:03:46.76 ID:eTqrI2Ag
敵の城下町に放火するとかのテロみたいな攻撃ってどうよ

 

210: 2014/10/22(水) 06:37:05.84 ID:SaMJv+iI
正規の軍はテロというかゲリラ戦をあまりやらなかったよね

 

211: 2014/10/30(木) 17:49:23.68 ID:nsT6SGK8
制圧後に領民から憎まれ続ける様な戦法は得策じゃないだろ

 

212: 2014/10/31(金) 07:18:01.70 ID:P2ajT+bq
でも焼き働き(城下や村落への放火)や青田刈りは常套戦略であった訳だが

 

213: 2014/11/18(火) 20:52:44.44 ID:JjY880oB
領民から憎まれるのは守ってくれなかった側
その為に年貢を納めているんだからな

 

215: 2016/04/30(土) 15:31:07.37 ID:wtnmvGq3
水源を断てば山城なんて余裕だろ

 

 

引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193685418/

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