なぜ近代科学は江戸時代の日本で発展しなかったか
>>1
関孝和はニュートンやライプニッツより先に微分積分を考案
華岡青洲は世界初の全身麻酔外科手術を成功させた
勉強してこい
戦争がなく平和だったからだよ
人間は定期的に戦争しないと発展しない
維新後もずっと日本の科学力はしょぼかった
芽が出たのは大正以降
戦後活躍した学者は戦前生まれ多いし、それか彼らの影響を受けた戦後生まれ
個人の資質を活かす仕組みがいかに大事かってよくわかる
中世ヨーロッパではほとんど進化しなかった科学はそのころギリシアローマの諸学問を継承したイスラム圏で大発展していた
それを逆輸入した近代ヨーロッパが発達させたのが近代科学
日本のそばにイスラム圏があったら日本が近代科学発祥の国になってたかもしれない
鎖国してたからやん
日本自体が成長するよりも
徳川幕府の安泰を優先したんだよ
その結果科学技術で大きな差をつけられて徳川幕府では太刀打ちできない事態になった
そこに目をつけた地方の田舎侍が欧州と手を組んで謀反を起こした
その時期に庶民まで読み書きできたのは日本だけ
実際は土人国に囲まれてたからな
古代日本人がどんぐり食ってるだけで進歩しなかったのと同じ
作物は作ってるぞ
稲作はあとだが、
殿様が馬○のふりして生き残るような時代だったから
関孝和みたいな人が現れても個人レベルで終始して
後世まで研究して高めるような高等教育機関がなかった
欧米とは関係無く独自に微分積分を発見した
発電機を発明した
江戸時代にすでに種痘を行っていた
世界初の全身麻酔を行った
他に世界初の先物市場を開設
高度に発達したリサイクル都市運営を行っていた
新聞の発達や小説が市民に普及してるなど識字率が世界的にも高かった
教育機関が普及してたからこそだ
唯一近かった朝鮮半島が近世の日本にとってあまりにも魅力のない土地だったからな
清朝も出てくるだろうし
エコ社会だったからだろ発明製品化には大量消費
それにともなう使い捨ての安い労働力が必要
江戸時代の労働力は基本徒弟社会
親方がすべて面倒を見るという社会
切り捨てとか労働力を肯定できるわけがない
ひとつの工芸品にしても匠の技を目で
高額な値で取引されていた。
欧州でも工芸品は機械化のあとただの使い捨てゴミに劣化している。
科学が崇高というのはただの幻想w
貧乏くさいゴミの使いまわし社会か
ヨーロッパとは環境が違う
江戸は大工だ職人だって一人で身を立てる一人親方ばかりなのも知らないのか
天文学者の国友一貫斎
飛行機をつくった浮田幸吉
からくり技師の飯塚伊賀七
同時代の欧米よりすごい人いるんだよ
戦前は教科書に載っていたのにな
オランダ人が置いていったあと壊れた望遠鏡を修理して
手で磨いたレンズがやっと形になった頃にはヨーロッパでは子供のおもちゃレベルの性能でしかなかった
目で見たものをスケッチしただけで天文学者とは笑わせる
せめて銃の職人として評価したり発明家として評価したほうがまだちゃんとした評価だわ
結局こういうふうに負け犬が自分を正当化するための道具でしかない
過去の人間へのリスペクトなどかけらもない
なぜアジアで産業革命が起きなかったのかという提起は
英語圏では「ニーダムの問い (Needham Question)」として有名
21世紀の中国の成長に伴って話題になるし>>37の言うような雰囲気も変わってきてる
20世紀に教育された人は西洋の進歩=人類の進歩でよかったんだが
さらっと一時間で西欧側からの見方を学べるBBCのラジオ番組
www.bbc.co.uk/programmes/p0038x9m
>>35
ホラ話だとバレたから載らなくなったんだろ
昔は海外のものを日本で初めて発表しただけで
なぜかそいつが発明したことになってたし
時代は違うがシャープペンシルやクオーツ時計も
先に海外にあったのに日本人が発明したと日本人だけは信じてる
よく恥ずかしげもなく言えるもんだな
無知極まりない
ヨーロッパは神学で科学が弾圧されてたが中東イスラム圏にはあった科学書物に感化されたのがルネッサンス
ということでいいんだっけ?
