【戦国時代】前田利家は柴田勝家から「君は秀吉と友達だから、許してくれるだろう」と言われていたのになんで裏切ったん???
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180704-00010000-php_r-pol
>>8
うむ。だが>>1のリンクにも書かれている通り、賤ヶ岳の敗因が佐久間盛政のせいにされているのは納得いかない。
俺も以前から賤ヶ岳の秀吉勝利の原因は前田利家の敵前逃亡のせいだと言い続けていた。
同じ考えの人がいるのを知って嬉しいが、真面目に賤ヶ岳の戦いを検証すればスグに判る事。
むしろ敗因とされる佐久間盛政の賤ヶ岳横撃作戦以外に柴田側の勝利はあり得なかった。
それまで秀吉に政治的にも戦略的にも良いようにやられていた柴田は、アレで初めて秀吉陣営と互角の状態で対戦する状態が出来上がったんだ。
そうして「さあ決戦」となった瞬間、前田隊が撤退。
これで戦線は崩壊。これが賤ヶ岳の敗因で間違いない。
実はもう一人、賤ヶ岳の敗因になった人物がいる。
それは柴田勝家本人。
佐久間盛政が賤ヶ岳横撃を成功させた時、呼応して正面を攻撃したのは柴田勝家の本隊なんだが、
名人・久太郎こと堀秀政の少数部隊に弾き返されてる。
この時、柴田勝家が損害を恐れずに全力で正面突破を行なっていれば、秀吉が帰ってくる前に戦いは決着がついていて、
秀吉の弟・秀長は戦タヒ。
秀吉の天下統一戦略も大いに狂った事だろう。
結局、勝家が頭脳だけでなく度胸でも秀吉に負けたって事なんだろうな。
ものすごーく前に司馬遼太郎が前田のせいって書いてるぞ
そっちが通説だと思ってたわ
このとき武具なし身軽で走り
道中も道筋に松明を並べ走りやすくし
長浜城の武具を使うアイデアは石田三成
信じる、信じない、構わぬ
前日迄同行してた家康も怪しくないか?
逃げる途中に空腹に耐えられ無いで漏らしたウ○コ食う程やぞ、違うだろ
アイツは何回ウ○コ漏らしとんねん
ボケじじぃになってからもしょっちゅう漏らしとるやんけ
長政の時に信長に助けるように進言したからお市様はワシに惚れるじゃろうって思ってたけどお市は妾はあんな猿はゴメンじゃって勝家に嫁いじゃって猿憤タヒw
恨みつらみで勝家○したらお市も一緒にタヒんだってマジ?w
今川に使えてた時代に憧れてた
お市を勝家に嫁がせるよう進言したのが秀吉じゃなかったっけか
>>13
再建が決まってから短時間で建ったからな。
今の名古屋城再建みたいに横槍が入るのを恐れたんだろう。
しかし秀吉の城なのに、何故に白壁にして戦国末期仕様なのか。
デザインした人も酷いが、異議を唱えなかった長浜人もおかしい。
だから次女がお初って名前だったって
秀吉と内通してるよね?たぶん
なぜ明智勢は伏見の徳川を襲わなかったのか
なぜ徳川は本能寺の翌日から帰ることが出来たのか
なぜ徳川は山中で手勢200人を従えることが出来たのか
徳川も秀吉も知ってたんだよ
>>19
たとえ「知っていた、元々グルだった」としても、俺が明智光秀なら家康は騙し討ちにするけどね。
家康より同盟相手に都合良い東国大名は大勢いたし、
スグ近くの「信長と個人的に親しかった同盟者」なんて仲間にしてても、いつ裏切られるか判らないじゃん。
援軍名義で三河から大軍連れてきて、それこそ何処か信長ゆかりの名城、
例えば安土城あたりを占拠されたら、秀吉に負ける以上にお終いだよ。
援軍として地元から軍団呼ばないなら、仲間にしていても意味はない。
つまり家康を仲間にしても得な事なんて何1つ無いってワケ。
と、すれば家康はグル・仲間ではなく、独自の情報網を使って「光秀謀反の可能性」がある事を知ってた程度だろ。
秀吉はワカラン。グルだった可能性もあるし、コチラは仲間だったら光秀にとって非常に頼りになる存在と言える。
だが、結局アッサリ裏切られて自分がタヒんで秀吉が天下取るんだからなぁ。
マヌケとは言わんが、うーん毛利か。
結局、秀吉が本能寺の変の黒幕だったとしても、そうじゃなかったとしても、
明智光秀の誤算は『毛利がアッサリ秀吉と同盟を結んだ事』だわな。
つまり光秀は秀吉に裏切られたんじゃなくて毛利に裏切られた事になる。
コレじゃ結局通説とあまり変わらないんじゃねーか?
