幕末で勝つ隠していた人斬りなどの暗殺史を語ろう!!!!!
人きりとかのこととか 暗○に意味があったのか
なんかを議論できればいいなあと。
私怨はないが、新しい世のため、タヒんで頂く。
とか、
天誅ー!!!
こん国賊がー!!!
とかわざわざ話したり叫んだりしながら暗○してたの?
相手に戦う準備をさせるだけだし、何より目立ってこっちが逆に捕まったりするよね?
みたいのだし、そんな堂々とやらないだろう。
誰を斬ったのか解ってないしねw
あと、河上彦斎も佐久間象山を○した以外は誰を○してんのかサッパリw
薩摩に洋兵学を教えに来た赤松小三郎(桐野も教え子)を、
赤松が故郷に帰る際に薩摩の機密を漏らされないように暗○した
桐野自身の日記にあるらしい
分かってるのはこの一件だけみたいだな
大物でいうと大村益次郎暗○した奴は名前も分かってるのに
人斬りとしてあんま知名度ないね。やっぱ下手だからか。
岡田と薩摩の田中はちゃんと人斬りと呼ばれるにふさわしい事してるんだよね?
田中は公家の人を切っちゃってるし。
嫌いな奴がいたら、適当に難癖付けて「捕縛せよ!」と命じれば全国指名手配にできるんだからw
それが出来ない時に限り、佐々木只三郎が斬って廻ったけどなw清河八郎とか坂本龍馬とか。
同一犯かしら。
京都守護職松平容保→会津藩公用人手代木直右衛門→その実弟・佐々木只三郎留ルートで
暗○指令は当時大政奉還に反発していた会津藩主松平容保が濃厚龍馬暗○の黒幕2
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1291987139/l50
そこまで竜馬って有名人だったのかな?後藤象二郎の方が
有名だろ。
龍馬が薩長同盟に貢献した件はすぐ広まったらしく、
速攻で幕吏が突入してきた。
当時の書簡を見るにそれなりに有名人だったらしい。
ラーメン屋の間違いじゃね?
桂、高杉も幕府に狙われてたんだよね。
だったらしいけどどういう理屈なんだろう?
だから朝敵を成敗せよということで、長州へ出兵する根拠が生じるこれと同じことを鳥羽伏見の戦いの後で旧幕府が食らったから
前の時点の当事者だった徳川慶喜らには、反論不能だった
島津斉彬とかもその可能性あるんだよね。
それはない。
すでに学会で暗○ではない事が証明されているから。
俗世間で、そうした説を唱えているのは自分の書いた文章を売らんとする三文文士の作家や低俗ライターだけ
島津斉彬は毒○じゃね?
タイミング良すぎだしな
井伊直弼が将軍継嗣問題で血統上自然な紀州を推挙してたのを
水戸のオヤジがしゃしゃりでてきて
条約勅許問題をからめて朝廷に後押しさせたり
越前・薩摩・土佐・宇和島あたりを味方につけて大老の権限を
掣肘したり 幕府をとおさずに勅書をくださせたり
いろいろ邪魔なことをして井伊を窮地に陥れようとしたのが
そもそもの発端でしょうに・・・
桜田門外の変なんて 考えようによっては 反体制の暴挙とも
いえばいえる事件で・・・
もちろん安政の大獄で言論弾圧と 反体制活動家の検挙をやったのは
井伊大老にも行き過ぎたところもなきにしもあらずだけど
だからって大老襲撃を美談にして あっぱれあっぱれと
天下の壮挙にしちまったのが 天誅さわぎのはじまりですわね
・・・土佐の吉田元吉暗○までも美談にしてしまって・・・
土佐勤皇党の目的の不明確さときたら、ホント唖然とさせられる・・・
海防警備に直面する立場の雄藩諸侯が
国難に当たって将軍継嗣問題で英明の誉れ高い慶喜を推挙してたのを
井伊直弼が政敵の慶喜パパン水戸斉昭を敵視してファビョるあまり
朝廷にスパイと賄賂マシマシで妨害工作しまくり
条約勅許問題を巡る井伊の対応にブチ切れた孝明天皇の勅書を無理やり返却させようとするわ
水戸・越前・土佐・宇和島藩主を大老の権力濫用して処罰し多方面の怒りを買うわと
いろいろマズいことをして桜田門外の変を引き起こし、幕府の権威失墜のきっかけを作ったのが
そもそもの発端でしょうに・・・
土佐勤王党の目的?
コンセプト「君辱めらるれば臣タヒす」
安政の大獄で隠居・謹慎食らった容堂公の汚名を晴らし
その意志を継いで尊皇攘夷しようね!
