戦国期の公家について語ろう

2019年10月14日

1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/12(月) 04:18:14 ID:3McIQq9L
公家といったら近衛家ばかりに目がいきがちだけど
その他もいろいろ語ろう

241: 人間七七四年 2009/02/03(火) 19:05:13 ID:LEPj7eMo
>>1
京都御所の近衛池の桜はキレイですね。ことしも見たいと思っています。
九条池や閑院池などもそれぞれ違った趣があっていいですね。
桂池は何で一般公開しないんでしょうか?。
すばらしい庭園だという噂ですが。

 

251: 人間七七四年 2009/03/11(水) 15:45:48 ID:bRdg95Ho
>>241
桂池って桂宮家の屋敷内の庭園に池があるってことですか?
桂宮家ってどの辺にあるの?
京都御苑の南?
東?

 

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/12(月) 22:03:17 ID:4C94u50R
一条家は公家大名なのに、戦国末期まで生き残った。
そう考えると凄い。

 

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/13(火) 04:57:06 ID:yQlmqgYA
九条さんしかシラネ

 

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/13(火) 14:39:17 ID:Z5zNBcTp
九条さんねえ
唐橋在数の絡みをのぞくと、陰薄いよね
稙道なんて関白になっても、任関白の拝賀が行えなかったし、
摂津、播磨に下ってるし

 

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/13(火) 15:55:25 ID:lzoJLgY4
政基の日記ぐらいしか資料ないのかな?
当時の荘園経営に興味あるんだが…。

 

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/13(火) 16:02:55 ID:Z5zNBcTp

政基公旅引付のことね

尚経の雑記
稙道の嵯峨記もあるらしい

 

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/14(水) 18:26:24 ID:soEQpkMS
公卿補任にも載ってる三木嗣頼をどうにかしてやってください。
よっぽど室町殿に献金したんだろうか・・・

 

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/15(木) 12:04:46 ID:EaHQTnLu
薬作って売ったり、病人を治療したり、医者のような仕事をしてる公家がたくさん居たらしいよ

 

17: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/06/15(木) 18:25:33 ID:76PJnzbn
兼見のように、祈祷してやった百姓からの実入りを日記に書いてるね
金額が多い日は嬉しそうに日記を書いてたんだと思うとなんか笑えてくるよなw

 

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/16(金) 14:27:14 ID:ySMXIhgI
>>17
何もできない摂家なんかより
神祇大副で吉田神社神職のほうが、厳しい時代は生活しやすかったのかな

 

92: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/10/30(月) 00:10:56 ID:L6FRr4Hr
横光のは読んでないがそんな表現があるなら横光の時代考察はなかなかなんじゃ?
貞成親王は看聞御記の中で正月の馳走に鯛が出たと喜んでるし
吉田兼見は>>17
山科の子の言経卿は勅勘受けて大坂に逼塞してるとき町人にもらった食事を嬉しがってる
なんか親近感わくよなw

 

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/16(金) 00:59:27 ID:BJ0wM37N
横山光輝の信長の山科はひどかった

 

20: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/06/16(金) 15:21:39 ID:x63nWvTJ

>>18
というより公家衆の中でも特定の権益を有す家はそれなりに生き残れたんだろう
ただそれを維持するためには山科のように室町殿や幕府に権利を主張したり

九條や一條のように直接自領経営に赴いたりと、たたあぐらをかいていたわけではないわけだな

 

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/16(金) 15:51:38 ID:ySMXIhgI
>>20
山科の得意分野は医術ですか

 

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/17(土) 11:57:34 ID:wy/Bopv2

>>20
>たたあぐらをかいていたわけではないわけだな

年貢(って言うのかな?)が入って来ないだろうから、やむにやまれず行動する人が多かったのでしょう

 

86: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/21(土) 12:49:59 ID:01PiJHeY

>>18
それはマジ話なのか?
だとしたら凄いな…

干魚に
「美味じゃのう…」

と言ってる山科卿には泣いた

 

91: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 23:54:17 ID:6fOtkgye
>>86
笑いながら泣いていたもの。こっちが泣けてきた。
世が世なら、政治や儀式を厳粛に執り行う身でありながら・・・。

 

22: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/06/16(金) 15:57:51 ID:x63nWvTJ
家業の他に琵琶湖の座の権益も持ってたよ

 

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/17(土) 13:39:59 ID:kEMMPU/r
切羽詰ってたみたいだけどね。
横領は日常茶飯事だろうし、下手したらまったく都に届いていなかったんじゃ?

 

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/17(土) 16:11:48 ID:vQ5m7mO3
>>23-24
山科なんかは家宰の大沢が散点してる山科領を東奔西走して
在地勢力の横領に四苦八苦してますな。飛騨にあった山科領は京極に横領されたため大沢が出向いてるし
名字の地山科も細川の被官に横領されて住民が蜂起したり
山科自身が逃亡先の将軍の住居や細川の陣所に出向いたりしてる
出張費用や贈り物、交渉経費は全部自己負担だから
山科など戦国末期でも多少は所領を維持できた家以外は
泣き寝入りしかなかったんだろうねい

 

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/21(水) 16:36:01 ID:L8+pvjav
>>25
山科家雑掌・大沢氏というのは後に徳川幕府の高家になった大沢氏とは関係有り?

