https://news.yahoo.co.jp/articles/679c59a487e835e4e20a212f6707ef8b5f5e5465
日本史のなかでも根強い人気を誇る坂本龍馬。じつはその暗○の経緯には多くの謎が残されていますが、東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏によれば、「京都見廻組」犯人説以外にも、いくつかの「説」を類推することができるそうです。
幕末の政情から本郷氏が導き出した、「龍馬暗○」の真犯人をめぐる推理とは。
会津藩の藩主?の松平容保説じゃなかったっけ。
■歴史研究者からは見向きもされない「龍馬暗○」
日本史のなかでも、根強い人気があるのはやはり、「戦国時代」と「幕末」ですが、その理由のひとつは、いずれも個性的な英雄が登場し、そのキャラクターに感情移入したり、「推し」にしたりしやすいからなのかもしれません。そのなかでも、とりわけ「幕末」の「英雄」と称される坂本龍馬には多くのファンがいます。
その人気にあやかって町おこしに使われたりもしていますから、迂闊なことは言えないのですが、歴史研究を専門とする身からすると、正直に言えば、坂本龍馬は研究の対象とは言えないのです。
ただし、人気はあるけれども、学問としての歴史研究においては対象にするほどの歴史的人物ではない……、ということで歴史研究者からはほとんど見向きもされない龍馬暗○ですが、私自身はこの事件を通して、当時のさまざまな勢力の動きをまとめることは、非常に面白いのではないかなと思います。以下では坂本龍馬の暗○の犯人についてまとめてみましょう。
下手人探しについては、龍馬暗○の2カ月後に戊辰戦争が始まったため、実際の容疑者取り調べは、明治2(1869)年5月の箱館戦争終結後に実施されました。当初、事件への関与が疑われていたのは、新撰組のなかで主に「暗○」の任務を担っていたと言われる「人斬り鍬次郎」こと、大石鍬次郎でした。
彼への取り調べが行われましたが、その後、京都見廻組が実行犯であるという証言が出てきたのです。見廻組の隊士・今井信郎を取り調べたところ、犯行を供述し、その結果、今井を含む京都見廻組7名が、坂本龍馬暗○の実行犯であったことが判明しました。
しかし、今井以外の6名はすでに戊辰戦争で戦タヒしていました。そのため、今井だけが刑に服すことになりました。しかし、今井の自供した内容には矛盾も多く、信憑性に欠けていました。また、禁固刑に服していましたが、わずか2年で赦免となっており、不審な点が多いのです。
京都見廻組は新撰組同様、京都の治安を守る警察組織のようなものですが、有象無象の集まりであった新撰組と違って、主に旗本で構成されたエリート集団でした。剣の達人揃いで、なかでも西岡是心流の桂早之助は小太刀の名手として知られていました。
龍馬が暗○されたのは近江屋の室内でのことです。かなり狭い部屋で、大人2人が立つこともままならないくらいの広さでした。通常の刀を振るうことは難しかったでしょうから、犯人は小太刀で龍馬を斬りつけたと考えられます。それゆえ、小太刀の使い手である桂早之助が龍馬暗○の下手人だと思われました。
暗○の1年前、龍馬は京都伏見の船宿・寺田屋で、京都所司代指揮下の伏見奉行所の捕吏たちに襲われたことがあります。その際、龍馬は高杉晋作からもらったピストルで応戦し、逃げのびました。この事件では、伏見奉行所側にタヒ傷者が出ています。
当時、桂早之助は京都所司代の同心でした。つまり、桂早之助にとって龍馬は自分の部下や同僚を○し、傷を負わせた人間ということになります。だから、桂早之助には龍馬を斬る十分な理由があるというわけです。
実在したとされるのは土佐の脱藩武士は坂本龍馬
全くの別もの
司馬遼太郎のせいで歴史常識はぐちゃぐちゃになったよな
司馬遼太郎の作品の出来が良すぎて、真顔で信じたった読者側の問題
手紙で良馬と書いていた人もいたらしいな
この時代、漢字はそんなに正確に書かれていなかったとか
それで初めて龍馬を「りょうま」って読むと知られたとか聞いたな
まああやしい話だが
ポテトチップスぜよ
寺田屋は?
のがこの件だったかどうかも知らない
重要じゃないのか?
