織田信長の兵隊は職業軍人だけど、上杉謙信や武田信玄の兵隊って百姓じゃん???
https://news.yahoo.co.jp/articles/6fbb6d5a24a03978643af51508c87011d3b2e5ba
武田信玄が最強なのは揺るがない
現代を生きる怖いおじさん達も戦国時代や戦国大名と繋げたがるよねw
経済的損得を超越した核心的利益を追うのが戦争なのに
何でもビジネスに例えようとか馬鹿のやる事
流石にねえよ
全ての戦争が思想や怨恨だけで起こってると思ってんのかよ馬鹿かよ
信長のいちばん弟子である秀吉が、若い頃は機転が利く戦術家で
なおかつリクルートの天才だったしな。二兵衛を同時に抱えるなんてなかなかできんわ。
一番弟子たら丹羽さんだろ
山ばっかだから山賊でもやらんと食っていけんやろ
土地の痩せた国は戦い慣れたやつが多い
兵士が弱いから兵の強さに依存しない武器と戦い方を徹底した訳で
個の強さがあっても二三人でぼこれば関係ないからな
単に数というよりチームワークでしょ
槍は長ければ長いほど扱いが難しくなって、個人戦では短槍に負けてしまう
だから固まってせーので振り下ろす槍衾という戦術を採用して面で攻撃する事で回避できなくする事で同数同士の戦いでも有利に進められる様になったと
鉄砲も同じで、まず鉄砲は弓矢より習得が簡単であるという点に着目した
更に個人個人の命中精度を無視できる様に横一列に並べて正面に斉射させる戦術を採用したと
強い奴100人と、100人集まれば強い部隊との戦いの構図だな
地域の兵の強弱なんてのは迷信
順調な時はどの地域でも士気は高い
劣勢の時は指揮官の能力や状況の影響が出やすいけど地域差はあまりないよ
信長の兵が弱いってのは分が悪いとすぐ逃げるように徹底してたから
だから敵側は勝っても信長の兵は温存できてるので大きく勝つことができず、逆にこっちが負けると信長に比べて無意味に兵が消耗するので大きく負ける
浅井との姉川の戦いなんか信長本陣そばまで攻め込まれただろw
徳川の横槍がなかったからあぶなかったわw
鍛え方が段違
剣や槍で戦うのはフィクション
メイン武装は投石やで
次いで弓(これは武士層の役目)
でも農繁期に帰っていくじゃん。
農閑期にしか戦争できないし。
農民だから、兵隊をごろごり潰して戦う戦もできないし。
だから常備軍を作った信長が画期的と言われたわけだ
ガチ農民なんて戦場で最初石投げて逃げるぐらいしか使い道ないからな
戦場で戦うのは一瞬だけど戦争の9割以上は兵站と陣造りだから農兵はマジで忙しい
織田家がチート過ぎただけや
これな
織田家は親の代から莫大な資産とそれを増やし続ける領地と港
対して武田や上杉は家内跡目争いの末にやっと手に入れたじゃ差がありすぎ
農民の上杉の兵の方が強いというね
信長軍は弱兵で(職業軍人らしく)命をかけない(ビジネスですので)。
数と装備と延々とやる事で他を圧倒する。
核になる信長の親衛隊はクソ強かったみたいだけどね
まあどこも足軽なんて敵を倒すことより乱取りに夢中だったりしてそんなもんですよ
たしかに攻め込まれる勢力の根拠地や通り道は略奪されて悲惨だけど
軍事衝突する戦場付近の住民は遺体から略奪する旨味もあったのである意味損得紙一重だね
土地を守る意識が強いからね。
織田の兵隊の中身は無職やプーやニートだし。
指揮官が手慣れていれば百姓兵で大丈夫
国民皆兵と同じ
結局イクサは指揮と士気次第
それさえあれば最低限の戦い方指導(訓練)で戦力として十分
確かにそう言う見方出来るかもね
訓練して使えるようにしたってことでしょ
農作業やらずに訓練する時間もあるのは強いわ
それで農繁期でも戦争出来るのは強いわ
でもその分お金かかるので経済が重要ってことだね
農家でそれやったら、誰が農業するの?
