「出雲国風土記」の渡し場か
松江、川に石敷き護岸跡を発見
島根県埋蔵文化財調査センターは25日までに、松江市朝酌町の朝酌矢田2遺跡で、奈良時代に編さんされた「出雲国風土記」(733年)に登場する官営の渡し場「朝酌渡」とみられる石敷きの護岸跡が大橋川北岸で見つかったと発表した。
センターは「古代景観や交通史を考える上で重要な遺跡だ」としている。
出雲国風土記は、出雲国府(松江市)から隠岐に通じる官道「枉北道」(古代山陰道の支線)に、朝酌渡があったと記していた。
古代の官営の渡し場が見つかるのは初めて。
センターによると、遺構は南北約11m、東西約20mで、川に向かって緩やかに傾斜していた。
共同通信 2020/12/25 17:07
https://this.kiji.is/715109943047012352
出雲大社とベツレヘムの星はどちらも八芒星
これ以上はオカルト板に行けと言われそうw
>>7
出雲は亀甲紋(六角形)だから八芒星ではないでしょ
それを言うならダビデの星(六芒星)の真ん中は六角形であり
国譲りで負けて出雲から逃げ込んだ先の信濃において
旧約聖書に食べていいものと記されているイナゴを食し
旧約聖書のイサク伝承と類似の祭祀を諏訪大社で行っている事の方が関連が強いでしょ
仮に出雲が
砂漠発祥の一神教が伝来して作られた国だとすると色々と繋がるでしょ
そもそも日本において雨乞いはほぼ必要無いからな
出雲という名称は雨乞いが基だからな
青銅の蛇のように青銅器鍛冶技術の伝来と同時に一神教が伝来していたとも考えられるでしょ
男の唯一神が作った国に対して
女の最高神が国譲りを迫って日本が出来たって考えると
日本だけが一つ先に進んでいるとも言えるでしょ
その認識はちがう
もう、出雲が日本最古の王朝だってみんな知ってる
そしてこの王朝が朝鮮由来だということも
そもそも出雲は新羅から出来てる
新羅の一部です
大陸のグノーシス主義が
男の唯一神のさらに上に女の最高神がいるって言ってたのも
日本を参考にしてるからでしょ
六国史において雨乞いの儀式に関しては信濃の諏訪に任せていると記され
明治維新までは諏訪大社に現人神(スサノオ)が存在したでしょ
発掘場所は矢田の渡しの真横だね。
https://www.google.com/maps/@35.4533701,133.1034946,3a,75y,169.3h,83.83t/data=!3m6!1e1!3m4!1sYuL_qjv7tCZ1_makJJkaGQ!2e0!7i16384!8i8192
日本書紀も記述が正しいことが発掘で証明され
宮内省が否定した古墳が間違いだったと証明され
風土記も記述が正しいことが発掘で証明され
令和時代に日本書紀・古事記・風土記の記述が正しいことが証明されるからね
それで半島との間で交易をして栄えていた。しかし、大和の前身の勢力に
征服されて政権の継承性は途絶えてしまう。
引用元: https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1608903035/
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川筋が古代から変わってないのか