【歴史】「キリシタン教会の最も激しい敵であり、はなはだ暴虐な君主」 宣教師からボロカスに人格を批判された戦国大名5選
https://newsbyl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-yn/rpr/watanabedaimon/00245644/title-1625046699525.jpeg
戦国大名の人格を知るうえで、貴重な史料とされるのがポルトガルの宣教師フロイスの『日本史』である。フロイスは多くの大名と接して、その人格を評価した。しかし、その評価基準は明確に偏っており、キリスト教を信仰している(あるいは理解を示す)戦国大名を高く評価した。
逆に、信仰するどころか弾圧するような戦国大名については、ボロカスのけちょんけちょんにその人格を批判した。そのような偏りがあるものの、非常にユニークでもあるので、私的に5人を選び出してみた。
■龍造寺隆信(1529~84)
龍造寺隆信は肥前国の戦国大名として知られているが、キリスト教の布教には否定的だったという。それゆえ、フロイスの評価も芳しくなかった。「キリシタン教会の最も激しい敵であり、はなはだ暴虐な君主」との言葉は、フロイスが隆信を蛇蝎のごとく嫌っていた証左となろう。
隆信はあまりの巨漢だったため、フロイスは隆信が6人担ぎの駕籠に乗っていたと記す。宗龍寺(佐賀市)に残る「龍造寺隆信像」(享保4年:1719)は、隆信の肥満ぶりを後世に伝えている。フロイスの感想は、あながち否定できないのかもしれない。
■武田信玄(1521~73)
武田信玄は甲斐の戦国大名として知られ、フロイスが言うには「彼(織田信長)がもっとも煩わされ、常に恐れていた敵の1人」だったという。「戦争においてはユグルタ(紀元前2世紀のヌミディア王で戦争が得意だった)に似たる人」と評価されていた。
とはいいながらも、信玄は出家していたにもかかわらず、「毎日仏像を拝むが、信仰の願いは他国を支配する事」が日常だったという。また、信玄は家臣から畏怖されたものの、「わずかの失敗でも容赦なく○す恐るべき人物」とフロイスは記す。いずれにしても、信玄はバリバリの仏教徒だったので、フロイスは嫌いだったようだ。
■織田信長(1534~82)
フロイスの信長に対する評価は、愛憎半ばである。「きわめて稀に見る優秀な人物」、「大いなる賢明さをもって天下を統治した者」という言葉は、キリスト教の布教を許可した信長への最大の賛辞である。
一方、信長は禅宗、法華宗を信仰しており、それがフロイスにとって我慢ならなかった。フロイスが信長が神になろうとしたこと、本能寺の変後に信長のタヒ体が見つからなかったことを批判して書いているのは、天罰が当たったとでも言いたげである。
信長の人物像についても「自分以外の全ての者を見下しており上から物を話す」、「家臣の進言などはほぼ聞き入れず、それでいて決断力に優れ、多くの者が絶対君主かのように彼を畏れ従っている」とフロイスは独裁者ぶりを強調する。
信長はキリスト教への良き理解者だったが、十分な支援が得られなかったので、フロイスは許せなかったのだろう。
■明智光秀(?~1582)
光秀と言えば、連歌や茶道に優れていたので、あたかも教養人のように思われている。しかし、フロイスの評価は、「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」、「裏切りや密会を好む」、「刑を科するに残酷」、「独裁的でもあった」などと評価が芳しくない。
フロイスは本能寺の変直前において、信長が光秀を足蹴にしたとの記述を残す。しかし、その内容をつぶさに読んでみると、密室で行われたこと、秘密だったと書かれており、世上の噂を単に書き留めたにすぎない。
■豊臣秀吉(1537~98)
秀吉は天正15年(1587)に伴天連追放令を発布し、宣教師を日本から追放しようとしたのだから、その評価が低いどころか、ボロカスなのはいたしかたない。
秀吉については「優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に欠けていた」、「極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた」、「抜け目なき策略家であった」、「彼は本心を明かさず、偽ることが巧みで、悪知恵に長け、人を欺くことに長じているのを自慢としていた」など、何一つ良いことが書かれていない。
おまけに、秀吉はわざわざ遠方から招き寄せた兄弟姉妹を惨○した。この秀吉の兄弟姉妹とは、母・大政所が別の男と結ばれて誕生した子供だった。このことを記すのは『日本史』だけであるが、秀吉に対する執拗なまでに悪罵を放っているのは、悪意すら感じるほどだ。(続きはソース)
7/12(月) 6:00
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20210712-00245644/
結局この糞共は日本の内情探りにきたスパイだよな
宣教師が世界中で何やったかを考えたら被害者ぶれた筋合いでもないだろ
そりゃ日本人を奴隷にして輸出したり勝手に信徒を部隊化して明に攻め込もうとしてんだから追放されるだろ
ちゅうてイエズス会の方がよっぽど暴虐ですわ
今でもそれは変わらず麻生太郎を見てもよくわかる
日本では評価されてる人物ばかりじゃないか
神道・仏教の日本で キリシタンにとって憎憎しかっただけだな
占領する気満々だった南蛮人に言われてもw
この大名たちは判断力に優れた正しき人々ってことだな
ヌミディア王ユグルタってローマに負けたあと投獄されて餓タヒした人じゃん
信玄をはっきりsageてる人物評だわ
過去を一つの方向からしか見ないのは歴史ではなく思想だぞ
最低限、相反する二つの視点から見るべきであり
この場合ルイス・フロイスとその対象の人物の両方が相当する
なんだよ?このゴミみたいな5選は?
