【戦国時代】明智光秀は本能寺に行かなかった?乙夜之書物(いつやのかきもの)では家臣である斎藤利三らが実行
※朝日新聞デジタル
https://news.yahoo.co.jp/articles/1ade4e8214a4e27f466490a44d787af505f62b40
戦国武将の織田信長(1534~82)が、配下の明智光秀(1528?~82)に討たれた本能寺の変(1582年)をめぐり、光秀は本能寺(京都市中京区)の現場には行かず、
部下に実行させていたとする学説が出てきた。本能寺の変に参加した家臣から聞いた情報として、事件から87年後にまとめられた古文書に記録されていた。
これまで映画やドラマなどでは光秀本人が寺を襲ったように描かれてきたが、それを裏付ける史料はなく、研究者の間でも議論されてきた。
古文書は江戸時代前期に、加賀藩(現在の石川県と富山県の一部)の兵学者、関屋政春(せきやまさはる)が書いた
「乙夜之書物(いつやのかきもの)」(金沢市立玉川図書館近世史料館所蔵、3巻本)。
史料の存在は一部で知られていたが、主に加賀藩に関わる部分が注目されてきた。
このほど、富山市郷土博物館の萩原大輔主査学芸員(日本中世史)が読み解いて明らかにした。
萩原さんによれば、本能寺の変の記述は1669年に成立した上巻にある。
寺を急襲した光秀軍を率いたとされる重臣の斎藤利三(としみつ)の三男で、自らも数え16歳で事件に関わった利宗(としむね)が、
おいで加賀藩士の井上清左衛門に語った内容として収録されていた。
利三と、光秀重臣の明智秀満(ひでみつ)が率いた先発隊2千余騎が本能寺を襲い、光秀は寺から約8キロ南の鳥羽(京都市南部)に控えていたと書かれている。
奥書(書き入れ)には、関屋が息子のために書き残し、他人に見せることは厳禁とある。
萩原さんは「関屋の自筆本で後世の加筆もないとみられ、事件に参加し、重要情報に触れ得る立場の人物が情報源であることから、信頼性が高い記述ではないか」とみる。
光秀本人が本能寺を襲ったと考えられてきたのは、光秀と交流があった公家の吉田兼見(かねみ)の日記(1570~92年)などに
「惟任日向守(光秀のこと)、信長之屋敷本応寺へ取懸」などと記されていたためとみられるが、うわさを書き残した可能性も指摘される。
光秀が本能寺に行かなかったことについて、本郷和人・東京大史料編纂(へんさん)所教授(日本中世史)は
「十分あり得ることではないか。光秀自身が最前線に赴く必要はないし、重臣を向かわせたのも理にかなう」と話す。
>>1
現存するのは全部、事後に天下人になった秀吉が監修、改竄した歴史書だから
嘘だらけだろうな
頭のいかれた魔王に鉄槌食らわした正義のヒーローなのに
あれだな秀吉黒幕説もあるし
光秀の知らぬ間に、秀吉は以下の兵士が
光秀の部下を上手く動かして攻めてたりして
普通そうだろw
昔やってたドラマにいたっては自ら信長に刀を振るって切り捨ててワロタ
>>1
駒に始まり駒に終わる糞のような作り話
もう無理して広げなくてもいいんだ
楽になりなよって感じ
この時代のものも古文書って言うのか?
>>1
>光秀自身が最前線に赴く必要はないし
何で?
光秀自身が最前線に赴いて信長のタヒを確認してもいいだろ
>>334
断片的な目撃者の記録もいくつかあって、明智軍は
信長と同時に、別の場所に泊まっていた信長の子供たちも
皆○しにする手はずだったのが一部逃げられて、
大慌てで捜索中だったとか。
だからたぶんそんな余裕なかったと思う。
そんなもの50年前から言われてるのに今さらドヤ顔で言われてもな…
そうなの?
学校の歴史で学んだけど、今はどう教えられてるんだろ。
ちなみに、壇ノ浦の戦いも無かったとかw
海外の歴史教科書を笑ってられないわ。
日本もねつ造ばっかり。
曰く、居城でもない鳥羽に陣を構えてるんだから
1くらい読めよ
人は記憶型と思考型に大別できる
本能寺の変の後の光秀の計画を考えるとこうなる
近江を抑え、摂津を抑える
これで畿内の覇者として確定する
次に織田の軍団を1つづつ潰していく
・旧信忠軍団(尾張・美濃)
・柴田軍団(越前)
・秀吉軍団(播磨)
まずは播磨を抑える。これで補給が絶たれた秀吉軍団は壊滅する
次に旧信忠軍団と対峙
そして家康が尾張に侵攻する
これに合わせて美濃攻め
残りは柴田軍団1つ
どうとでもなる
信長以上の包囲網だろ(´・ω・`)
野望の三好ぐらい詰んだ状況になるわ
先に○るべきは戦国最強の秀吉だろ
その頃の秀吉は直属の部下も少なくて中国地方征伐も秀吉をバ○にしてる応援部隊中心で苦労してる
光秀の軍に勝った直後も心底服従してるのは少ない
中国4000年の歴史をガン無視かよw
そこはまず、日本書紀を持ち出すべき。(´・ω・`)
信長が本能寺で明智光秀に裏切られてタヒんだのも真実じゃない
江戸時代の作家みたいなのが都合よく書いたものだからな
自筆本が創作?笑
先頭に立つとか漫画じゃあるまいし
それはどうでも良いが、最近はとんでもない書籍を学校の図書室に置いたりしてるみたいだな
歴史上の偉人を悪口だらけでボロクソに書いてる漫画付きの書籍なんか置いて何がしたいんだ?
>>23
中華系の名前の著者の漫画とかも買われてた
流行ってんのかね
LGBTの本だのが先生推薦の本
本能寺と邪馬台国しか無いの?
桶狭間と関ヶ原も好っきゃで
本能寺に光秀が出てこないのも当たり前だから
普通の戦ならそりゃそうだが、主君への謀反となればどうかな?
斎藤利三がイモ引いて「信長様あいつです!」って自分を信長に売る可能性だってあるだろ
供回りが少ないのは知ってるんだし、自分の手で確実に、と考えても不思議じゃないぞ
敵が誰なのか知らなかったらしい
そのあと義昭を京都に招いて室町幕府を再興させて自身は管領となる。
やはり野望説がしっくりくるな
秀吉の陣の近くで迷った忍びのせいだよな。
ちゃんと毛利方に渡ってりゃ全くちがったろうにね。とにかくツキが無かった。
でもこっちは本能寺の変の数日後だっけか
本能寺の変の黒幕は家康
家康は孫と子にヒントを残した
家光
秀忠
これ気付いた時は興奮して眠れなかった
何か歴史の闇の扉を開けてしまった様な感じ
秀忠の秀は秀吉の秀だぞ
当時の光とか忠なんて太郎と吾郎くらいゴロゴロおるやろに(´・ω・`)
ネタにマジレス
まともに言うのもヤボだけど、秀忠は秀吉からの偏諱で秀な。豊臣を滅ぼしてからも改名しなかったのは律儀なのか、足利尊氏にならったのか。
徳川秀忠は豊臣秀頼の舅だからな
豊臣滅ぼした後で千姫のご機嫌とるの大変だったのに
改名なんてしたらまた炎上してしまう
家光は?謀反人光秀の名前の一字をつけるなんて
別に徳川家への謀反人だったわけではない
一応家康も光秀討伐の動員はしてる
山崎の戦いとき徳川の先発隊は北伊勢、本体は尾張鳴海まで来てた
同盟国内の反乱という位置づけだから軍出すというかたちじゃなかろうか
どこの説だよw
>>56
これを知った時は面白いなと思ったよ、確かに肖像画と名前は似てる
https://ameblo.jp/yu-sama888/entry-12585668140.html
信長と森蘭丸は本能寺の変のときにちょっと未来にタイムスリップしてモンゴルに渡ってイワン雷帝を倒したんやろ?