 

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/21(水) 16:51:20 ID:Z6XlPt5e
>>30
関係ないと思う
高家初代は大沢基宿
祖父大沢基相ー父基胤は今川家家臣で遠江堀江城主
それがなんで高家はよくわからないけど

 

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/22(木) 01:25:27 ID:Tzu+T9xX
>>31
当てになるかどうか分からないけど
大沢家の母方が皇族とか
wikiではかかれていますな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%AF%BA%E5%AE%AE

 

34: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/06/22(木) 22:40:06 ID:buIHqwYT
>>30
全然別系統。ちなみに大沢は藤原北家魚名次男鷲取流で下北面出身の地下・諸大夫

 

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/17(土) 17:37:31 ID:D0NaUdfd

1: 伊勢北畠氏
「神皇正統記」で知られる北畠親房の子孫が伊勢国に地盤をはって発展していった家系で村上源氏。 南北朝の
頃から一大勢力だったこともあり、支族も多く、木造・大河内・田丸・星合なども家が分立してます。 累代伊勢国司
として勢力を振るう一方、権大納言を極官として公家としての体裁も整えていました。 しかし戦国末期、織田信長に
敗れ信長の子信雄を養子に送り込まれる形でお家を乗っ取られ、やがて一族謀殺されて本家は滅亡しています。
分家の上記支族は江戸時代に入り幕臣として仕えています。

2: 飛騨姉小路氏
南北朝時代に南朝より国司として赴任した姉小路家綱が祖先。藤原氏。 武力を蓄えて南朝(といってももうこの頃
には有名無実化していますが)の拠点として飛騨を支配し、北朝の足利将軍家の一門である斯波氏と闘争してい
ます。 1411年の戦い以降、おそらく所領争いか跡目争いのせいなのでしょうが、この家は小島家・小鷹利家・
古河家に分立、一時期は同時に国司を名乗っていたようです。 公家としては権中納言を極官としていたようで、
後半になるとそこまで上れずに中将あたりで足踏みしている例が多く見られます。この家も下剋上の波に呑まれて
戦国時代後半になると豪族の三木氏に家を乗っ取られ、 三木嗣頼などはご丁寧に自ら姉小路嗣頼と名乗り、
朝廷から官位をもらっています。 しかしこの三木改め姉小路家も小国の哀しさ、全国統一の波の中で消えていく
運命でした。 ちなみにこの「正統」姉小路家の一族は歌道に優れ(って、この時点ですでに戦国の荒波を乗り越え
られそうにないですが)、 宮中に何度も参内しています。これなどはやはりこの一族が大名よりも公家であった
本質をあらわしているでしょう。ちなみにこの一族関係や記録は余り残っておらず、 これからの資料発掘が望まれ
ます。

3: 土佐一条氏
関白の一条教房が戦国時代に自分の領地であった土佐の中村に下向したのが最初です。ようするに疎開した
人がそのまま居ついて大名化したものです。 とびきり上流階級だったこともあり、土佐中村のように官位など
持っている人がいないような土地では大変歓迎されたようです。 大納言が極官だったようですが、やはり京都
との縁が遠のくにつれて官位も高くなくなっていきます。 末期の兼定はキリシタン大名として知られています
(洗礼名ドン・パウロ)。 長宗我部氏の土佐統一に伴い領地を失い滅亡し、最後の内政(左近衛中将)は自殺。
支族もいたのかもしれませんが、資料には出てきません。おそらく没落したのでしょう。 この一族がミニ京都
として整備したおかげで現在の中村市街は「小京都」として観光客を呼べるわけです。

その他、伊予国の西園寺家というのもあります。 南北朝に逃げてきた西園寺の一族がいつのまにか勢力を蓄えて
戦国時代に宇和島近辺を中心に支配、土佐一条氏とはずいぶん公家同士で争ったようです。 しかし実はあまり資料
がなく、本当に南北朝からあったのか、どういう系譜だったのか、いまひとつ明らかではありません。 ただ伊予国は
西園寺家の知行国(大雑把にいえば国司任命権を持つ国)で同家の領地扱いだったことをみれば、西園寺の庶流が
流れていたのは確かなのでしょうが・・・。ちなみに公家出身とはいっても本流とはかなり疎遠だったこともあってか
官位的には高くありません。近衛少将どまりだったようです。この家も長宗我部氏の伸張に伴い滅ぼされていきます。

富小路氏

摂家の二条家の傍流、ということになっていますが、やはり当時の文書にはそのことは載っておらず、いくつかの
論文ではその出自は二条家ではない、ということになっています。ではどこかというと、どうも一般庶民だったよう
です。つまり室町時代に経済の発展に伴い土倉(金融業)でお金を貯めて系図を買って貴族の仲間入りという
線があるようです。

 

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/19(月) 15:35:52 ID:9PTVnzhY
そうは言っても、摂家も清華もみんな生き残ったんだからしぶといわな

 

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/20(火) 22:13:48 ID:nlCxe46N
朝倉、今川、大内のおかげで
公家文化に浸るのが悪とみなされてる。

 

