【リアルベルセルク】ヨーロッパを震えがらせたヴァイキングの歴史を改めて語っていこうぜ
まあ河を船で行き来したりだけどな
いつ言語が分かれたんだろ
シュレスヴィヒ戦争
ノルマン人にスカンティナヴィアから追い出された連中なのだろうか?
今は戦士→奴隷ときて、まだ商人にもなってないけど
結構おもしろい
ヴァンダル人やゴート人とか一足早くスカンティナヴィアからでた連中
全然航海なんて出来てないよね
スカンティナヴィアから追い出されたゲルマン人)
スカンティナヴィアに残ったノルマン人
どうして技術力に差がついたんだろう
古代ローマの時代は何して、ローマ人にはどういう扱いだったの?>ノルマンのバイキングたち
ゲルマン人やケルト人はローマ領域に入りたがってたみたいだけどノルマ人は侵略してこなかったの?
未順化ケルトもゲルマン系もフンガリア人も十把ひとからげに、北方蛮族。ノルマン人はチューレ島のに住んでるらしい、くらいの認識。
早く来た順に、ゴート・ヴァンダルなど東ゲルマン、フランク・ランゴバルト・アレマンなど西ゲルマン、結構遅れて海路で来たのが北ゲルマン=ノルマン諸族
その後フランクはヴァイキングの襲撃におびえる事になる
当時のゲルマンにノルマンを超える船も工芸もない
というか航海できる船を作れるというだけでかなりの技術者集団
カエサルのガリア戦記に、バイキングの船とほぼ同様の特徴を
とらえた記述がある。
ロングシップはヴァイキング限定ではなく欧州全般の共有技術
だったかも。
だけどゲルマン人に高度な航海技術はない
ヴァイキングにも高度な航海技術はないけどね。
陸地伝いに移動するか、偶然嵐に吹き飛ばされて
新大陸を発見しただけ。
スキタイや蒙古の遊牧民の騎馬技術とか
弓矢が強いとか鐙があるとかそんな次元の問題じゃない
イギリスには何で負けたんだけ?
逆に同化されたんじゃないの?
異民族を同化した中国みたいに
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%95%E3%A1%E3%A4%E3%AB:Territories_and_Voyages_of_the_Vikings_blank.png
ドイツなんて国は19世紀後半以降だろうに。ヴァイキングの活躍した時代に国内もなんも無いわな。
オットー1世親子の治世にはデーンバイキングの侵攻を
撃退しているし、
ザーリアー朝ドイツ王国の初代コンラート2世が
ローマにて皇帝戴冠式を挙行した際、デンマークの
クヌート大王も隣席している。
うそぉん。
ゴッテンベルグもストックホルムも海辺にあんじゃん。
イングヴァールなど東方進出結構していた。
それも、ロシア横切って、船で行くからな。
バイキングの船は軽そうだから、人間が担げそうだが
かなりの部分人間が担いで行ったのだろう?
あのあたり、まともな道なんてあったのかねぇ
そりゃあ、イングランドやノルマンディーを支配して貴族階級になったんだからね。
ヴォルガ・ドン運河は長さ101km、88m上がって44m降りるという
ここをかつては船を人力とかで運んでたとなるとこりゃ大変だわ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%AB%E3%BC%E3%B7%E6%8F#.E6.A6.82.E8.A6.81
wikiを見てみたら、スウェーデンヴァイキングってロシアの河川を利用してカフカス・ペルシャ方面と交易してたとか。すげえな。
ヴァイキングやルーシ諸国を調べると、ものすごく風の谷の辺境諸国の雰囲気がする。
宮崎駿はこのあたりの民俗や景観が好きだったのかな。
ウィキペでバーサーカーの項目見てたらこんな記述が
>また後の北欧語では、ベルセルクという言葉は、しばしば単なる無法者、乱暴者の意味で使われる。
>これは、北欧では豪族や農民が武器をとって戦う事が多く、人○しのみを生業とする職業軍人が、
>異常者として蔑視されていた為である。
ソースが不明だけど、もしそうだとすると大陸の騎士や傭兵なんかも異常者として
見られていたのだろうか?