てなもんや。
ほんっと井伊直弼は全方位にケンカ売ったのう。
不時登城でも何でもなく
責められる時由など何もなかったというのに
それと、これは資料にないことだけれども、明治後、天樟院は紀州出身の家茂の
タヒ因を慶喜による毒買い(薬○)じゃないかと侍女にもらしたりしていて、
どうも大奥では水戸のオヤジとムスコは相当キラワレモノだったのではないかと
そういうハナシもちらほら・・・
井伊は大奥を味方につけないと、和宮降下の工作もはじめられなかったりするし、
大老就任と同時に家茂を徳川宗家の継嗣につけた手前、いろいろ厄介だったんじゃないかしら・・・
・・・慶喜、かわいそうに・・・って感じですな。
井伊が朝廷を担ぐ志士達に「戊午の密勅首謀者は水戸の御老公ですう~」と
斉昭排除のため根も葉もない事吐かせようと行った大弾圧で
(まあ弾圧のメインは慶喜擁立派の諸侯&公家なんだが)
この大義なき政治テロのおかげで
すっかり井伊直弼は悪の権力者に収まり、各藩の志士に火を付けてしまった。
開国は悪くなかったけど、安政の大獄で失敗して、
幕府の行方が一気に変わったね。
開国もgdgdじゃね?
海外事情をよく調べもせずに不平等条約結んで開明派を追い払い、
そのせいで国内経済の混乱を招いた。
そもそも交渉引き延ばしの為に天皇の勅許を持ちだし責任転嫁を謀ったのが幕府転落の第一歩だった。
阿部の路線を引き継ぎ、慶喜を将軍に据え、開明派大名と協力関係が出来ていれば
より穏便な近代化の道もあったのではないかな。
薩長も最初から幕府を倒すつもりではなかった。
水戸のオヤジは病タヒなのに彦根藩士に暗○されたとかいう噂まで。
タイミングよすぎの病タヒではっきり病タヒとされてるのは梁川と梅田か。
ひどいのになると長州の藩主まで三人暗○説まであるし・・・
むかしは暗○・毒○がそれほど多かったのかな。
そんなのも含めると幕末暗○史はえらいことになる。
阿部がタヒんだことで幕府の評定に、有力大名の発言権を認める路線も終止符を打つこととなった。
有力大名も当初は、ペリーの砲艦外交に毅然とした態度をとることを幕府に期待していた。
開明派といわれるようになるのは、ハリスとの条約交渉以後の、致し方なしの見解で、
開国したといっても幕府だけの開国で、大名には諸外国との勝手な貿易は認めていなかった。
井伊が憎まれたのも、砲艦外交にくっしておきながら、相変わらず幕府の権威を誇示
しようとしたからで、開国の時点ですでにもう幕府たのみにならず、という気分は生まれていた
とも考えられそうな・・・
穏便な近代化路線は、アヘン・アロー戦争の情報が届いていた当時の日本では、
むつかしかったとも言えそうですし。
開国したことで、幕府はアメリカに降参して国をほろぼす道を選んだという意見もあった。
長井雅楽の公武合体策が亡国の策といわれたのも、それ。
阿部にはたしてハリスをぶらかし続けるだけの器量があったかどうか・・・
いろいろ疑問。
幕府をたすけようとする行為全般を 天のゆるさざる所業とみなす
つまりは佐幕イコール天誅の標的という 硬直した考えが生まれた
なかには誤解されてころされた人も・・・
徳川幕府草創のころの外国使節の饗応の記録について調べるように
たのまれていた学者まで、長州の刺客に○害されてしまったり・・・
○人が正義だなんて、いくらなんでも行き過ぎだよ
個人が正義だと思えば正義さ。
○人だろうがなんだろうが正義だといえば、言った者勝ちで正義となる。
米国が戦争する時やイスラム教徒の聖戦(ジハード)と言う名のテロもそんなもんだ。
まして、思想など深まっている現代とと違って江戸時代だからな。
現代の感覚で当時の人々の批判はできんよ。
そもそも天皇を本気で神と信じられてきた感覚自体が現代とかけ離れてるし
それに現代が思想が深まってるといってもどうだかねえ
>現代が思想が深まってるといってもどうだかねえ百年前の思想より、現代の思想の方が深く探求されていだろ
同じように、今よりも100年未来の方が深く探求されているだろうが…
歴史とはそんなものさ。
には幕末期の殆どの暗○と斬奸状とその時の生首の絵が掲載されている。
一読をおススメ。
菊池のは単に『史説 幕末暗○』(雄山閣発行)と『維新暗○秘録(平雄道雄著)』のパクリ本でしょw
読むなら菊池が元ネタにしているこの二冊の方だね。
菊池に解るのは新選組絡みのチャンバラだけ。
天誅暗○事件の背景となっている幕末政治事情までを説明しているこの二冊に優るものはないよw。
菊地明なw
去年の大河ドラマに便乗して出した「史伝岡田以蔵」も
以蔵に都合の悪い部分を恣意的に省いてるって叩かれてたw
あと明らかに違う本を参考にしているのにパクリ元の記載が無い部分もw
京都見廻組。それ以外の○○説は動機と証拠に欠けるか妄想の産物。
暗○時のリーダー格であった佐々木只三郎の実兄・手代木直右衛門が
「龍馬暗○はある諸侯の命令であった」と言い残したので、
手代木が側近を務めていた佐幕派大名の会津藩主松平容保が黒幕ではないかと思われる。
龍馬を○してなんか得があったの?