キチンと宣教師の文書の翻訳文を読んだ経験がある人なら
ボロカスに批判された5選がこの5人ではないのは誰でも分かる
あまりにもセンスがないヒドい5選だな
ちゃんとした知識を持った人間はこういう掲示板では少数派
どの分野においてもね
今の君の知識ならばネットで多数派がいかに意味がないかわかる
いやあ、嫌ってる大名だけじゃなくて全部聞きたいわ。
宣教師ってバイアスあるにしてもなかなか興味深い人物評だ。
とくに光秀は司馬でしかその人物描写を知らないから面白かった。
密談好きなんだ、信長が好きそうなタイプじゃないな。
バイアスかかってるのはしょうがないとしても、伝聞が多過ぎて研究者からは一次史料扱いされてないが
同時代の貴重な史料であることには変わらないな
一次史料ってそんな基準じゃないよ
賢い振りせず身の丈に合ったレスしてればいい
一次史料→同時代に発給された古文書、日記、金石文のこと
同時代史料であることには違いないが、バイアスがかかってるせいで一次史料扱いしてる研究者はいない
よく引用される信長公記ですら二次史料扱いだよ
フロイス日本史を一次史料として扱ってる研究者がいるなら教えてほしい
軍記物は下がるよね
そう。
奴隷商人から日本人を守った大名。
イエズス会の言いなりにならなかった賢明な連中って事だわな
何気に竜造寺凄いなw 九州であらがうのってけっこう大変だった筈
仲良くしたら大砲とか武器手に入るし
そんなローマみたいなこと日本人の宗教観であるわけがない
絶対ない
盆山の話を知らんのか?
あれもいろいろ解釈があって好きだけどな。
一番面白いと思ったのが、本当はただの石なのに神だと言えば馬鹿共は頭を下げるのを見て、ああ馬鹿だなーと思うためにやった。的なの
元々無神論者だから神社等への皮肉で置いたってやつね。
信長の追随者である秀吉、家康がそれぞれ豊国大明神、東照大権現といった神号を得てる
中世の宗教勢力に手こずった信長にしてみれば俺こそが神だっていうことにして他の宗教的権威を消滅させようとするのは合理的動機
だよな
安土城は吹き抜けになってて最上階に信長の居室があるが、
信長の居室の真下にあたる地上部分には
仏教のストゥーパが作られてた
また、安土城の下には京都御所そっくりの建物があって、
天皇を住まわせようとしていた
つまり天皇よりもブッダよりも上に立つのがオレだ、
というのが信長の基本的態度
第六天魔王を名乗ってなかったか?
それはあだ名だから
今ならゲリゾーとか、そういう奴
あの時代では宣教師=奴隷商人なんだからな
日本人奴隷を海外に売りまくってたのに秀吉がブチギレたんだっけ?
今の日本史の教科書ってその辺ちゃんと書いてるのかな?