俺は歴史に詳しいんや
千利休が戦国時代に駐在してる未来の時間管理局員という設定なら、時空の旅人で観た。
そして、現代から来た高校生達を茶室型タイムマシンで送り返す。
椎名高志のミスタージパングのオチ、元ネタがあったんだなぁ
大将とられたら終わりなんでもの、いるわけないじゃない。
どこかで寝てるわよ。
設楽が原の戦いも信長現場にいなくて1km離れて高見の見物だもんな。
秀吉の備中高松も1km離れた山から高見の見物。
所ジョージのせいで消えていく古文書
103 チーター(大分県) [US][sage] 2021/01/02(土) 22:19:01.23 ID:Yjo5kmME0
>>98
10数年前のテレビ番組で、所ジョージが古い和書を古本屋で買ってきてバラして自分で作ったオブジェに貼り付けてた
「誰かにとっては意味のある本かもしれないものをこういう無意味なものにくっつけるのが楽しい」んだそうな
世の中には金持たせたらいけない奴ってのがいる
くだらん古文書は文書されるべし
六角なんとかという書物も焚書されるべきだった
刊行された本と一点もの(写しはあったりするが )の文書と混同しないように。
「麒麟が来る」で
光秀が信長を討ったのは、
信長から「自分を○してくれ」と
頼まれたからだ。
このままでは自分は天皇にまで
害を及ぼしてしまうかもしれない。
しかし、自分を止める事ができない。
「十兵衛ワシを討ってくれ」
涙ながらに懇願する信長の頼みを、
光秀は断れなかった。
そして、本能寺の変は起こった。
ネタバレすまんな
ノブって天皇すらも如きで扱ってて気にしてなさそう
実際、関白務めて藤氏長者の近衛前久を「お前ごとき」呼ばわりしてるしな
巌流島の決闘も、隠れてた武蔵の弟子達が
小次郎をボコボコにして、撲○したんだからね
それ隠れてた弟子ごときの腕前のやつにボコされるくらい弱いって言ってるのと同じやし、結局弱いやんw
刀で切れるのはせいぜい5人までって言われてる
それに刀より槍や薙刀のような長物の方が強いから、複数人に棍棒振り回されたら戦経験無ければあっさりやられるだろう
それは大嘘、まともな刀ならもっと斬れるぞ
先祖から刀が50本以上合って10歳で本物の刀に
やっと触れさせてもらい幼い頃から刀に慣れてるおれは
司馬廉太郎が昭和以降に広めたその嘘がムカツク
そして今あれば200万から500万はした刀を
戦後にほとんど没収していったMPにムカツク
一番の名刀は刺身包丁に偽装して残ったんだけど
東京の美術館にあって手に取ってみた事ないんだよな
項羽や獅子心王リチャードみたく
大将が最前線で大暴れしてた事例はいくらでもあるわい
遠くにいてるほうが普通だと言ってるだけなのに例外持ち出してなにイキってるの?
光秀は丹波を押さえた時点で天下芻勢の首もとを押さえたと感じられたと思う
信長が上洛し三好を撃退した流れの再現を図り、朝廷に官位を授かれば信長のように君臨できると思ったのでは?
徳川と内々に協力体制を敷き、近江坂本と丹波を早々に拠点化し各地に散った大名の動きを封じれば既成事実化できる時間稼ぎができる
だが如何せん秀吉の野望が凄まじく予想外だった
いつタヒんだん?
>事件から87年後
へ~~
今から87年前の記録と言うとお…
凄く信憑性ある… ねえww
いや、比較するなら今から87年前だろ
それに激怒した信長が森欄丸に皆の前で光秀の頭を扇だか何かで叩いたのよ。
光秀は頭だかおでこから血を流していたわ。そのことを光秀は根に持ったのよ。
> 事件から87年後にまとめられた古文書に記録されていた。
これ、信憑性どうなのよ?w
まとめられたのが87年後であって
本能寺の話は参加した斎藤利三の息子から聞いたものだから信憑性あり
自分は遊軍として、信忠軍やその他の敵襲に備えて動けるようにしておくってのは理にかなってる。
やっぱ家康と組んでいたんじゃないの
そりゃまあ
斎藤利三の娘が春日局だもの
先陣切って生き残れるはずがないじゃない。
みんな三国無双のやりすぎなんです
家康の遺体には槍傷とか残っていたけどな
源平のころには一騎討ちがあったし、大将自ら戦って示さないと士気が上がらない
普通に考えたらわかるだろ
敵は本能寺にありってセリフも創作だし。
まあ、だからといって光秀自身が
知らなかった、そのつもりはなかった
なんてことはありえないわけで、
どっちにしても主犯なのは間違いないけど。
見に行くなら桶狭間とか長篠とかがどういう展開の戦だったのか見に行きてえw
光秀が本能寺行ったか行ってないかはそこまで重要な問題でもないかも
明智光秀に定着した悪者イメージを利用して金儲けしたいだけの知恵遅れか
さいなら
悪者かどうかはともかく主君を裏切った裏切り者だからな
信長も主君の斯波や足利義昭にしてるけど先にされてるから
大将本人が現場や先頭にいなくて成り立つだろうか
信長だけじゃなく信忠も○さないと意味がないが
これもしっかり達成されてるからな。
本人不在でこの手腕は見事としか言いようがない。
いかにも光秀っぽい周到さだと思うよ。
自分の耕す田んぼを守るために戦う時代に、大規模な領地替え、それも縁もゆかりもない遠い土地に移されるってなったら家来がついてくるわけないし
恨みとかなしに光秀は謀反起こすしかない
説の一つにまだ領地にもなってない石見に転封を命じられたというのがあるけど
信憑性には乏しい
今の地方自治体も地元産業も江戸をかなり引きずってるから
割と現代日本人の生活にも影響しうる出来事だわね
参勤交代が無かったら今の日本とはかなり異なっていた
と思う
参勤交代は、幕末に一度なくなってるし、
やはり、廃藩置県の方を問題にしないと。
光秀って名前がもうハゲの英雄って感じだもんな
名前負けしてない
本能寺「何故燃やたし」
信長は味方の粛清の段階に入った時期であり同盟の力を削ごうとした形跡も多い
これらは信長による権力の一極集中を志向する行動であり光秀はそれを嫌った
本能寺の変後足利義昭に書簡を送ったことからもこの意志が読み取れると思う
光秀は自身の天下よりも諸国連合国家体制の確立を図ったとみた方が自然な解釈だ
光秀の野望があったとすると、その連合国家体制の棟梁をフィクサー的に支えたいということだったと思うがね
1番腑に落ちる理由だね
光秀本人を篭絡したんじゃなく、利光・秀満あたりから篭絡して。
急襲の準備自体は家康暗○のためという面目で事前から行えるし、信長、信忠の周りに兵を進めるのも身辺警護とか、遠征のあいさつとかで充分説明つく。
何なら、利光・秀満が事を起こして「家康ではなく信長を討った。覚悟を決めろ。」の事後報告で光秀の退路を断った。くらいまであり得るかも、とか。想像が絶えない。
あと信長は女だったんだよな
それは上杉謙信
巨乳だったよ
ヒゲでボインか
古参の幹部達にして見れば邪魔だったんだろな
あとの2つは?
