【戦国時代】心優しく善人だった大名や武将といえば誰が浮かんだ???
教えてくださいお願いします。 ググっても分からないのです
例えば戸沢盛安とかは先頭切って敵に突っ込んで夜叉九郎とか恐れられた反面、捕虜とか怪我人とかは○さなかった、ってのもあるし。
善人かどうかは判らんが、
耳川合戦で大活躍しながら、
合戦が終われば戦タヒ者を敵味方分け隔てなく埋葬し、
慰霊搭も建立した山田有信とかはどうだろう?
>>11の戸沢盛安に近いタイプかな。
時代によって人々の考え方や常識は変わるものだし
あえて論ずるのなら、>>11が指摘してるように戦国時代における善人の定義から始めないと
マジレスすると、そんなものは視点によって違うので一概にはいえない。
それをつくづく考えさせられるのは北条氏康が上杉憲政の息子に対する扱いの逸話ね。
あれが「美談」とされてるんだから、どれだけ現代と考えが違うんだかと痛感させられる。
現代の倫理観に近くなってくるのは徳川綱吉が儒学を奨励し、生類憐れみの令を出した元録時代だもんな
それまでは日本人は結構荒々しかった
「仏」とか言われて民に慕われていた。
wikipediaより引用。
島津忠昌(島津氏11代当主)
「忠昌は軍事よりも文学に優れ、1478年には桂庵玄樹を招聘して朱子学を講じ、薩南学派の基礎を築いた。」
島津忠治(島津氏12代当主)
「父の忠昌が自○したため、その後を継いで当主となった。しかし忠治は戦乱の君主としては不適格な温厚かつ
学問好きの当主で、鹿児島に大興寺を建立したりするなど、戦国の世と合わないことを多く行なって島津氏内部
の内乱はさらに促進された。」
島津忠隆(島津氏13代当主)
「兄・忠治のタヒにより家督を継ぐ。兄同様に戦乱を好まず、文学に傾倒し、古今伝授を受けている。このために
島津氏内部の内乱は続いた。」
その謙信に討伐されても逃げ続けた北条氏康は悪人という声が多いみたいですね。
上杉謙信が善人って何かの冗談ですか?
上杉謙信って善人だったんですかね? なんか見方を間違えて○したり
人質も怒り来るって○したとかありますが・・・
>>8
味方を間違えて○したなんて知らないな
柿崎の幽霊が出るんで、実は信長への裏切りを誤解した謙信が○した
なんていうトンでも話は知ってるが。。。
だって謙信って自分を裏切った相手が降伏すればことごとく許してる義理人情ある武将で有名だよ
氏康でさえもそれを認めて一時期、謙信の軍門に降ったような同盟関係に奔ってるわけだし
敵にさえ認めさせる人物ってどう考えても善人以外の何者でもないだろ
あと氏郷とかさ
島津方は人情の話が割と多いよね
はいないのかな? 慈悲があって愛があって人○しを嫌って善政をひくようなひと
そんな甘い奴が生き残れるわけない
そもそも頭の良さなんて誰かを蹴り落としてなるもんだし
宇喜多直家や毛利元就、斉藤道三、松永久秀みたいな謀将が
表向きそんな平和的な薄ら笑みを浮かべて敵を暗○したりするんだよな
もしくは北条五代みたいに弱いもの虐めだけして強い敵が来たら全力で家の中に逃げ込むって感じ
ヤクザに善人なんかいないだろ?