>>80
「人○しのみを生業とする職業軍人」
この言葉だけで、軍人に対する半可通な偏見による誤解を感じるね。
この職業軍人という言葉は、近代史・現代史では傭兵とイコールではないが、この執筆者は同じと考えていたのだろうか。
いずれにしても、たしかに傭兵は血を見るのが嫌いな人に務まる職業ではないが、そもそも傭兵とは契約に基づいて戦うもの。
単なる冷血な人○しとは次元が違う。
まして近代以前の北欧で、人を○すことを厭わない勇士を異常者と考えるような部族は、一瞬で歴史の中に消えてしまうのではないか?
もっとずっと後の時代でしょう。
ビッケ
ジンギスカン
有名どころだとレイフ・エリクソンやその父である赤毛のエイリーク、
ノルマンディー公ロロ辺りかな。リューリクも多分そうだろうし。
ペルシャはギリシャに征服され
ギリシアはローマに侵略され
ローマはゲルマンに滅ばされ
ゲルマンはノルマンに襲撃される
つまりノルマンはいずれ北極人によって滅亡する運命にある
民族は北に行くほど戦闘能力が高くなっていく
ヴァイキングも海戦ではスペイン人に歯が立たなかったらしいよ。
ダーティヴァイキングと呼ぶ
ダーティもヴァイキングも英語発音なんだがねぇ?w
しょうがねえだろ
youtubeでロシア人ども
スウェーデン人と罵りあうときいつもそう言ってんだから
多分ロシア語の罵りもあるんだろうけど
同じ系列なのになぜ仲が悪いのか
その東スラヴ人はヴァイキングの王朝にずっと支配され
ヴァイキングの本拠地のスウェーデンはフィン系のエストニア人の海賊に略奪され・・・
去年は「続・サガから歴史へ」だね。
年だから弟子に期待したい(いればだが)。
海戦に不向きだよね。でも、日本語だとヴァイキング=海賊になるね。
アイスランドは哲学の島になっていたのかな
ポリネシアンがハワイまで丸木舟で渡っているから有り得んこともないけど。
>>146
一応証拠発掘されてるんじゃね?
イギリスではデーン人の支配地域だったイングランド北東部の住民は他地方の人間から「あいつらヴァイキング」と呼ばれてるんだよな。なんかド田舎もんみたいにw
いや、アングロサクソン人もローマ様から見れば同じ北の蛮族ですからww
>>151
イギリス王室
フランス王室
ナポリ王室
キエフ公国
EUの列強はすべてヴァイキングの派生国?
>>155
フランスのどこがヴァイキング系列なん?
あとナポリは列強と言えるのか?
仮に国家としては19世紀まで長く続いたことを評価しても途中でブルボン家系に乗っ取られてるからヴァイキングとは言えないでしょ
まあ中世ではヴァイキングの血統は確かに強かったけどね
ヴァリャーグやリューリクについては、2つのパターンのどちらか、あるいは両方だと思う。
1.ヴァリャーグはスカンジナヴィア出身の部族ではなく、バルト・スラヴ系の人々で、スカンジナヴィアのヴァイキングなどと交易は行っていたため習俗の一部を採りいれた。
2.リューリクは、実権を持つ地元の指導者たちに便利な御神輿として担がれた。これはスラヴ人の諸国ではよくある。
ルーン石碑は資料として使えない。
というのも6世紀のヨルダネスの時代にすでに北欧関連の歴史捏造がおおっぴらに行われていて、
考古遺物の発掘状況と矛盾しまくりで、
ルーン石碑はその後の時代に盛んに建てられていたものだから何をかいわんやの状態。
あそこの英語版の北欧・ゲルマン関連の記事の政治運動化ぶりはひどすぎる。
この形態だと、
強い騎兵を作れない。
ギルドを形成できない。
都市を造れない。
から、ヨーロッパの歴史発展から考えると中世で脱落するのは
必然だよね。
シェラン島のトレレボー
北ユトランドのアガースボー
東ユトランドのフィルカート
フュン島のノンネバケン
これら合計で4000人を収容とされる。
ということは、ヴァイキングの襲撃は、1000人程度の規模?