誰々が飛行を作りましたハイおしまいじゃ発展とは言いませんよ
新兵器を作り出す必要も無いから科学は発展せんわ
挙句に鉄砲を使うのは卑怯なことって考えを浸透させて刀か槍の時代に逆行させてるし
例えば今の生活は特に我々に不自由は無いが300年後の人間からしたら不便と思われる事だろう
企業間国家間の技術開発競争で科学は進歩していくもので別に人間が立派になるわけではない
なんでこうなった?
>>46
ヨーロッパよりちょっとだけタイミングが遅れただけだ
ヨーロッパでは大陸で集団射撃戦術を発達させたが
それならあんまり命中精度が高くなくても少しでも色んな天気で撃てればいいので
1600年代には火縄銃から火打石銃に変わった
だが日本では、石英で出来た火打石ではなくてもっと着火率の低い火打石しかなかったし
あと火打石式の銃は、バネで叩きつけて着火させる性質が強くてブレ易くて
命中精度も低かった
集団で撃つならそれでもいいのだが、日本では1600年代には戦争が終わっていて
銃なんて狩りでしか使わなかったのだ
これなら、火縄銃の方が良い
だが「1600年代以降も銃でいっぱい戦争した」経験が無かったお陰で、一つの重要な事に気付くのが遅れたのが悔やまれる
何百年も戦なんか無かったんだから
コピーする能力はあるから下手な武装させて制御しきれなくなったら困るし
誰も使わなくなった旧式武器をとんでもないボッタクリ価格で押し付ける相手だった
そもそもあの当時の欧米人にとって見下しっぷりは黒人と大差ない
銃の進歩は
・着火機構
・装填機構
・銃内のライフリング
この3つが挙げられる
火縄銃でも火打石銃でも、黒色火薬を使う限りは銃筒内に燃えカ○が貯まり
これを必タヒで掻き出してるうちに、いくつかの銃筒は中がえぐれて独特の模様になって来る
本来はそんなになったら強度が下がっているという事で交換時期だ
狩猟で使ってるなら、そんなになったら筒ごと破裂しかねないので交換だな
だが戦場で必タヒな時はそれでも戦う
当時の銃弾は丸く、それを発射すると筒内でちょっと転がってどっちかに回転してカーブしたりするのが普通で
それでやっぱり命中精度が下がる
だが筒内がえぐれ始めた銃のうち、中でぐりぐりとらせん状にえぐれている物は進行方向に対してジャイロ回転して
カーブしたりせず、軌道が比較的安定していると分かった
実はこういうのは1500年代から分かってきたが、工作するのが大変でなかなか普及しなかった
1740年になってようやくイギリスの物理学者が説明し、
更にアメリカ独立戦争ではアメリカの狙撃兵がライフリングを施した銃を積極的に使って
イギリス軍を悩ませることになる
しかしライフリングを施すと弾丸を銃筒と極めてぴったりと詰めないといけなくて装填に3倍の時間が掛かるとさえ言われた
あと、日本にはライフリングされた銃は殆ど一切、黒船来航まで入って来なかった
(黒船来航後に伊藤博文が狙撃用の火打石銃であるヤーゲル銃を使っていた事があったが)
装填時間が従来の火縄銃や火打石銃かつ滑腔銃であるものと同程度のライフル銃が出来るためには
1848年にフランスのミニエが
・銃弾をドングリ型にする
・尖っている方を前にして、後ろには小さな鉄辺を置く
・火薬に点火すると、鉄辺が銃弾の後ろを押して弾丸後部がちょっと膨らみ、
これがライフリングに食い込んでジャイロ回転が掛かる
というのを発見して、やっと実用的なライフル銃になったのである
その後で、鉄殻を置かなくても形状を工夫してライフリングに食い込ませられるようになった
このような弾丸のライフル銃は、南北戦争、クリミア戦争、第二次長州征伐で
勝敗を決するほど重要な役割を果たす事になる
(戊辰戦争になると幕府側も使い始めるのでまた別だという)
一神教という前提が無いと万物の運行には根源的な法則があるという発想に至らないんだと思う
銃弾のライフリングについては、アヘン戦争でもイギリス軍と清軍で射程がまるで違っていて
それで清は大敗した
ただし薩英戦争ではたまたま波が荒れて、更にイギリス軍の旗艦で最新鋭の後装式のライフル砲である
アームストロング砲が破裂して多数のタヒ者を出したりと偶然も重なって
ある程度薩摩が有利になった
だがタヒ者数はイギリスが多かったものの、鹿児島の町は10%も消失してしまったのだ
近代戦は都市を破壊してしまう
