【世界遺産】大山古墳から不発弾が2個も発見される…大阪・堺大空襲から75年
国内最大の前方後円墳、大山(だいせん)古墳(堺市堺区、全長約500メートル)の発掘調査で、堺大空襲の際に投下されたとみられる焼夷(しょうい)弾の不発弾2個が見つかった。宮内庁が今年3月発表の「書陵部紀要第71号(陵墓篇(へん))」で報告した。大山古墳は戦前から現在まで「仁徳天皇陵」として管理され、昨年国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産になった「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)の主要な構成資産。関係者は、歴史都市に刻まれた戦争の爪痕として後世に伝える意義を改めてかみしめる。10日で空襲から75年になる。【花澤茂人】
「まさかそんなものが」
「まさかそんなものが」。堺市文化財課職員(当時)として共同調査に臨んだ市博物館学芸員の海辺(かいべ)博史さん(46)は、発見の瞬間をそう振り返る。
調査は2018年10月下旬~12月初め、保存整備の事前調査として宮内庁と堺市が共同で実施。大山古墳は宮内庁が管理する「陵墓」のため外部の立ち入りや調査は原則認められないが、今回は地元自治体が発掘に参加した初のケースとなった。墳丘を取り囲む濠(ほり)の外にある堤(幅約30メートル)の東南部に3カ所のトレンチ(調査用の溝)を掘り、一列に並んだ円筒埴輪(はにわ)や石敷きなどを発掘した。
その際に焼夷弾も見つかった。11月初め、トレンチに円筒状のものが突き刺さっているのを作業員が発見。断面は六角形で最大径約7・5センチ、長さ約38センチ。焼夷弾の可能性が高いと判断し、作業を中断して警察に連絡した。自衛隊が処分したが、中には信管が現存し、油のような液体が漏れていたという。10日後には別のトレンチでもう1個見つかった。「手つかずで2個も残されていたことに率直に驚いた」という。
報告書執筆にあたっては、宮内庁から焼夷弾の部分の担当を打診され、「地元から参加した自分の役目」と引き受けた。空襲の記録を調べ、「市街地から少し外れたこの付近のデータはほとんどない。生きた資料が見つかったのは大きな意味があった」と感じた。
印象に残ったのは、1945年7月12日の「大阪府警察局」の報告書。犠牲者や民家被害の記録より先に「仁徳天皇御陵 被弾数 焼夷弾約三百個」「御墳墓ニハ異常アラセラレズ」と書かれていた。「町が焼け多くの人が亡くなっても、ここは無事だったと強調されているように読めた。当時の世相を感じた」。また古墳全体の面積の0・04%に過ぎないトレンチから2個見つかったことから「実際には300個をはるかに超える数が投下されたはず」とも推測する。「古墳にも、現代まで連綿と続いてきた地続きの歴史がある。戦争の記録もしっかり将来に引き継いでいきたい」と力を込める。
「戦いの歴史」重層的に残る
堺市の歯科医、宮川?(すすむ)さん(87)は、焼夷弾発見の報を特別な思いで聞いた。奈良県立橿原考古学研究所の研究顧問を務めるなど考古学者の顔も持つ。今回の調査で宮内庁は、発掘現場を報道陣や歴史・考古学系の学会関係者らに公開し、宮川さんも文化財保存全国協議会の常任委員として立ち会った。焼夷弾が抜き取られた穴を目にし「生々しい、現在進行形の記憶がよみがえった」という。
75年前のその晩、うとうとしていた宮川さんは、パパーンという爆発音で跳び起きた。町のあちこちで炎が上がる中、国鉄金岡駅(現JR堺市駅)の踏切あたりまで逃げた。近くの畑のあぜに腰を下ろして休むと、飛来するB29が市街地に次々と爆弾を投下するのが見えた。大山古墳の墳丘にも降り注ぎ、思わず「御陵が焼ける! 御陵が焼ける!」と叫んだ。「梅雨明け間近で湿気を含んでいたからか、燃え上がることはなかった。それでも、『聖域』である御陵が容赦なく爆撃される戦争の冷徹さを強く感じました」
