絵
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写真
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3
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モンハンでもやっとけ
型でポンポンつくれたわけか
ドリフターズ読め、理由書いてある
これは言えん。
言えんわい。
「どれだけ💩好きなんだ」が好きwww
「火薬の音が敵に恐怖心を与える」とかあったような
マスケット銃より古い銃を使ってたんだから、個体差がでかくて弓より信用できないんじゃね?
>>50
戊辰戦争前後の銃事情は複雑なんだよね、
ゲベール銃(前装式プリントロック)とエンフィールド(前装式パーカッション)とミニエー(ライフル)が入り混じっており、ここに数は少ないけどスナイドル(後装式ライフル)が使われ始めて、これが戊辰戦争後に主力になってく。

https://www.touken-world.jp/wp/wp-content/uploads/2019/10/b3385b57368caaf5599f46a52f25d6a8.jpg
戦国時代に種子島が流行ったのは徴兵した農民でもすぐ扱える手軽さに
その爆音で騎馬隊を混乱させることができる側面が強いから
オスマン帝国は大砲持ってたけど16世紀前半に
当時はきちんとした統計がなくて
宣教師が主観で言っただけだぞ
唐入りのころの伊達家の鉄砲装備率は日露戦争の頃の日本軍と変わらないレベル
各大名は鉄砲鍛冶を抱えて自国で生産もしていた
日本の鉄砲の量産スピード所有数にびびったスペインやポルトガルは、それゆえ大砲の技術は伝えなかった。
一方、海上貿易でスペインとバチバチやってた英国は
家康公に惜し気なく大砲をプレゼントした(これが後に大坂冬の陣で火を吹き、豊臣方にトラウマを植えつけることになる)
江戸末期に弓の修練する場所もない
銃は砲術やらないとダメだった
東進する官軍を迎え撃つ位置で河岸や海から砲撃しまくらなかったの?
新政府軍が錦の御旗を掲げた時点で尾張徳川家まで新政府に恭順したりして、
江戸幕府には抵抗する気力がなかった
鳥羽伏見の戦いの幕府軍は、軍というより警備兵だし
「徳川慶喜が軍を見捨てて大坂から逃げた」と言われるのも、徳川慶喜は軍を率いて京都に攻め上っていた訳ではなくて、
大政奉還(ただし、徳川慶喜を議長として諸大名を議員とする議会制)の相談に行っていただけだから、
一緒にいた少数の警護兵と帰ったというだけ
長い江戸時代の間に旗本や御家人が徳川家の直臣ということも忘れられて
幕末には徳川家の直轄軍(幕府軍)というものが存在しなかった
あるのは幕府の命を受けた藩が出す軍
大塩平八郎の乱も、蛤御門の変も、長州征伐もみんなそう
「新政府軍」も、新政府についた藩の出した軍ということ
会津は薩摩と因縁があるので降伏しても許されないだろうと徹底抗戦を決めて、奥羽列藩同盟が会津に付き合った以外は、
幕府側に付く藩がいなかった
有事に備えた大井川や箱根の関だけど普通に通過されてしまった
征東軍は3方向に分かれて向かってきている上に
御三家の尾州をはじめ諸藩が新政府側について誰が裏切るかわからない状態だったので下手に迎撃もできないし仕方ない
それより要塞化していた街道の重要藩が悉く簡単に開城しちゃったからな
大阪城、空城を官軍が接収
彦根城(日本を東西に分ける関ヶ原の抑え。北国街道と中山道の結節点)速攻で官軍に寝返る
桑名城(東海道の最大の要衝、7里の渡しの拠点)、戦わずして開城
名古屋城以下、小田原以西の全ての藩が勤王の誓紙出す
要衝の箱根関をあづかる小田原藩の大久保家が優柔不断すぎたのも大きいかと
