瑞泉寺と地蔵院に残る二つの肖像画では印象がだいぶ違かったり
信長や家康のように肖像画が多数あったりして
どれが実物に近いのかなど
あるいは本徳寺に残る光秀の肖像画、若く見えるけど、
いつ頃描かれたのかなど
戦国武将の容姿を現代に伝える画、像についての
疑問、興味、好みなどなんでも語りましょう
瑞泉寺の方はやけに狡猾そうな顔をしていて
その差が気になるんですよね
光秀の肖像画にしても結構中年になるくらい
牢人暮らしをしてた筈なのに三十代くらいに見えるし
信長の肖像画にしても一般的なイメージの物と西洋人が描いたと言われるものでは
差があるし、色々肖像画などに疑問を持ったので立ててみました
とても見えないんだよなぁ
地蔵院、秀次で画像検索すれば出てくるんじゃないかな
>>5
しかみ像が異様なくらいか
比較的容貌に統一性はある方だと思われ
久能山所蔵の町人姿の奴が生前に描かれた肖像画だとか
狩野永徳が描いたと言われるものでは差があるな
錦絵しか無い武将だって数多くいるし一点でも肖像画が残ってる武将は
まだ良い方だろう。まして複数、木像まで残ってるなら尚更だな
まあ秀秋や茶々みたいに残念な肖像画が残ってるのもなんだが
なぜか足利義晴の肖像画が
すごく信長っぽかったりするw
町人姿の家康って、関ヶ原展にも出てたキム兄みたいなやつか…
茶々といえば、息子の秀頼のいかにもお坊っちゃま顔をした肖像画、身長はともかく
そんな太っている様には見えないんだよなぁ
城からほとんど出たことない人間が160kg以上あったら
よほど不健康な太り方をしてると思うがな
お坊ちゃん顔をした肖像画と言えば宇喜多秀家もそんな感じだな
後世の人が顕彰のために描いた一種の想像図みたいなものと聞いたんだが…
個人的には宣教師の信長像も、当時の絵ではなく
そういう感じで作られたものじゃないかと思っているのだが
戦国のイケメンと言えば井伊直政か
色々な資料でも容姿褒められてるし
肖像画見ても整った顔してるしな
息子の肖像画の方は結構残念な顔してるけど
1643年に十時三弥が柳川の福厳寺に寄贈したもの
1654年の宗茂の13回忌に書かれた御花に展示されてるもの
1688年に土佐光起が書いた京都の大徳寺が所蔵してるもの
他にもあったと思うけど代表的なのはこの3枚かな
3枚ともだいぶ違う感じに書かれてるけど
たしかにそれぞれ雰囲気違ってるよな
モミアゲの長くて、ゴツい感じはなんとなく共通してるがw
海坊主みたいな道雪の肖像画は、タヒ後だいぶ経ってからのものだが
宗茂の依頼で描かれたってことで、まあ宗茂フィルターを通してではあるが
道雪本人の面影にそれなりに忠実だったのでは、と思う
戦国時代じゃないが源頼朝、義経兄弟
兄の方はなかなかの美形で弟がアレな感じがなんかリアリティ感じる
頼朝って昔言われていた肖像画って
本当は足利直義描いたものじゃないかって話なかったっけ?
元服前の肖像画がある戦国武将って信長くらいか
尤も描かれたのは江戸時代みたいだけど
肖像画といっても佐竹義宣みたいな完全武装で残っててもなんだが
どれもイケメンの部類には入ると思う
光秀の肖像画とか遺影なら、ガラシャあたりが
もっとも父親が素敵だったころの記憶の姿でも描かせたのかな
秀吉とか鶴松とかに愛着深そうだったから、
遺影とか描かせてもよさそうなものだけど
そういう類の肖像画は日本では見かけないな
鶴松は遺影と遺像(おもちゃ付き)がそれぞれ存在するよ。
あの鶴松の遺影、病弱なはずに加え、数えで3歳、満年齢なら2歳のわりに
大きい上ふくよかなんだよなぁ
秀頼の事を考えるとやっぱり母親の血か
どんな感じに作らせたんだろうなぁ
母親の茶々の肖像画の顔はひどいな
武田信玄がやっこさんみたいなやつ
武田晴信が最近NHKがよく採用する普通っぽい肖像画
信玄と晴信が別人格になりつつある
戦国じゃないけど頼朝像だって言われてたのが足利直義像だったり
尊氏像と言われてたのは高一族の誰かと言われてるように
実は別人として伝わってる像がもっとありそうな気がするな
そっくりに描いたって絵が公表されて話題になったけど
そういう人を絵師として採用しようとか思わなかったんだろうか?
葛飾北斎は作品からその節があったそうだ
似たとこでモーツァルトがサヴァン症候群と研究されてる
余談だが海外の宮廷画家は誇張して美しく描くのが当たり前なので
ありのままを描く人材は使われなかった
日本でも同じようなもんだと思われる
絵の技法などどういう風に伝播してきたのか気になる
同じ肖像画なのに取り上げられる文脈によって謀略を巡らす陰険な男に見えたり
ときに柔和で穏やかな人のいいおっさんに見えたりするから不思議
秀吉の肖像画にそっくりなおっさんがいた
誰もツッコまないのかなあと思ってたけど
不思議と誰一人そのことに言及する人はいなかったね
肖像画とあまりに似てない。
(たとえ写実的でない絵だとしても似顔絵じゃないが特徴捉え
あの人だ、ってなんとなくわかるはず。肖像画には
「リアル信長」と思わせる要素が何一つない)
それともし本当ならあの技法を信長自身が気に入って広めるだろうからね。