なお、このニュースは欧米に伝えられ、イギリス議会まで英海軍が非武装民を攻撃していると非難した
アームストロング砲はこれでイギリスでの採用が無くなって世界に売り払われたが
日本では破裂しないように小口径砲を使った
後装式の大砲(直径10㎝クラス)だと、発射後に一々砲の前に回ってまた狙い直す必要が無く
(その前に外れたら、前より5度下げて!とか命じて)弾道修正をし易いので、狙いが圧倒的に良くなった
イギリスは幕府にこれを売らず、新政府に売りまくったのでこれも新政府が勝った一助か?ともいうが
あまり影響してないんじゃない?という人も少なくない
銃の発射機構は火縄銃が火打石になった後、雷酸銀などを使った
衝撃だけで爆発する化学物質が出来た事で新たに
パーカッションロック式という機構が出来た
今までは口火火薬というのを銃筒とは更に別に変な皿のような所から入れて
そこに火縄で着火するか、火打石で着火していた
しかし、パーカッションロック式になったことで「ほぼ」瞬間的に着火するようになった
雷酸イオンは CNO と酸素と窒素と炭素の化合物のイオンとして表現される
ところが シアン酸という OCNと書かれる物質がありこれは爆発しない
物質が混ざっているだけでなく、その繋がり方が物質の性質を決め
これを異性体と呼ぶ、と明らかになるなど、銃の発展が化学の発展にも役立ち
やがて重化学工業の第二次産業革命にもつながって行く
銃のライフリングで弾丸が安定する話などは
弾丸のモーメント計算とか、
・止まっているコマの尖った方を下にして立てるとすぐ倒れるのに
回っているコマはなんで倒れないの?
という物理の問題に関わるなどで、江戸時代に寺院の立て札や絵馬に描かれた
算術の難問に親しんできた日本人には大好物であった
だから、そういうものを単なる奇術とせず、すんなりと馴染むことが出来たのである
銃のための火薬と農業のための硝酸肥料が両方同源、だがその繋がり方で性質が違うなんてのも
農業も兵器も好み、パズル的なのも好む日本人には大いに食いつかれたw
産業革命を起点に考えよう
なぜ産業革命は日本で起こらなかったのか?
火縄銃や火打石銃や前装式ライフル銃の多くは、銃筒の最後尾を無理やり切断して
そこに蝶番の付いた弾丸装填装置を付けられた
蝶番じゃ吹っ飛んじゃうでしょ!と思われるが、
銃底全てがドア部分に付着した突起でしっかり塞がれる構造になっている
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e0/SniderMkIIIC_breech_open.jpg
ので、却って安定する
これがスナイドル銃である
火縄銃だったのがライフリングされ後装式にされ着火機構も実包・サイドハンマー衝撃式にされ
すっかり新型になった銃すらあった
これを幕末の黒船来航から15年でやったんだもん
当時の人達の熱意は本当にすごいよ
OSから何からアメリカ発の製品に握られてて
改造するために勉強するだけで10年掛かる状況
キモヲタニートがごちゃんに一杯いたんだから
せめてその半分に、自作OSを作らせる特訓でも
どっかのITメーカーが政府から補助金を得てさせていたら!
彼らのせめて30歳代前半までにそれをやっておけば良かったのだ
連中をアニメとアイドルだけに熱中させてこのザマ
そもそも東アジア自体に近代科学を生み出すだけの自然科学の蓄積がないのに発展するとかしないとか以前の話
>>127
だなあ
万物の根元は何か、と考えたり
錬金術のような実験を繰り返したり
日本や、アジア人はどれだけやったのか
正解
でもその違いを生み出すのは結局遺伝子の違いなんかなあ
アジアは論理的な思考ができなかった
>>127
ちょっと違う
何か発明や発見してもそこで終わって継続しなかった
代わりに発展させたのが思想や哲学
そして支配を完璧にした
民度高いっちゃあ高い
日本の和算がテクニックに走りまくってるのは
16世紀に来たイエズス会の宣教師が持ってきた数学書のやり方を
ある意味忠実に受け継いだからでもある
まあその時代までに4次方程式までは解を持つことが分かっていたけど、
3次方程式を解く時に必要十分条件で追い込まなきゃ絶対こんなの
分かんないでしょって部分があるんだよな
物凄く中途半端な形をした部分を無理やり
これを2つに分けて、これはこっち側、これはこっち側の要素の筈だ!