後の2つも対比する形で、本能寺と酷似する部分が描かれてたよ。10年以上前に読んだ本だから、細かい所は忘れてしまった。結論は、成功させなければ未遂で終わってクーデーターにならない。クーデーターを成功させるには、クーデーターを予見する政権側の上手を行かなければ、成し遂げる事は困難と。戦国時代も謀反は当たり前のように起こる出来事で、信長クラスになると神経質に謀反対策には、慎重に重点的に懸念がなかったと書かれてた。信長側から見たら、少数の手勢で入っても謀反のムの字も起こらないと確信して本能寺に宿泊したと。光秀がその上手を行ったということ。
ゆえに、天皇家の守護、八咫烏な
神武天皇の神武東征を導いた連中
三本足のカラスは比喩表現だよ
ちなみに今の現代でも裏切り者をカラスと表現したりする
そして光秀は超優秀だった 後の天海となっての活躍も異次元 風水にも長けていたし
この八咫烏の連中が天海後にはブレーンだったかもな
ちなみに天皇家のすったもんだは、仏教と神道での争いで結構生臭い事をしている
寺ってのは今でいう新興宗教みたいなもん
武装したりな 一揆も起こした 金儲けもしてた
そういう勢力が、この時代の天皇家の周りにいたわけだ ゆえに、天海僧正 空海が開祖でしょ
改めて、天皇家が認めた、空海に連なる僧として最も上のもの、天海僧正 これが徳川幕府への天皇家の墨付きって意味かな
じゃあやっぱ光秀はボケて突発的にやっただけだな
誰も予見できないとしたら、それくらいしかない
本能寺の変の何が素晴らしいというのは、クーデーターが終わった後のタイムスケジュールも完璧に近い形で作成されてたらしく、誤算が出て結局、天下を取れなかったが、本能寺の変の後の光秀の行動は間違いなかったと書かれていた。たくさん誤算が出たのは、信長の首、味方につかなかった諸大名、毛利氏宛ての書状が備中高松の切腹前までに届かなかった、秀吉中国大返し、とほころびが出て瓦解したけど、朝廷など根回しは完璧だったらしい。
秀吉さんが黒田官兵衛先生の悪巧みに乗って光秀を謀反の大逆人とした策がうまく決まった
信長暗○はコソコソやってたから 信長自体が国家転覆狙ってたから、かなり慎重にやってた
つまり、見えない第三者がいないとこの段取りを組めない それが八咫烏って話 まあ、八咫烏って組織かどうかは知らないけど、天皇家の為に裏で動く連中がいたという事
結果だけ掠め取った秀吉が下克上の世の中において上手だったといえるね
いや、大事なところが尽く誤算やん。
大将首確認できなけりゃ勝ちの宣伝が出来ないし、
諸大名味方につかなけりゃ勝ち目ないし、毛利(秀吉)の動向なんて1番見逃しちゃ駄目なところじゃん。
その時、その瞬間、大事を成し遂げた人物達は、
必ず自分達の理想が達成されるものだと確信して、
クーデーターを起こした。結果は逆に出て仕方なかった。未来から遠い過去を検証すればいくらでも穴が見つかる。机上の空論で、間違ってたじゃないかっていうけど、歴史を動かしたその時は、間違いじゃなかった。本能寺の変の理想なんて、そんな事、誰にもわからないよ。本能寺の変の後のタイムスケジュールも、ありとあらゆる想定を考えて作成されていただろう。
それでも、歴史を変えれなかったのは、努力や知恵やそんなもんで計り知れない、大きいウネリに負けたんだと思うよ。後の関ヶ原や大阪の陣で大阪側が勝つチャンスは何回とあったのに。
いや、ほころびだらけやんw
てか、前もって娘婿の細川家ぐらいには話を通しておくやろ、普通。
細川すら光秀に付かなかったと言う事は、まったく根回しがされてなかったんやん。
天皇に成り代わろうとしたのが信長
信長は神主の血筋で、物部氏の血筋という説もある
天皇家が色々とすったもんだあった事も知っていた
それを天察知した天皇家関係が、公家や将軍家に近かった光秀に指令を出し、光秀は実行せざるを得なくなった
信長は謀反の知らせで光秀の勢力と知った際、是非も無しと言った理由かこれ
国家転覆が漏れて阻止された、その指令は信長の腹心の光秀をも動かすものだった、って事
後詰で家康も秀吉も動いていた
光秀に先を越された忍び上がりの武将の秀吉は、表向きに出せない話をうまく丸め込んで光秀を逆賊扱いする事に成功し、実際に倒して天下を手に入れた
という解釈
その組織の名前は八咫烏 光秀は密約により、天海と名前を変えて家康のとこで生き延び、やがて信長を討った褒美を得た 家康の隣でね
織田は物部系じゃなくて、斎部系じゃなかったか?
先祖が越前織田の劔神社で神官やってた頃は藤原姓名乗ってるな
物部系は天皇家のすったもんだで徹底的に廃絶されたから、各地に散り散りになったという話で、こちらが聞いた話では、部とつく姓は物部氏が落ち延びてるという話だった 全部がそうじゃないけど
だから斎部系かもしれないし、斎部系に落ち延びた物部氏かも知れない まあその辺は、転覆をはかった事から察する事ができるんじゃないかな
天海が光秀はあり得ないでしょ、どれだけ政治力があっても、隠しおおせるわけがない。
あり得ないと思うなら、日光東照宮に行って見てくれ
自分の目で確かめるといい
日航の明智紋はしってるが、それでも天海=明智家の縁のものでは?程度の証拠くらいにしかならない。
実際私も、天海は明智家縁の人物だろうなとは思っている。
だが、光秀本人ではないだろ。それこそ、朝廷、法曹界、経済界まで、隠しおおせるわけがないだろあんな大物。
みざる いわざる きかざる だよ
本当の意味はこれ
信長すら倒れた連中相手に弓を引くのはこの後の歴史上ではGHQくらいだね
いや、その程度のことが天海=光秀とか、こじつけようとしたらなんでもこじつけられるな。
もう議論する価値がない。
そのせいで明智家皆○しになるんだろ?と思ったら、うまく逃げてめちゃくちゃ生き延びてる…
優秀すぎた長男を将来の芽になるから摘まれた恨みは一生消えないだろ
>>120
あれは 信長に命令されたことにして 嫌いだから○したんだよ。
まず嫁が嫌い。今川の姫で高ビーで嫌い。(側室に選ぶのは身分の低い女 未亡人がこのみ)
嫁と息子をを岡崎に置き(遠ざけ)、自分が東の抑えとして浜松に入った結果・・・
三河・岡崎の一向宗にかぶれられ 家臣ともどもウザくて嫌い
息子は 嫌いな嫁の言いなり 家臣は一向宗でウザい ころしてーーーー
ってときに息子の嫁が信長に泣き付いて チャンス!っとぶっ○したんだよ。
信長様の怒りを…って言い分出来たら ○すだろうw 嫌いな女だ。
じゃあ俺もロマンのある話を
光秀は実はあの古代の英雄ハゲクレスの子孫だった
家臣団を分断するというか、一方が自己防衛のために有力な武将に取り入ろうとすれば、他方は違う有力武将に近づかなければならなくなるという構図。
朝廷・公家・商人。政治力でこれらに勝てる武将が信長麾下にどれほどいただろうか?
信長は名もない雑魚にやられたのか?
信長に手傷を負わせて蘭丸を○した人は自分も怪我したんで山崎の戦いには参加せず生き残り
主家が無くなったので何故か鬼武蔵さんに仕えて、その後旧知の寺沢に仕えて九州の唐津に行ってる
嘘か真か、唐津城に寺に寄進された信長に傷を負わせた槍が展示してる
高速混んでて馬廻りが遅れただけやろ
先陣は烏丸線使ってたとか
おそらく後詰めのための布陣。
もし信長が本能寺を脱出した場合、
二条城は包囲されてるため
鳥羽方面へ逃走する可能性が高い。
もし逃げても確実に打ち取るための布陣と思うよ
そう 表向きにできない話の逆をとって、秀吉が天下を掠め取ったとされている
いきなりあり得ない事が起きて、事情を知らない畿内の大名が態度を決めかねるだろう事は黒田官兵衛が読んでいたから秀吉の大返し奇襲が決まった
乾坤一擲
家康はしてやられて怒り心頭
この後何度か秀吉と揉めるのも実はこれが理由
家康も同じ事を考えてたくさいが
天皇家に成り代わろうとした時点で、信長の命数は尽きてた
芸術的なクーデーターということは、私たちが単純に思う以上に、情報戦や心理戦やかなり深い所で作戦は練られたということ。で、ないと500年経った後に今だに歴史的事件に紹介されてるってことは、すごい事件なんだよね。本能寺の変は。
懸念がないじゃなくて余念がない、かね
斎藤利三の娘の春日局の墓は麟祥院にある
麒麟がくるはここからとったのかな
信長を討ち損じたら近江回りか伊賀回りで逃げたはず
伊賀回りにいたのは家康
色々ありそうやな
三条西とかってマイナー公家が大きく取り上げられてるし、
春日局の前フリって気はするね。
麒麟がくるの最終回は、斎藤利三の娘が出てくるだろうな。
光秀=天海説を例外にすれば、
明智と徳川を結び付けるのは、
春日局をおいて、他におらんもんな。(´・ω・`)
戦国武将を善か悪かなんて議論する方がナンセンス。
ここから洛中に入らずに桂川沿いに鳥羽まで南下したわけだ
鳥羽伏見の戦いでもわかるようにここは京阪間の抑えになるから
諸軍団の中では一番近い摂津にいた織田信孝・丹羽長秀軍を警戒したのかもしれない
まあでも信長は渋ちんだから、ボンクラに城はくれないぜ。秀吉と出世争いしたくらいだし
キレ者ではあったんだろうぜw
歴史に残ってる戦いかたをみるかぎり
まっとうな作戦を貫いてる
勝っても負けても、常にまっとう妥当
これって、すごいことだぞ
それとか、学会ですでに別人認定されてるとか、言わないでいてあげたのに・・。
本人のものかどうかわからないのにご苦労様だね
学会が常に正しかった事などないけどな(笑)
議論の価値ないね 学会の発表したもん信じときゃ良いんじゃないか?(笑)
わざわざ惨めなエピソードを大っぴらに語り継ぐのも変だし
何かを誤魔化すために後世に作った話じゃないか?