当時宮川さんは、大山古墳のすぐ西南にあった府立農学校の1年。空襲3日後に学校に行くと、焼け跡のトタン板の上に黒焦げになった7人のタヒ体が並んでいた。防空壕(ごう)を爆弾が直撃し、犠牲となった生徒たちだった。「クラスメートもいました。後日、焼け焦げた服や帽子などの遺品整理もやらされた。少年にそんなことをさせるおぞましい軍国主義教育が、確かにあったのです」
不発弾は、人間の愚かさを改めて教えてくれたと感じる。「ここ堺だけでも、古墳から見つかった当時の武具、中世の鉄砲文化、そして爆弾と『戦い』の歴史は重層的に残されている。それを絶えず思い続けることが、歴史の教訓を学ぶということでしょう」。かみしめるように語った。
堺大空襲(略)
毎日新聞2020年7月10日 12時28分(最終更新 7月10日 12時52分)
https://mainichi.jp/articles/20200710/k00/00m/040/088000c
引用元: ・【世界遺産】大山古墳から不発弾2個 大阪・堺大空襲から75年 [蚤の市★]
超古代兵器だな
嬢 「あらw 数秒で暴発する上得意さんね♪」
国民は戦争なんて望んでなかったからな
望んでないのに勝手に戦争始まって爆撃されるんだぞ
どっかの気違い新聞が煽りまくったおかげで戦争を望む国民もたくさんいたんだよ
そんなことはない
日清日露戦争の頃から国民の強力な後押しで戦争は推進されていった
>>40
政府が国民をあおり、それに迎合したマスメディアも尻馬に乗った結果だけどな。
この国で「民衆の意志」なるものが趨勢を占めた例など、皮肉なことに戦後の一時期を除き存在しない。
古墳時代に核戦争
何しれっと自分の苦しみアピールしてるのやら。
そりゃ、人の手が入らないとこだから、75年間ずっとそのままなんじゃね
驚くこともない
重量のある爆弾は地中に埋もれていて時々掘り出されるけど
焼夷弾は地上に落ちてたからあんまり残ってないでしょ
古墳広そうだから、探したらまだあるのかもね
昨日今日見つかったのじゃないのね
解体で避難とかなかったと思うけど、
焼夷弾ならそこまではいらんのかな
堺に空襲がなかったら歴史的な建物が今でも残存しているかもな。
どの寺か、三重の塔があったらしい。
数年前、堺東駅の東側にある古墳で野ウサギ見たな。あまりにも速くて最初は何の生き物か分からんかった。
アメリカの歴史修正主義者が反応しないのかな
イエ○ーを差別したので皆○ししようとしましたって
危険なの?
信管が付いてたらヤバイ
いつの時代も戦争の犠牲になるのは民百姓
一般的には爆弾
250キロ爆弾が多い
1トン爆弾はレア
焼夷弾とはこういうのです
https://youtube.com/watch?v=J3wQX50q0tE
>>45
リンク先の「火垂るの墓」の火を噴いて落ちてくる焼夷弾という描写は実は誤りで、実際には着地してから点火し周囲に燃える燃料をばら撒いて火災を発生させる仕掛けになっていた
しかし落下中に点火することがあり、方向安定用の吹き流しに引火して炎の尾を引いて落ちてくる状態が目撃されたために空中点火すると誤解されて火垂るの墓ではそのような描き方になってしまっている
「この世界の片隅に」ですずが呉への夜間爆撃を目撃するシーンでは、たくさん落ちてくる焼夷弾の中にぽつぽつと点火したものが混じっているというより正確な描写になっている
さらに米軍は実験を繰り返して焼夷弾が屋根を突き破っても天井板で止まって消火しにくくするように改良しており、日本もそれに対応して本土空襲が始まった時期に家屋の天井板を外して床に落下したところを消火するように指示している
これも「この世界の」ではちゃんと描写されている
堺市民だがずっと大仙古墳だと思ってた。
大仙陵古墳もしくは大山古墳なのか。
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