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/21(水) 14:24:30 ID:Z6XlPt5e
>>28
決して義元も義隆も全部ダメというわけじゃないけどね
義元は死に方が無残
義隆は月山富田城の敗戦後、戦に興味を無くしたのがな

 

67: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/28(金) 00:40:31 ID:XmsMv43/
>>28
悪とみなされるのは
平家物語の影響が強いと思う。

 

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/22(木) 16:32:03 ID:owu5lGr8

大宮様の娘と大沢基胤の子か
堀江城は浜松市だからありそうな話ですね

ちなみに大沢の祖は基秀、道長ー頼宗ー俊家ー基頼ー(略)の流れ
貞治年間 (1362~1367)に丹波大沢から堀江に移り住んだようだ
家系は大したことがないと思いますが

 

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/23(金) 11:26:05 ID:KZLLXSQg
公家って日記職人だったのか

 

53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/30(金) 14:41:05 ID:AtgfdWEb

>>35
九条殿遺誡で藤原師輔が「昨日の日記を書きなさい」っていってるから
この遺言を守ったんだと思う

ところでこの遺誡は日常生活中心だけど
摂家をはじめとする公家は、祖先と関連して歴史から教訓を十分学んでいるんだろうね
そこから自然と身につくんじゃない、処世術みたいなものが

 

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/23(金) 14:49:15 ID:qTHjeON7

摂家の動向

近衛・・・稙家近江に流寓、前久越後や薩摩の下る・摂津や丹波に流寓

九条・・・政基和泉などに下向、稙通摂津播磨に下向

一条・・・教房土佐下向し土佐一条氏へ、房通・内基も一時土佐へ

二条・・・尹房備前周防に下向

鷹司・・・在京

 

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/23(金) 14:55:54 ID:qTHjeON7

ところで思ったんだけど

摂家で戦乱に巻き込まれてで死んだのは、一条政房、二条尹房ぐらいだね
(一条兼定もと言えばいえるが)

足利将軍、鎌倉公方、管領や関東管領らの武家の名門は、殺されたり戦乱で死んでいるんだけど
摂家は殆どいない

武家じゃないからなのか
たまたまなのか

 

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/23(金) 21:17:12 ID:ZnPNPhsG
陶の謀反といい、幕末の七卿落ちといい周防長門は鬼門だなw

 

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/23(金) 21:56:01 ID:DKXdho8D
良豊も含めまさに遭難って感じだ

 

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/24(土) 21:48:44 ID:RRkh3DAO
実力の無い公家が没落する時代の中、武士ではない土佐一条氏が、領地を有し実効支配していたのは、やはりすごいことだと思います。
土佐一条氏は徐々に戦国大名化するわけですが、守護代や国人からの成り上がりの多い戦国大名の中で異色の存在と言えます。
ですので、曲がりなりにも戦国末期までその命脈を保った一条家の領国政策などは改めて再評価されるべきでしょう。最近の土佐一条氏の研究では、一条氏と長宗我部氏との官位の比較から、
「土佐一条氏(内政、天正五年、従四位下右近衛中将に叙任や子、政親、天正十四年十二月、従四位下摂津守に叙任)が長宗我部氏を超越する存在であった、とする論考も出てきている。」(引用文はくらのすけ屋敷より転載)
と一条氏を再評価する動きもありますので、今後一層の研究の進展が待たれます。

 

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/25(日) 02:18:31 ID:5o4Qkhek
>>40
土佐一条氏に関しては閨閥関係もまだ整理されてないよね
伊東義益に嫁いだ娘については土佐一条氏関係の資料を見てもまず出てこないし
先日日本史板で「一条兼定の娘で大奥仕えしていた女性がいた」という話を教示されて
仰天したことがある。

 

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/26(月) 15:12:35 ID:N5ClZGxM
教房は関白ですから
格だけいえば図抜けている
領国政策も良かったんでしょうね
そうでなければすぐ追放されちゃう

 

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/29(木) 16:10:32 ID:c8YDLsMo
藤原氏がしぶといのは当然と思う
なにしろ戦国時代の八百年も前から権力闘争に明け暮れてるんだから

 

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/30(金) 03:42:37 ID:xcJv635T
>>45
同じ人物が八百年も争っていたわけじゃないし。

 

51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/30(金) 12:20:05 ID:4D9HINLD
だから天皇家が一番しぶとくて
藤原氏もしぶとくて、ってことでしょ
別に>>45は藤原氏が一番しぶといとは言ってないし

 

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/30(金) 13:11:30 ID:eLNwMWjd
>>51
そっとしといてやんなよ。そういう年ごろなんだからさ。

 

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/29(木) 16:28:50 ID:iIF3agsg
近衛文麿が組閣時に記者団と交わしたやりとりを思い出した。
記者「歴代総理大臣としてはかなり年令の若い就任となりますが」
近衛「私の先祖なんてもっと年少で宰相を勤めてますよ」

 

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/29(木) 16:41:28 ID:c8YDLsMo

近衛文麿っていえば
応仁の乱の話もあるよね

歴史を背負うて生きてるんだよね、摂家の人は

 

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/02(日) 17:36:14 ID:fSoAguT+
伊勢北畠氏って
南北朝時代にあれだけ足利氏に敵対したのに、よく戦国後期まで生き残れたよね。