3000人くらい集めて史上空前の大軍団とかいう話になってたから
1000人規模でヴァイキング襲撃したらえらいことだな
もし万人レベルまでいってたら、到底ふせげるものじゃなかったって感じになるねぇ
ヴァイキング自体が万単位の都市など存在しなかった。
ビルカですら1000人程度。
どうやって大軍を集めたんだか。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/71/Territories_and_Voyages_of_the_Vikings_blank.png
なぜかドイツだけは避けている
ドイツ内陸部なんて森ばっかしで遠征する価値ない
ビルカの墓の埋蔵貨幣
800-820年が最多、その後減少、10世紀末に皆無。
フィンランド湾からキエフ、ヴォルガ・ドン川流域でも同様。
ディルハム貨の出土量の減少は、イスラム世界の造幣力の変化
だけとは思えず、ヴァイキング側との交流がなくなったと理解されてきた。
バルト語派(リトアニア語など)の社会の人物という説もあるが。
いくつかの可能性はあるが、そこではヴァリャーグ人(ノルマン人)が一つの中心的役割を担っていたことは疑いない
それをリューリクという実像が曖昧な人物にまで還元させるかどうかは、人や立場によりけり
ヴァイキングによるヨーロッパ沿岸部の攻撃は、北欧社会における
キリスト教の広まりに対するゲルマン神話を信じる人々の反撃と位置付けられている。
研究者によると
「初期のヴァイキングの活動がカール大帝の
統治開始と時を同じくするのは偶然ではない」と分析する。
人口の増加もその理由であるが、信仰上の対立の面もかなり大きかった。
カール大帝はキリスト教を掲げ、侵攻と拡大を
繰り返していた訳であり、スカンディナビアにおけるその脅威は容易に想像できる。
また、キリスト教の浸透は北欧において問題化していて
ノルウェーではそれが原因で1世紀に渡り深刻な対立が生じていた。
通商・貿易面では、スカンディナビア人はキリスト教徒による不平等な
条件の押しつけで苦しんでいたことが判明している。イギリスの商人の
間には、キリスト教徒と非キリスト教徒の二重の取引条件が存在していた。
この時代の生活と出来事を知りたいですが歴史が苦手だった人間にオススメな本って何かありますか?
http://www.47news.jp/CN/201410/CN2014101401002173.html
英北部でバイキングの財宝発見 千年以上前か
【ロンドン共同】中世ヨーロッパで海賊行為を繰り返していたとされる
バイキングの宝石やつぼといった100点以上の財宝が英北部スコットランドの教会で見つかった。
千年以上前、9~10世紀のものとみられる。英ガーディアン紙などが14日までに報じた。
財宝は金の装飾品や銀塊、腕輪、キリスト教の十字架など。
安全に保管するために埋められたとみられるという。
教会の敷地内で9月、地中の金属探索をしていた男性が発見し、スコットランド国立博物館が調査した。
専門家は「バイキングとスコットランドが、歴史的に関連があるとの見方に影響を与えるかもしれない」と指摘。
2014/10/14 22:47 【共同通信】
http://www.theguardian.com/uk-news/2014/oct/13/-sp-metal-detector-enthusiastic-viking-treasure-hoard-scotland
Metal-detecting enthusiast unearths Viking treasure hoard in Scotland
http://i.guim.co.uk/static/w-700/h–/q-95/sys-images/Guardian/Pix/pictures/2014/10/13/1413199607012/6641f0bc-0265-42fc-abdf-03bb379efae8-620×372.jpeg
http://i.guim.co.uk/static/w-620/h–/q-95/sys-images/Guardian/Pix/pictures/2014/10/13/1413201261730/65bb968b-77f4-498a-b09c-40f4b5c657db-680×1020.jpeg
http://i.guim.co.uk/static/w-620/h–/q-95/sys-images/Guardian/Pix/pictures/2014/10/13/1413201931249/41d47c56-ac23-45fa-9fed-0d496f4af4d5-627×720.jpeg
>>223
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141014/k10015371601000.html
イギリスでバイキングの財宝発見か
10月14日 7時35分
中世ヨーロッパで海賊行為をしていたことで知られる「バイキング」の1000年以上前の財宝とみられる品々が、
イギリス北部の教会の敷地内で発見され、話題となっています。