俺も秀吉黒幕説を推すぜ
でも光秀が現場に居なかったとなると
光秀はそそのかされたのではなく、部下を利用されただけかも知れん
8キロ後方に本陣構えてたのに?
そもそもその陣って本能寺攻める為に
集まってた訳ではないんじゃなかったけ?
明智勢は西から来ているので、南の鳥羽まで行ってたなら「後方」で待機してたとは言えないな
京の西側ではなく、主力を率いてわざわざ京の南側に回り込んでいたのなら、当然その行動には何らかの意図があったはず
失敗したときに隠れる準備だろ
>>276
おそらくだけど
京都からは南に京街道、竹田街道、伏見街道が伸びる
京街道は川沿いに、竹田・伏見街道は伏見を通り大阪方面に伸びる
大阪方面には丹羽長秀と織田信孝をはじめ蜂屋頼隆、津田信澄の四国方面軍がいて
織田軍の一番近い友軍はここで1万4000を擁してる
さらに家康とその重臣も大阪にいて同盟国首脳部との合流も可能
となると、ここに逃げられると厄介、容易には落とせない上に秀吉の中国方面との合流も見えてくる
したがって京都の南の街道を抑え、本陣を置くのは合理的と言えるし
光秀は何より四国方面軍を一番恐れていたのだろうと思われる
昔は焼き討ち暗○も政権変われば犯罪じゃないし
別人説が認定は違うな。これは勢い余って嘘かいた。ほぼ定説となってる。だ
素直にごめんなさい
脱出阻止や逆襲対処まで含めれば、作戦区域は洛外まで及ぶ
総指揮官が前線の一正面に貼り付くわけにいかんだろ
今現在でさえ後世に禍根を残しそうな文書やメモは出来るだけ作らないよう
残らないようにしようとしてるように見えなくもないわけで
歴史というのは残ったものが正しいとは限らない
そこにいろいろな説が生まれるし いつの世でも正義を貫きたいとか
本当のことを残したいと思う者はいるわけだから
ちゅうことで まあなんちゅうか
化け物かよ
君の中の常識の枠内から外れたもんは全部違うんだろいから、そもそもこんな話に参加しなきゃいいんじゃないか?
それこそどっかの研究論文でも読んでりゃいいでしょ(笑)
アンタの狭い常識の枠とか興味ないわ
光秀「(後はよろしく~)」帰宅
こうか
二条ならともかく本能寺に張り付いてたらバ○丸出しやんけ
でも、実際、信長を討ってそのあとどうするかも算段できてないなら、光秀は天才秀才の類とはちがうしそれこそ「麒麟」だなんてもってのほかだろう。
稀代の凡将・愚将と言われても仕方がない。領地経営が素晴らしくても。
>>193
そもそも信長を討てる機会そのものがめったにないからな
(1)信長がふだん安土城にいるときは手を出せない
(2)安土にいなくても信長が大軍を率いてるときはやっぱり手を出せない
(3)京都なら馬廻りも分宿させて信長が裸で近い状態だ
(4)しかも光秀本人は遠征を命じられて大軍を率いている。それも京から目と鼻の先の丹波亀山に
自分は光秀は状況を考えて咄嗟に謀反を思いついた説をとるよ
その場合後々のことまでかまってられないだろう。なるようになるで
同じ謀反でも陶晴賢はかなり入念に下準備をしたり、同僚にも手回しをしたが
当然のように晴賢謀反の噂は広がっていた。義隆が優柔不断だからそれでも通用したが
信長相手にそんなことはできないはず
俺もそれだ
恐ろしいくらいの好条件が揃った
で、そこにきて光秀からしたら理不尽な今で言うならなら転勤が
そこが揺らぐと大変なことになる
謀反が光秀の意志ではないとかそういう筋の話ではない
信濃、甲斐2国を加える大大名に成れたから
桶狭間の戦いで今川義元から独立したように
本能寺の変は、家康にとって大きな転機だった
関ヶ原の戦いと同じで、絶好の機会を逃さずモノにする家康は凄い
勿論信長には黙っていたので、こちらも真っ黒(一枚かんで光秀そそのかすというか、動きやすいように仕向けたとか)。で、実際事が起こって漁夫の利を得た。
とかも面白そう。
多方面から持ち上げられた光秀がきっと周りは自分の味方と勘違いして決起する。
秀吉が知り得るレベルの情報を信長が知らないはずない
秀吉にも同様の話が来てて、秀吉が巧みにその話に乗るような態度で隠してたらどうだろうか?
そこで、かなり話が進んだ段階で光秀も一味だったと・・・そこで秀吉が信長に密告する判断を保留。光秀の態度いかんでは・・・・と、
まぁ、妄想だなぁ。
仏法界?法僧界?そんなニュアンスで書いた。
>>221
そういう意味か。法曹界ではさすがにわからんw
仏教界とか聖界とかなら、意味わかるが。
すまん、仏教と書きたかったが、朝廷含めると神道もだし、キリスト教も含めたかったからどう表記していいかわからんなった、普通に宗教界でよかった><
細川、義昭、毛利のラインは、
押さえとかないとな。(´・ω・`)
桶狭間の奇襲もまぐれらしいし、本能寺の変が完璧に見えるのもたまたまだろ
誰も予見できなかったってことは、本当に思いつきで突発的にやっただけ
くの一忍者が変装して茶会に潜入して秘技くノ一忍者の技で○したとかあるよね?
あんな無謀な男じゃない、気合いで勝てとか1番言わなそう。とことん理論家でしょあの人?
「気合で勝て」いう人が、「やばい負けるかもしれん、逃げるわ」
はないもんな。
桶狭間以外は勝てるというとこまではかなり忍耐できる人だった
無謀なことはしない
戦略的にはできるだけ大軍を集めて相手より数的優位に立つことを最優先した
その一方で戦術的には好機とみると少数精鋭の馬廻りだけ率いて自ら突出することもよくやった
桶狭間、義景滅亡のときの越前進軍、本能寺相手の天王寺の戦いなど
本能寺も上洛だからとカッコつけずに常に大軍率いて身辺守ってれば防げたかもしれない
×本能寺相手の天王寺の戦い
○本願寺相手の天王寺の戦い
初期の戦では先人切ってたらしいからね
まあカッコよかっただろうねw
>>223
分の悪い戦いの制し方としては
桶狭間を見りゃ解るよな。
根性主体のやり方じゃない。
ただ、あの時点で信長が今川ときちんと話をしてたら
相当歴史が変わっていただろうね。
信長さん、根は優しいのに、焦って判断しすぎて同士を斬りすぎてる。
結構考え方の相性良いんだよ。
理想の追い方は違うけど、目指してる所が似てたから。
裏切者でいいじゃん
自称子孫ががんばってる
日本人の感性に「もののあわれ」というものがあって、敗者にすら美学を見出そうとする。
坊主とあきんどが絡んでる
ホントのとこは
青筋たてて年齢ありえねえとか、筆跡どうとかのいつもブレブレ歴史学者先生の通説持ち出すからシラけたねえ 天海の存在イコール天皇家のお墨付き
つまり徳川の世がいずれ来る事を徳川家臣団は知っていたから、あんだけ強固に固まっていた
三河武士だからとかではない
秀吉が長続きしなかったのは、掠め取った事に由来すると睨んでるがね 一度エゲツない真似した人間は、次は自分が同じ目に遭うかも知れないとまるで見えない何かを恐れて余計な真似しだして自滅する傾向があるね
だからごく普通に辞令を出しただけ
最後だっで「光秀何怒ってんの?」くらいだったんじゃね?
