秀吉は甥の秀次の側室までも始末するほど怒ってしまう理由があったのか?
って言いたかったんじゃない? 晩年の秀吉は耄碌して見苦しいね
子供産んでない側室まで始末するかね
一切謝罪する必要はないけど、
これは謝罪の必要があるな。
だって秀次政権前提で進んでたし、有力大名も秀次に世話してもらってるし割と秀次政権は安泰だっただろう。伊達も本心は秀次派だろ?
最上も秀次派だし、東北安定してりゃ家康だって動けんだろ
秀次政権前提で進んでいたから、(秀頼のために)潰したんだろ?
彼にとっては秀次どころか豊臣政権自体、秀頼の生存のためにはどーでもよくなっている
武家としての教育を受けていないってこういうことなんだろうな
むしろそういう人間こそ、漢の劉邦のように長大な大帝国作ったって歴史があるよ
自分が織田家にした事思えば、一番託したらいけない人物だろうに
歳は取りたくないな
秀吉の頭の中だと
「家康が天下を取るには秀頼の権威が必要になる。だから最悪でも秀頼を○すことは無い」
「しかし秀次が天下を取ろうと思えば日々成長していく秀頼が邪魔になる。おそらく秀頼は成人する前に病タヒないし事故タヒさせられるだろう」
以上から秀吉主観では秀次は絶対に生かしてはおけない存在で、家康はかまわないということになる
流石に関ヶ原のような大乱が起きて豊臣家が一気に没落するとは秀吉も予想出来なかったんだろうな
そう考えると、結果的には
三成は二重スパイかって位に良い働きしたんだな
家康にとっては
最上伊達と組めば100万石越えで家康もそうそう動けんだろう。
>>11
そういえば駒姫ぶっ○したから、最上義光の恨みを買ったんだよな豊臣は。
駒姫なんかまだ秀次の妻妾ですらなかったのに、ホント酷すぎるわ。
一応助命するってなったんだけどな
確か本当に処刑中止の使者の到着と駒姫処刑がタッチの差だったんだっけ
それも30分か1時間くらいのほんの僅かなタイミングのズレだから最上さんも恨み骨髄でしょ
駒姫は秀次と会ってもないんだぞ
甥で養嗣子でもオレ様が邪魔と思えばこうなるよってだけで
秀長がタヒんだ時って、秀次は関白になってたっけ?
なってないよ。そのときの関白は秀吉。
秀次は鶴松没後に正式に関白、養子になった。
山内・堀尾・中村は秀次家臣だったし池田は嫁の実家か
秀次がいないと豊臣家は風前の灯火となるからな
秀頼いるから秀次が邪魔になったというのは現代の人間の価値観の発想
当時の幼児はタヒ亡率が極めて高かったから人間社会の存在とはまだ認められない存在
身分の高低は関係ない
秀次の側室らを○したのは単に秀次が謹慎命令に反して腹を切ったから
そうしたら必然的に秀次一族は敵になるので戦乱を予防するには○すしかない
>彼にとっては秀次どころか豊臣政権自体、秀頼の生存のためにはどーでもよくなっている
秀頼の確実な生存のためには豊臣政権が要るからその論は無理がある
秀吉のタヒ後に秀次が秀頼に政権を委譲するとは限らんわな
秀吉とて史実より5年や10年は長生きするつもりだったろうし
移譲するとは限らないけど秀次なら豊臣家の天下は続く
家康に後見頼むとかは政権を乗っ取られる可能性が高い事は織田家から政権を奪取
した秀吉なら必ずわかっていたはず
この点、よく俗説で秀次が切腹させられたになっているがあれは不自然すぎてたぶんガセ
豊臣秀頼の生存を取るなら一番の敵は関白で成人した甥の秀次、たとえ秀次にその気がなくても秀次一派と秀頼一派で天下大乱になる覚悟はしなくちゃならない
政権の存続でいうなら秀頼が廃嫡される覚悟で秀次に継がせるって手段も取れるけど
織田家はあくまで当時の最大大名であり天下獲った自分とは違うと思ってそう
でも武家をつなぎとめるのは関白ではなく将軍職だったのよね 少なくとも世襲できない時点で関白では弱い
>晩年の秀吉の妄執は秀頼の天下じゃないの
これ、根拠ある?