イギリス北部、スコットランドにある教会の敷地で先月、
金属の探索を愛好する男性が深さ60センチほどの所に金属の物体が大量に埋まっているのを発見しました。
発見されたのは銀のブローチや腕輪、それに十字架など100を超える品々で、
スコットランド国立博物館が調査したところ、ほとんどが9世紀から10世紀ごろのものとみられるということです。
この中にはアイルランドで魔よけとして使われていたとみられるものや、スカンディナビア半島のものとみられる宝飾、
それに、今のドイツに当たる地域で使われていた銀の器など広い地域の品々が含まれていて、
国立博物館では中世ヨーロッパで海賊行為をしていたことで知られる「バイキング」の財宝とみています。
今回見つかった品々は、19世紀以降にスコットランドで見つかった「バイキング」の財宝としては
最大の規模になるとみられるということで、博物館の専門家は
「イギリスだけでなく、西ヨーロッパ全体にとっても意義のある発見だ」と話しています。
9世紀にタヒ亡したヴァイキングの女性の指輪に、アラーに言及した印字があった。
Why was a 9th century Viking woman buried with a ring that says ‘for Allah’ on it?・・・
その話も面白いが、当時のアラブ人が、ヴァイキングは世界一不潔な連中だって書き残してんだね。
・・・the Arab writer wrote in the 10th century. “They do not purify themselves after excreting
or urinating or wash themselves when in a state of ritual impurity after coitus and do not even
wash their hands after food."・・・
http://www.washingtonpost.com/blogs/worldviews/wp/2015/03/18/why-was-a-9th-century-viking-woman-buried-with-a-ring-that-says-for-allah-on-it/
13ウォリアーズでアラブ人役のアントニオバンデラスが手鼻かんだ手を濯いだ器の水飲むの見て強張ってたな。
映画は七人の侍そのままなんだけど好き
わかってて書いてたらゴメンだけど、
13ウォリアーズの主人公のモデルは、>>230のリンク先で挙げられているイブン・ファドラーンそのものなんだよ
ちょっと名前変えてアハメッド・イブン・ファラハンとしてはいるけど、「ヴォルガ・ブルガール旅行記」が下敷きにされてる
矛先をイスラム圏に向けさせる事は至上命題だった これが出来なければ大ピンチである
「お前らの敵はあっちのイスラム教徒なんだよ!」実際バイキングの時代の直後に十字軍が開始されている
>>238
キリスト教化が全然できていないから
ノルマンディとかブリテン島とかの修道院を余裕で荒らししている
十字軍に北欧がほとんど参加していない
むしろ逆で、関与しなくなっている。
9世紀迄、ディルハム銀貨を大量に保有していたが、9世紀半ばから
どんどんビザンツの貨幣が増えていく。
中世ヨーロッパの海は地獄だな
ヴァイキングが定住した土地は海賊は減るし
イスラム海賊はモロッコ周辺ぐらいしか勢力を伸ばせない。
A new discovery has revealed that the Vikings may have travelled hundreds of miles
further into North America than previously thought.
It’s well known that they reached the tip of the continent more than 1,000 years ago,
but the full extent of their exploration has remained a mystery・・・
http://www.bbc.com/news/magazine-35935725
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/a/032800020/
ノルマンディー地方に移住したヴァイキングの子孫についてだけど・・・
彼らの中にはイベリア半島のレコンキスタに参加した連中もいたけど,
南イタリアほどの大きな成果は得られなかったと聞いた事がある。
ブルゴーニュの公族の中には叔母のダンナであるカスティーリャ王
の誘いに応じてレコンキスタに参加し,ポルトゥカレ伯となった人が
いたけど,もしこれがブルゴーニュではなくノルマンディーの公族
だったら(=そのカスティーリャ王がノルマンディーの公族と結婚し
彼女の甥っ子とかに声をかけてたら),レコンキスタでノルマンディー
移住組が果たした役割は大きなものになってたんかなぁ・・・
ノルマンディー移住組の子孫だけど時代がたつにつれて
フランク風の名前だけでなくキリスト教の聖人名も