まあでも光秀ならどうしようもないな、「是非に及ばす」
それともリアルタイムに記録された噂話が正しいか
或いはいずれも正しくないか
桶狭間も本能寺もミッドウェーも大博打
桶狭間は大博打にらみえるだろうけどねりにねった計画を建ててあった
無謀というのとはちょっと違うかなぁ
作戦練った証拠なんかないよ
あれはまぐれ
そもそもはじめは全然違う場所攻めてた
情報戦やであれは
何か情報つかんでた証拠もない
そんな可能性が微塵もないから「是非も無し」
年寄り過ぎる。隠居の為のアレだよ
大作と同じw
後世の歴史家が、色んな説を上げてもしっくり来ないんじゃないの?
光秀の性格も何も本人自体謎が多すぎるらしいとどこかで見たな。
基本は斎藤内蔵助と明智秀満が
徳川家康の要請受けてやったこと
光秀が積極的だったら本能寺囲んで
数時間そのまんまなんて甘いことしない
細川藤孝・忠興親子に見捨てられ、筒井順慶にも見捨てられ
奪った金を朝廷にばら撒くという無駄なことをして
山崎の戦いで秀吉軍にあっけなく負けるという
光秀は自己評価が高く、空気の読めない武将だったのでは
皆んなも社長のこと怖がってたじゃん!
俺の行動も理解してくれるでしょ?細川さんなんて俺の親戚じゃん!
て考えだったんだろうけど今も昔も戦に大義が必要
ましてや寝首をかくとか絶対だめ
山本五十六もそれでブチギレてる
せめて、丹羽が四国に行った後だったら。><
そんなヤツが超ブラックの信長麾下で
出世できるわけないだろ。
方面軍司令官に任命されるほどの
才覚があったことは確実だ。
人望はさほどなかったのかもしれんがな。
光秀は信長にゴマすって可愛がられてただけ
宣教師の供述にも描かれているし
将軍・朝廷の橋渡し役としては活躍しただろう
あの時代に40歳前の活躍がないなんて、能力が低かったことの証明
信長の「是非もなし」は自分の見る目のなさの自省から発したのでは?
佐久間信盛が追放されたときの折檻状見ても
ほかならぬ信長その人が丹波攻略を遂げた光秀をまず第一に挙げてめざましい功績と言ってるぐらいだしな
本能寺の2年前に信長が光秀の軍略をどう評価してるかが分かる史料だし
一次史料で見ても光秀は信長に普通に重用されてるしな
信長の書状にも光秀の軍略や報告の周到さを褒めているものがかなりある
その数は信長発給文書の中でも群を抜いてるしな
美談や英雄がそんな簡単に産まれる訳ない
一切信じない
仮に信長と信忠が襲撃を察知して京から脱出をはかるなら東は鴨川に遮られてるから渡河に手間取ることになる
北側は市街地が広がってるから、夜中で閉じられてる街の木戸を打ち壊しつつ逃げるしかないので時間がかかる
となれば、脱出路は南の鳥羽口一択
おそらく、先発隊に追われて南に逃げてくるであろう信長を主力で補足するために京の南側に回り込んで待機してたのだろう
実際には察知が遅れて逃げる間もなく、主従まとめて先発隊に殲滅されてしまったわけだが
関ヶ原の戦いで家康が危険な最前線で戦いに出るようなもんだし。大将は総指揮として安全な場所に居るのは必然ではあるな。
頭のおかしいヒャッハー武将くらい
塙直之「せやろか?」
水野勝成「せやせや」
>>284
これは、そんなヒャッハーな武将が「せやろか?」などと、自分がさも違うでしょ?と思い込んでる様を楽しむ。そんなジョークレスです。
>ちなみに>>278の水野さんもなかなかのヒャッハー武将です。
団右衛門は、明らかにヒャッハーだろ。(´・ω・`)
光秀のその後行動みると本能寺は突発的だったと見るのが妥当
ようは明智の家来が場所(家康と信長)を間違えちゃったのか?
最も不思議なのは上洛していたはずの家康は京で騒乱が起こったのに
二条城や御所に向かわなかったことの方だと思うんだよな。
家康が運動音痴でとろくさいにしても変な話で何処にいたんだよ。
家康がいたのは京ではなくて堺
なんでわざわざ二条御所に向かわないといけなんだかなw
信長「う~ん …タヒんだことにしてもらってもいい?」
光秀「はぁ じゃあ私が謀反起こしたことに」
信長「いつも悪ぃな! じゃあ逃亡先は俺はポルトガル! お前は明な!」
信長光秀「シルクロード作戦決行!」
節約された世代
計画も後ろ盾もなきゃ報復されて滅ぼされるだけじゃん
現に秀吉に倍の勢力で報復されて滅ぼされてるし
真言宗高野山派の金剛峯寺の奥の院に光秀の墓がある
まぁ、光秀にしてみれば中央掌握する前に戻ってこられれば、三日だろうと、一週間だろうと変わらないわけで。
そこらへん誇張だとかねつ造だとかは些細なことだな。
光秀の最大の敗因は根回しと、信長の首を持って帰れなかったことだろう。
それさえもなかったことになりそうないい人になるのかな
事前の根回し自体が不可能な状況。
暗○前に俺アイツ○すから、味方になってくれなんて
言えるわけないしな。
結局のところ、実行した後でしか行動できないし
実際そうしたんだけども
秀吉の動きが早すぎて間に合わなかった
それなら計画してる段階でバレる
計画性もなんにもない
信長が近くに無防備のままいたから、つい出来心でやっちゃっただけ
帰ってから数日の甲府攻めは後詰めに心配無い明石 家康と謀ってたと思う
座間の白石の事件も陰謀論唱えるやついたが、お前らあれと一緒だよ
犯罪者の心理なんて、ほんとくならないものだから
光秀も似たようなもんだろ
後先考えず、感情の赴くままに行動しただけ
それは、後付けの家康過大評価。(´・ω・`)
家康が築山殿を○害したのは、べつに信長の命令があったわけ
じゃなく、信長へのご機嫌取りのつもりで勝手にやったというのが
最近の定説だろ。
上杉と聞いて、
タッちゃんカッちゃん思い出す人か。(´・ω・`)
有能だからと出自がはっきりしない人間を重宝しちゃだめだよ
世の中家柄ですよ
中国史上屈指の人○しのことか。(´・ω・`)
当たり前やろ
◯◯が××を討ち取ったという記録も◯◯が自分で槍を奮って討ち取ったと思ってんのかよ
部下がやったに決まってっだろ
明智光秀と酒を飲んでたところを、
秀吉に襲撃された可能性が高いね。
毛利討伐、徳川討伐だと思っていた兵もいる中で
主君○しを自分の目の届かない位置で他人に任せられるか?
私怨ならなおのこと、直接自分で指揮して見届けないと夜も眠れないだろう
高瀬羽皐の「本能寺の変の実歴談」の元ネタなんじゃないのか?
その結果、信長の首が取れなかったという大失態
光秀が本能寺に行ってれば、そこら辺の適当な焼け焦げた首を取り
「信長の首取ったりー」って宣言すればまた状況が変わったと思う
秀吉は「信長・信忠は生きている」ってあちこちに返書したため情報が錯乱した
犯人のホワイダニットは何かね明智君?
いや自分の一族(明智の出身の土佐一族)を滅ぼすと言われて黙っている方がおかしいだろ
>>363
UAEがあっさりパレスチナ見捨てるケースみると、同族であるというだけでは政治は動かないということ
>>364
これは理にかなってるというか腑に落ちる説
>>367
元亀3年(1572)4月の河内出兵の際の軍事編成では信長方の佐久間信盛・柴田勝家らと別に、光秀の名が「公方衆」としてあげられている。
光秀の信長と義昭の二人の主君を持つところは、他の織田家臣と光秀の異なる点であったと記されており、これは昔から有名な話。
そして光秀は足利と織田の両方を裏切った事も有名な話。足利の家来になったのではなく、元々足利に支えていたのを、織田と動揺に裏切ったのだよ。
明智は足利義昭1537 1593の家臣だったとはだ
1573年に室町幕府崩壊で義昭を生かしておいたのが失敗なのだろうか?