謀反人とか言われているが、
実際は戦国武将になるべきではなかったほどの温和な人
上杉謙信は関東で拉致した人たちを
自ら差配して売り飛ばして儲けたという。
そのため毎年の関東遠征の真の目的が略奪・人さらいだった
という説すらある。
あと、彼の発言に「甲斐・信濃の人家残らず焼き打ち」というのがある。
甲斐信濃の人家を残らず焼き払おうと考えて武将が塩など送る筈無い。
信玄「勝頼、わしがタヒんだら謙信を頼りにせよ・・・(ガク)」
謙信「信玄の奴くたばったらしい。チャンスだから一緒に攻め込もうぜ信長」
信長「浅井、朝倉攻めで忙しいから今は無理です。代わりと言ってはなんですがこれ差し上げます」
義光が善人とかありえねえww
まあ、謀略のイメージが強いけど、義光の代に山形が急速に
発展し、一揆が皆無だったのは事実。
地元では名君として扱われてる。
大内義隆
朝廷を愛し、寺社を愛し、男を愛した慈愛の人
今川氏真
親の仇である信長に蹴鞠を披露してあげる心の広さ
さらに裏切って武田共々に今川を滅ぼした徳川家康にすべて身を任す心の深さw
>>44
俺には全く優しくない。
可愛い嫁と別れろとか
可愛い息子を養子に出せとか
汁は一度に汁!とか
>>53
それが結局お前のためになるんだからといわれればそれはそうだろうが。
そういうわけで、誰の立場から見てっての決めてくれないと何とも言えない。
とりあえずハッキリ悪人と言えるのは
ドラマとかで主役に追いつめられて降参した敵ボスが、その主役が隙を見せた途端
「バ○め!甘いわw」とか言って背後から銃を撃つ・・・てタイプを地で行く毛利元就
悪さしてるところに主役がやってきて、それに刃向かうも全く歯が立たず
「クソッ! おぼえてろよ!」とか言って涙目で逃げて行って、
主役のいないところでまた弱い人を苛めたり盾にとったりして対抗しようとするタイプを地で行く北条氏康
こいつらが典型的な悪人か
父親の代の外交を全部ぶち壊しにしておきながら、いざ苦しくなったらそれに助けられてる伊達政宗とか、
苦しくなったら朝廷を利用して和睦→和睦破りを繰り返す織田信長とか、
その辺もか?
上杉謙信
北条からの人質に自分の幼名つけてかわいがったあげく、同盟が破綻した後も
まるで後継ぎのような扱い。どんだけ良い人なんだよ。
住民増加率が多いと比較的参考にはなりそうだが
ハチャメチャな人物ではあるが粗暴な野蛮人ではないんだよな。
茶器を持つなど文化をたしなむんだよな
頻繁に財産もって避難ばかりして
敵に民衆の家屋を焼き討ちされてちゃかなわんわ。
家督相続してたから一応大名でしょ
親父はあれだけど・・・・
隆元兄は記録も少ないから困る(´゚ω゚`)
義隆にケツ掘られた奴が大名か・・・
>>63
お人よしで人望があったと昔見た
本(タイトル忘れた)で見たような
息子もお人よしだったようだが・・・・
隆元は、人質だったから掘られるのも外交
耐えてか、喜んでたかは謎だが・・・・
当時の武家社会において珍しくはないがやってないほうがレアという事は絶対にない
毛嫌いしてたヤツも多いし主従関係を持つ人物以外ではそういう関係をもつほうがレアだった訳だが
戦国初期の武将で長野業正という名将がいる。
以下、WIKIより
真田幸隆(幸綱)は武田信玄の家臣となる前に業正に仕えていた。
業正が年をとって長野氏が衰えてくると幸隆は信玄の家臣になろうと考え、
密かに脱走を試みた。脱走は成功したが、ある峠で業正から手紙をもらった
幸隆は驚いた。そこには、幸隆の身を心配した内容が書かれていた。幸隆の
妻や家臣達も○されること無く、幸隆は業正の器の大きさを感じたという。
当時の給料は今の公務員や会社みたいに上から支払われるわけではなく
武士に土地を与えて農民から収奪させるものだしな。
それで武士なんてものは基本的に生活に困窮してたからな。
「農民に優しい領主」とかいって農民からの収奪率を低くさせると
配下の武士たちを困窮させることになる。
半農の武士階級ばっかだから
住民に厳しくしたら一揆を組まれて離反される。
統治に失敗する無能は失脚する
大名は絶対権力者ではない
こういう事情が理解できない守護は下克上される。
そーいう点では
北条みたいに普段は民百姓から年貢を取り立ててるのに
いざ、敵がくれば百姓見捨てて自分ら家族だけは安全な場所に逃げる大名って
個人的な性質も政治もどっちもカスだな
鬼高利貸しが政権運営してるのが北条だからね。
質を取った上でトイチ金融をするようなもんで
時代を先取りしてる先進金融社会体制を築いた北条は評価されるべき。
謙信が焼き討ちをするのを放置してるのも、
その方が質流しと家族から引き離しての人売りで北条金融が儲かるから。
敵対してた相手とも大抵和解して、友誼を結んだり、
面倒見たって武将は稀だわな。
残らず追い出しちゃったりしてるがな
後北条が悪政を敷いていたのなら、
上杉軍は人民解放軍だね。
謙信に正義はないな・・・
焼き討ちは戦術だからやってたが
略奪は知らんな。そもそも略奪できるほど財産があったら
質を取っての高利貸し悪政やり過ぎで民衆暴発危機の恐怖で
徳政令の頻発なんて事態が起きないだろうけどな。
そもそも氏康自体が悪政が原因で隠居させられ徳政令発布だし
謙信の小田原城侵攻をラッキー♪って利用して、危機だから復権します宣言してるくらいだから。
略奪、人攫いは当時は常識。
お茶会開いたら全員タヒんでるんですね
石川県の地方紙の北國新聞に連載されている
「猪山家の人々」という連載記事を読んだ人がいるかな?