土佐藩の大政奉還運動も薩摩が後援しているし、手代木直右衛門の上司がこれらの坂本の行動に反発を抱いた、ということなのだろう。
射○してしまっている。この為○人の科も加わってしまった。しかし、大政奉還によって武力による討幕ではなく、平和裏に倒幕しようとした
竜馬に対して、永井尚志は竜馬○害を禁じる命令を出していたと言う。
しかし、その事を知らなかったのか、或いは無視してのか見廻組の1部が○害した。
彼らにして見れば、どのように幕府の幕引きを図ろうとも竜馬は許せない存在だった
のか?
本来ならば、倒幕の大立て者を○害した恩賞にあずかれる筈が、何故か褒美も出ず、
幕府側は公にはしなかった。この事から見廻組の暴走説も未だにある。
あと龍馬が永井と面会した時松平容保も同席していたと近江屋の娘が証言していたが
容保がこれを否定しているのも怪しい。
松平容保が犯人じゃないといけないんだよな
坂本龍馬暗○事件に関しては、会津藩主松平容保を真犯人とせざるを得ない。他人を罵って罪を押し付けてきた人々が犯人だったのだから、
会津はどれだけ悪事に塗れているのかと暗澹たる気持ちになる。
もっと上を向けよ
世の中楽しい事いっぱいあるぞ
会津の事に夢中なのはわかるけど他の事にも目を向けたら?
周りの評価が気になる。武士道的にも闇討ちになって卑怯っぽいんだけどなあ。
とりあえず、尊王攘夷派の間で天誅は英雄視される行為だった。
何故なら安政の大獄で志士捕まえまくったスパイが主な被害者だったから。
だが、調子こいて余計な暗○までしてたア○ゥが居たのも事実
志士を騙って商家から金を脅し取ったり、確たる証拠もないのに
佐幕派と決めつけて斬った者は当然尊敬の的にはならなかった。
ニセ志士に至っては長州藩士や土佐勤王党の志士から天誅を受けている。
仏生寺弥助などが良い例。
京都では暗○やりすぎて、(e.g.姉小路)
雄藩が公家から「なんとかしてくれ」って泣きつかれた。
それで雄藩で尊攘派の弾圧が始まった。
猿の文吉は岡田以蔵ら土佐勤王党の数人が○ったんだよね。
「奉行所の狗の目明し如きを斬るなんて刀の穢れだ」と言う事で
以蔵が扼○したんだよね。更に見せしめ効果をより一層高める為に
あんな残酷な晒し方をしたんだよね。
この頃の攘夷派は完全に調子に乗っていたね。それで調子に乗り過ぎて、酒に酔った数人が足利三代将軍の木造の
首を切り落として、晒したんだよね。それでそれまで攘夷派となるべく
話し合いをしようとしていた松平容保がキレちゃって、攘夷派に弾圧を
加え初めて、更に連合を申し出た薩摩藩と一緒に長州藩を京都から叩き出した
んだよね。
何事も調子に乗り過ぎてはいけないね。
違う、勤王党で籤引きで刺客を選び、下の連中達が○し方談義で盛り上がっていた時に、島村衞吉が「あんな犬猫同然なものを斬るなど刀の穢れである。絞○にすればよろしい」と言った事で○し方が決まった
と、元勤王党員が言っていた。
文吉に限らず天誅なんて全部志士多数によるリンチ以外のなにものでも無いよ?