>>352
最近発見された文書で、本能寺の変までわずか数か月
という時期のものなのに、光秀が足利将軍家の家臣
だと書かれているものがある。
もしこれが事実なら、この時点でもまだ光秀は織田家では
将軍から派遣された客将の身分のままで、実際の主君は
足利義昭ということになる。
義昭は織田追討令を出していて、織田軍は義昭が身を寄せて
いた毛利を討とうとしていた。
もし光秀がまだ足利家の家臣だったら納得の行動。
>>364
それなら毛利は秀吉の和睦を受け入れるべきじゃないし
明智のためにも秀吉を後ろから撃つべきだろう
>>364
その史料って天正10年6月12日付土橋重治宛明智光秀書状のこと?
それ以外ここ最近新出の光秀文書ってなかったと思うが
この文書なら3年前に原本が発見されたってだけで内容自体は写しがあるから昔から知られてたよ
あとこれには光秀が足利将軍の家臣だとはどこにも書いてない
この書状の内容を要約すると、
・貴方が義昭入洛のため助力するよう義昭から命じられたことを嬉しく思う。光秀も義昭入洛の件は既に承諾している
・この度雑賀衆が明智に味方してくれて感謝する
・この度高野衆・根来衆も明智の援軍として和泉河内方面まで出陣するとのこと感謝する。恩賞については後々相談しよう
・近江・美濃まで平定することができた
・追伸部分は義昭入洛が叶うよう是非力添えしてあげて欲しい
光秀って年齢的には既に老境だし、
天下取りで襲撃は無さそうな気するよね
陰謀論とか好きじゃ無いけど、
本能寺の変に関しては動かされた説が説得力あるよな思う
誰が動かしたかは知らんけどw
先の展望は絶望的
まさかそんな簡単な算数も計算できない状態になった心理はやっぱり分からん
いや、バ○でもわかる
仮にもそいつらは織田軍だ
>>380
明智連合は80万な
計画では圧勝する予定だった
計画通りいかなかった理由は↓
そんな計画があった証拠あるの?
当初は細川、筒井などの盟友を数に入れて決起したんだろ。
バ○じゃないんだから戦力分析をして事に及ぶだろ。
すぐに返ってこなければ明智の天下取りは成功したので
秀吉の実力がはるかに上だっただけ
光秀の周囲が全部敵だから天下取りなんて無理
秀吉が戻ってこなくても自滅してただろう
ほかの武将は信長が居なくても
有力武将だが
秀吉だけは信長のバックがなければ
武将でいられない
だから信長の威光があるうちに
すぐに光秀を討つ必然性があったのは
秀吉だけで、それに成功した
>>1669年に成立した上巻
87年後の史料じゃなあ
従軍慰安婦も噴き出すレベルかと
光秀は四国の長宗我部元親と親戚ぐるみの親交を持ち、信長もそれを認めていたと記録が複数ある。
そして本能寺直前に土佐の長宗我部と明智との書状のやりとりした記録がある。
明智の仲介もあり長曽我部は信長の意向に従う決断をしたのに、信長が一方的に破棄。それに怒りを表している。
また明智なぜ長曽我部と親しかったかというとこれは単純で、同じ四国の出身で土佐一族であったからである。
光秀のルーツは岐阜県明智町じゃなかったっけ?
不明
最近だと滋賀の多賀付近の出自説もある
一応、我が可児市もそうなんすよ
麒麟が来るは可児市の明智荘説に準じた設定だったっけ
その辺はよう解らんけど、他にも土田御前の出生地らしい
「蘭奢待切り取り事件」
蘭奢待は聖武天皇の遺宝とされる香木で、東大寺正倉院に収蔵される。「天下第一の名香」と謳われ権力者に重宝された。
信長は、自身の権力を誇示すべく、この蘭奢待を切り取る勅許を正親町天皇に求めた
正親町天皇は、「そんなことをすれば聖武天皇の怒りが天道にまで響く」と怒りを顕わにしたが、
最終的には許さざるをえなかった
信長の前に、足利義政も切り取ってたよな、確か。
歴史の授業の時点でそれはないと思ってた
いまでいえば、トランプが世界を征服みたいな話
お前は明日からアフリカに行けと言われたら
老境の部下は「もうついていけんわー、もうここらでこいつ○すか」
となっても不思議ではない
信長の意志を受け継ぐものとしてやらざるをえなかったが
実際に天下を取ってしまったときから秀吉は狂い始めた
そういう時代だった
信長と秀吉が天下統一の狂気に落ちていく様を見て
実際に天下統一したら冷静にどうするのかを
じっくりと考える時があったからだろう
>>381
徳川は秀吉の築いた天下を維持しただけ、秀吉の右腕として秀吉なき後も組織を守った
織田は天下をとっていない
征夷大将軍にもならなければ、参勤交代みたいなアイディアもない無能じゃん
家康と比べ物にならない
朝鮮出兵とかしないで
国内おさえて
後継者つくっていればよかったのに
それか家康○すか
明の悪人、懐良親王に○されてるじゃん?
魔王を名乗って天下を取ろうとしてたのは
事実だろ?
すでに天皇がいるから
日本をそれと別に支配するなら
魔王とか言わざるをえなかった
>>410
たとえだよ、たとえ
秀吉は織田の時代から勢力を拡大※してようやく「天下統一を成した」と言った言われた
※四国、九州、東北地方を平定
撃つか知らないでいったんだろう
まさか織田信長をうつとわ知らないで
じっさいそうだったと
最近の違う古文書ニュースであったな
そこにいるやつを全員○せと言われただけと
弥助はそもそも人という扱いでなかったから
○されなかったと
家臣が勝手にやった
とかだと、逆に無能になり下がるじゃん
家臣の統制すらできない馬○殿やで
京都を完全に抑えれば天下人みたいなものだけどな
なら細川家、三好家、松永が天下をとったのだな
京都を支配した武家には早々に不幸な末路が待っとるんやで。
これが京の恐ろしいとこや。
あくまで朝廷の臣下という立場を崩した勢力はことごとく滅ぼされている
蘇我氏、平氏、源氏、封建制から律令制の中央集権化を画策した信長
この時期天下の見えた信長は家臣の整理粛清を進めていて、次は自分たちだと悟った明智軍団が先制反撃したのが本能寺の変。
主人公なんだからもちあげるにきまってんだろ。
歴史上の人物なんて殆んどが上げ底評価だ。
やってない事業さえ主人公の偉業にさえしてしまう。
物語は所詮嘘の世界。
明智光秀 Wikipedia
で検索するともっと正確で詳しい情報が見れるよ!
もう戦国につかれていたから
織田が平定していただろう
後継者が問題
光秀・やばいよ言う事聞いてくれないよ、あーやっちゃたーどうしよー、
もう開き直っていくとこまでいくか、しかし今回は無計画だし
えっ秀吉なんでこんなに早く帰れたの?なんでこんな事に・・・
織田の殿様は恐かったけど意外に民からは慕われてるし
終わったな
信長が民から慕われるのは順当
あの当時で生きるなら信長か北条のとこだろうってくらいにはホワイト
その前に元寇があり
全国の武士が馬にのって日本を縦走する必要がうまれ
街道が整備されてきたからだ
それが完成してきて、じゃあ日本統一だという話になったのだ
物理的な可能性が先にあった
国際航路の発見で大航海時代が始まりイギリスが世界統一の野心を
実行し始めたのと同じだな
大航海時代は単純にオスマンが強すぎて
中東の内陸貿易路自由に使えなかったから
ならなおさら
国際航路の発見がなければ
イギリスが世界支配の野望をもつことは
なかっただろ?
つまり元寇こそが信長の
天下統一の野望の起きた原点
当時、大型輸送は船だよ?