 

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/04(火) 16:15:39 ID:3Xi8BDOk
>>54
顕能以来多家城を拠点として、南北朝合一までしぶとく頑張ってましたから
ついに義満に所領を安堵され、その後応永五年(1398)には伊勢守護に・・・
一時反乱を起こし討伐されるも、赦免され所領も回復
このまま戦国大名に・・・

 

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/04(火) 16:22:09 ID:4bsdHlhK
むしろ北畠は次代が下れば下るほど将軍家に頼りにされ、溺愛されていくんだが

 

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/04(火) 16:45:23 ID:3Xi8BDOk
赤松満祐の子教康の首を幕府に進上した、教具とか
義材・義晴・高国に接近した材親、晴具のことかな

 

60: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/07/15(土) 21:24:55 ID:LCV3CzAR
中院通万の頃から極官は権大納言だな

 

61: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/07/15(土) 21:38:07 ID:LCV3CzAR
戦国時代の公家といえば、大坂の陣になぜか参加して人知れず討ち死にした持明院基久wwwww

 

63: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/18(火) 16:52:31 ID:Fio7aWUO
>>61
なんで参陣してるのかな?

 

66: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/19(水) 13:32:48 ID:xqde8rFB
>>61
勅勘でも受けてたの?

 

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/05(火) 19:46:27 ID:S6n3pbd6
>>61
こいつのジイさんも陶晴賢の謀反の時に巻き込まれて討死したんじゃなかったっけ?
ま、養子だから血の繋がりはないにしても、何だか不運な家系だなw

 

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/18(火) 04:52:36 ID:zb2GuJkF
伊勢北畠氏・飛騨姉小路氏・土佐一条氏のことを俗に三国司などというが、
南北朝期から現地に土着している北畠氏・姉小路氏に対して、応仁の乱以降に
現地に下向した土佐一条氏は成り立ちが異なる。
成り立ちという点に着目すれば、むしろ土佐一条氏よりも伊予西園寺氏のほうが
北畠氏や姉小路氏に似ているといえる。

 

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/02(水) 14:25:12 ID:CYl+4rJu

公家は経済的な理由で、大名のもとに寄寓すると、
和歌、蹴鞠の教授や色紙の揮毫などで、謝礼をもらうことができた

京にいるよりずっと経済的に豊かであったので、好んで下向をした

 

 

72: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/12(土) 15:25:45 ID:yLGBMV4j
下向した公家で一番有名なのは、近衛前久かな

 

73: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/25(金) 15:45:48 ID:GCpKo5RK

・文人貴族の末裔である。
・歌が好きで、『古今和歌集』や『新古今和歌集』を愛読した。
・私家集もある。連歌も巧であった。
・蹴鞠もやっていた。
・大成される前の茶や立花にも手を出しており、能も舞っている。
・『源氏物語』や『徒然草』も愛読していた。

しかし、氏真と違って文化人のイメージがない毛利元就。

 

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/25(金) 16:38:47 ID:n7caQM+F
元就は従四位上陸奥守
氏真は従五位下治部大輔

 

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/28(月) 10:55:21 ID:m1Tzt+JD
大内義隆、従二位兵部卿

 

79: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/09(土) 14:58:10 ID:0wDa9DoC

基久の実の父は正親町季秀、その父は庭田重保だよね

持明院基規か
それにしても大内義隆とともに逝ったのは、
二条尹房、二条良豊、持明院基規、三条公頼と多いね

 

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 19:25:51 ID:qie4Yax2 BE:225721627-2BP(0)
トリビア!
なんと、貧乏で餅もつけなかったという公文重忠も公家だった!

 

82: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/19(火) 15:28:34 ID:FTuV+Qpq BE:725531459-2BP(0)

基本的に土佐の古代史は文献が散逸していて、
土佐公文家がどういう経緯で誕生したのか知るすべほとんど無い。

ただ、現在の郷土史家の研究によると、古代に京から流されてきた
藤原北家流の飛鳥井の一族が土着し、公文家となったというのが有力説。

証拠は、銀杏紋という家紋、武家で銀杏紋を使用したのは後の徳川将軍家、
公家で使用したのは羽林家飛鳥井の一族のみ。

いわゆる半家(半武家半公家)の家格として、
長宗我部に仕えていたと思われる。(こういったことは珍しいことではない)
銀杏紋の家紋については、さすがに将軍家と同じではまずいと思ったのか、
江戸初期に一時期、武田菱に変えている。

長宗我部滅亡後、公文家は武士としての身分を剥奪されるが、
将軍と言えども、武家には公家の官位を剥奪する権利はないので、
完全な公家となる。
その証拠に領地はそのまま安堵され、
大地主としてのほほんと幕末まで生き延びている。

地元の住民も、公文の本家は公家だと認識しているので、
この説が今のところ研究家の間では最有力。

 

 

83: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/20(水) 00:41:22 ID:r2eXzGxT
>>82
詳細ありがとう。超ありがとう。
嗚呼、俺の中で公文先生がますます比類無き存在に・・

 

87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 05:50:02 ID:yFhN9Vr1
そういや飛鳥井って信長の越前攻めに同行してるよな

 

88: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 15:26:41 ID:ke2Z418q
飛鳥井って雅敦のことかな
親父殿の雅教は当時権中納言だけど、雅敦はまだ公卿ではないね

 

89: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/28(土) 19:19:24 ID:WqkPRDGF

>>88
飛鳥井雅敦と日野輝資が出陣してるみたい
戦力的にどうこうって感じじゃないだろうけど

このへんのことよく知りたいんだけど、やっぱ言継卿記なのかしら?
なにかオススメある?

