【戦国時代】小田原遅参した伊達政宗の遅刻の言い訳は…直筆手紙など展示、豊臣秀吉「宇都宮仕置」など栃木県立博物館で展示
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毎日新聞2020年8月3日 09時44分(最終更新 8月3日 09時44分)
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ロビー展では豊臣秀吉の朱印状などが展示されている=宇都宮市睦町の県立博物館で2020年7月22日午後1時54分、李舜撮影
豊臣秀吉が天下統一の総仕上げとして関東・東北地方の大名の配置を決定した「宇都宮仕置」を紹介するロビー展「宇都宮・会津仕置430周年記念 豊臣秀吉の宇都宮仕置」が、栃木県立博物館(宇都宮市睦町)で開かれている。
宇都宮仕置とは、1590年の小田原征伐で東国の勢力を制圧した秀吉が、関東・東北の諸大名に対して実施した人質の徴集や領地の再配置、刀狩りなどの戦後措置。この政策により秀吉が実質的に天下統一を成し遂げ、戦国時代が終わったとされている。
秀吉は小田原征伐後に会津へ向かったが、その道中で宇都宮城に計11日間滞在した。徳川家康ら関東の大名に加え、伊達政宗ら東北の大名も秀吉からの指示を受けるために集結した。秀吉は、鎌倉幕府を樹立した源頼朝が奥州合戦に向かっていた1189年7月25日、宇都宮大明神での必勝祈願後に奥州を平定したことを意識し、1590年7月26日から宇都宮城で主な仕置をしたとされている。
ロビー展では、秀吉が宇都宮城に滞在した際の朱印状や伊達政宗の直筆の手紙など8点を展示。政宗の手紙は秀吉の側近に宛てたもので、小田原征伐に続き、宇都宮仕置でも遅刻したことをわびるため、「人馬ともに疲弊した」「徹夜で急いでいる」などの言い訳が書き連ねられている。
担当した同館の山本享史・主任研究員は「宇都宮仕置はあまり知られていないが、日本史上の大きな転換点ともいえる出来事が、県内であったことを知ってほしい」と話す。
8月30日まで。午前9時半~午後5時。月曜休館(祝日の場合は翌日休館)。一般260円、高校・大学生120円、中学生以下無料。問い合わせは同館(028・634・xxxx)。【李舜】
あとは、同じ栃木の小山評定くらいか。
お仕置きだべぇ~
向かい風だった
それで戻ろうとしたら上野東京ラインで熱海まで行ってしまって
引用元: https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/editorialplus/1596422858/
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