だから人斬りだけが人斬ってたと思うのは大間違い
文吉は安政の大獄で活躍して攘夷派の志士に恨まれていただけじゃなく、御所の女官をレ○プしたり、借金取り立てやら、ヤクザまがいの事やって庶民にも恨まれているような奴だった
タヒ体に石投げられたらしいし
勤王党でも斬りたい人が多すぎて籤引きで刺客選んでいるような始末だったwww
容保は知らなかったのだろうか
えっ!会津藩士が関わっていたの?容保以前に俺がその事実を知らなかった。
詳細を教えて頂けますか?
大庭恭平
http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%BA%AD%E6%AD%E5%B9%B3
幕末維新期の会津藩(福島県)藩士。名は景範,松斎と号した。会津藩士の家に生まれ,
文久2(1862)年藩主松平容保が京都守護職に任命されると,藩主の上洛に先立って京都に入り,
諸浪士と往来,翌文久3年,等持院に安置された足利3代の木像の首を切るという,
いわゆる足利事件を引き起こした。
こいつ勤王党の平井の日記に名前がよく出て来てた会津藩士だわwww
会津藩の黒い噂は多い。
本間精一朗も会津藩の親戚の所に出入りし日頃の不穏な言動から
薩長土離間工作の為のスパイではないかと危惧され暗○された。
だが本物の工作員はより慎重かつ優秀で藩への忠誠心も強い人物だったと思われる。兄が会津藩主松平容保の側近である佐々木只三郎は佐幕派のヒットマンだったらしい。
井伊直弼の右腕だった長野主膳と交流があり清河八郎や坂本龍馬など尊攘・倒幕派の暗○に腕を振るった。
会津の闇は深い。
それに加えて本間は、津藩士を偽った本間と直接会ったことも有る天誅組の那須にまで、勤王の名をもって人をたばかる山師に過ぎず
正体がだんだんと知れて金子にも事欠き、最近は精一郎風の強盗が横行していたとか言われてたようだし、ニセ志士認定で暗○された面も有るんじゃないかな
長野シュゼンとか。
ところが旧来の歴史感では佐幕派の巻き返しで、
京から追い出されたり、藩で弾圧されたことになってる。
実際は人を○しすぎて墓穴を掘った。
姉小路も武市の片腕だった平井が護身用の拳銃渡したりして必タヒに守ろうとしてたのに、結局○されてしまった
勤王党や攘夷派でも過激派連中と、それ以外では相当温度差が有ったと思われる
武市は近衛に言われるまでは天誅に関与してるだろ。
しかも天下の行方に関係ないつまらない天誅。
だが、武市はずっと京都に居たわけじゃないから、天誅全部に武市が関わってるというのはあり得ない
平井ならずっと京都に居たからあり得るかもしれないけどwww
例えば、その頃江戸に居た武市には、多田帯刀の暗○に関わる事は絶対に不可能。
アリバイがあるからね。
勤王党の犯行だとしたら、あきらかに平井を中心とした京都に残った連中が長州と組んでやってる
実際、平井や勤王党員が武市の居ない間に勝手にやった天誅がかなり武市のせいにされてる事が有る
土佐からの追手の暗○だって本当は平井の指示だし
まさか武市が関与した天誅は一つも存在しないと主張するんじゃないでしょうなあ。
実行はしたことないようだがね。
そうは言って無い
長野の同心与力、本間の天誅は直接指揮してるし、文吉も武市が関わってた可能性が濃厚
ただ、天誅は全部武市が黒幕だという事にしておけば良いよねwwwみたいなのはちょっとと言ってるだけだ
薩摩や長州、他藩士と合同だったり、武市が居ない間に勤王党のリーダー格が指揮した天誅だったり
武市が全く関わってない天誅だってあるのに、全部武市のせいにしとけば良いやwwwどうせ全部あいつの仕業だろwwwとばかりに押し付けられてる場合が有るから
関与していた奴らはみんな下の下。
司馬遼太郎読んで歴史に詳しくなった気分になっちゃう人?w
高杉とかは自分でしようとしてるぐらいなんだけど。西郷とか大久保は指示したことあったのかね。
手を汚さなかったっていうか、それ以前に天誅は汚れ仕事じゃねぇからなwww
本来は天誅の刺客なんて、功名心の強いやつがやるものだし
武市の場合はしたっぱ脳筋野郎共が鼻息荒くして、わしがわしがと先に飛び出てきてたから、ボスの武市まで出番が回って来なかっただけ
そもそも天誅は武市の独断で命令して斬らせてた訳じゃなく、全て相談の上で複数でやってたし
世間で武市のイメージがゴミクズ野郎のは、小説とかドラマなどの創作で、手下を使って暗○とか、手下を毒○とかそういう間違ったイメージが刷り込まれているからだろ
実際、武市を評価している学者なんていないでしょ?
