【古代】福岡県の出土品は国内最古級のすずりか、紀元前150年ごろであると北部九州の先進性裏付け、未完成品3点は工房か
https://www.nikkansports.com/general/news/202011280000706.html
福岡県糸島市の御床松原遺跡で出土していた板状石製品は弥生時代中期前半(紀元前150年ごろ)で、
国内最古級のすずりとみられることが分かったと柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)が28日、オンラインで開催された九州考古学会総会で発表した。
柳田氏は、弥生時代の板状石製品の見直しを進めており、
「福岡県内では弥生中期前半のすずりを10遺跡で確認しており、北部九州の先進性を裏付ける。各地で出土していることから交易で文字が使われていたのだろう」としている。
柳田氏は御床松原遺跡の発掘報告書で「くわ」とされた石製品(長さ18・6センチ、幅6・8センチ、厚さ1・2センチ)を鑑定。
柳田氏が2017年に墨の付着跡などから完形品のすずりと発表した薬師ノ上遺跡(同県筑前町)の石製品(長さ15・3センチ、最大幅6・3センチ、厚さ0・7センチ)と
同じ形状と分かり、御床松原の石製品は製作途中のすずりと判断した。
御床松原では他にも未完成品が3点あり、工房とみられるという。
柳田氏は御床松原の石製品は共に出土した土器から中期前半と断定。
薬師ノ上のすずりは、土器の年代では弥生時代中期から後期と幅があったが、御床松原と形状が同じため時期も同じと考えることができるとしている。
柳田氏によると、両遺跡で見つかった、片側が丸く加工されているのはより古いすずりの特徴という。
https://www.nikkansports.com/general/news/img/202011280000706-w1300_0.jpg
文字じゃなく刺青彫るのに使ってたんだけどな
くわちゃうやろ
国内最古、弥生前期末の分銅 大阪・亀井遺跡
https://r.nikkei.com/article/DGXNASDG07049_X00C13A6CR8000
分銅なんかもっと昔から何処にでもあるやろ
>>30周呉の末裔だし
>>1
日本の文字文化は紀元前から? 「すずり」から推測:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASN5340WDN51POMB002.html
年代が本当なら興味深い
他所からの土産物的なものかもしれないけど、それでも使っていたのなら
何文字を書いてたんだろ
なんと既に金属製品もあったのか
石器や珠(メノウ)とかも加工するだろうしな
文字が無いなんておかしいと思ってたんだよ
豪族レベルじゃ文字の認識あったんだろうなー。
そうじゃないと中国とやり取り不可能だし。
朝鮮半島との交流もあったようだし。
文字が入ってないと考える方が不自然だべさ。
そんなすごいことやってある間、日本列島はCIVでいう柵で囲まれた部族みたいな状態だったのかな
ほんと昔の中国はすごいわ・・・卑弥呼の時代に三国志でどんぱちやってたんでしょ
>>11
日本が太平洋やインド洋で米国や英国と戦艦やら空母やらで戦ってるころ、
中国は成都などの奥地にひきこもりで、山岳民族状態。
現政権の共産党に至っては洞穴に住む穴居原人と同じ。
出土された際の記録用の文字じゃないのw
墨の成分が出てるのかな?
ならば間違いはないだろうけど。
なかったなら刃物を研ぐ砥石だろう。
全国くまなく発掘調査が行われているのに、そんなものは一切出てこないからな
頭の悪い奴は、考古学者や行政内研究者が隠しているとか陰謀だとか言い出すのだろうけど、神代文字など所詮オカルトの域を出ない
あると信じているほうが幼稚
まだまだ調査できてないとこ多いよ
神代文字は眉唾だと思うけど岩に掘られた紋様とか不思議には思うなあ
現時点の定説が未来の定説とは限らないことは認識しといたほうがいい
どうして硯ってわかったのさ
パ行だった
日本語は古代からどの様に変化した?
とんこつラーメンを発明したのも福岡県人
うどんは?
近畿邪馬台国説とか唱えてる奴は漏れなくチョン
古代日本の地方政治の中心は⛩神社なんだよな
古代から令和まで!日本裏で仕切っているのは⛩神社
中国や朝鮮、東南アジア諸国との貿易が盛んな日本の入口のような一帯がそんなわけ無いじゃん
寧ろ蝦夷と言われるように東側の方がアイヌや豪族と田舎戦争を繰り返して来た訳でな
いなきゃおかしいだろ
固形の墨すってたろ
すずりと確定できるんだろ?