江戸時代の武士がいかに借金漬けで酷い生活をしていたかわかる。
常時に馬や使用人を召抱え、彼らに給金を払わなくてはいけない。
農民が挨拶にくると多少の小遣いを与えなくてはならない。
そんなこんなで生活がカツカツなのに冠婚葬祭とか祝い事とかの出費が半端ではない。
例えば猪山家が40俵取りから50俵取りに増封される時、
100人近い、上司・上役、同僚、親族などを招いて鯛のおかしら付きの豪華な祝宴をあげなくてはならない。
さらに数百人の痴人などに礼状などを送らなくてはいけなかった。
増封を受けたことにより増封分の数十年分もの出費を強いられるわけだ。
これは別の猪山という男が見え張りの贅沢男という事ではなく当時はそれくらいが当たり前の風習だった。
武士というのは格式とか体面が最大限の社会だった。
そういうのをまかなうために商人や同僚や親戚に借金をするわけだが、
当時の利息が半端ではなく年利40%が普通だった。現代のサラ金以上の利息だ。
こういう話しを聞くと「農民からの租税を軽減する」という行為が
実は結構、問題のある行為だという事がわかる。
現代流に言えば、ついこないだ民主党の鳩山がやってたような
財源もないくせに子供手当てやら高速道路無料化やらの大盤ぶるまいをしてたのを思い出す。
「優しい大名、武将」と言っても、どこに焦点をおくかが問題だよね。
農民からメチャ搾り取って、武士の給与を増して生活を楽にする大名も「優しい」といえば優しいし。
その逆も言える。
父親不幸の最上義光 → 善政を敷いた良君
主君を裏切った三好長慶 → そもそも主君が親の敵
7度主君を替えた藤堂高虎 → 主君がいる間は裏切ってない
騙し討ちの尼子経久 → 物に執着のない剛直男
第一印象は悪いイメージの強い武将ほどギャップがスゴい
おっと松永久秀、おまえは別だがな
ていうか性格が優しかろうが厳しかろうがどうでもいいんだけどね。
恐れられる君主でさえあればいい。
要するに、一般的に甘ちゃんなダメ君主と思われてるような人を挙げていくといいと思うよ。
俺は石田三成。
人質返しちゃダメっしょ。
なんか渋沢栄一みたくスゲー有名だし
埼玉じゃ
直家様が少しでも戦の犠牲を減らそうとどれだけ心を砕いていたか判らない?
激怒しても結局ザビエル許してるし、領内の郎若男女愛してた。
一領具足という半農半兵ゲリラの国屠サを、
平和で安定した良国にした。
山内なんて糞超極悪人じゃん
古女房を愛し、戦功を控え、古参の部下を優遇し、
子孫は末長く繁栄しましたとサ。
土佐の民草は300年に渡り怒ってますが?