>>39
光秀はたぶん秀吉が嫌いだっただろ
競争相手な訳だけど、秀吉は生まれは卑しいし無教養、主君には媚びまくる
こういうのは教養ある知識人には耐えがたい存在だ
光秀は秀吉を仲間にして信長を倒したあと、裏切って秀吉も○すつもりだった
無教養と馬○にしてたから、感づいて高速で襲ってくるとは思わなかった
そんなところだろ
そんな底の浅い人物なら
土岐一族のくせに信長なんかには仕えないだろ
徳川知っていたとしたら、少人数で堺見物したりしない
たとえ明智と組んでいたとしても、何も知らない地方豪族あたりに褒美目当てに襲撃されてタヒにかねない
毛利征伐の援軍名目で徳川勢を向かわせておくだろう
子飼いの部下大事にしない秀吉は不思議
>>29
以前は先輩であったり同僚であった仲だったけど
秀吉の地位が一気に跳ね上がり、新たに優秀な部下が続々と入り、それらの外様に先輩面したり
秀吉との関係も以前とあまり変わらないタメ口であったり
変化への対応が上手くできんかった人らが神子田や尾藤らであったのだろう
飛躍する組織は新たな血が続々入ってき新陳代謝が激しく、古い血は淘汰される
豊臣だけでなく織田でも同じような事はあった
徳川は譜代だけに政治をさせ、外様を政治から締め出し新陳代謝をさせなかった
これが徳川が永く続いた理由の一つであろう、しかしそんな組織は新たに発展はしないわな
良い表現をするなら安定した社会と言えるだろうが
安定した社会だから文化が発展したんだよなあ。
貿易も宗教を利用して侵略してくる輩を限定して締め出しただけで外国の文化を取り入れていない訳ではなかった。
後の秀吉の台頭を予言してた安国寺恵瓊が
毛利側の和睦交渉代理だからね
秀吉も恵瓊に何か助言もらい
気持ちの準備に入ってても不思議はないな
それは本能寺の後に安国寺恵瓊がでっち上げた作り話
事前には何も言ってないのに後からほら俺の言ったとおりになったとか言い出す恵瓊は
戦国時代のお前らだな
明智と秀吉はグルじゃないよ
バレたら秀吉は何も得しない。
謀反の兆候は気づいてたとは思う。
>>41
寧ろグルなのは家康じゃね?
秀吉と官兵衛は察知したけど静観→大返し準備。
>>48
そもそも前田利家は槍働と嫁の器量で出世したという点でスペック的には山内一豊レベル。
だが勝家から秀吉に寝返ったタイミングが最高だったから五大老に。
わしの命令を聞かんかぁーっ!
「歴史家かそれに類する人」って、必ず「自分が学んだ(ひいきしている)歴史展開」に強い拘りがあるよね
そして「歴史の話題」に目を光らせて、常に「正しい(と信じている)知識を披露する機会」と
「その知識に反する素人(と見なしている)を攻撃する機会」をうかがっている
この記事の場合は「最大の敗戦責任は利家」という知識と、「盛政の敗戦責任」に言及する人が当てはまるかな
姫路まではものすごいスピードで進んだけど、その後は慎重に進んでるよね
グルだったというのは無理じゃないの?
グルならもっと早く戻れたのでは?
大返しが成功した一番の要因はすでに毛利と和睦交渉をしていたことだわな
それは援軍が来るまでの時間稼ぎの意味もあっただろうし、仮に援軍が来たとしてもその際に有利な条件を引き出せたなら、戦わずして大幅な領土の獲得になる
まだ多くの領土が残っていた毛利と、滅亡寸前で譲歩の余地すらなかった上杉との違いだわな
むしろ総大将の勝家本人が中途半端な戦術だったのが賤ヶ岳最大の敗因
鎌倉から京へ進撃中の足利軍を、多賀城から追撃して追いついて撃破するとか異常。
まあ、だからこそ、喧嘩しながらタヒぬまで仲良かったんだろう。
娘あげるとか、いくら戦国時代で相手に子供がいなくても普通じゃないだろ。
いや、勝てない
長期戦になれば秀吉には勝てない
猪武者の柴田は秀吉の知力には及ばない
>>65
>信長が丸腰で本能寺に滞在したフシギ!!
