蝦夷(北海道)に暮らしていたアイヌの歴史について語ろう
アイヌは北海道の縄文人の子孫です。
だが「アイヌは先住民族である」ことを認めたがらないヤカラが
「アイヌは12世紀ごろ、シベリアあたりから北海道に侵入した侵略者!」なる妄想を並べている
民族的にはアイヌ人だろう。
思うに近代以降唯一?の民族浄化だと思うが
唯一の民族浄化成功例に訂正
民族固有の生活していないとダメってのなら、日本人だって瑞穂の国の生活をしてねーだろ
言語も宗教も文化もアイデンティティを保ってないなら消滅したといってもいいでしょ
それなら満州人も消滅したといってもいいかな
しとるぞ
アスファルトに次ぐ接着剤が漆だしな。
ロシア正教の信徒だったからだろ。
一つの国を持つ気がない、過去に持ったこともない民族なんか珍しくないやろ
国なんていう概念ができる前から民族はあった
シャクシャインの乱の時に、倭人と対抗する形で広範囲な地区のアイヌが同盟したけど、
この乱の抑える方法がこれまた酷い方法だからなあ。
阿倍比羅夫の記録だと、ギリヤークの方が問答無用で攻撃するからそっちの方が危険だと思うが。
阿倍比羅夫が戦った相手がギリヤークって証拠はあるの?
戦った場所が日本海側の大きな島(=奥尻島)、奥尻島でギリヤークの遺跡が発掘されていること、
蝦夷語(=アイヌ語)が通用しない民族との交戦。その民族の交易態度が沈黙交易であること
(千島アイヌも沈黙交易だったけどさ)などからの推理。
擦文時代にはあった土器製造の技術が、アイヌ文化期に絶えた
擦文時代にはあった簡単な鉄器鍛造の技術が、アイヌ文化期に絶えた
「毛皮や干し鮭持っていけば鉄鍋や刃物や漆器と変えてくれるからいいや」
で話が止まってしまい、
製造法を学ぼうとはしなかった。
貞観地震があって三陸海岸沿いにいた製鉄集団がのきなみ北部に移動した。
鍛冶集団が蝦夷と組んだりしているから、本州アイヌなら鍛冶もできたんだよ。
そういう力をつけた蝦夷が、安東氏だったり蠣崎氏だったり清原氏だったり、奥州藤原氏だったりする。
奥州藤原氏は骨格は日本人だが、葬送の文化はアイヌそのものだから、母系で繋がって居るアイヌと
父系の武士集団の良いとこどりだったに違いない。
まあ、北海道アイヌの道具は日本人に頼っていたのは事実だが、代わりに中国の絹織物や鷹の羽(矢の
必需品だったりする)などの交易があるから気にしなかったのだろう。
やはりアイヌ文化期にはアイヌ自身の技術が絶えているんだよね
別にそれは退化でも衰退でもない
むしろ文化が発達するほど専業化していって専門外の物は交易で調達するようになるのが普通やん
日本も今や食糧品は輸入ばっかりやけど、これを以って日本民族は食糧生産を放棄したなんて言わない
標準語でしゃべっているから、関東圏以外の日本民族は消滅した。
こういう理屈も成り立つわけだ。
そもそもここに書きこんでる人間はみんな丁髷も娘島田も結ってない。
フンドシや腰巻してるわけでもない。
秋のこの時期になれば「ぼじょれー ぬーぼー」に目の色変える。
日常的に洋服着てる。
一人で和服の着付けなんかできない。
大和民族はとっくに滅んでるね。
関西弁その他の方言も残ってるし神道の神殿も遺跡にならずに人が入って整備してるじゃん
分かって言ってるのかしらんが的はずれもいいとこ
確かになぁ
まぁ今は日本民族だな同化したアイヌ系や在日気化系等も含めて
そこを細かくつついたりするとethnicityの問題になる
弥生時代に稲作が青森北端まで達しているが
その後の寒冷化で稲作文化は仙台近辺まで後退して
入れ替わりに北海道から入ってきたのが蝦夷の文化
考古学的には東北の先住民は蝦夷ではなく倭人
日本神話で古代の大和朝廷が日高見国(北上国)まで
征服したとあるのに現実の支配領域が仙台平野まで
だったのは恐らく古墳時代のどこかの段階で無人化した
東北地方を放棄したからなのだろう
それほんま?
青森と仙台でそんなに気候変わるん?
その前の寒冷期には縄文人がいたけどな。
また、宮城-山形の線にアイヌ語地名が多数のこされている。
アイヌ人は農耕はあまりしない。
狩猟採取生活が多いから、移動しての生活が多いんだよね。
だから攻められれば逃げたりもする。土地に執着はしないが漁業権とかは主張する。
このシャクシャインは未来に影響を及ぼすほどになってるみたいだ。
見えてこないけどな。
戦前の大和民族万歳主義は良くないし、戦後の反日主義万歳も良くない。
戦後100年近くたった今、我々は歴史を客観的に客観的に見る必要に迫られている。
アイヌ文化も大和文化も共に縄文文化の末裔だろう。
しかしながら東北の人たちの先祖がアイヌというのは間違い。
彼らの多くは大和朝廷が関東から東北に送り込んだ東北開拓団の子孫。
混血こそしているが東北蝦夷は人口が極端に少なかった。
江戸時代の北海道アイヌは最盛期ですら人口は2万人余であった。
古代の東北蝦夷は開拓団と混血したら消滅するレベルの人口しかいなかっただろう。
2万人いたら充分小数民族だよ。
混血はあった。
むしろ寒冷期では、あまり早く北海道に進出した和人が食い詰めてアイヌに同化されていた。
中国人がチベットもウイグルも同じ中華民族というようなもん
中華民族は違う
あれは同じ中華の地で生きる人たちっていう領域国家の国民ぐらいの意味合いでしかない
世界には記録を残さずに消滅した民族が数多くある中、独自の言語を記録してもらえただけでもめっけもんだろう
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