 

90: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/10/28(土) 21:20:05 ID:EPZzWFqK

お「武家昵近公家衆」か

ところで持明院基久の反響というか、ここの人だろうかyahooの知恵袋で基久のこと聞いてたね
基久は子の基征とともに五月に入城、五月七日の天王寺・岡山の戦いで戦死してる
一説によると大坂開城後の同二十八日に没とも

 

93: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/30(月) 14:44:41 ID:F5YQ8O5P

言継卿自身が町衆と近しくて
火傷した近所の大工の下女のもとに、駆けつけて薬を与えたりしている
町内の米屋から借金したりも

 

 

94: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/30(月) 14:55:09 ID:bzh5IZeM
言継卿というと、何かいつも薬草採りに行ってるおじさん、というイメージがある。

 

95: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/30(月) 15:33:49 ID:F5YQ8O5P
藝は身を助くの典型的な人だよね
この医術の副収入で、比較的食いつないでいる

 

96: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/12/04(月) 23:10:26 ID:MNGaIXms
言継卿というと超がつくほど酒豪のイメージ。実は桓武平家なんだよなこのおじさん

 

97: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/04(月) 23:23:56 ID:Rlzkk5lT
>>96
酒は貴族の基礎的社交技術だから酒豪は酒豪でいいとして
桓武平氏ってのはこれまた・・・
どっから仕入れてきた話?

 

99: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/04(月) 23:29:27 ID:Rlzkk5lT
尊卑分脈ってことは、
山科家が言継の200年以上も前から
藤原氏ではなく桓武平氏になってたというわけ?

 

100: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/12/04(月) 23:34:15 ID:MNGaIXms
ちがったかも。教言あたりだったかな?院近臣平朝臣某が入嗣
手元に史料が無いからワカラン

 

101: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/04(月) 23:45:21 ID:Rlzkk5lT
なるほど、山科の名ができるまだ前の話で
平業房と高階栄子の子が実教の猶子教成になったのか。
これ下手すると後白河院の落胤かもと妄想。

 

102: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/12/05(火) 00:25:07 ID:SBYtNUfw
落胤説かw
ちなみに桓武平氏嫡流は西洞院家、橘氏は薄家
どちらも血は絶えたけど

 

109: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/13(水) 01:25:56 ID:RwoG5z6l

細川家が近衛家を乗っ取ったって本当?
今の当主が実は細川の家系と聞いたんだが
なんだかガセくさいな・・・。

 

 

110: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/12/13(水) 01:36:18 ID:xlADi7NX
たしか大火軍が護煕の弟かなんかだぞ。
しかし公家としての近衛は江戸初期に親王が入ってなくなっちゃったからな
いわゆる皇別摂家というやつだ

 

111: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/13(水) 15:31:21 ID:BfwXkyNF

現当主は確かにモリヒロの実弟
その奥方は三笠宮家の長女で次期当主と更に次の当主は決まっているw

信尹は一人だけ男の子がいたけれど、
何かの問題があって近衛家を嗣がせられなかったという説がある。
「近衛太郎君」といわれている人がその男の子らしい。

 

119: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/10(土) 22:06:28 ID:zN5fFD2z

>>111
太郎君は女だよ

信尹のこどもは薩摩にいたころ産まれてすぐ亡くなった男の子と、姫である太郎君だけ

 

120: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/10(土) 22:13:46 ID:N1TOvuf6
>>119
橋本政宣『近世公家社会の研究』を嫁
「近衛太郎君」の文書を分析した結果、それまでの通説であった「女性」説は信用できないとしている。
(文章が漢文でありひらがな文がない、その他)

 

114: 奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/12/13(水) 23:42:35 ID:USm2nxc5

八百屋が大名になることもある。摂家より清華が上位であることも珍しくない。

家格なんて幻だろ。

 

118: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/02/06(火) 19:55:44 ID:cTdTi5C5
>>114
よくレス見てみたら摂家と清華の家格逆転なんて絶対ありえんじゃん。
年令や個人の資質によって一定期間の位階逆転はあるが
それを例に出して家格が幻想だと言ってるなら詭弁

 

123: 人間七七四年 2007/03/08(木) 01:08:24 ID:mtIYJfK8
>>114
・摂家の嗣子は昭和の近衛忠輝以外、同じ摂家の出か直宮だけ。
・摂関は皇太子と同格で、それ以外の諸親王よりも格上。
この2点は崩れないので、摂家より格が上な精華はありえない。

 

115: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/12/13(水) 23:50:06 ID:xlADi7NX
百姓だか土豪だか足軽の倅が位人臣を極めるんだからな
やりようによっちゃ豊家も摂家として残れたかも

 