丸腰じゃないよ。馬廻り衆が数百は居た。
資料さえも本当のことを
書いてるのかさえわからない
本当の真実は誰もわからない
前田利家と蜂須賀小六は、太閤記に無くてはならないほど秀吉と密接な関係だけど
豊臣から徳川への転換期に上手く乗じて、豊臣を裏切り徳川に靡いた
豊国神社は明治になり復活し、秀吉の遺骸があったとされる京都の五条辺り
大阪城、朝鮮出兵時の肥前名護屋城跡辺り、出身地の尾張中村、初めて城主になった近江長浜
秀吉と関係する場所に建立されたが、秀吉と関係があると思われない石川県と徳島県にも建立された
江戸時代はキリスト教と同じく豊国神社は禁教扱いだったであろうが
前田と蜂須賀は密かに豊国神社を祀っており、使われた遺物を持って建立されたらしい
豊臣の事を完全忘れて江戸時代を過ごした訳でもなかった
教育と文化レベルが低く、幕末にマトモな人材を輩出出来なかったのが金沢の凋落に繋がった。
藩の教育レベルだと河合継之助や山本五十六を輩出した長岡藩より下。
関ケ原で大幅加増されたんで、前田は徳川に恨みはなく倒幕する理由がない
福岡の黒田や熊本の細川、広島の浅野、岡山の池田なども徳川時代に加増されたんで倒幕には動いてない
倒幕の旗振り役は関ケ原の負け組、徳川に恨みがあった長州の毛利と薩摩の島津
倒幕の理由が無いが、長岡藩や会津藩と共に徳川方の為に戦った訳でも無い。
戊辰戦争で完全に空気だったからなぁ、加賀藩は。
結局金沢城で倒幕軍に怯えてただけ。。。
無駄に戦火に巻き込まれる事もなく終わりを迎えたのは良かったんじゃない。時としてどっちつかずの姿勢は前田家の伝統か。
でも日本の武士階級・公家階級が逃げるが勝ちで生き残ってきたのは
興味深いよね欧州とか中国だとやるかやられるがしかないのにたいして
日本人は戦わないで勝つのね
第二次大戦でアメリカ軍ですら空襲を避けた金沢
>>106
加賀藩は日和見出兵、長岡藩が敗色濃厚で撤退した。
必タヒに戦ってたのは長岡藩の河合継之助。
>>107
戦争のセオリーは産業と工業拠点の破壊だから。
アメ公が空襲を避けたので無く、金沢に産業と工業拠点が無かっただけ。
長岡戦争には出兵してる、加賀藩
兵員数も薩摩や長州に次ぐ三番目ぐらいの数出してたと思う
「柴田めが、青々と出たるぞ」
↑山塞で対峙してた羽柴・柴田両軍が、佐久間の妄動に釣られて柴田本隊が山から降りて平野に布陣した時の秀吉の言葉
持久戦にシビレを切らして山から降りた時点で柴田の負け
前田が柴田に見切りつけたのも致し方ない
前期だったら細川山名赤松大内今川六角一色とか長尾が継ぐ前の上杉とかで面白くないと思うよ
袁紹やブラウンシュバイクとかが負けてもなんとも思わない、勝家だから敗れても潔いしかっこいいんだよ
曹操最大のアップセットは官渡じゃねえか
お前がよく知ってるかどうかで判断されてもな
戊辰戦争とか貴族階級や武将階級はやりたくなかったけど
食い詰めた下級氏族や公家が抑えられないから仕方なく
やった感があるからな
公武合体が進んでるから大名家は公家とつながりを持った家が多いし
榛名の力を欲してたカシンちゃんがノブナガをやっつけようとしたんだと思う
そもそも前田家がカッコ悪い弱兵のイメージだからな。
手取川で上杉軍から逃亡、勝家と豊臣を裏切り、大坂の陣では真田丸にボコボコにされて幕末戊辰戦争では役立たず。
逆に強そうなのは島津、立花、真田。
利家自体が戦上手って印象無いわな若い頃の個人武勇だけで
多分性格とかその辺りで世渡りしてたらいつの間にか重鎮になってたとかの類
手取川で上杉軍と対峙したのは織田軍本隊で、その当時の前田は柴田配下の一部将でしかない
それを前田に全責任負わすのはおかしい
領地の位置的に勝家の味方のふりするしかないじゃん
前田は勝家の与力だからな
親父と慕ってた訳だしその辺難しいよね
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1530690109/
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