ラクダなんかw
偉い人は馬に乗れるけど、御付きは徒だから、
あんまり意味がないんだけどね。
街道が開けてなければ
偉い人も馬に乗れないわけだが
老いた秀吉が大阪佐賀を往復できない
このときはじめて老人でも
こんな遠くまでこれる道が完成したんだろ
ぶっちゃけ、今残ってんのは大概は秀吉の都合の良い歴史だろうね
家康だろう
最後に制したのが家康だから、そういう意見もあって良いと思うけど
こと本能寺の変に関しては家康の都合のよい様に弄る必要なさそうかなと
まあ、黒幕説あるけどね
だった訳だ
織田信長
がいるとは言わないで
敵がいるから撃てと
部下「敵とは一体誰なのでござるか!?」
光秀「O田N長じゃ!」
本願寺の変は秀吉の策略とも言える
その秀吉が策略を実行できたのは任命した織田信長
つまり本願寺の変は織田信長の策略と言える
明智光秀は、まんまと織田信長の策略に陥れられたのだ
>>439
手紙が山のようにある
本願寺の直前の長曽我部と明智光秀との手紙も美術館が整理していて2019年にようやく見つかった
ほりかえしたら
信長の骨とかでてこないの
DNA鑑定とかできないのか?
信長の遺体もミステリーの一つだよね
個人的には信長は落ち延びたか、最初から居なかったかだと思う
弥助が持ち去っただとか、完全に焼失したってよりはアリだと思うんで
だから何?ってレベルのどっちでもいい話だなぁ
秀吉「明智秀吉よ、まんまと騙されたな!これぞ本能寺の変なり!信長もおまえも我が計略にまんまとかかったのう」
とか言ったのかもしれない
一代で大勢力をおこし最期は燃え盛る炎をバックに消え、遺体は見つからずとか、
もうこれでもかレベルの主人公補正だもんな
本能寺の変ない信長は三好長慶みたいに地味な扱いされちゃったかもね
ファッションは絶対変わってたと思うし
天守は京都御所のような構造になっていた
天皇を迎えるためという好意的な解釈がなされているが
実際に信長が居住していた安土城に天皇が京都を捨てて遷都するだろうか?
秀吉の天下取りのあと
朝鮮出兵の佐賀の城に老いた秀吉が来ているように
軍事利用できる街道が全国で完成したのだ
信長のときは大返しができるぐらいはできていたが
そこから先はまだ天下統一前だから
完成していなかったのだろう
国の境にはわざと通じてないところを
各所に残していたのだ
天下統一したからこそ、ズバッと全国に道を通せた
歴史書書いたやつの妄想が歴史になるから
今現在の安倍晋三のことですら分からないのに過去のことなど分かるわけがない
波斯、インドでいうパールシーが日本に渡来していたのは出土品からはまず間違いないとみてる
彼ら中国に移住してきた古代ペルシャ人が祆教景教やヘレニズム文化を日本に持ち込んだ
信長を討伐するのに光秀を利用し、織田家を衰退させるに秀吉を利用したとも考えられる
陸海軍を倒すためにスターリンを利用した
>>460
後白河は、その場その場で強いほうについただけの人だよ。
北条に関しては完全に鎌倉内部の権力闘争だし。
信長の時代は朝廷は貧乏だから、金持ちに寄生しないと
天皇家はなんにもできん有り様で、そこまで気も回らないだろうね
なんでこんなに細い道なのだろうと
疑問に思ったことはないだろうか
あれはわざとだ
大軍団でワーッと通れないように
わざと細く作ってある
天下統一してからもそうなんだから
その前は推して知るべしだ
信長は天下を取るにあたって元寇から始まった
軍事用街道を全国に広げている最中だったのだ
>>461
橋作らないのもそうらしいよね
ただ別の説で日本は基本馬文化でないので、広い道がいらないとかも聞いたことあるw
だからそれが元寇で事情が変ったわけだよ
鎌倉と福岡を何回も往復しなきゃいけないわけだから
必然と馬が通れる軍事街道を整備する
必然性が生まれた
だけど、国と国が争う時代が
そのあともずっとつづいてたから
要所要所はわざとふさいであったわけだよ
信長はそれを壊していったから
秀吉が大返しできた
奈良時代には古代山陽道(道幅8m以上)を大和盆地から太宰府まで通してたんだけどね
一定距離感覚で駅馬を飼育する駅家(うまや)を置いていた
その後、大量輸送が利く船に貨客が奪われて、道そのものが衰退したけど
そんなの想像だからw
旧街道はリアルに残ってるから
広さもわかる
わざと狭く細く作ってある
戦国の名残だな
「上様がご命令なさるならそうなのだろう」と誰一人として信じて疑ってなかったとか
でかい軍事街道を全国に通そうとする
天下統一の野望をもった魔王信長を止めろいう全国の武将の圧力が
家臣のどこかに来てもおかしくないだろ?
秀吉は他の名家の武将と完全に違って
軍事土木建築の専門家だったから
百姓なのに信長によって武将になれた
つまりわざと細い道、行きどまりだらけの日本で
軍事街道を全国に広げようなんて思ってたのは
信長が最初なわけだ
建築土木に自信があったから
未開だった関東平野を拠点にすることができたわけだ
北条氏が内政家で、北条氏の治世ですでに領内の検地・伝馬制が確立され
民心も安定し非常に統治しやすかったからと聞いている
関東平野は家康が江戸に拠点を置く前は
ほとんど誰も住んでない原野だろ
家康が関東を切り開いても
まだ新潟や大阪に人口で劣っていた
北条氏治世の武蔵は全国3位の60万石に達しており(駿河が15万石)
けっして荒れ果てた原野ではない
関東平野は全国でもけた違いの広さがあるんだから
逆にいえば、
ほとんどが未開ってことだろがw
上杉謙信の治める越後でも30万石程度だったが
平野が小さいからだろ?
しかし人口は日本一だからな
土地は開けていた
越後平野と信濃川があり、人口も多いが
武蔵の半分程度の石高にとどまった
グーグルマップでも見てみろよw
おいおい、鎌倉時代に関東武士の誉と名高い畠山重忠は秩父党出身だぞ?
そこに人がいなかったら頼朝は平氏に絶対に勝てなかったわw
普通に考えれば
大将が前線に行くなんてありえないから
前線を駆けずり回ってたのは
ロンメル将軍ぐらいだろ
アレクサンダーグスタフアドルフ・・・
でかい市場が各所になければ
軍事物資を自前で大量にもっていくしかない
相手の兵糧を襲うなど余計な軍事行動も必要になる
市場がそこここにあればそこで調達すればいい
軍が身軽で移動も速くなる
日本の天下統一を具体的に考えればなくてはならないもの
つまり天下統一のための具体的な行動を起こしたのは
信長が最初ということ
楽市楽座は信長が最初じゃないぞ
信長以前に近江の戦国大名六角定頼が楽市令を出している
信長は六角定頼の後追いに過ぎない
それに楽市楽座なんて信長や六角氏以外にも北条氏や今川氏がやってるんだが
天下統一のための不可欠な道具として
確実なビジョンをもって広げたのが
信長が初めてなんだよ
全国軍事街道と同じように
百姓の秀吉を軍事土木建築の専門家として
重用したのもそうだし
明智はそろばん侍みたいに
物資調達のために重用されたんだろ?
ぜんぶその目的のために
ほかの武将にはない発想と登用をしてるんだわ
楽市楽座始めたときに天下統一目指してたの?
歴史名探偵コナンにでも書いてたか?