小説家とか地方の歴史家くらいで。
むしろ小説家のせいで学者(笑)の評価が酷い事になってしまったの間違いじゃないの?
まともな史料に当たらず、片寄った知識で語る学者(笑)の戯言を鵜呑みにしないように
武市なんて尊皇思想と国学ありきの人間を、尊皇思想がタブーになった戦後の価値観で語られてもね
○された山内容堂にかなり恨まれていたのかね?
特に盟主の武市は恨まれていそうな感じがするんだ。そうじゃなければ、土佐に帰還命令を出して置いて、全員牢獄にブチ込むなんて
しないしな。しかも、武士としての切腹を許されたのは武市だけで後は皆斬首されて
高知城下に晒し首にされたんだっけ?
容堂が相当恨んでいなけらばそこまでしないよなぁ。
以蔵などは、女も耐えていた拷問に泣き叫んで、真っ先に仲間を売って顰蹙かってるね
耐えきった連中は明治政府で活躍してる
河野敏鎌とかもそう
武市は何一つ自白してないけど、御見付(証拠不十分の一方的な罪状)で処罰された。
捕まった党員全員が○された訳じゃないよ
獄に繋がれた党員の中でも生き延びた人がいたとは知りませんでした。
参考になりました。俺はてっきり以蔵の自白で斬首されたと思っていました。拷問と言えば、以蔵が拷問で全て自白したと言う説と、最初は拷問に耐えていたが、
自白を恐れた武市が服毒自○を勧めた事に怒って、自白したと言う説があります。
後者の話は日本テレビの「知ってるつもり!?」の岡田以蔵の回で観た事があります。
はたしてどちらが真実なのでしょうか?
武市に毒盛られて恨んで自白は司馬の創作だよ
信じ込んでるア○な自称歴史家もたくさん居るけどね
当時の武市関係史料や横田達雄の調査だと、以蔵が拷問で自白→党員の逮捕続出→拷問、尋問が悪化→武市の弟が服毒タヒ、島村衞吉が拷問タヒ→毒○案浮上が正解
なお、結局毒○もされなかったようであると、横田達雄の武市半平太と土佐勤王党に調査結果が書いてある
以蔵も結局己の自白と仲間への不義を後悔してるし
武市が以蔵を天誅で利用やら、以蔵が毒○を恨んで自白なんて創作は武市や勤王党の志士達に大変失礼な創作だと思う
以蔵と一緒に天誅に参加した人達でも立派に生きた人達はたくさん居るのにね
> 武市の弟が服毒タヒ武市の弟も自白、その後服毒タヒ
と書かないと。
そうだったすまん。言葉が足りなかったな。
以蔵の自白で拷問や尋問がきつくなり、武市の弟も以蔵の自白が原因で拷問されて身体が弱かったせいもあって、耐えられずに、自白しちゃったんだったな
で、これ以上自白を重ねて仲間を売るくらいなら!と武市からもらった毒で自○
まず先に安政の大獄ってのがあってだな。
天誅はこの安政の大獄の復讐(合間にスパイと思しき不審人物の○害)。
天誅で○されたのは尊攘志士・一橋慶喜擁立に協力した者の捕縛に関与した人物達。
小説は歴史的事実が書いてある訳じゃないから参考にしないように。
武市>>中岡>>竜馬でしょう。
ぶっちゃけ、そのエピソードが以蔵唯一の善行じゃないかね
それ以外はろくなことしてないし
不良がひとつでも良いことをしたら良く言われるのと同じ
後、ジョン万次郎を護衛したエピソードもなかった?イゾウ
それは正しいのかわからないんだよね
そのジョン万護衛ソースそのままだと、以蔵はもう処刑されてる頃だったはずだから明らかに矛盾があるし
何かしら間違いがあるはずなんだ
まあ、以蔵より島村衛吉について詳しく知りたいんですが、以蔵に比べてなんで衛吉はマイナーなんだろ!?
剣は達人、他の武術も相当な腕前だったんですよね?
なんでって
島村衛吉は小説になってないから。
タヒぬまで拷問に耐え抜くという、志士として最も過酷な部類のタヒに方をしたのだからもっと評価されるべき。
功名心と人斬りは切り離せないね。
島村衞吉も人は斬っているけどね
しかも武市に無断で勝手に人斬りしてた以蔵と違い、衞吉は武市にきちんと断りいれる律儀さ
以蔵なんかよりもよっぽど評価されて良い人物だよ
やはり武市が黒幕か。
そもそも基本的には皆で相談しながら斬ってる集団リンチなのに、誰が黒幕とか無いけどね
最終的にOK出したのは武市でも、天誅なんて薩長の連中も絡んでたし、そいつらも武市が利用してたって言いたいのかな?