高度成長期にも金の卵たちが企業に雇われたでしょ
子だくさんの時代は余る人もいる
武田上杉は平野部がなく、生産力は限定的
関東、濃尾、大阪を取ったら強いぞ
武田は知らんが上杉は濃尾平野を上回る越後平野を有しとるぞ
北陸交易も盛んだし
あっ武田は巨大な金山があったか
越後で農業が発達したのは明治時代から
鉱山経営は大きい
武田は金山が途中で枯渇した
信濃川河口域とかあの当時は湿地帯だから
職業軍人って言っても、元農民であぶれた次男坊、三男坊で
戦の無い時は飲んだくれてるような連中じゃないかな
尾張の弱兵と美濃と三河の強兵は有名だったらしいね
結局個々の能力より指揮官とその命令を徹底出来るかどうかなんだよな
ロシアも情報部の立案で攻めたから最初の勢いだけでグダッたし
欧米の武官が教えりゃウクライナでもロシアと戦える
徳川史観てやつですね
弱い織田兵を同盟者だった家康公の強兵で有名な三河軍団が助けましたよっていう家康を顕彰するための印象操作ってやつ
実際1000対1000の戦いでもトータル100人もタヒなずに勝敗が決まる
人員的な余力はたっぷりなのにだ
むしろ5%もタヒ傷者が出たら酷い乱戦の部類
石投げて威嚇勝ちで十分戦果を上げてた
姉川とか長篠、関ヶ原とかは本当に稀な大乱戦
勝っても負けても大損害
本当はやっちゃ駄目なやつで指揮官の戦略的大失敗
織田軍→貿易で鉛を大量輸入、尽きぬ弾丸
武田軍→自国で銅で使い弾丸を生産、途中で弾丸が尽きる
戦いは経済
農←実際に戦う人
工←武器を作る人
商←戦費を貸す人
↓
信長は手持ちの金を銀に交換した上で、「金1両=銀10両」だった時期に「金1両=銀7.5両」にせよと言う触れを出す。
人々は「困ったモンだ」と思いながらも相対的に上がった銀を中心とした取引にシフトしてゆく。
そして、その5ヶ月後に信長は2万の兵を使って生野銀山を掌握する。
織田家が「兵農分離」を行ったとする資料はない。
大将が直情的に動くから職業軍人しか追従出来なかったってオチかもな
長期戦になればノロノロ農民たちが戦場に到着みたいな
というか織田軍は
せっかちな尾張や美濃の人間主体だったので
何するにも早い
この早さが大軍運営の強みだったそうな
織田信長が農民からいちはやく兵士を分離し銭で雇用するようになり、一年中合戦が可能になって勢力拡大を果たした
実際には、織田家以外も農繁期関係なく戦闘が行われている
それを天下統一レベルでやれたのが信長。基本的に信長は誰かのパクリ政策三昧だからね
そもそも歴史の積み重ねがあるんだから何でもかんでも無から生み出せば凄いってもんじゃない
信長が賢くて巧みな取捨選択を出来たから誰も出来なかった巨大勢力の構築が出来たわけで
だから、俺はそういってるんだけどねw
信長が楽市楽座をしました。これだって信長オリジナルではないわけで
パクリ政策と言われて反論したかったんだろうけど、君の言っていることと俺はおんなじだよ
本願寺を降した以降から明らかに変わってきてたからどうするつもりだったのかは興味があるが、それこそ秀吉がパクったんだろうなって感じがする
村単位で戦に出てくるから
最初に逃げ出した奴は笑い者にされるw とか?
にしても、織田尾張の弱兵は有名な話
既成概念・権威の破壊!