秀頼の天下がなければ秀頼の安全は保障されない
秀頼の天下が少しでも保障されるには最低豊臣政権であることが必要
だから秀次が必要
>でも武家をつなぎとめるのは関白ではなく将軍職だったのよね 少なくとも世襲できない時点で関白では弱い
これも現代で歴史を知っている人の考え方にすぎないのね
実際に秀吉から秀次に世襲している前例があるし
当時の武家の棟梁とは武家関白であって将軍のイメージは地に落ちてる(義昭の件で)
秀吉の力をもってしても幼児の秀頼を関白にはできなかった
徳川の政権簒奪はその隙をついたとも言える
秀吉から秀次へは先代が健在なうちに成人した後継者への委譲であって将軍職みたいに先代がタヒんだら次代へ自動的にってものじゃない
後継者争いの血みどろの○し合いを血族でしてる武家の方がよほど多いぞ
まさしく信孝と信雄もそうだったし
秀次の政権において最も危険なのは政権を奪還しかねない秀頼の存在な訳で、その理論は無理がある
それと当時の将軍のイメージ落ちてたってのはどの研究家の発表なんだ?
>後継者争いの血みどろの○し合いを血族でしてる武家の方がよほど多いぞ
豊臣家の場合は後継者環境が悪すぎて他家のように血みどろの○し合いをする余裕はない
両方とも倒れたら豊臣は終わりだから他家と比べる事は安易だと思う
>秀次の政権において最も危険なのは政権を奪還しかねない秀頼の存在な訳で、その理論は無理がある
元々秀吉が決めていたことに秀次の次の関白は秀頼となってる。奪還どころか形式的には
秀頼の関白職就任は約束されている
秀次が関白を辞したくなれば秀頼に譲ればいいだけなので譲るか譲らないかの判断は秀次がすること
譲らない場合、秀頼には難が降りかかるかもしれないが、豊臣政権は残る
秀次を○した場合は大大名に政権を盗まれる可能性が高く秀頼はおろか豊臣政権も残らない
当時の武士は御家大事が常識だからどちらを選ぶかは自明でしょう
将軍職については
醍醐寺三宝院の義演が義昭のタヒ後直後に「近年将軍の号蔑也、有名無実弥以て相果て了」
と日記に記しており、将軍位は有名無実になっていたと記している
後継者環境がどんなに悪かろうが内紛し続けるのはどこの組織もそうでしょ
三好も細川もまんまそうだったし
御家が大事というのは常識だけど、それと同じくらい自分の息子に継がせたいっていうのも常識でしょう
将軍職についてのその言及は初耳で勉強になります、とはいえ醍醐寺の義演は武家の人間でもないですし、関白職の豊臣家とかなり懇意な人間であるということは留意すべきかと
まさしく秀吉が織田にやったことだし
火種を消すために粛清する考えは理解はできる
4代:11歳
7代:3歳
11代:15歳
14代:13歳
不可能という訳でもないんじゃね?