122: 人間七七四年 2007/03/02(金) 14:51:23 ID:O9un9dfl
西洞院時慶は、藤原北家師実流飛鳥井家出の居院僧正覚澄の子だよね
河鰭季富や飛鳥井雅春の関係が結構複雑だね

 

126: 人間七七四年 2007/04/27(金) 13:52:19 ID:peIHCS8N
やはり黒幕前久のことでも語ろうか
この人相当タフだよね

 

131: 人間七七四年 2007/07/28(土) 23:30:21 ID:t8gMyHxl
>>126
>>128
武士に憧れたが、武士には慣れなかった公卿。

 

134: 人間七七四年 2007/09/02(日) 03:41:57 ID:S2fOeiBT
>>126
黒幕つーか、放浪(出奔)癖が凄いね。
義兄(義輝)の仇である松永とは縁が切れないし、光秀与党と疑われるし、その度に田舎に逃げてる。

 

132: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2007/07/29(日) 00:47:40 ID:PFKRX5cI

鷹狩りとか乗馬のこととか武士に教えを請われるくらい詳しかったようだね>前久

でも晩年は
「ヤパーリ公家らしく文芸をたしなんどきゃ良かった(´・ω・`)」
と島津義久や義弘にこぼした手紙が残ってる
自分のやりたいようにやったように見える人生でも、最後は後悔が残ったと言うことなのかな

 

135: もしもし82さん 2007/09/21(金) 22:05:56 ID:3gjhG54f
公文家という家は初見
飛鳥井の末?
お話をうかがった限りでは、それは農民というのでは?
百姓にしては富裕だったというだけでは?
武士の身分を剥奪されたら
なんで完全な公家なの?
ほんものの京都の江戸時代の公家には堂上と地下があり
さらに地下の下に下級官人がいる
これらは朝廷から代々、位と官職名を授かっている
商人でも位や官職名を授かり官人身分を得ることはあるが
公文なる家は江戸時代に、そういうことがあったの?
武士ではない大地主は農民ていうんだよ
豪農とは尊称するけど

 

136: 人間七七四年 2007/09/21(金) 22:12:36 ID:3gjhG54f
同感
公家と
公家の末裔の農民とは違うよ

 

139: 人間七七四年 2007/11/13(火) 14:26:29 ID:hnQewsin
五摂家とか清華はどうでも、江戸期の公家は全般に貧しいよね
戦国期とさして変わらないような気がする
公家は貧しさに耐えうると、幕府に見くびられたように最近思えてきた

 

142: 人間七七四年 2007/12/20(木) 14:40:53 ID:6ov4rd5j
>>139
公家の貧しさより、大名旗本をのぞく武家の貧しさの方が著しいと思う。
戦国期の厳しさは、公家武家問わず江戸時代と比べるべくもないほど悲惨。

 

143: 人間七七四年 2007/12/24(月) 16:31:30 ID:zzdKheir
>>142
そうですね、江戸時代の公家の断絶は聞かないもの
戦国期は有名な公家でも、ばたばた断絶してしまいましたね
一条家(世尊寺流)、二条家(御子左流)、洞院家(西園寺流)
惜しい限りです
これらの末の庶子家の冷泉や正親町しか江戸時代に残ってない

 

141: 人間七七四年 2007/12/14(金) 15:16:45 ID:DIwxwpNJ
西園寺は京を全く離れなかったのかな。(伊予の話じゃなく)

 

144: 人間七七四年 2007/12/24(月) 16:44:17 ID:Y5SvGGTQ
このあたりで菊亭晴李の話でも…

 

146: 人間七七四年 2007/12/25(火) 10:30:11 ID:581I7Hm3
>>144
菊亭
落語家の屋号みたいだけど
公家的な呼びかたでいうと
家康の二条城は二条亭
秀吉の聚楽第は聚楽亭
公家は他の公家の屋敷を亭と呼んだみたいだね
公家的にいうと
二条家康
聚楽亭秀吉

 

156: 人間七七四年 2008/03/07(金) 11:15:11 ID:wf76QRYE
土佐中村の一条家が天下統一していたら
関白と征夷大将軍を兼任していたかもな。

 

160: 人間七七四年 2008/04/21(月) 15:16:30 ID:tGGMeK0u
>>156
九条家には関白も征夷大将軍もいたけどね。
兼ねてはいないが。

 

163: 人間七七四年 2008/05/13(火) 09:33:00 ID:eYeaFu0d
>>156
一条家って並みの公家じゃないんだね
近衛家と同格の最上級の公家なんだね
関白家が都を離れてもよかったの?
まあ近衛家も離れた時期もあったらしいけど

 

186: 人間七七四年 2008/06/28(土) 14:36:41 ID:IP4k4rGw
公家の武官って意味なくね?と思ってたら、江戸以前はちゃんと意味あるのな。

 

188: 人間七七四年 2008/06/29(日) 23:56:11 ID:dxBJoGDl
>>186冷泉家は羽林家だから
近衛中将として実があったってこと?
播磨で近衛府の中将の責任は果たせないと思うが

 

192: 人間七七四年 2008/07/06(日) 23:14:27 ID:K5CrtqJ/
公家と関係の深い戦国大名というと今川氏が有名だが、後北条氏も負けないくらい京の公家と関係が深かった。

 