与えられるようになるんだよね。
ヘンリー2世と対立して暗○されたトマス・ベケットや
アイルランド遠征に参加したモーリス・ド・プレンダーガスト
とか。
彼らより前の世代だけどロベール・ギスカールの息子で十字軍
に参加した騎士ボエモンも本名はマルコだったっけ。
ヴァイキングのイスラム化とかあったら面白かったのに
ヴァイキングだったリューリクを建国の祖とするルーシはユダヤもイスラムも見て最終的にキリスト教への改宗を決めたんだから
その大本のヴァイキングがムスリムとか質の悪い冗談にしか聞こえん
>>269>>273
ヴァイキングのタヒ装束に織り込まれたアラーの文字が発見される
http://karapaia.com/archives/52247936.html
ヨーロッパ世界が裏口からイスラム化される可能性があったのやも・・・
ヴァイキングの侵略活動は、じつはキリスト教が原因だったらしい
中世教会の権威を確立し、侵略拡大を続けていたカール大帝への反撃であり、
かれの治世末期にヴァイキングが登場したのは偶然ではない
キリスト教の布教活動によって当時の北欧社会は大混乱を引き起こしており、
交易活動においても無学な北欧人たちはキリスト教徒から、上から目線で
未開の蛮人あつかいされたあげく、虐待される屈辱を味わっていた
ノルウェーでは1世紀にわたり、古くからの神々とキリスト教の信者たちと
のあいだに、深刻な対立が生じていたことも判明している
ヴァイキングの襲撃において修道院が目の敵にされていたのは、偶然ではない
イタリアに渡ったノルマン騎士ロベール・ギスカールはイタリアに
入ってもすぐには大活躍できず,山賊をやってたとの事
ヴァイキングの子孫が山賊とわw
ヘイスティングスの戦いで戦タヒしたイングランド王ハロルド,
正式にはハロルド2世であり1世はデーン人であるクヌート大王
の息子だと知ったのは後になってから。
ノルウェーだとハーラルに相当するんだろうけど,そもそもはヴァイキング風
の名前だったのがアングロサクソン系に用いられていったのね。
*それまではエドワードとかアルフレッドみたいなアングロサクソン風の伝統名で,
ゲルマン祖語に遡ると同語源な名前がたまたま北欧に存在するのかと思ってた。
イングランド(アングロサクソン時代)とフランク
カール大帝がイングランド人のアルクィンを登用した事もあったけど,
イングランドにフランクの文化が流入したのってノルマンディー地方の
フランク化したヴァイキングがイングランドを征服して以降?
ヴァイキングの戦いの再現
360度見回せるので臨場感がある
https://www.youtube.com/watch?v=oNEW4qPacGw
http://www.thesun.co.uk/wp-content/uploads/2017/08/nintchdbpict000343802054.jpg
ヴァイキングってこんな感じで来襲してきたんだろうな
足長いなあ
腹に何書いてあるんだろう
英語圏で見かける名前ロナルド(ロナルド・レーガンのロナルドね),
調べてみたらスカンジナビアのヴァイキングがスコットランドにもたらした
ヴァイキング風の名前だったのが意外だった。
ノルマンディーのノルマン人(ヴァイキングの子孫)がイングランドにもたらした
フランク風の名前じゃなかったのね。
ちなみにノルマンディーのノルマン人(以後ノルマン人と書きます)がイングランドに
もたらしたほうはレジナルドらしい。
このレジナルド、ロナルドの元となったヴァイキング風の名Rognvaldrが
ヴァイキングの子孫であるノルマン人にも受け継がれていったのか、
はたまたゲルマン祖語まで遡ればRognvaldrと同源なフランク風の名を
ノルマン人が自分達の名前として取り入れたのか。
どっちなんでしょうね。
征服王と共にイングランドに来たノルマン騎士達には、当時でさえフランク風とは明らかに違うヴァイキングくさい名前の人が結構いるんだわ。家系図二代くらい遡ればもろヴァイキング名でw
だから、レジナルドもヴァイキング起源名、に一票。
アングロサクソンに用いられてるけど(ノルマ○コンクェスト時に戦タヒしたハロルド2世),
逆にアングロサクソンの名前エドワードをヴァイキングの子孫であるノルマン人が
用いることもあったのね(エドワード・ド・ブルース【ロバート・ド・ブルースの弟】)。
ポーランドにあったヴァイキングの交易地トルソ
日本では知名度の低いトルソ
https://www.youtube.com/watch?v=5gOBxxkAt4k
https://www.youtube.com/watch?v=BDEZPysLXSI
琥珀の道の交易地の一つ
スラヴ的遺物が少ないのが特徴
ガラスくずがいっぱい発見、ガラス製造をしていた可能性あり
ヴァイキングがガラス製造とは
ヴァイキングは製鉄に使う炉を持ってたから
ガラスづくりに手を出すのは難しくなかったかも
最初は小規模な足の速い船団でやってきて、掠奪のあと、さっと引き揚げるといった
ふうであったため、なかなか彼らを捕捉することができなかったが、やがて
アイルランド人も彼らに対抗する手段を考えるようになる。