一切書いてない
キリストはいなかったのも書いてない
書いてるわけがない。
資料集にすら書いてないし、学研の漫画にも無かったわ。
戦前は書いてあったらしいが戦後はGHQが削除させて秀吉を悪者に書き換えたと聞いたな
ザビエルってなぜか日本で聖人扱いされてるけど
ただの商売人だよね
マンデラエフェクト神の天罰
十戒の石板が二枚、キリストの地獄への降下などもww
じゃあ今は😱😱
フロイスの記述は意外と客観的だよ
例えば、
「驚くべきことに日本の平民の間では処女というものが何の価値もない、
若い女性は自由に性行為をしている」
とか書いていたり、キリスト教に従わないから悪だなんて書き方はしてない
ほとんど見合い結婚だったのにか?
ルイスフロイスの記述
・ヨーロッパでは、未婚女性の最高の栄誉と財産は貞操であり、純潔が犯されないことである。日本の女性は処女の純潔をなんら重んじない。それを欠いても、栄誉も結婚(する資格)も失いはしない。
処女信仰って気持ち悪いよね
童貞崇めるようなもんだぞ
妻を差し出さなかった家臣が悪いw
秀吉がひでぇ奴だっての明治初期までは当たり前のことで
フロイスはむしろ正確に描写してるということでは
秀吉が、貧乏から出世した立派な偉人みたいな扱いになったのは
明治以降で、国策によるものだよ
そりゃ徳川の敵ならそういう扱いになるだろ
でも秀吉って豪華な城を建てすぎじゃない?
大阪城、聚楽第、京都新城、名護屋城、伏見城1,
伏見城2ってやりすぎだろ。
まだ秀頼が幼児のうちから大阪から伏見に移る
必要なんてないし、聚楽第を徹底的に破壊して
また京都新城を建てるなんて無駄だし、渡海までの
一時的な拠点に過ぎない予定の名護屋を豪華に作る
必要性なんて皆無。
民政とか顧みて無さそう。
江戸城・水戸城・駿府城・名古屋城(福島らが将軍の子の城をなぜ大名が
建てないといけないと不満を言ったというが本当?)・二条城(京都での徳川の居城)
豪華絢爛な日光東照宮・会津若松城(二代将軍の隠し子が保科松平)・
五稜郭(明治維新で幕軍が立てこもり)
秀吉は親戚を○害したから酷いというのもいるが、他人の大名を潰しまくったのは徳川
しかもマスコミでは温和そうな二代将軍が関ケ原で貢献した東軍大名も潰すほどの切れ者だった
歴史ドラマでは豊臣秀頼が自○した時に、家康など悲しんでいたけど、
実際は秀忠が自○を命令し家康は黙認したんだけどね
そして秀頼の幼い子供まで処刑にしてるし
秀吉の場合は命令されたけど徳川は自発的
豊臣時代て年貢が七公三民だっけ?
つまり7割税金()
徳川時代になると年貢比率が下げられて
三公七民の所も
その徳川の世で
8公2民だったらしい
今の上級の祖先の一部薩摩。
豊臣は蔵入り222万石で領地をあまり持たなかった
関ヶ原の合戦の前には家康が大名に秀吉の遺産分けをして
豊臣は64万石にまで落ちた
徳川は250万石の後は自称800万とか実質400万とか
家康が北条の関東支配を見習ったけど、8代将軍になると
増税し、水戸や会津なんかは民は苦しんだ
会津戦争でも藩士しか参戦せずに負けて藩主が城を出ようとしても
民衆は集まらなかった
戦国時代とか江戸時代とか行って見てみたいわ
ローマ
ギリシャ
三国志
平安
戦国
中世
新選組
俺は中世ヨーロッパだな
幅広すぎるけど
リアルキングダム見物したい
お頭~、けったいな奴ら捕まえましたぜ
●ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。
日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける。
●ヨーロッパでは、妻を離別することは、罪悪である上に、最大の不名誉である。
日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚もできる。
日本では、しばしば妻が夫を離別する。
●ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。
日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける。
●ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から出ない。
日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由をもっている。
●われわれの間では人が横根(よこね、性病のこと)にかかったら、それは常に不潔なこと、破廉恥なことである。
日本では、男も女もそれを普通の事として、少しも羞じない。
●ヨーロッパでは普通女性が食事を作る。日本では男性がそれを作る。
そして貴人(フイタルゴ)たちは料理を作るために厨房に行くことを立派なことだと思っている。
●われわれの間では女性だけが化粧品と白粉を利用する。
日本の上流社会では十歳までの少年が外出する時に、同様に化粧品を使う。
> ルイスフロイスによる、当時の日本の平民の男女関係
>
>
> ●ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。
> 日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける。
>
>
> ●ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から出ない。
> 日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由をもっている。
こんな当たり前のことができなかったのが当時の「その他の国」
日本は貧しかろうが女一人でどこでも旅行いけた
それを可能にするのは「淫乱な人間」か?