奈良時代の木簡みたいなのが出土しないと証明できないような気がするけど。
であり、交易の印(納税印)として使用されたもの、邪馬台国は筑紫(北九州)、
>>42
広田遺跡(侏儒国)で出てるよ
硯(すずり)かどうかは、類似した品物の時間的系譜などから推測できる。
ただし、硯の使用目的は不明。
文字を書くためか、絵や模様を描くためか。
絵や模様とは、土器などの線画または入れ墨など。
また、墨で文字を書くにしても、紙や木簡や木板に書くと決めつけることはできない。
占いなどでは、焼き物(かわらけ)に文字を書くこともあったのではないかな。
まぁ日本語と中国語は全然違うからな
文字が入る=日本語が表記できるわけじゃない
あくまでも対中国人用の特殊なスキルだろう
実際に万葉仮名とかも苦労して無理やり使ってたし
日本人も各地でサインみたいなのは作ってたかもしれないけど、全国で共通の文字を作る程の統合はまだ得てない段階だからな
かなり急激な浸透をしてる処見ると案外古代人の識字率は高かったかもしれないな
つまり日本人自身が硯を作って使ったと言う事になる
文字とするなら独自文字が一切ないから中国人相手に中国語を書いてたんだろう
文字じゃないなら、大工仕事や土木工事の時の印付けとかかな
なお当時の棺である甕棺には筆で書いた模様が描かれている
筆も硯もあったのなら文字ぐらい使えてたんだろうよ
超ローカルの中でのサインは作れても、広い範囲で共有する文字を持つのは困難
文字自体は縄文時代からあっただろうに
3世紀の倭人伝に「伝送文書」と出てくる
ポイントは「漢字」を使えたのか?というところだよ
漢字は中国人の物をそのまま使えばいいだけだし、中国人限定だからむしろ使える人がいるのは不思議じゃない
交易地に硯が多い事から中国人との交渉に使ったんだろう
その意味では縄文時代から漢字を使えた人がいた可能性はなくはない
逆に日本独自文字の方がハードルが高い
まず小さい村単位で文字なんて特に必要としない
大きな範囲のエリアで共通する文字なんて作る程の連帯を作れるまとまりもない
神代文字みたいな古代文字は、必要性、普及性から考えてほとんど存在が想定できない
方言があるように文字も共通させるのは困難
奈良平安のような「中央」が確立した段階なら地方はそれに合わせてそこから広まる文字を使うから普及する
各地域がバラバラの段階で共通の文字を持つのはまず難しいだろう
「原-日本語」が形成されたのも日本列島ではなく、中国大陸沿岸部、
朝鮮半島、日本列島の水路にわたる交易を通じてだろう。その交易の
ためのピジン言語が、政治情勢の変化によって中国大陸、朝鮮半島
においては使われなくなったため、日本列島にだけ残り、その後も
中国語から公式の漢語を輸入しつづけたので、中国語を流用して
形成されたピジン言語としての日本語と、その日本語が後から公式に
中国から取り入れ続けた漢語という形で日本語に二重性が生じることになった。
日本語と中国語は全く違う物だから文字だけ借用して日本人はとても苦労してる
太安万侶も古事記の序文で日本語を漢字のみで表記する事の困難さを嘆いているくらい
平仮名、カタカナが生まれたことでようやく日本人は不自由な漢字のみの表記と言う有様から脱却できている
ただ平安時代は漢文は教養として尊重されてたから、喋るのは日本語、書くのは漢文と言う七面倒くさいことをやり続けている
昔の人はマゾなのかと
それ無視する奴が多すぎ
外交文書にデファクトスタンダードな言語が使われるのは当たり前
写真の硯は邪馬台国関連スレでよく投稿されてたぞ
>日本語と中国語は全く違う物だから文字だけ借用して
違うな。日本語は、文字と切り離された話し言葉としての中国語の表現
を流用することによって形成された。だから、同一の表現を用いている
場合でさえ、中国語では類似した別の表現に当てられた漢字が流用される
ことになって、日本語が話し言葉としてどの中国語の表現を利用したの
かが分かりにくくなっているのだ。
和習で検索
紀元前150 – 100年頃 – ギリシアでアンティキティラ島の機械が製作される。
これは現在確認できる世界最古の歯車式アナログ計算機とされている。
はい解散!
畿内は中心じゃない
女王国の東の倭種の国の中の東の端だ
すずりなんか使ってるわけがない
中韓とは違う
青銅の武器とか馬具とか祭祀の道具が出土してるよ
宗像大社の宝物殿行くと面白い
>>85
畿内で多かった銅鐸には絵が描かれている
https://rekishi-memo.net/img/yayoijidai_33b.jpg
http://www.town.tawaramoto.nara.jp/material/images/group/34/25882715.jpg
唐古鍵と纒向は全く別物
早々に消滅してるし
あとは徴税の為に発達したと思うんだけど
古くから中国より人が渡って来てたなら、これは
便利、と習得したんだろうな
その流れの硯?筆はまだ無理なんか、劣化で出ないのか?
いつ近畿に移るの?
4世紀初め頃
近畿でも弥生のすずり? 大阪・泉南、滑瀬遺跡
https://www.sankei.com/photo/story/news/190619/sty1906190006-n1.html
大阪府泉南市の弥生時代の滑瀬遺跡で出土した板石の破片は、
弥生時代後期(1世紀)のすずりの可能性が高いと
福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄主事が指摘していることが
19日分かった。
5月に開催された考古学研究会岡山例会で発表した。
久住氏によると、弥生時代から古墳時代前期のすずりは、
これまでに北部九州を中心に50例以上確認されているが、
大阪府で見つかるのは初めてで、現状では東限という。
弥生時代の文字使用が西日本で広がっていた
可能性を示す発見として注目されそうだ。
滑瀬遺跡の石片は1985~86年度の調査で出土。
長さ6.5センチ、幅2センチ、厚さ8ミリ。
これまで砥石とみられていた。
弥生後期の紀元1世紀半ばから
九州北部各地に散らばっていた有力者が一気に消える
そして弥生末に有力者といえるのは伊都国の平原遺跡だけになる
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1606689885/
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日本語とチャイナ語を同一視してる奴は馬鹿なの