193: 人間七七四年 2008/07/07(月) 00:56:08 ID:VRDbiIwq

>>192
氏綱の後妻が近衛氏の出身だしね。

若狭武田氏も公家との縁は深い。国信は長く在京していたし、久我氏に嫁いだ
娘もいる。

 

196: 人間七七四年 2008/07/08(火) 22:52:02 ID:o9CyaYJQ
>>192後北条氏は伊勢氏なんだから今川みたいな地方大名よりも公家と近い家柄じゃない?。
>>193武田氏の一族で重臣の粟屋氏の娘は近衛家の室になり、外孫は天皇になったらしい。
>>194大内氏の官位の高さは並みの公家以上だね、将軍家も凌いでいる。

 

205: 人間七七四年 2008/08/11(月) 09:21:58 ID:pZsYpMcx

戦国期の公家といえば山科言継

武士にも物怖じしない下々の人間にも気さくな人物だったらしい。

 

210: 人間七七四年 2008/08/18(月) 00:44:09 ID:Fhsy4kBk
>>205
町医者のようなこともしてたらしいね

 

219: 人間七七四年 2008/10/21(火) 19:52:40 ID:VRa4pw0W
吉川弘文堂が来年2月に出す、「公家事典」は面白そうだな。
中世・近世期の公卿3000余人の詳細なデータベース、だそうな。

 

220: 人間七七四年 2008/10/24(金) 18:49:43 ID:I/xq0TQn

>>219
ひとりひとりのデータがどのくらい厚いのか気になる
広告みたら「年ごとの官員録を個人別の官歴に編集し直した詳細な履歴」なども
載ってるらしいから期待できそうだけど

しかし価格が21000円かー
まあデータ量からしたら妥当な金額かもしれないけど

 

223: 人間七七四年 2008/11/02(日) 01:37:48 ID:AO3U0KMl
>>220
公卿補任(+歴名土台)を個人別にしただけならちょっと空しいかもね

 

225: 人間七七四年 2008/11/10(月) 19:25:44 ID:6txt+stK
>>223
編者が橋本政宣だから、そこまで酷いものは作らないとは思う……思いたい。

 

231: 人間七七四年 2008/12/05(金) 02:35:01 ID:wKEAWBhZ
九条政基は「政基公旅引付」で、この時代の研究者にとって大メジャーな人だが。

 

258: 人間七七四年 2009/03/28(土) 15:21:37 ID:e4/u2lmz
鞆ですか。鞆幕府ですね。
六角や細川・若狭武田なんかの守護の子弟までも随行していますし
もちろん奉公衆は行くでしょう。

 

259: 人間七七四年 2009/03/30(月) 07:07:04 ID:Vr3G5EEL
関ヶ原の戦いの敗戦後、毛利家の一員として柳沢も江戸に足を向けて寝てたんだろーな・・・

 

288: 人間七七四年 2009/07/06(月) 18:45:21 ID:cXUYBTJ/
>>259
柳沢家の家紋は傘。つまりアンブレラだ。明治中期、萩城跡の石垣に刻まれた柳沢氏の家紋「傘」の略字が几号水準点と間違えられたことがある。

 

267: 人間七七四年 2009/04/20(月) 16:12:58 ID:19wRXfir
京都は意外と安定していた。京都がひどいというより、地方の政情混乱で、
荘園からの年貢運搬が途切れた事が、貴族を「生産地」である地方に
行かせることになったと考えるべきかと。

 

277: 人間七七四年 2009/05/23(土) 18:50:49 ID:lZ6QNQsM
御所の木って何であんあにでかいんだ!!!!!!

 

278: 人間七七四年 2009/05/25(月) 02:41:10 ID:bG0SZWdb
>>277
肥料やりすぎたから。

 

279: 人間七七四年 2009/05/26(火) 22:16:18 ID:R9D1ODUO
>>278
正解!
京都じゅうの庭師が「お願い世話させて」って頭を地面にすりすり御役所もうでする
くらい
儲かる仕事らしいよ御所の樹木の手入れの仕事は。
肥料くらい何ぼでも、ぶちこみますわ。

 

284: 人間七七四年 2009/06/23(火) 16:13:52 ID:6Te9dlEl
連歌は何故廃れたのか?

 

285: 人間七七四年 2009/06/23(火) 21:00:27 ID:7L2Mo3m7
>>284
より簡易な俳句に移行したから。

 

287: 人間七七四年 2009/07/02(木) 15:44:44 ID:gR+oB1MH
俳諧が広まるのは芭蕉以後か
連歌が廃れるのはそれ以降

 

301: 人間七七四年 2009/08/20(木) 23:12:52 ID:/KOhMe0G

公家の公達の中には,信長軍に陣借りして所領を得ようとした者はいなかったのでしょうか?
言い方は悪いが,勝ち馬に乗るのも才覚だと思うが。

江戸期の公家の家禄を見ても万石取りはいませんよね。

 

303: 人間七七四年 2009/08/23(日) 11:24:33 ID:ylhQCou/
>>301
小説だけと、岳浩一郎『天正十年夏ノ記』にそういう人たちが出てた気がする
信長のやり方に賛同して陣借りする若い公家たち。所領を得るのが目的ではなかったみたいだけど
勧修寺晴豊による公家視点で信長全盛期を描いた小説で面白かった