8割型がそんなんだったら旅行もできまい
この時代は欧州の方が男尊女卑っぽいんだな
キリスト教→魔女狩り
フランス革命→王妃がパンがなければケーキを食べれば良いんじゃない
という英国に亡命していた反王派のデマを最近まで鵜呑み
日本→天照大神などを奉る・春日局などの元敵まで出世が出来る日本
幕末明治に来日した外国人の記録
「この国では、離婚が珍しくない。一人の女性が結婚を三回、四回と繰り返すのは当たり前で、
地域によっては、六婚、七婚もある。離婚をタブー視する風潮もない」
「女性の飲酒や喫煙がこの国ほど自由な国はない。建前とは裏腹に、女性たちはかなりの実権を持っている」
「他のアジアの国々では女は完全に無知なのに対して、日本の女達はかなや漢字で読み書きができる」
沈黙見て思ったけど
信仰って一人一人が心の中でそれぞれ信じて実践していくのみ、ってのは仏教とか神道的なのかな
洗礼とかの儀式には聖職者が必要だから
最初の洗礼を経ないと、そもそも信徒として認められない
フロイスによる信長の記述はかなり正確だと思うわ
・酒飲めねぇ
・めっちゃ早起きで朝からどんどん仕事する
・他の大名こき下ろして笑うのが大好き
・正義ということにこだわる
・尊敬する人物なんておらず自分が一番偉いと思ってる
・声デカイので怒鳴ると部下ふるえあがる
・だらだらしてる奴やチャンポランな奴大嫌いで、城の工事のときに若い娘をからかってた職人を見つけ、
走っていってその場で切り○した
優秀だが鼻持ちならん奴だったんだろ、
考えるに今川撃った時が彼の後の運命変えた
凄い決断だつたな 勝つか全滅だもんな
信長の今川との戦いのときは
信長は近辺に情報収集部隊を放って
情報を徹底的に集めた上で
デマ情報を流しまくり、今川側を油断させた
ドラマでは勝算薄く賭けに出たように描かれるが
実際は、現実主義で緻密な男が信長
たしかに英雄だろうなw
戦国時代て時代背景が生んだのかw
とくに誰からと教育受けたわけでもなく信長独自の発想だから
まあ天才だろwww
カトリックだけじゃなくて
カルヴァンもやばいからなw
あれ鍋島の芝居として有名じゃん
まぁ実際晩年はボケかかってたのか愚鈍だったという
結局全部読まないと文脈や意図が分からないし、キリスト教をよく知らないとさらにわからないから、
抜粋して紹介する人はみんなそういうことになるというわかりやすい話だよね。
やはり天下取れるレベルの人物は 外国人の策略とか見抜けるんだろうな
家康は誰よりも秀吉の能力を信頼してたから
基本方針は秀吉を踏襲してる
一番近くで見てた一人だからな
フロイスと秀吉は同じ時期にお亡くなりになっているから
政宗の人生を全部見ていた訳ではないな
フランシスコ会の報告書なんて日本で読めないでしょ。
・キリスト教の布教は禁止だが、今キリシタンの者はそのまま信仰を続けることは自由
・現在のキリシタン大名もそのままでよい
・知行3000貫以上の大名がキリスト教徒になるには、秀吉の許可が必要
・それ以下の者がキリスト教徒になるのは自由
・キリシタン大名が、自分の領民を無理やりキリスト教徒にすることは禁止
・外国に日本人を売ること禁止
・牛や馬を○して食べることを禁止
キリスト教的にはともかく、宣教師的には布教しがいのある極上の狩場でね?