信玄や利休の絵を長谷川等伯が描いたという説があるけれど、
たぶん無名時代ではないか、と思われるのですが?
貧乏絵師にとっては、いい収入源だったのでしょうね。
武将が絵師のことを詳しくは知らないだろうから、
そういう斡旋業を行う商人とかがいたとも思われます。
そのへんの事情について、何か文献とかないですかね。
生前描かれた肖像画があんなに少ないんだよな
坊さんの肖像画は、けっこう生前描かれたものも多いみたいだが
坊さんの場合は、弟子に教えを伝え後継者として認めた証に自分の袈裟や法具
そして誰から伝法されたか証明するために生前から画いた肖像を授けていた。
またその師匠が生きていても、弟子が遠方に居る時には肖像を掛けて拝礼し師匠を尊敬するよすがとしていた。
勿論没後は遺影になった。
この顔や身体の特徴を描いたテンプレみたいなのを粉本という。
平安中期に仏画を描くための手本のようなものとして始まり、天皇や公家の肖像なども粉本としてテンプレ化する事でその肖像を複数作成する事が出来るようになった。
平安期の頃は没後身内や家臣の記憶を基に作られたが、室町頃には生前から本人の容貌を写して後から描けるようになっていた。
勿論、総ての人々が生前から残した訳でなく没後に身内や絵師の記憶頼りの肖像も描かれ続けてる。
概ね粉本はほぼ本人の実物の特徴そのままを描がいているが、本式の肖像では粉本にはある痘痕や刀槍などで付いた傷は描かないのが普通だったみたい。
大概は寺に置いて法事の時に厨子を開いたり、須弥壇の近くに移動させていた。
ただそんな木像が造られる時は、初期はその寺が木像の人物の菩提を弔う為に造られた寺という特別な場合で
その個人は本願施主という寺に取って特別な人として永代供養する事になっていた。
のちに大名家や有力者が菩提寺指定するようになると、寺を開いた本願施主以外にも代々の大名などの木像を造って祀るように変化していく。江戸に入ると寺を商人が建立して、建立した商人の遺影としてその木像を造り祀る例も出てきた。
それ以外ではその人物が没後神格化されて神社や寺で祀るようになった場合、そのご神体として造っていた。
基本的に木像は「祀る」為に造るものだった。
「其人不可見。尚可羨英風。」
と記述したものがあるらしいんだけど
「その人に会うことは出来なくても、
英雄の姿を羨むことはできる」
って感じの意味で良いのかな?
実際あのような漫画みたいじゃなかったろ
徳川によって悪意に描かれたと思う
とはいえ、あれは秀秋の身内が追善法要の為に画かせた(生前の寿像でない証拠に、彼の座所の上部に几帳の幕がある。人物画の上部に幕を画くのは、天皇か神像か貴人のタヒ者に対してのみ)のだから
身内自身が秀秋はあんな顔だ、と思ってたという事。
多分、身内や家臣の思い出した印象を基に画かれたんだろう。
家光が自分の夢に見た家康を元に描かせた画なんて
首が細すぎて何だこれと思ったことがあるが
冠被った装束で描かれてるけど、違う理由は何だろう
http://www.surei.net/investigation.html
木の像も同じ。
葬式や○回忌のときに、拝む対象として作られるわけだ。
想像で描くものがあるからトンチンカンな事態に。明智光秀のあの姿は、
後年、明智家の子孫を名乗る男が描かせたものだから、まあ、想像図だ。
>子孫を名乗る男が描かせたものだから、まあ、想像図だ。
地方の武将の肖像画も大抵江戸時代作成のそれだね
あれは製作工程が違うのかそれとも後で男前に捏造してるのかどっちなんだろ
丸めない方がいいと思うけど、そうもいくまい。
リアル信長肖像は太閤記の信長を適当に描き起こしただけって感じが
しないでもない
脳に欠陥でもあるんか?
ただしハンサムの基準は人によって異なる
アバタを描かないのが礼儀。
http://www.shouzou.com/mag/p8.html
下絵をもとにして、かなり美化されているね。おでこのしわ除去。
あばた除去。ひげはうすく。目つきはやや柔和に。
まゆはちょっと貴族風に。
慈眼寺の木像の方は怒っている感じでかなり印象違うんだよね
秀次にしても地蔵院の方は穏やかな感じなのに
瑞泉寺の方は傲慢な感じだし
秀吉にしても公家衣装のが有名だけど、鎧姿のがっしりした肖像画もあるし
家康も太った肖像画が多いけどしかみ像みたいな痩せた肖像画もあるし
結構同じ人物描いてるはずなのに違った印象を受ける肖像画や木像多いんだよね
年齢によっても人の印象とか結構変わるからな
明治時代の偉人とか例えば東郷とかみたいに
若い頃と年取ってからの写真じゃ誰これって感じの人も結構いるし
実際相当な美人だったんだろうな
まあ後世描かれたものらしいけど
その通り。当然ながら肖像主の都合に合わせてだけど。
最近加藤清正公信仰って叢書読んだんだが、生前に清正が肖像の下書きを絵師に画かせた話があって
この下書きが信仰の対象としてある寺に保存されてるんだという。
ただ肖像主を直接見て下書き出来なかった事例も勿論多いので、その場合は身内や家臣の証言を基に画かれる。
写真見て描いたんじゃね
生存中に描かれたババアくさいのなんだよな