開国??
ただの商売人で実は薩長のパシリ説は昔からある
日本の大事なシーンにいるけど
結構はじの方で見てる人
モブキャラポジションの人だった
らしい
司馬遼太郎に直接
「あーあれ、俺の書いた嘘」と尽くやられてる
下級武士の浪人があんな好き放題出来るわけ無いからね
幕府の要職に就いてた人間たちからも龍馬は評価されてる
松平春嶽
「坂本龍馬氏は土州藩士にして国事の為に日夜奔走して頗る尽力せしは衆庶の知る所なり」
大久保一翁
「龍馬は土佐随一の英雄、いはば大西郷の抜け目なき男なり」
永井尚志
「後藤(象二郎)よりも一層高大にして、説く所も面白し」
勝海舟
「土佐では(人物と言えば)坂本龍馬と岩崎弥太郎の二人だった」
高橋泥舟
「坂本龍馬『土佐藩の三人の中で一番の人物』、中岡慎太郎『格別に有志ではない』」
それより統治や文化面で江戸時代を勉強したい
解釈でどうにでも取れちゃうから
あと最近よくあるやつだと、信長が如何に凡人だったかとかな
諸葛孔明が大したことないとかもな
孔明は史実のほうが化け物すぎるのに
1:桂早之助 見廻組隊士(戊辰で重傷 タヒの間際に家族に口頭で)
2:大石鍬次郎 新選組 捕縛後の拷問で「見廻り組なのに拷問で言わされた」と
3:今井信郎 見廻組隊士 大石と同じ捕縛中大石証言で尋問され「公務です」と認める
のち明治になり新聞取材で認める
4:手代木勝任 会津藩家老 見廻組佐々木只三郎実兄 明治に「某公の命で只三郎に斬らせた」手代木家伝書も見つかる
5:渡辺篤 見廻組隊士 明治に渡辺家家伝に書く
これを聞きつけた新聞記者が大正時代に取材 新聞記事に
6:勝海舟 見廻組に斬らせたのは松平容保公であろうと明治に発言
無血開城も
勝海舟だし
元から無血開城なんて龍馬微塵も絡んでないんだが…
長曾我部と山内は?
暗○されたことにしてホントは中国に渡ってチンギス・ハンになったんだろ
転生レベルだな
そこまで活躍していない
司馬遼太郎が良いようにでっちあげたと思う
今流行りの李信もあの漫画の中でほぼほぼでっち上げられてる
坂本龍馬→薩摩藩資本の輸送会社の社長。司馬が歴史をクリエイト。
長篠→騎馬突撃も3段打ちも無し。江戸時代の小説家がクリエイト。
伊勢宗瑞は関東覇者後北条氏の礎を築いてんだから龍馬とは違うだろ
現代の法だって大元は北条家の法度がベースだぞ
1929年 『坂本龍馬 海援隊始末』 平尾道雄
1943年 『坂本龍馬・中岡慎太郎』 平尾道雄
1961年 『坂本竜馬と明治維新』 マリアス・ジャンセン
1962年~1966年 『竜馬がゆく』 司馬遼太郎
孝明天皇の皇后の夢枕に立ったという旧土佐藩士の話が記事になったのが世間に名前が出た最初という話も聞いたことある…幕末土佐藩にネームバリューある人居なかったので夢枕ネタでプッシュした臭いが
寺田屋で捕縛されそうになったときに捨てて逃げたのでは?
西郷隆盛
「天下に有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬に如くもの、
未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず」
木戸孝允
「大兄は御心の公明と御量の寛大とに御任せなられ候てとかく御用捨これなき方に御座候」
板垣退助
「板垣の今日あるは偏に坂本先生、中岡先生の御陰様で御座います」
伊藤博文
「坂本龍馬は、壮年有志の一個の傑出物であって、彼方へ説き、こなたへ説きして何処へ行っても容れられる方の人間であった」
大隈重信
「阪本は偉かった。維新の志士等のうちで偉いと思う者は大していなかったが阪本だけには頭が下がった」
陸奥宗光
「坂本は近世史上の一大傑物にして、その融通変化の才に富める、その識見、議論の高き、
その他人を誘説、感得するの能に富める、同時の人、よく彼の右に出るものあらざりき。」
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1732968135/

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