と決めつけて無理やり解く
おいおい、それ以外の分け方があったらどうすんだ!と言いたくなるが
「その後でちゃんと3次方程式の証拠である3つの解が得られるので
必要十分性により問題ない」
と一括されてしまう
こんな奴ね
5次方程式以上が解析的手法で解けないのをアーベルが証明し、
代数方程式が解析解を持つ条件をガロアが証明したが
どっちも決闘で早タヒにしたり若くして病タヒしたりと散々だった
こんな犠牲を経て生まれた群論が日本にも一応存在は届いていて
蘭学者と和算の達人のやり取りが残されている
最低限、オランダから情報だけ得て
何か海外から遅れて来たぞ?と思ったら吉宗が蘭学を許可したり
要所要所で
・書物レベルでOK
・実験室、学者レベルでOK
・もう間に合わんから幕府主導で産業規模の試作プラントを建設
と、段階的に変えているなあ
○さずに世話をし、西洋の文化や技術だけを伝える役割をさせ
その教えを吟味して取り出す
吉宗は幕府の借金を減らすために米以外で何とかならんかということで
蘭書に書かれていた各種の作物の栽培に力を入れた
青木昆陽に甘藷栽培を学ばせて全国に普及させ
その一方で小石川御薬園で甘蔗栽培を試み
国内で少しでも砂糖を生産できないかと努めた
何しろ砂糖の入った菓子は江戸幕府の悩みの種である多くの方々の好物であり
それを国内で自給し更にそれが幕府直轄地で生産出来て
他藩にも売れるとなれば一気に財政が助かる
ところで
甘薯あるいは甘薯 サツマイモ
甘蔗 サトウキビ
紛らわしい
じわじわとでも普及してもよさそなのに
日本すごいに西洋すごいで対抗したって目糞が鼻糞を笑うだけ
>>166
う~ん頭悪そう
てか威張りくさって馬○晒してる知ったか多過ぎだろ
>>171
江戸時代の識字率とかなんの根拠も無いんだよな
よく嘘八百垂れ流して平然としてられるもんだわ
火薬は錬丹術からできた
やっぱ多くの庶民は読み書きできなかったよ
関孝和とライプニッツ比較したやつはライプニッツが何した人か知ってんのか?
根本的に考え方が違うんだよ
だからそれを活かしたり伸ばしたりするような仕組みも作られない
日本の国力を弱める方向に舵取りをした時代
そんな後ろ向きな時代に新しいものが生まれるわけはない
いや儒教を受け継いできたから学問を軽視してたはずないのは間違いないんだけど
古代ギリシャ哲学と古代中国思想の時点で相当差異がある
まあでも近代科学以前は西洋もアリストテレス的な世界観に2000年近く支配されてたわけで知識の面で中国とそんなに差があったわけじゃない
一気に差がついたのは数学を原理に据えて自然現象を説明することの有用性に気付き始めてからだ
かなり違うと思う
東洋思想は世界を受容的全体的に捉える
西洋思想は世界を懐疑的部分的に捉える
よくある都市伝説というかデマ
彼は微分積分ののとなんてわかってなかった
その源泉はやはりギリシャヘレニズムの(当時は)哲学だと思う
科学とは真逆の発想
でも西洋にあって東洋に無かったのは教会と時計だよ
あと西暦
そういうのを生み出したり普及させたりするのが根本的な差だと思う
八百万とか言い訳してマイルールの押し付け合いしてたらそら無理でしょ
火に燃えない服を
オランダ人に見せて
おおおおおおおって驚かれたって話好き
肺やられてタヒにますやん
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1595679901/
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江戸時代の日本人はアラビア数字を知らなかった。