天才のビジョンは凡人には理解できないよな
だから優秀だった明智もついてこれなかったわけだw
後付けだが、やってきたことをみたら
最初から天下を確実に狙っていた
まあ最初に聞いたら、信長はうつけとか
言われるわなw
でもだんだんガチになってきたわけだろ
最後は誰もが本気とわかって
ついてこれない老いた明智が裏切ったと
本陣の光秀が本能寺よりさらに南の鳥羽まで行って布陣するなんてありえないけどな
せいぜい鞍馬口あたりで布陣したならわかるけど
信長は桶狭間に行かなかった、とか言いたい放題やで
光秀本人が全力上げて本能寺に行ってもぬけの殻だったら目も当てられないので自分はそれに備えて京都の出口を塞ぐ交通の要衝にいてもおかしくない
>>505
出口を塞ぐ、だったら信長は本拠の安土に逃げるのが第一候補なんだから
東山に陣取って無いとおかしい
南の鳥羽に陣取るなら普通に南を警戒していたのだろう
自分と同じく中国方面援軍を申しつけられて出陣準備していた高山右近ら摂津衆と
四国方面軍で大阪にいた丹羽長秀と織田信孝がいたから
>>505
当日と言うか、前日にお茶会して、
京の貴族も大量に押しかけてるのに、
信長がいないとか、ないわww
信長は周囲に敵はいないので、安心して泊ってたわ
本能寺の変前夜、信長は囲碁の名人を呼んで対局させたんだよな
三コウ無勝負という珍しい結果になって信長と名人は首をかしげたそうだけど
本能寺の変を知った名人はあれは不吉の予兆だったのかと震えあがったとか
この逸話は信長が全く無警戒で無防備だった証拠でもあるんだよな
出自の引くいやつを才能で登用した
全国天下統一に欠かせないからだ
世襲、血縁ありきの当時の日本では異例の武将
そして実際に裏切られた
んで、「是非も無し(ですよね~)」と
天下統一のどでかい狂気かつ本気の野望が先になければ
そんなことしないし、信長以外はやらなかったわけだ
上杉謙信のように前線で戦う軍神ではなかった。
越後と関東平野の大きさの違い
下手したら10倍はあるんじゃないか?
正確な地理感覚の欠如した歴史なんて
完全に妄想の領域
はっきりいって文献ばっかみてるやつはそういうのが多い
そこに下総と上野が入ってるからな
平野部で武蔵と同等の面積であり、人口も多かった越後が武蔵の半分の石高であったのが現実
武蔵がけっして荒れ果てた荒野では無いという証明になっている
関東平野と言ってんだがw
平野に川以外の自然の要衝はないだろがw
多摩川やら川に橋をかけまくったのも徳川だろしな
北条氏の治世ですでに武蔵単独で60万石に達していたので
当時の越後の開拓より進んでいたという事だよ
けっして荒れ果てた荒野ではない
んだからその比較なら
当時の新潟の半分ぐらいの未開の地だろ?
卑弥呼のほうは女がいないそうだけど蘊蓄オッサンの種別が違うのかな
そもそも耕作可能な平野面積が
関東の10分の1ぐらいしかないし
その上で稲作が栄えて人口日本一になった
いかに関東平野がずっと未開だったかってこと
いま明治維新いらい、
国家の全リソース投入してるから
関東が栄えてるように見えてるが
まあ昔は未開も未開だったちゅうことな
吉良はかなり襲撃を用心していたが、
あいつら、こないよ。
命日に来るかなとか、待ってたのに、
なかなか来ないよ。
で、そろそろいいかなって茶会したら………
信長と秀吉という二人の天才の成功と失敗をじっくり見てたから
江戸で成功したわけだ
だから江戸400年を作ったのは
信長でもあり秀吉でもあると言えるな
天皇と家康がそそのかしてやらせたような。家康は謀叛を事前に知ってただろ。
信長の覇権の邪魔で
もう相当危ないところまで追いつめられてた
斎藤内蔵助と明智秀満抱き込んで
逆転満塁ホームラン
天下統一した秀吉、その前段の信長のおかげだな
それ以前の武将はどこの武将だろうが
道はバ○みたいに狭く、橋もかけず
他国からの攻撃に常にビクビクおびえていたわけだw
鎌倉が江戸の近くにあるが
鎌倉幕府なんて完全に奥まった山の中
あんなとこ隠れ住んでるようなもんだ
よくあんなところから日本の大半を統治で来たなと思う
信長が天下統一したら用済みにされる前に謀反を起こしたんだろうな
うまくいけば天下とれるかもしれなかったし。秀吉官兵衛がいなければ近畿制圧できたでしょ
と言う話だが、
信長の首をなぜ取らなかったのか不明だな。
部下から、やりましたって報告受けて、
首は?
ありません。
あーそう。
ってなるかな?
本能寺を囲んだのが午前4時頃なので
さすがに信長が事前に知ってたってのはないと思う
信長の小説書いた津山陽も
あとの方では吹っ飛んだに変えてる
火薬で吹っ飛んでタヒ体が見つからなかった
だから光秀本人は忠義の臣だったので
信長公は生きておられるはずと探し続けた
そこで時間とってるうちに秀吉が
間に合って秀吉こそ正義がその後流布された
秀吉は家督を譲れば生き残れたが他の重臣は潰されていて天下も短命だったかも
越後は30万石から4倍近い115万石に達した
北条治世ですでに開発が進んでいるという証明になっている
徳川が入る前は荒れ果てていたというには無理がある
たしかに江戸という地理的くくりなら
武蔵でいいのかもだが
川以外に要衝ない平野なんだから
関東でまとめてるんだ
関東というくくりなら
平野でもあるにかかわらず
ずっと未開だったと言ってる
実際、いまでも
この掲示板ではグンマ―の秘境とか
言ってるじゃないか
徳川の影響下でも同じことだろ
つまりあんたはさっきから
東京埼玉いがいは未開だったと
言ってるにすぎない
離れたところから、采配しているイメージ
それが当然といえば当然だけど
本能寺&二条城と鳥羽だとけっこう離れてるからな
直線距離でも6~7キロぐらい
伏見と京街道を抑えて南の逃走経路を塞いでおく意味があったんじゃないかな?
山陰街道を引き返してきたのは信長も知ってるわけだからそっちに逃げるとは考えにくしに
明智光秀のご子孫が執筆したという歴史書を読んだことがあるが、
ものすごく論理的で、これが本当に真相なのでは?と興奮した。
未読の人の興味を削がないよう内容は伏せるが。
こういう人が学校で歴史を教えれば、歴史嫌いも減るのにと思った。
まあ、本当の真実は誰にも確かめようがないのかもしれないが。
あれは推測が多すぎて物笑いの種なんだが?
素人がよくやる、結論に合う資料だけを切り張りして
残りは、かもしれないや、だったのだろうと訳の分からん事言ってる奴の延長だね
>>575
それは従来の歴史学会の硬直した研究手法だろう。
正式な名称は忘れたけど、ご子孫は新しい研究手法(歴史探索?)で研究してたし、
個人的には推測というより「推理」というかなり確実性の高い手法だと思った。
上手く言えないが。
ご子孫いわく、現代の価値観や感覚で、当時の状況や常識を考えてはいけない。
こうやってバ○は騙せるのだろうな
ご子孫の研究書を1冊でも読んだことあるのかな?
ムリにとは言わないが一読を勧める。けっこう衝撃を覚えるんではないかな。
ふだんから歴史に詳しい人なら特にそう思うはず(ソースは自分)。
あれだろ、必要以上に秀吉の事貶めてる奴だろw?何が「私は真実を知りたいだけです」だwww
あの冒頭だけでただの恨み節と先祖の自己肯定のためだけの糞みたいな考察でしかないと思ったわw
それをいつ起こすのかは誰も分からなかったろうな
だから皇族や家康にも被害が及びそうになった
信長は情報収集家である一方で味方にも安易に情報を漏らさなかった(桶狭間や長篠合戦など)
それに倣ったのだろう
勝手に秀満が信長をとってしまったがために
引くに引けなくなって
って話なん?
この本能寺の変で家康が助かったのは
確かだが通説通りなら謀反人
家康が水野勝成が日向守襲名するときに
光秀愛蔵の槍の穂先を与えて
光秀を見習えよと言った逸話がある
通説通りなら主君に対する謀反人になれよって
ことになり筋が通らない
大平野は好まれず、山の中とかそんなところが好まれた
だから隠れ場所のほとんどない関東平野は栄えなかった
代わりに鎌倉の山の中とかが使われた
天下統一してから戦が減っていき
だだっ広い大阪の平野に大阪城が立ち
だだっぴろい関東に江戸城がつくられ
大平野のほうがむしろ栄えるようになった
こういうことだな
北条とかまじ関係ないっすわ
長宗我部家と織田家の外交の中継ぎをしていた関係で
信長に個人的な恨みを抱いていた可能性は高いからな
家臣思いの光秀が利三の意見に引っ張られた可能性は大いにある
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