【知ってる?】通説疑い実像に迫る 没後1400年迎えた聖徳太子を研究 石井公成さん(駒沢大名誉教授)
駒沢大名誉教授の石井公成さん(71)は、仏教学を代表する学者の一人。両極端の説とは距離を置き、地道に文献を分析してきた。「太子像の探究を通じ、現代に生きるわれわれの在り方を問いたい」と語る。
太子は、奈良時代の日本書紀などの書物であがめられてきた。功績として示されているのは、役人の道徳規範を示した十七条憲法のほか、冠位十二階の制定、遣隋使の派遣…。
大王(天皇)中心の政治制度を築き、仏教も深く理解して広めた人物とされる。「後世には観音菩薩(ぼさつ)の化身、浄土への導き手として、信仰の対象にもなってきました」。仏教の経典や事典が並ぶ駒沢大(東京都)の一室で、石井さんが力説する。
こうした聖人説を覆すのが、二十年ほど前から提唱されている「聖徳太子虚構説」だ。日本書紀にある業績を、奈良時代の為政者らによるでっち上げだと否定する。国家の理想の君主像を示す狙いがあったという主張で、歴史教科書の記述にも影響した。
一方、石井さんは、太子崇拝派も否定派も「当時の文献を熟読してこなかった」とみる。自身は十七条憲法ほか、太子の作とされる文献を、中国や朝鮮半島の同時代の文献と比べながら読み込んできた。
至った結論は、太子は虚構ではなく「仏教に精通した知識人だった。十七条憲法は、太子の作とみてよい」。語法や文章の特徴から、渡来人に深い教養を授けられた倭国人であったと考えられるという。
厩戸王だろ
> では、石井さんには、どんな太子像が見えるのか。「謙虚なようでかなりの自信家なんです」。太子が著したとされる法華経の注釈書では、経文の語順に「少し倒(とう)ぜり(文字の順序が間違っている)」とけちをつけている。
大丈夫かこの人
三経義疏みたいな疑惑の著作を根拠に人物像を推測するとか…
いたのはいたみたいだけど、やった事の功績は滅ぼした蘇我家ってのがしっくり来るんだよね
蘇我家が良いことやったとは書けないから、別の人物がしたことにして功績だけ乗っ取る
イルカとかウマコとか蝦夷とか
ぜったいに天智天皇から嘘の名前つけられたよな
沈静化して、じゃなくて単に定着しただけでは。実際に記紀の記述以外は聖徳太子の実績は物証に乏しいからな。ここでもよく話題になる坂本龍馬と同じよ
聖徳太子の方が出鱈目なのに
もう聖徳太子は触らない方がいいんじゃね?ww
御子じゃなく皇子な
という法律を作れよ
あるいは二宮尊徳
やっぱり誰かが作ったキャラなんだろうな…
今川義元+今川氏真≒バ○殿イメージみたいなの
それでも十分超人だw
読み込みとかで変わるのか?w
日本国公式の歴史書たる古事記と日本書紀を基にしているから
そこに記されているのが古の日本の公式な歴史となっているわけ
新しい資料も何も古事記と日本書紀に書かれていることが日本史の基になっているという話で、そこに聖徳太子と言う敬称で呼ばれたと言う記述が無いってこと
馬宿の皇子を含め別の敬称の記載が有るから聖徳太子とは呼ばれていないとされている
聖徳太子の記載が有るのは後年の書物なので、真田幸村と同じようなもので後生の人が付けた呼び方と言う認識
記紀が日本国公式のソースってなに?
閣議決定でもあったか?