811年にはアイルランド人の反撃が成功、上陸したヴァイキングの一団を皆○しにし、
翌年にもオーガノクト・ロカ・レイン王指揮下のアイルランド人が南西海岸への
来寇者を逆に○戮、撃退した。
奥深くまで侵入するようになる。
836年にはオニールの南部で多くのアイルランド人が○され、また捕虜となった。
こうしてコノート全域が異教徒によって荒らされ、大きな被害を受けた。
翌年、120隻の船に分乗したヴァイキングの大集団がリフィー川とボイン川を
遡航して内陸部に入り込み、リフィー渓谷やブレーガ平野を守っていた砦を
次々に攻め落とし、教会や農場を片っ端から荒らしまわった。
11世紀を「ヴァイキング時代」という歴史区分のひとつとして扱い、さらに北欧では
これを中世ではなく先史時代の最後期に位置付けている(原史時代とする説もある)。
ヴァイキング時代は、考古学的に表現するとまだ後期鉄器時代なのである。
だったせいもあってラテン文字が知られておらず、また文字記録を留める聖職者も
いなかったため、残された文献資料が非常に少ない。
との接触が少なからずあったが、スウェーデンの隣人は同じく文字を持たない異教徒
であるスラヴ人やフィン人だった。
このため、ヴァイキング時代のスウェーデンについてはここが統一されていたのか、
中心地がどこにあったのかすらはっきりとわからないのである。
随一である。
そしてその無数の資料からヴァイキング時代のスウェーデン、とくにスウェーデン
中部は、文句なくスカンディナヴィア最大の人口を抱えていたことがわかる。
ヴァイキング同士の海戦
船同士を綱で繋げて突撃する
負けると綱が切り離され船が奪われる
エヌンドとアイルランド王キャルヴァルの海戦は
5隻vs5隻なので150人前後同士の戦いか?
Kanhave canal
726-29年頃作られたデンマークのサムセー島の運河
ヴァイキングの会合地点として有名な島の運河。
島を東西に横断する為幅11m長さ500m余り
https://www.flickr.com/photos/14716771@N05/31675171478
参考模造船、一部復元
https://www.flickr.com/photos/berntnielsen/7220556620
「ブラタモリ」レベルだが微妙な傾斜でわかる
衛星写真
https://www.google.com/maps/@55.907168,10.604397,562m/data=!3m1!1e3
タフル
ヴァイキングのチェス(ボードゲーム)
12世紀以降ヨーロッパに拡大に伝播
1700年頃サーミ人にも伝播
1732年リンネがルールを文章で記述
1811年ラテン語から英訳(誤訳だらけ)
少女まんがの主人公になったバイキングの王様といえば
この人くらいのものw
Oh Love1世
…冗談です(汗)
>>335
「獅子の如く」っすね。
作者のあずみさんにペール・ギュント描いてほしいなと思った時期も
ありますた(ヴァイキング物ではないですが)。
1000年前のヴァイキングが愛した伝説のボードゲーム「ネファタフル」とは?
https://gigazine.net/news/20180630-hnefatafl-viking-history/
次第にルールが明らかになり、いまはコンピュータ相手にネファタフルをプレイすることもできるそう
ヴァイキングの凶暴な戦士「バーサーカー」は幻覚作用のある植物を使っていたかもしれない
https://gigazine.net/news/20190919-berserkers-may-have-used-henbane/
ベニテングタケなどの幻覚作用のあるキノコを食べ、トランス状態になっていた
ベニテングタケはヨーロッパ人にとって身近なキノコであり、中でもシベリアに住む部族の間では、
シャーマンがトランス状態になるために使われていた
ソーマと同じだな
バイキングの「ルーン石碑」、気候変動への懸念に関連か
https://www.jiji.com/jc/article?k=20200110039576a
9世紀に建てられたレーク石碑には世界最長のルーン文字の碑文が刻まれており、
700以上のルーン文字が石碑の5つの面を覆っている。
紀元536年の後に発生したのと同様の破壊的な気候危機が新たに起きることへの懸念
石といえば、バイキングがコンパス代わりに使ったというサン・ストーン
最初にこれに気が付いた奴はすごいな
沈んだバイキング船から発見! 「太陽の石」の謎に迫る!
https://www.youtube.com/watch?v=nHybughAExM
本年発売のアサシン・クリード最新作は
ヴァイキングのイングランド侵攻をテーマにした
『アサシン クリード ヴァルハラ』
https://www.youtube.com/watch?v=I3Cr7HcXxKw
グラフィックすご・・・
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1307878939/
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