天誅組の那須日記によると、武市が居なくなった後の方が天誅が盛んになってたようだから、最終的には自分の意志で皆好き勝手やってたんじゃないんかね
平井も、武市が留守の間は、京で桂辺りと組んで党員に天誅させていたようだし
そもそも衞吉は以蔵みたいな激派って訳でもないし、以蔵程沢山人斬ってる訳でも無いから
以蔵は調子に載って功名心で人斬りしまくって自慢話ペラペラして武市にうんざりされていたようだがな
人斬りも、志士としての強い信念が有るか無いかでは雲泥の差だよ
そろそろお終いですか?それなら次の話題は何にしましょうか?やはりここはあまり有名ではないけれど、
姉小路公知暗○について語りましょうか?
あの事件は近年の研究では下手人はやはり薩摩藩の田中新兵衛と言う事で落ち着きつつ
ありますが、未だに疑問を唱える人もいます。
真相はどうなのでしょうか?皆さんで語り合いましょう。
そもそも勤王党の中でも親しい同士である平井が、護身用の銃を渡してまで必タヒに守ろうとしてた姉小路を武市が暗○するわけないし
刀落としたまま逃げちゃったんでしょうね。
太刀持ちが逃げなければ返り討ちにしてたんじゃないか。田中新兵衛、滋野井公寿、西四辻公業の可能性が高いらしいね。
田中にいたっては首実験で確認されてるし。
いずれにせよ、開国に転じたことを恨んだ尊攘派の仕業でしょうね。
>>162
佐幕派はありえない。
この事件で率兵上洛を断念したとの浅野氏祐の証言がある。
>>160
変なやつw
武市は、姉小路を頼って朝廷活動していたし、
当時疑われたのは仕方ないよ。
「篭絡された」って語ってる通りがっくりきただろうしね。
率兵上洛って薩摩の?
幕府の
仲代達也扮する武市が以蔵に命じていたけれども、史実は違うんですよね。当初は攘夷から開国派に転身した姉小路を快く思わなかった長州藩士が田中の刀を
盗んで、現場に故意に落として罪を田中に擦り付け様としたと言うのが一般に言われて来た
事ですが、真実は違うみたいですね。
そこを詳しい方々にお伺いしたくて、提案したんです。
どれが真実なのでしょうね?田中と姉小路があまりメジャーな存在じゃないから
今までは話題になる事が少なかったんで・・・
政局から締め出されていた会津藩の仕業じゃないか?
スパイをあちこちに放っていたようだし
その頃薩摩に、武市、平井、久坂辺りは良く思われてなかったみたいだし(その事については平井の日記で確認できる)
さらに天誅繰り返してたから、だから土佐の策略と疑われた。
まあ、現在から振り返ると田中は同士だってはっきりわかっているから、
ありえないんだけども。>>165
まあ当時の薩摩で尊攘派なのは京屋敷の一部だけだから。
藩重臣たちは困り果てていた。最後は寺田屋事件(薩摩藩版)だからね。
そそのかしてるそいつらも同じ扱い。
待っとけやガキ共!!
現場検証って何処に?何を?どうやって?
何処も跡形もなく変わってた。
駄目だった。
木屋町で聞き込みしたが駄目だった。
すまん。
そりゃ、そうだろうw
今の京は幕末とは全然違うだろう。
残っている名所は寺田屋と新選組当初の屯所だった八木邸や前川邸、
西本願寺くらいなモノだろう。池田屋なんかパチ○コ屋に後は居酒屋になったのか?
薩摩だか長州藩の屋敷は今の同志社大学とか京都大学になっているだろう。
「チェストー!」と叫んだのかな?
それとも秘密裏に行う事だから無言で斬ったのかな?
公知卿暗○の時はどうだったのか気になる。そう言えば新兵衛は天誅第1号とされた島左近暗○にも参加したよね。
その時はどんな感じだったんだろうか?
示現流特有の掛け声は猿叫と呼ばれる甲高い叫び声。
チェストー!は示現流は関係なく、薩摩のやつらが気合い入れる時の掛け声。秘密裏だろうが隠す必要がなかろうが、
チェストーと叫びながら切り掛かるのはまず無いんじゃないか。
そうだったのか・・・知らなかった。情報を有難う。他にみんなが注目に値する様な暗○ってあるかな?