逆に国民全員が清廉潔白聖人君子な国に行って布教してこいってなったら、絶望しかないだろ
日本に来た宣教師は、こここそ大々的にキリスト教を広められる!と感激するのだが
いざ布教はじめると、そもそも日本人は宗教をあまり必要としておらず
仏教もたいして信じてないってことがわかってきて絶望した
唖然とするわな。
辻元とか部落とか
福者になってムカつく
小西行長かな
(浅草観音寺にて)
「左側のお堂には仏像の傍らに、優雅な魅力に富んだ江戸の「おいらん」の肖像画がかけられている。
肖像画は絹布や紙に描かれ、どれも額縁に収められている。
日本でもっとも大きくて有名な寺の本堂に「おいらん」の肖像画が飾られている事実ほど、
われわれヨーロッパ人に日本人の暮らしぶりを伝えるものはないだろう。
他国では、人々は売春婦を憐れみ容認してはいるが、その身分は卑しく恥ずかしいものとされている。
だから私も、今の今まで、日本人が「おいらん」を尊い職業と考えていようとは、夢にも思わなかった。
ところが、日本人は、他の国々では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。
そのありさまを目のあたりにして(それは私には前代未聞の途方もない逆説のように思われた)長い間、呆然と立ちすくんだ」
「シュリーマン旅行記 清国・日本」(講談社学術文庫)
どんな国でも高級娼婦はステイタスが高い
フランスでは国王の愛人が国権を握ってた
貴重な資料だよな
読んだことはないが、半生かけて書き上げたものだからねえ。
たぶん、この時代の歴史小説は大いに影響与えてるだろうけど。
中井貴一の大河でしか知らんけど。
最初、似合わねえと思ってたけど、伊達政宗と合わせて好きなドラマだ。
武田家は鎌倉以来の大名で家臣も由緒ある家多くて上下関係より自主独立戦力の横の連帯が主力だからそこまで独裁的な家臣統制できるとは思わんけどねえ
まあ、外国人の見たダイミョウだからなあ。
かなりの日本通だとしても生まれ育ったんじゃないしいろいろボタンかけちがえてる部分はあるだろうね。
デーブ・スペクターでも未だにお前何いってんだ?ってトンチンカンなところあるし。
どう考えても世界で見れば最悪の厄災だろ
いつも正義を徹す事を考えてる
絶対無二な正義があると思ってる
この時期は女は黙ってろ、ホ◯氏ねなのに
今は真逆を正義としていて、自分達が貫徹して
やらかしただけなのに、人類の罪であると言い出す
確かに、かなりのコマッタチャン
知らない人多いもんな実際コロコロかわってるし
それだけ
甲斐はずっと特に発展させようと力を入れられていない
豊臣家のときは家臣に支配させていたけど
徳川のときはほぼ天領だろw
一時期将軍の息子に与えた時期もあったけどなw
なんせ江戸城が落ちたときの控えの城が甲府城だからなw
甲府も?川越城じゃないの
どっちかというと甲府城がその役目で、川越城も、なだけ
なるほど、城下町というか交通や行政機能考えたら川越の方が行政機能江戸と変わらず維持できそう
甲州街道が多摩地方だと一直線なのも
逃げやすいようにな
八王子千人同心を多摩地方に配置したのも
将軍を逃がすための捨て石w
カトリック教会が一番欲しいものは銀で、その対価として日本で売れると持ってきたのが硝石。
日本からは大量の銀を持ち帰っているが、南蛮人が欲しがる銀を持っていない大友などの戦国大名が、硝石欲しさに人を売っていた。
新たに支配したけどその戦争で旦那は○しちゃった場合、そうするのは合理的だろ
恨まれてるのに食わせなきゃならないとかキツイ
背景を読もう
パンデミックは面白いぐらいに何かを没落させる
地上の権力や法律を認めず、布教と支配のためにあらゆる悪事謀略を許してるって内容だからな
ロシア人はイエズス会を詐欺師と呼んでる
入会誓約書に、異教徒の権力を転覆するために内乱暴動を企み、扇動するために命をかけろと書いてあるからね
詐欺でもなんでもやるだろうね
カルヴァンはめちゃくちゃ厳格だから
ジュネーブで恐怖政治やってたりする
北条征伐の時には関東は特に乱取りが激しいから絶対やめろ!