http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20171026003429_comm.jpg
浄土寺尊氏

https://i.imgur.com/dbi2VIA.jpg
安国寺尊氏(木造)

https://i.imgur.com/oZMTWN6.jpg
神護寺尊氏(伝平重盛)
http://www.kyohaku.go.jp/jp/img/syuzou/meihin/shouzouga/item02a.jpg
騎馬武者

https://d2kwcz501vadsp.cloudfront.net/p/news/wp-content/uploads/2016/02/Ashikaga_Takauji.jpg
パクってきた
尊氏から義満にタレ目が遺伝しているな
特徴的な眉毛とかさ
めっちゃくちゃしんどそうなポーズ取ってるよな。
何で武将の肖像画は人間離れしているのか。
むしろ最近、よく描けている気がしてきた
時代は下るが、歴代徳川将軍の肖像画と頭骨調査で導きだされた復顔はかなり似ているというし
戦国の肖像画は浮世絵みたいな定型、デフォルメでもない
この前見つかった松永久秀の肖像画なんて、もうちょっと良く描いてあげてと思うほどへんちくりんだ
あんなんだったんだろう、本物も
宗教画だから
長い歴史があるんだし一枚くらい写真のような肖像画があってもいいと思うんだけど
まああの時期ああいう絵のスタイルが流行ってたのかもしれん。
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1449668607/

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