声出さなくても、「蜻蛉」で斬りかかれば、
すぐに薬丸自顕流、示現流、つまり薩摩の人間って分かるけどなw
それしか攻撃の型がないわけだし。(後は下からの居合だけ)まあ声出さずに斬りかかるのも、彼らにしてみれば難しいだろうが。
稽古でいつも猿叫を上げているのだから。
凄い数になるのかな
許可されない場所だったじゃないか。今で例えると、一般人や右翼関係者が天皇や宮家がいる皇居に入ろうとする様
なモノだ。
ただの西郷のボディーガードじゃないの?
一応、自分の師匠格の赤松とか言う人を斬ったからなぁ。
後は幕末時代にどういう経緯か、土佐の後藤を斬ろうとしたらしいが、
それだけで人斬り呼ばわりは本人にとっても心外だろうなぁ。でも、幕末時代の薩摩藩は政治工作や何やらで、裏でかなりエグイ事を
やっていたらしいから、もそかしたらその延長線上で桐野もかなり斬った
のかも知れない。
本国が公武合体、開国、大攘夷で倒幕はかなり時代が下ってから、
京都藩邸が尊皇、即今攘夷、倒幕。(その典型が文久二年の方の池田屋事件)幕臣で海外事情に詳しい赤松小三郎は、(もちろん開国派)
本国では礼をもって迎えられたが、
京を通って上田に帰る時に、たまたま薩摩の尊攘派に○されただけでは?
桐野は凄く長州寄りの急進的な尊攘派だし。
いわゆる武辺馬○でしょ。姉小路切った田中と一緒で。
悪い人じゃないみたいだけどね。
赤松が薩摩と幕府の距離を縮めるのを嫌ったのでしょう。
薩摩(尊攘派)はこういう人がいるから怖いんだよね。
土佐と違って切る人が的確すぎるというか。
姉小路暗○はやりすぎて、尊攘派の京追放の原因になってしまったけど。
江戸詰めになったことがあるだけで、
幕府の学校への採用は上田藩に断られたんだった。
暗○事件に付いて語りましょう。絵師の冷泉為恭暗○事件なんか、あまり背景が知られていないので、御存じの方
いらっしゃいましたら御教示下さい。
なぜ、幕末とはいえ、一介の絵師が○されなければいけなかったのか?
裏事情を御存じの方、存分に語って下さい。
京都所司代酒井忠義のところ出入りしていたからスパイと疑われただけ。
あとは勝手に冷泉を名乗ったのが、尊皇派の怒りを買ったかね。
天誅対象の人選には成功者への妬みもあるように思うし。
頭がいいのか悪いのか分からないな。ノリでやったんだろうか。
人○しはしてない上に、
将来国の役に立つ大人物を○してないし、
どうでもいいような小物を○していきがってるのでもない。
けど武家政権たる幕府に対して強烈にノーを突きつけてる。
だからこそ、山内家のお家争いに発展する可能性も有り、前もって口裏あわせがされていたと思われる
あと、以蔵が全て自白したとか言うデマが広まっているが、以蔵が自白したのは京都での天誅のみで、東洋暗○に関しては誰も自白してなかった。
だからこそ、容堂も武市を不敬罪で強引に腹切らせるしかなかった訳で
土佐勤王党は東洋暗○の探索をしていた土佐藩士を二人○してる。
(藩士と言っても五十人組で当時は脱藩中だが)
ただこの暗○に武市は関わってないみたい。
一人目は麻疹で倒れていて、二人目は武市は天誅から足を洗った頃で。
関与した時は日記に書いているけど、この二人のはないので。
(ちなみに関与してる時は参加者一覧も書いてる)だからこっちの罪も問えなかったと思われる。
土佐藩士以外の関与は追求しても仕方ないし。
>>194
○しておらず、現場にもいない。
土佐からの追っ手の一人である井上佐市郎の暗○は平井収二郎の指揮で、武市ももしかしたら平井と相談してた可能性くらいは否定できないんじゃなかったっけ?