今で言うなら、、、
信長「は?Yen?そんなもん価値ない!俺の発行するYonを使え!」ぐらい無茶苦茶
でも押し切った者の勝ちです(勝てば官軍)
上の方も書いてるが、信長は後継を信忠と決め、子供の頃から会議の場にも置き、部下にも一族にも立場を認めさせてた。
信長は家督を信忠に譲っており、実際に甲州征伐における総大将は信忠。また、この時は一部信長の指示を無視してでも場に合った作戦に変更する臨機応変さを見せて、その行動に信長が安堵したとされる。
当然ながら信長を討っても光秀や秀吉如きが信忠の上に立てるワケもない。(信忠からすればキンカンと猿かわらず)
これは光秀が信長と信忠の両方を同時に討てるチャンスである本能寺を狙ったと理由の一つ(同時○害じゃないと意味がない)。
農兵に遠征させると田畑が心配で士気ダダ下がり
必要に応じて足軽雇用するしかない状況
戦国末期は秀吉の指令で他大名も似たような状況に追い込まれたから信長追従みたいに見えるだけ
なるのは無能や貧困層のやっかい者だけだろうな
平時の厄介者が戦時の英雄ですから
信長も平時なら夢見がちな基地外中二病で済まされてただろうし
現代でも金融ハブにしたかったら税制の問題は避けては通れない
商人から取り立てることばかり考えないで、数を集めて全体で儲かる仕組みを考える
軍事も経済も利口だよね信長は
楽市楽座は広く戦国大名が自分たちの領土で実施してたので信長が特別規制緩和してたわけではないというのが最近の見方
しかも案外座を保護してたりする面もあったので、信長ってそれほど革新的ではなさそう
六角定頼だな
スケール小っちゃいけど船を人力で山越えさせた人
メフメト2世のコンスタンティノープル攻囲戦とおなじく
金山有って広大な甲斐信濃合わせてようやく尾張一国と同等とか
信長軍は勝つべくして勝った、10回やれば8回は勝てた説が好き。
いわゆる乱取り説。
↑
甲陽軍鑑:
于時駿河勢所々へ乱妨に散たる隙をうかゞひ、味方の真似をして駿河勢に入交る。義元(公)は三河国の僧と路次の側の松原にて酒盛しておはします所へ、信長(公)伐てかゝり、終に義元の(御)頸を取給ふ。
↑
今川軍は村々に部隊を送って乱取り(略奪)をしていたが、この隙を狙った信長が帰還した乱取り隊のフリをして襲ってきた。
この当時のムラは独自に防御をしてたため、キチンとした軍編成がいる。また、のんびりしてると資産や女を山に隠してしまう。加えて桶狭間は各村に軍を送るには良い地点。ここから、相当数の部隊を派遣してたと考えられる。
信長は乱取り観点から桶狭間への突入タイミングを読んだ。
でも氏真がその後うまく立ち振る舞ったから徳川家康と懇意になり
今川家は江戸幕府で京の役職付いて、いまだ現存してるじゃない
今川って維新で華族になれなくて没落したんだと思ってた
毎年桶狭間の供養祭に今川家から御布施が送られてくるって話
維新でも新政府に取り入ったとヒストリアで言ってた様な
明智光秀を落ち武者刈りでとどめを刺したのも農民だし
農民は腕力あるし、それなりの訓練したらすごい戦力になるやろw
から強いことは強い
けど田植えの時期と刈り入れ時には行動不可と成るので
信長の職業兵のほうが時期に左右されず自由に動ける分有利
けっきょく戦争なんて金のある奴が勝つのは今も昔も変わらない
何せ旗がこれ(金ならある)だもんなw
https://sengokumiman.com/odanobunagagunki.gif
人々が動ける空間がムラの範囲内(通行料が払えない)だった時期にカネを持つことには大した意味が無かった。
ところが、信長支配下になると、道路が私道から公道に代わり、誰もがどこにでも移動できるようになり、楽市楽座がある街まで歩けば誰でもモノが売れるようになり、カネを手に入れる事ができれば、年貢の足しにもできるとわかった。
カネで動かせる民主の誕生ってヤツだね。
上杉や武田も経済政策はなかなか上手かった
濃尾平野や上方を押さえた織田とは勝負にならないけど
その旨味が分かってる奴が大金を握って権力者になる
世襲したボンにはそれが分からないのがいて守勢に回ると貿易にも消極的になる
足利義満は明との貿易で莫大な金を稼いでいたけど息子の義持は止めちゃったからな
戦地次第
砂漠ならデザートザク、海戦ならマリンザクみたいなもん
九鬼嘉隆(海賊代表)と蜂須賀小六(山賊代表)なイメージw
兵隊が百姓をやってるのだ。
なので屈強な野菜が取れる。
んだども1週間ぐらいなんとかなんべ
ちょっと行って乱取乱交すんべ
長引きそうなら脱兎して帰ってくんべ
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1649987717/
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