もし乱取りしたら速攻成敗するぞ!って書状や
人身売買された人たちを元の土地に返すようその土地の領主に命じてる書状なんかが残ってるね
人身売買で海外に連れて行かれてブチギレたわけだが
自分の幼少時代も思い出したのかもしれんな
中国地方攻略戦では随分とひどいこともしたが許せ
そーゆー面もなくはないかもしれないが、秀吉のキリスト教の禁止は、
基本的には自分の権力の維持のためだと思うけどなあ。
キリシタン大名も、自分の勢力拡大に役立つと考えてキリスト教を
利用していただけだろーし。
スペインやポルトガルも無数の国産銃を装備した強力な日本武士団の戦闘力に恐れをなして、武力による日本侵略は諦めたが、
キリスト教による勢力拡大で日本を支配し日本兵を使った中国侵略を考えていたようだね
[九州]
大友義鎮(宗麟)
有馬晴信
大村純忠
[関西]
高山右近
結城忠正
小西行長
蒲生氏郷
内藤如安
黒田孝高
筒井定次
畿内はまだしも九州の奴等はマジクソ
島津が叩き潰して秀吉が禁教令出してなきゃ寺も神社も無くなってたぞ
何でなんだろーね
外国との貿易での実利のために宣教師を優遇したんだろうね。
当時は大名の命令で領民全員が改宗なんて事をやってたから
実際にキリスト教を理解して信仰してた人間はずっと少ないよ
ヨーロッパでもそうだったからな。信教の自由と言う概念はまだほとんどない。
400年をかけて間もなく叶いそうだけども
仏教導入されても無問題だったから
実権がなければそう大きく変わらんと思うよ
祖先から引き継いてる文化的なものは皇室も流石に捨てられないだろうし
もしそれを捨てたら税金投じてまで存続させる意味が無くなるからね
大友氏、大村氏、長崎氏あたりがやられてるし
反大友=仏教徒だよ。
大友宗麟はキリシタンの理想郷を九州に建設するという妄想に憑りつかれて神社仏閣を破壊しまくったからな。
龍造寺も島津も仏教に肩入れすることによって寺社勢力の協力を得られるという利点もあったわけだ。
ちょっと頭のおかしなやつだよ。
未開地域の植民地化のための先兵だからな
ガチな信仰者ほど教会組織の中枢に置いとくには危険な人物だから
辺境の地で布教させるほうに回しとくとかの政治的な理由もあるんだろうな
仏教や仏教徒のことはボロクソに言ってるけど、顕如自身の人物評はしてないかな
日本で最高位の僧侶で他の僧侶からの尊崇を一身に集めてて、立派な御殿に住んでるって説明くらい
プロテスタンティズムと一向宗:キリシタン文書に基づく比較研究試論
https://doi.org/10.14989/139307
キリシタン時代の宣教師たちは自らの教えの正統性を主張するために対抗勢力である日本の諸宗教を「人々を真に救済するものであり得ない」との立場から論駁した。なかでも、とりわけ激しい批判対象となったのが浄土教、特に一向宗であった。このことは、たとえば宣教師の報告を見ても、
かの大坂の邪悪な宗派である一向宗は当都地方においてデウスの教えが抱える最大の障害の一つである……(1578年9月30日付「オルガンティーノ書簡」)
と報じられており、その他にも
「大坂の領主(顕如光佐)は、日本にある最も有害な宗派の首領であり」(1580年9月1日付「ジョアン・フランシスコ書簡」)
「大坂の市と城は日本で最も憎悪すべき宗派の一つの根拠地であった」(1584年9月3日付「フロイス書簡」)
「日本にある宗派の中でもっとも厭むべき一向宗」(1585年8月27日付「フロイス書簡」)
といった報告が残されている。このように、一向宗を強く敵視した辛辣な報告は数多くあり、一向宗に対する非難が他の仏教諸派と比しても格別に激しかったことを窺わせる。
イエズス会にとって、なぜルターと一向宗の教えに類似性があることが問題になったのか。言い換えれば、「イエズス会的なキリスト教理解」に対する「浄土宗」、ルター派――「ヨーロッパにおける論敵」であったルター派と「日本における論敵」である真宗と結びつけた上で、両者を批判し、自らの正統性を論じる
まあ最後があんな感じで帳尻は合ってるw
でも彼も若い頃に酷い事されたから
ああなった感じ
海外の宗教を取り入れて内戦を起こしたことが悪なら蘇我氏だって悪になる
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1626345906/
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