だから将軍職は幼児就任が可能だが関白でそれができるのかという話
幕末に慶喜が宗家は継ぐが将軍は継がないと言い出すまで将軍家家督と将軍職は不分離と思われてたし
鎌倉幕府は源氏三代以降は摂家や皇族を立ててたが室町以降は基本的に源氏の長者が将軍
>秀吉から秀次へは先代が健在なうちに成人した後継者への委譲であって将軍職みたいに先代がタヒんだら次代へ自動的にってものじゃない
本来の関白職は持ちまわり制だから後継者への移譲そのものが異例
だから従来の関白職と同一視することはできん。豊臣の関白は武家関白で世襲アピールの
ために移譲したのだから、できない理由はないでしょ、すでに異例な事やってるし
だから秀吉は秀頼を関白にすることはしなかったが、これを「できなかった」とする主張には賛同しかねる
鎌倉幕府を見る限り、将軍空位の時期も結構あるが、これは征夷大将軍よりも鎌倉殿という私的地位
が重要でこれで政権保たせていたから、諸大名に豊臣姓を与え、自らはその長者とする事で、そし
て諸大名が臣下の礼を取り、誓詞を交わしていただけで十分担保されると考えたのだろ
武家関白って言うなら同時に公家関白もいてもよさそうだけどな
秀吉が秀頼を関白にしない理由が無いし
一回異例が通ったから次も通るってのはどうだろ
むしろ一回無理言ったらそうそう次は無理通らんやろとしか
ましてや秀頼は幼年で成人するまで空位にするのかって問題もある
鎌倉殿ほど豊臣家というのは遺さねばならないと思われるほど代々を重ねたものでもないし
実際に秀次タヒ去から関が原翌年まで空位やね
秀吉がいたからないなくなりゃ豊臣なんかそこまで恐くない
正室(池田輝政の妹)はお咎めなしというダブルスタンダード
秀吉がどれだけ家康(輝政の舅)を敵に回したくなかったかよくわかる
関ケ原以降に増長した家康によって公家衆に返還されたので武家関白制は
あいまいになったが、一方で家康も関白にはなり難いものになった
その上、豊臣家が本質的には摂関家の一つである事には変わらないまま
家康は将軍職を選ぶことになるが、家格は江戸時代を通して豊臣家を超える事は不可能となった
家格なんてのは氏も素性もない秀吉が朝廷官位の権威を借りて
諸侯を従わせるために無理矢理武家に当てはめたもので豊臣家の勢威が衰えれば大した意味は持たないし
家康は公家官位に土足で踏み込んで公家衆にも迷惑かけた武家関白なぞには興味がなく
正当な武家政権の復活を企図したんだろう
征夷大将軍になれば歴史の浅い武家関白制などより遥かに実績も伝統もある将軍の秩序で諸侯を統制できるし
将軍の権威などはしっかり実力をもって政権運営していけばいくらでも回復させられる
家康が関白を五摂家に返したのは興味がなかったのと、もともと秀吉1代限りで次は近衛に
譲ると約束したのを反故にしていたんだからその約束を履行しただけだろ
すぐにではないが秀吉に騙された近衛は後でちゃんと関白になってる
皆○しにしないと、のちに側室から生まれた子を旗印にして、池田輝政、浅野幸長、
田中吉政、山内一豊といった秀次残党が暴れ回るのを防ぎたかったためだろう。
もっとも、池田輝政自身が旗印になる事を秀吉は見落とした(厳密には石田三成、
増田長盛が見破って警告したが退けた)のは、取り返しがつかないミスだった。
相当な当てつけのように感じてもおかしくない
秀吉はこれを想定していなかったからこその苛烈な扱いとみた
流石にあれは最上の自業自得
二人は普通の人の割りによく家康と渡り合ったと言えるかと
あれだけの石高与えて五大老筆頭にして秀頼を頼みますじゃ、タヒ後は継いでねって言ってるようなもんだもんな
だからこそ秀頼(の命だけは)お頼み申すなんだよ
その辺の機微を理解せずにいきったのが当の秀頼自身というオチ
その信雄を前に思うことはなかったのかね、因果はめぐるというか
かつての主君筋なわけだよ
信雄担ぎ上げて自分の命だけは助かろうとしているようにも思えるし卑怯だ
淀君にとっては母方の大叔父にあたるから
頼るのも当然では
淀にとって信雄は従姉妹(母の兄の息子)
次は家康がやるなと思っていても不思議は何もないな
因果応報
引用元: http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1532137189/
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