もう一人の追っ手の暗○に武市が関わってないのは確定しているようだけど
河原塚茂太郎や島村衛吉は一応実行部隊に加わっていたようだけど、以蔵は東洋の件には全く関わってない
井上はその前の大阪。土佐藩が大阪にいたのは流行病のせいで、
京に向かうことが出来ず停滞せざるを得なかったから。関与を否定するような資料はない。肯定の方向の資料もないだけで。
その頃は二人揃って姉小路にくっついて江戸に出かけてるから有り得ないんだよね
京都に残ってるサブリーダー平井収二郎の指揮で千屋菊次郎達が多田を暗○したと考える方が妥当
大正に入ってからの証言だから、配慮で外すことはありえないし、
かなり詳細な証言で、記憶が曖昧ってこともないだろう。長州からも参加しているが、双方に大物はいない。
このあたりの安政の大獄の仕返しの天誅は対局に関係なくつまらないしね。
相手はもう完全に失脚してるんだから。
その証言は知らなかった。
でも、平井の日記で多田帯刀がタヒんだことについてちらっ触れてる記述があるんだけど、その時に桂と酒(祝酒?)飲んでるみたいなのが気になるんだよね
その記述のせいで、この二人が直接関与してなくても、間接的に関わっていたんじゃないかという可能性を疑ってしまう
坂下門外の変に一枚かんでるんじゃなかったけ。桂小五郎
薩摩と水戸藩のように
長州の桂小五郎達も水戸藩と密約を結び老中安藤信正暗○計画を立てていた。
周布の失脚で桂達が参加できなくなり水戸藩の者のみで実行された。これが坂下門外の変。
薩長土の者達による天誅も桜田門外の変の影響の後続と思われる。
> 薩長土の者達による天誅も桜田門外の変の影響の後続と思われる。かなり暗○対象がせこくなってるけどね。
大物は姉小路くらいか。
佐久間象山と赤松小ざぶろうも挙げといた方がいいかな?
大老襲○に関与していたとは本当ですか?
自分は斬らずとも他人に切らせていたも同然じゃないですか?
いや坂下門外ね。逮捕されてなかったっけ?
藩を動かすという仕事に切り替えたというのは本当かね
佐久間とか無用心だよね。
安藤対馬守も軽傷で済んでる
佐久間象山が無用心なだけじゃね
一応馬には乗っていたわけだし。
佐久間象山の妻って勝海舟の妹のお順の事?
そうです
禁門の変ぐらいのときに部隊に入れたみたいなのを読んだな。
今で言うならDr.中松暗○するようなもん?
若くして朱子学の大家にもなっているし、頭のいい人。
ただ頭が良すぎて尊大になってしまって嫌われることがあっただけ。
自分の得た知識はすべてオープンにした影響力の大きい人だよ。
なのでしょうか?
一介の農民が何故、幕府の狗になったのでしょうか?
当時の農民がそんな重要機密を入手出来たとは思えないんですが。また、志士達が何故、惣助を嗅ぎ付ける事が出来たのか?彼等は本来
幕府方の武士を狙って暗○していたのに何故、農民なんかに目を付けたのか
不思議です。志士達も農民にまで情報網を張り巡らせていたのでしょうか?
それでは惣助に取っては○され損な気がしますね。
確かに雇われて情報を漏洩していたのならば金も貰っていただろうし、
奸賊と思われても仕方ないでしょうが、相手は農民なんだから生きて晒し者程度
にした方が良かったんじゃないか?と言う気がします。
護衛を沢山つければいいのに。
あれから重要人物には近衛兵が護衛に付くことになったんだっけ。
やってそうなのに自分がやられる側になると弱いもんだなあ。桜田門外の変で始まり紀尾井坂の変で終わったって感じするね。
急に取り締まれるわけがない。
斬奸状にはロシア帝国との外交失敗などが挙げられているが、
旧加賀藩士達が幕末維新の運動に乗り遅れたのをコンプレックス
に思って○ってしまったんじゃないかな?
○された方もひろゆきみたいなもんだから…
が斬首されたり、隠れていた所を「出て来なければ息子を○す」と脅されて人質に
取られ、観念して出て行って○された上に耳や腕を公卿の家に放り込まれた賀川肇
なんかは気の毒に思う。でもそんな好き勝手やっていた攘夷浪士達が政変後は逆に新選組等に追いかけ回されて
逃げまどい、斬られるのは何の因果か?
因果というか尊攘派志士が暴れて御公儀の権威だだ下がりなので
毒を持って毒を制すという事でDQN集団の新撰組にお声が掛かった。
京都守護職担当してた会津の藩士って前線出るの嫌がるんだよなw
村山加寿江も以前の勤め先の公家やらその家来やらをスパイ行為で売り渡し
安政の大獄で犠牲にしたんだから恨まれもする。
息子の多田帯刀の出世もその犠牲の上に成り立っていたのだから。
百姓が武士を○したんだからな。
天然痘
「あの頃は本当に楽しかったな~」
平和慣れした旗本も上様の敵討ちで燃えますから長州藩は
文句なしに取り潰されたでしょう・・・・・・・・・・・・。
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1296367951/
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