室町時代の日本刀、スイスに密輸 1353年製で9000万円の価値
刀は室町時代の1353年に作られたもので、65万ユーロ(約9000万円)の価値があるとされる。車内からは古文書1冊と契約書1通、請求書も見つかった。
車を運転していた男はドイツから入国する際、タインゲン(Thayngen)の国境検問所で刀などを申告しなかった。車はスイスナンバーで、娘が同乗していた。
関税当局の捜査の結果、男は雇い主から依頼を受けて独南部シュツットガルト(Stuttgart)で刀を預かっただけで、所有者ではないことが判明した。
州当局はスイスの文化財保護法に違反したとして、雇い主に6000スイス・フラン(約80万円)超の罰金を科した。
運転していた男は、付加価値税(VAT)として約5万4000スイス・フラン(約720万円)を徴収された。さらに、80万スイス・フラン(約1億700万円)以下の罰金を科される可能性がある。
大戦後にコレクターが大挙して持ち去ったからな
アメリカはつまらない軍刀とか大量に持ち去ったが、当時まださほど余裕の無かった筈のフランスから来てる
特に”直刀”なんて日本にはほとんど残ってないのにやたらフランスにあったりする
聖徳太子が差してる様なやつな
太刀だろうな
あの時代はまだ打刀は無かったし
取り返せないの?
奪われたも何も
廃棄されたろ
軍刀でも小遣いになるのに廃棄するかよ
https://intojapanwaraku.com/craft/73146/
折られてしまった国宝の太刀
GHQによる一連の接収騒動は、日本刀剣史上、最大の悲劇と呼ばれる。戦利品として進駐軍に持ち去られたのはまだよいほうで、1カ所に集めた上でガソリンをかけて焼き払われたり、海に投げ込まれて失われたり、切り刻まれてスクラップされたりと、二度と帰らぬ存在になってしまったものは枚挙に暇がない。
>>26
GHQが武器接収の目的で日本刀も接収対象にした
後に解除されるけどその間に数多の刀が失われた
日本人の魂を無くすためにやったんだよな。
魂を失えばアメリカニズムに染めやすいと。
いやちゃんと日本側の主張を聞いて刀の接収は撤回してる
しかし撤回するまでの間に多くの刀剣が失われた
トリビアの泉で12.7ミリ機銃で日本刀撃って折れてったのは悲しかったからな…
まさかそんなのでそんな感情になるとは思わなかった
重ねが分厚い戦国期以前の打刀なら結果はもっと違ってたろうね
同田貫とか8ミリ超えてたし
日本刀はロストとは言えない
外人には使いこなせないし手入れもできない
海外の日本刀マニアは甘く見てはいかん
価値を認めてるからこそ、職人が打ち方を学びにわざわざ来日して来たりする
これ綺麗すぎだろw
字が劣化すらしてない
この時代の書体でこんな綺麗なのあるんか?
日本最古の刀(太刀)古伯耆安綱の無銘
12世紀の平安後期に作られたとされ、この頃には返りがある刀が成立していた。
外装は黒漆山金作太刀拵であり、この時代で完全な形として残ってるのは極めて珍しい。
https://i.imgur.com/M7ZhSAT.jpg
https://i.imgur.com/DXVCxft.jpg
https://i.imgur.com/AJa6GSM.jpg
凄いピカピカじゃん!これは凄いね
くろうるしやまきんさくおおたちこしらえ
でいいのか?
くろうるしやまがねづくりたちこしらえ
同じ鉄がもう入手不可能らしいね
だから刀の製法そのものが変わってしまった
大太刀は馬上で馬の走る勢いに任せて相手に刃をぶつける
直撃した相手は真っ二つだったろう
鎌倉時代は弓も長大で大鎧すら貫く
白兵戦での矛の威力がインフレしていた時代
そもそも鎌倉期に採取できる鉄の質が変わってしまい、それに合わせて製法が複雑化したらしい
つまり製法が伝わってても再現できないかと
重美 and 重刀
相模國住人左衛 (門尉廣光)
文和二年
http://nihonto-museum.com/collection/exhibit/juyo-bijutsuhin-hiromitsu-tachi
やべぇ
美しい
最初から品質がよいヨーロッパの鉄で作った西洋剣のほうが優れてる」
って言ってるけどほんとなんか?
ある意味ホント
鉄の質が落ちたから複雑な工程を必要とするようになった
室町期までの刀剣は構造が単純
鉄の質が悪いから炭素鋼と軟鉄の複合鋼にしたってのは疑問だな。
戦国時代は国内の鉄じゃ到底まかなえないから南蛮鉄、インド鉄、中国鉄と様々な海外の鉄を大量に輸入してたぞ。
てかタタラは効率悪いからその時廃れた。
あとその外人が言う「質の良い鉄で作った剣」ってのがどうもわからん
どちにしろ炭素を調整しなくちゃならんから鍛錬は必要
刀身全部を靭性の無い炭素鋼にしちまったらポッキリ折れちまうわ。
つーか日本は鉄鉱石が取れなかったし、鉄を効率よく溶かせるコークスも無かったから折り返し鍛錬が必要だったんさ
ヨーロッパには掘り出した鉄鉱石を溶かすだけで作れる、硬度も靭性も高く対錆性まであるスウェーデン鋼とかいうチート鋼があるくらいだしな
鋳物の剣に浸炭処理するだけで、それなりのブツが出来たんだろう
いろいろな元素が混じってってそれが作用して
なんかよくわからんけど錆びにくく曲がりにくい靭性に優れた刀がつくれちゃってた
不思議な古刀ってことよね
慶長年間の新刀の製作方法が何故かそれ以前の伝統的な日本刀の製作方法であったっという
思い込みでずっと語られていたのも面白いですよね
深い話だな
それも再現出来るのかな?
それは新々刀期だよね
普通に再現してるだろ
つか現代刀ってそれじゃねーの?
後期になると鉄砲の影響で量産品が増えて質が落ちてきたらしいし、金額的に室町時代の初期のなのかね
技術的にはそれがベースになってて、炉の温度が低くて済んだ
需要増で材料足りなくなってからはどうしてたんだかは詳しく知らんなぁ
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1654089007/
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