知らんがな
詳細な経緯は詳しくは知らんけど、元正天皇の命により作成された公式の歴史書故、国立公文書館に保管されているよ
国立公文書館に所蔵されているから公式の歴史書ってわけじゃないよ。
たしかあそこに所蔵されているのは写本だったはず。
そもそもの公式な理由の根元は天皇の命によって作成させた歴史書だからですよ
戦後、政府も日本国公式の歴史書との見解を出していますよ
どの内閣だったか、それが閣議決定なのか総理や一大臣の言葉なのかは覚えていませんけれど
ほとんど覚えていない記憶が万が一ただしいのなら、踏襲だったと思います
御廟には笹や松は生えない
御廟には鳥が巣を作らない
御廟の土は大雨にも流されない
聖徳太子の母の棺の轅を植えたら楠が生えた
御廟は無数の結界石で守られている
聖徳太子は笹や松、鳥、アマではない
楠の母から生まれ石に守られているのが聖徳太子
そりゃ確実に居ただろ
実在だが聖でも徳でもない凡人
しかし怨霊だから聖徳と呼ばれた
怨霊封じのために
非業のタヒの貴人なら同時代に数十人は居そうだが
なぜ聖徳太子だけ崇拝されたのか
怨霊と言いたいだけちゃうんかと
井沢って何でも怨霊
用明天皇の母→蘇我堅塩媛(馬子の姉妹)
聖徳太子の母→穴穂部皇女
穴穂部皇女の母→蘇我小姉君(馬子の姉妹)
父母いずれの血統にも蘇我の血が入ってるのが聖徳太子
その長男である山背大兄の母も蘇我刀自古郎女(馬子の娘、蝦夷の姉妹)
これだけ蘇我寄りの血筋なのに入鹿を中心とした勢力に一族郎党滅ぼされたんだなあ
その入鹿も乙巳の変で中大兄皇子(後の天知天皇)らに○害されちゃうのよね
聖徳太子が大工の始祖的存在だから
聖徳太子を祀る法隆寺でその教えが結実した
摩湯の丘陵の下から温泉が湧き、摩湯千軒といわれて繁昌の地であった。だが、あるとき、馬子が馬をひいて来て、馬蹄を浸したので、湯が汚れて有馬へ飛び去ったと伝わる
摩湯の丘陵の海岸近くに池上曽根遺跡がある
楠の巨大な井戸、石器の祠、巨大神殿、鉄工房、銅鐸、巨大なヒスイの勾玉、蛸壺が出土した集落で弥生時代末期に営みを終焉している
有馬は摩耶マヤ山の麓。摩耶は空海が釈迦の母、摩耶夫人の像を作ったことに由来すると言われているがそれまで山に名前がなかったのかという疑問が残る
和泉の摩湯の伝承は実話を元にしているんじゃないだろうか?
ひょっとしたら聖徳太子の母は池上曽根遺跡にルーツがあるのかも
厩戸ウマヤトは本当はマヤト、摩耶ト、摩湯トかもねえ
摩湯の古名は「馬湯」で、馬で湯が無くなったので、
代わりに湯が出てきた所が「有馬」になったとか?
聖徳太子は厩戸皇子を脚色したものってもいうし
馬は当時だとカイエンの超グレードアップ版の高級車的な扱いだったろうな
蘇我氏が遺した業績も、厩戸皇子というひとりの蘇我系皇子の生涯に重ね合わせたのが、
聖徳太子崇拝。
これが「聖徳太子はいなかった」という学説。
と、いうことだが、
では蘇我氏の業績をなぜ「厩戸王」の業績にしたのか
この点で厩戸王凡人説は破綻してるわね
いや、聖徳太子の遺した業績や逸話とかを1人で成し遂げた個人は存在しなくても、
それぞれの業績や逸話を遺した個人はいただろう、
というのが定説になってる
「聖徳太子」は、そうした個人個人の業績とかを集めて一人称にした際のグループ名みたいなもの
てことは昔の一万円札でお馴染みの
あの聖徳太子の肖像画は架空の人物ってこと?
あの聖徳太子の絵は中国の唐の人間または朝鮮の阿佐太子の前に
霊のように出現した聖徳太子の姿を画いたものと伝わるね
唐風の服装なのは現地に合わせた姿で現れる応現という出現の仕方だったからと言われる
織田信長が西洋画でスーツきて描いてあるようなもんだから
そういう理屈がないと成立しないわな
松田聖子は虚構の存在であり実在でもある
本名は蒲池法子から神田法子になり今はナントカ法子さん
全然違うだろw
松田聖子は現役存命中の芸名で、実際に直接本人が松田聖子と呼ばれている
明確に呼ばれた実績が存在する
聖徳太子は真田幸村と同じ
存命中はそうそばれることも呼ばれたことも無く、後世第三者によってつけられたもの
呼ばれた実績が全く無い
同母きょうだい間での婚姻はタブーではあったらしいな
親戚同士で結婚するってDNA保存のためでしょ。
エジプトも兄弟姉妹で結婚してたし、ヨーロッパも親戚同士で結婚。
他の人と結婚すると、能力が薄れるからね。
武田騎馬隊は存在してなかった
上杉謙信は女だった
信長は本能寺でタヒんではいない
明智光秀は大陸にわたりチンギスハーンになった
豊臣秀吉はどこの馬の骨とも知らぬ農民だった
伊達政宗は眼帯も着けていなければ目の病気ですらなかった
…面白いの?
究極は記紀が編纂される前の史実はほぼ架空や捏造と言いたい学者なわけだろうね
厩戸皇子って推古天皇を補佐し創建法隆寺を作った偉人でも
ただの凡人で無能と決めつける学者がいるわけでビックリするわ
海外でもよくある
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1651921536/
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