そうそうに幕府裏切って東征軍の箱根関通過を黙認させたくせに
林忠崇がやってくるとこれに従って明治政府を裏切ったけど
明治政府から問い詰められると今度は林忠崇を裏切って襲いかかるなど節操がなかった
先の大老を出した普代の名門伊井彦根藩(滋賀県)は桜田門外の変の後冷遇されたこと
尾張藩(名古屋)は少し前の大政奉還で御三家で唯一征夷大将軍が出ないことが確定
と、いうことで早めに新政府側に寝返った。
どこの藩内にも旧幕府派と新政府派で激しい主導権争いがあったが、この事実で一気に新政府有利に
家康が西からの攻撃を予想して配置した頼みの両藩が真っ先に寝返るということに
それから300年経って弓矢使ってたら、武器退化してオカシイだろ
信長は銃のイメージが強いが信長の快進撃の要因は槍を長くして改良したからだと思う。
火縄銃は簡単に撃てる
大名行列の家臣は駕籠かきに至るまで全員主君を守れなかった責任を追及されて斬首刑になってる
ひどいブラック藩だわ
主のおかげで
先祖代々贅沢三昧出来たのに
守れなかったんじゃ仕方が無いだろう
そもそも安土桃山時代には鉄砲と槍に切り替わっとる
初期は銃兵も弓兵と同じように騎兵の襲撃から護るために
直援として長槍パイク兵が槍衾を構える必要があったんだけど
あるときフランスの農民兵が銃口に剣を刺して騎兵に対抗したら
上手くいって銃剣が生まれた。じゃあ槍要らないじゃんってなって
紀元前のマケドニアのアレクサンドロス大王以来
人類の戦略兵器で有り続けた長槍はその歴史的使命を終えた
それは渡来の火縄銃だろ?
日本のは300mぐらい狙撃してた
ライフリングも無いのによ
飛距離の問題?命中率の問題?
弓矢ってのは元来ムキムキマッチョマンがしっかり鍛錬して初めてまともに扱える武器だからな
対して鉄砲は扱いさえ覚えれば女子供でも簡単に人○しが出来る武器だ
長篠の戦いの信長軍総数を5万人(諸説の中央)として、鉄砲総数を3000(諸説あり)とすると、鉄砲は総員の6%程度。
鉄砲持ってない兵員の方が遥かに多く、侍身分は弓も扱えるんで、どちらも使ってたが正解。
長篠の戦いの様子を見ると、信長軍は野戦陣地を組み上げていて、鉄砲隊はこの前方に位置して細かく移動しながら個別に敵将を狙い、撃った後は陣地に戻って装填を繰り返していたようで、その間の弓隊は後方から延々と射ていたようだ。
(馬防柵の後で構える様相とは違う)
現代風に言うと、弓隊が制圧射撃で、鉄砲隊が狙撃と言った感じ。
地域紛争の裏には列強諸国が
裏で糸引いてる構図は変わらんのな。
中東アフガンウクライナ
明治維新は謀反を起こした薩長同盟が正義なんだよ
ミャンマーで謀反起こした奴らは悪者だけどw
銃はあくまで弓に比べればだが楽
遠距離から鎧を抜いて致命傷を与えられる実戦用の弓は張力が60kg以上あって凡人には引絞ることすらできない
西洋では背筋力で引けるクロスボウが発達したのはこのため
現代の狩猟用弓にも凡人が引けるように滑車がついている
数百年平和が続いた後じゃ皆扱いの簡単な銃つかうだろ
滑車付きの弓(コンパウンドボウ)を引いた事があるんだけど、引き初めは普通の弓より強い力がいるんだよね。
でも、引くにつれ力がいらなくなる(そーゆーメカらしい)。
なので「うぬぬぬぬ」と引くと、引いた後は少ない力で狙えるってのがメリットで、それゆえ強力な張力でも扱えると言う事のようだ。
政治力がなかった薩摩長州軍は結局徳川幕府の描いてた議会制度等に乗っかっただけ
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1644566025/
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