子も孫も主君に忠節を尽くし、号も洗心斎で、善人間違い無し。
悪い話は一切無い。きっと聖人だった。
でも信者の娘に手を出しまくってるぞ
京都生まれの京都育ち
色々とお茶目だが、根は良い人に決まってる。
良い人だから善人揃いの熊本では無茶しなくなったんだろうし
敵であろうとも頼られれば手厚く保護した。
「義心は鉄のごとし」とたたえられてる。
誰からも好かれていてそのタヒは多くの敵方の東軍諸将も涙を流したという。
具体的に何をしたかなんて知らないが、きっと善人だったに違いない・・
特に病院は、大友家が建設費、運営費を負担してたんで、無料で治療が受けれた上に、
被差別者だったらい病患者達の病棟に護衛を付けて保護してた。
アルメイダがキリスト教会の命で病院を去った後も、日本人医師に運営させてたから、
福祉政策者としては戦国大名では、ずば抜けて善良だったんだけどな。
病院や孤児院をつくったから宗麟が善人だと言うロジックが分からん
宗教広める常套手段が医療、福祉、教育ってのは基本で当時はそこら中の寺社だって似たような事してんだが
あと民政家だから差別されてたライ病患者を保護したってのは大きな間違い
ライ病とテンカンは当時のキリスト教では聖なる病として有り難がられてた
放浪の身から三国にまたがる大名に成長した宇喜多直家
婚姻や常識を覆す鮮やかな手並みで勢力拡大を成し遂げ、その際の犠牲も最小限。
無駄な流血を嫌った稀有な善人。
その犠牲も身内に集中させるという自己犠牲の人。
また、家臣たちとともに粗衣粗食や断食をおこない宇喜多再興のための軍資金を蓄えた、
危険な役目を担った家臣をその妻子ともども厚遇した、などの美談も残されており、
直家の時代の宇喜多家は鉄の結束を誇った。
話だけど、実際はどうだったんだろうね。
確かに家臣の結束は固そうだけど。
汚い仕事は家臣に命令するモンじゃないの?
最上や松永、宇喜多は自ら実行しただけで。
綺麗な大名なんていないでしょ?家督相続で急タヒとか早遽なんかも毒○とか
普通の時代だべ?
明智のみっちゃんか…
この人、実際のところどうなの?
フロイスはボロクソ書いてるけど、フロイスの記述だしな…
立花宗茂は戦国武将としてはそれなりに善良なイメージがある
最上義光はどうなんだろう
領民や家臣からみたらいい殿様っぽいが
加賀を所有してから領民をほとんど戦乱に巻き込んでない
一向一揆は?
一向一揆を清掃したことはむしろプラスと考えて良いと思う
すべてを謙信の功績にして謙信のカリスマ性が上がれば国の威信に繋がる。結果的に斎藤ら豪族たちも外敵から身を守れるという感覚があったとしたらの話だが。
自分の手柄を自慢したいような武将には無理な話だが、越後の鍾馗ならやれるかも知れない。
鍾馗と言えば①鬼を撃退してくれる善人②報われない苦学生
将軍義輝から貰った大切な絵をわざわざ斎藤にプレゼントしてるあたりはそういった働きも含め高く評価してる証なのかもと感じた
明智光秀は名君だったらしい
光秀が近江坂本と丹波を治めていた時のこと
領内の検地により、百姓が山中に隠し田を作って、年貢をごまかしていたことが判明した。
隠し田の収穫まで含めて年貢を厳しく取り立てようという部下の言葉に対し、
仏の嘘は方便と言い
部門の嘘は武略という
百姓土民は可愛いものなり
と言って、隠し田のことは知らぬふりして
それまでの年貢を納めるだけで良しとしたという。
こんな大名ちょっといない。
現代の常識に当てはめても善人ってなかなかいないな……
戦での人○しは仕方ないとすると
石田三成、立花宗茂かな
三成は
○されてもおかしくないような
無礼を人前で働いた(わざとじゃない)部下を
結構なお金与えてクビにとどめたし
そもそもこの人家臣農民を無礼打ちにした系の逸話聞いたことない
元が農民当然の武士だったせいもあるかもしれん
宗茂はもう言わずもがな
まさに王子(逸話的な意味で)
二人とも善政敷いてたし家臣や領民に慕われていたし
謀略身内○し当たり前の中じゃ
気性は穏やかな方なんじゃなかろうか
僧侶上がりだから、民に優しく。
自国より外征で物資を得たから。
戦ばかりで悪屋形と呼ばれたのに。
最上義光や伊達政宗と間違ってないかな?
大宝寺義氏は織田信長に贈り物をして屋形号を許された。
それで領民からは悪屋形と呼ばれた。間違ってません。
悪源太源義平は平安時代だし悪党楠木正成は鎌倉時代末だから
戦国時代までだいぶ時が流れてる。
悪人正機もあるから元々「ワル」の意味もあったんじゃね。
当時の史料「天下を支えた恩徳ある人」「欲がなくて聖人のようだ」「優しい人だ」
「信長公のご誠意に励まされた」いろいろあるお
血気に逸って戦で○戮を繰り返し傲慢になっていた兄・長慶に対し鈴虫を贈り、「夏虫でもよく飼えば冬まで生きる。まして人間はなおさらである」と無用な○生を諌めた。
刀狩りってのは庶民からすれば決定的に有り難いよ。
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1287136704/
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