 

347: 人間七七四年 2010/06/22(火) 22:13:29 ID:8AB1XIfv
>>301
万石取りになった室町以前の堂上公家は数家存在する。
出自を隠して江戸時代は大名としてやり過ごし明治に華族となった。

 

309: 人間七七四年 2009/09/01(火) 23:52:05 ID:g9u9nM+3
大内氏の処には、もっと高級な公家がいたはず。
上杉輝虎の処には近衛家もいたしねえ。

 

311: 人間七七四年 2009/09/03(木) 06:58:22 ID:sNvK+W76
>>309
陶晴賢の反乱で三条公頼(清華家・従一位前左大臣)が殺されてるね

 

319: 人間七七四年 2009/10/11(日) 11:45:58 ID:8NyG2c31
滅ぼしても意味がないしね。

 

325: 人間七七四年 2009/10/22(木) 18:24:55 ID:HiodF2dD

>>319
> 滅ぼしても意味がないしね。

それがけっこう大きいよな。

成り上がり者にとっては公家と交友があるのは
今で言うと芸能人の友達がいるようなもんで自慢できるしな。

 

320: 人間七七四年 2009/10/15(木) 15:41:19 ID:D6Mf0K41
公家らは一部を除いて江戸期も苦しかったね。

 

321: 人間七七四年 2009/10/17(土) 14:13:51 ID:mJC1MBiK
つうか平安末期の源平時代以降、華族になるまで苦しくなかった時期はないんじゃない?

 

323: 人間七七四年 2009/10/20(火) 16:19:33 ID:zhhpW0Lq
南北朝の前はそれなりに力があった。北朝になって極端に弱まった。

 

324: 人間七七四年 2009/10/21(水) 02:48:43 ID:16+ulZD6
室町期は将軍の庇護の下、荘園の復活した時代なので、公家にはかなりいい時代だった。
苦しくなったのは応仁の乱以後、守護などに地方の荘園を横領されてから。

 

333: 人間七七四年 2009/11/21(土) 17:34:12 ID:wRuCMhhg
戦国期に公家が京で暮らしにくかった、ってのは、今日が焼け野原になったからではなく
(戦国期を通じて京は日本最大の大都市、経済都市として繁栄している)、
公家の、地方の荘園からの年貢が、戦乱や地方の武士による簒奪で、京に届かなくなり、
収入がなくなったため、収入の当てがある地方に下った、という見方が正しい。

 

358: 人間七七四年 2011/02/10(木) 22:10:05 ID:UcU5okph
戦国期最強クラスの公家って誰だろ?

 

359: 人間七七四年 2011/02/10(木) 22:12:34 ID:q6pZE2Wq
そりゃ近衛さんだろ。

 

360: 人間七七四年 2011/02/11(金) 00:58:01 ID:ciu+cFTC
 近衛前久ね。

 

378: 人間七七四年 2011/09/17(土) 23:42:07.79 ID:+5LVXMQx
九条家って、九条道家のどろどろな政権争いや
九条政基の唐橋在数殺害とか、血生臭いのが多いなあ
そんな九条家が好きです

 

379: 人間七七四年 2011/09/20(火) 21:36:29.82 ID:DNzExD0h
>>378
戦国期の九条家当主というと稙通だけど、この人もなかなかにアグレッシブだよね。

 

390: 人間七七四年 2011/11/25(金) 13:44:45.10 ID:/90dCj26
近衛前久は今なら鉄道マニアになったと思う

 

394: 人間七七四年 2011/12/13(火) 23:14:30.12 ID:S2TckJSA
一条教房・房通みたいに関白経験のある
戦国大名っていうのは格好良い

 

398: 人間七七四年 2011/12/23(金) 20:01:48.11 ID:pdaSrKZ8
伊予の西園寺氏と、土佐の一条氏はけっこう戦闘しているよね(西園寺が劣勢だったが)。

 

414: 人間七七四年 2014/03/08(土) 17:08:06.70 ID:Khq3O0ty
一条さんといえば、土佐幡多荘以外にも摂津の福原荘にも下向して支配しようとしたとかなんとか
福原荘の兵庫津や幡多荘の宿毛津、足津とかを掌握して海の道を確保し流通を握ろうとしたとかなんとか

 

430: 人間七七四年 2016/02/02(火) 06:44:27.60 ID:sHmskOTR
毛利・上杉が元々公家だったのが意外
てか武家と公家を分け隔てて考えるのはやめたほうがよさそうだな
やはり公家の中に武家があると考えると納得できる

 

437: 人間七七四年 2017/12/12(火) 20:27:14.22 ID:wbWK4/8y
土佐一条家と四国西園寺家の関係はどうなんだっけ?

 

438: 人間七七四年 2017/12/12(火) 20:32:55.54 ID:XSaQwD/t
房家の娘が伊予西園寺家の広宣に嫁いでる。
実充の弟となってるけど、個人的には怪しいと思ってる。
二人の子は西園寺「伊予守」(実名不明)。
西園寺家の特徴として、代ごとに実と公を交互に通字としていることなど。
房基が生きてた頃は両者は仲が良かったと考えていいのではないかな。

 

引用元:http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1150053494/