普通の日本人「会社は給料のためではなく「居場所」があるから行っている」←これwwww
つらいこともあるけど、帰属意識があるからこそ理不尽も克服でき、悔しいときは飲みに出かける。休日はみんなでBBQをしたりゴルフしに行く
ようは「疑似共同体」に近いものが会社の中に形成されている
ここに帰属し、通うことが人生の最大目標になってしまっていて
それゆえにリストラされたり定年退職すると人生の居場所を失って詰んでしまう人が多いことが日本の社会問題になっている
・・・・・それが普通の日本人だということに30年ちょっと生きて転職を繰り返したりして気づいたんだけど
これ世界常識と乖離しすぎじゃね???大の大人が中学の部活じゃねーんだぞ
お前も大人になればわかる
俺は33歳だ
2012年にリーマンショックのさなか無職で大学を出て、色々経験して今まで生きている
十分大人だろ
けど転職機会もものすごく多い
引き留めるために年俸の交渉するから
給料も上がり続けるし、ダメな職場は自然淘汰される
職場の人間関係が馴れ合いじゃないからUAゼンセンみたいなダメな組合にならず、ストライキも盛んに起きる
経営者(とくに中小企業)はもちろん、労働者にも大勢いることが
日本の長時間労働の原因であり
日本の労働生産性の低さの原因であり
ブラック、過労タヒの多さの原因であり
失われた34年間をもたらした諸悪の根源ではないかと
俺は「そういうのは親の世代のバブル時代の風潮」だと思ってたし
平成も終わったらさすがにタヒぬと思ってた
社会人になったら、自分のちょい上の年齢が「ああ」で
しまいに三十路すぎたら年齢10個下のZ世代のつい最近まで学生だった子すら順応してることに気づいて
この国はもう一回進駐軍に統治されないとダメなんじゃないかと気づいた
ただカネをもらうための場で、カネのために仕方なく働く場で
勤務が終わったら自分の人生の貴重な時間を貰ったカネで充実させるべきだ
そういう世界人類の市場経済の当たり前の感覚が
日本人には昭和の老害はもちろん残念ながら若い世代にすらほとんどないと思う
漏れも仕事は食うための手段で会社はそのために行くだけでそれ以外は無関係だものwwwwwwwwwwww
俺と一緒だな
俺は過去10年で経営者も正社員もフリーランスも契約社員も日雇いもやたことあるけど
ぜんぶ「いかに苦労せずに食うか」でしか考えなかった
本来お客様や取引先向けの広報の場である企業アカウントなのに
事務所内で内輪ノリのアットホームな「新人社員いじり」を撮って全世界にさらしてたり
ゴルフして温泉でコンパニオン読んでる昭和のダメな社員旅行のスライドショーとかアップしてて
高度成長期のブラック会社感丸出しだから
あの角に内向きで、部外者そっちのけな感覚が
日本経済をダメにしている戦犯だと一瞬で気づけるし
おそらくこの国の9割くらいの企業は、世界に名の知れた大企業を含めて外面はともかく実態は「このノリ」で働いていると思われる
会社に帰属意識とか勘弁
学校じゃないんだぞ
ところが厳密には
「そういうものを求める回路」が大多数の日本人にあって
どんなにコンプラ的なものを法的にも(いんちき経営コンサルの受け売りだとしても)経営陣が自発的にでも取り入れようと試みても
「現場」は変わらないんだよね
それに30すぎたらやっと気づいた。必タヒに英語覚えてアメリカでハンバーガー屋でもやってたほうが余生はマシに生きられると思うわ
若い人多いし
結局は金もらえるかもらえないかだけでコミュニティに属してるっていうのは変わらんからね
学校だって本来は「勉学の場」であり
共同体なんかないはずなんだけどね
海外は飛び級とか当たり前だし
学校行事も日本ほどムダに多くない。その代わり卒業式は盛大にやる。拘束からの解放の場だからね
それについては
学生の頃にやってたフルキャストの派遣バイト(事務職)で経験済みだ
数か月の事務作業だったが
リーマンショックで首切られたおっさんたちが現場に大勢いて
ある日みんなニコニコした顔で楽しそうに働いている日があった
なんでかって聞いたら、どうやら飲みに行く様子だった
最低時給の派遣で
1回飲み言ったらその日のバイト代吹っ飛ぶだろ?
何でそんな無意味なことをするんだと思った
でもそれは俺がガキだから間違ってた
あのおっさんたちはリストラされてカネがないから働いているんではなく(もちろんカネがないのは確かだろうが)
それよりも会社と言う「居場所」がなくなったから、こういう同じ顔を付け合わせる日雇いではない仕事を選んできたんだと気づいた瞬間だった
つまりはたとえその日の給料全部パーにしてでも、同じ職場で顔を付け合わせるおっさん同士で飲みに行くことが人生のアイデンティティーなのである
俺は一人に耐性ある方だから分からないけど、そういう人が大多数なんだな
居場所は自分の家で十分だわ
もちろん日雇いのフルキャストに行くと
今度はそういう一人耐性がある「名物おっさん」がいて
組立作業から調理補助から接客からなんでもプロ級にやってて、メチャクチャ博識で驚いた記憶もあるぞ
いまは社員はただのコマで、どれだけ安く使えるかだから、時代に合ってない
俺は33歳だから平成生まれの最初の世代で
「社員はただのコマで、どれだけ安く使えるかだから、時代に合ってない」なんてことは子どもの頃に言われだして
日産のリストラで同級生がみんな転校しまくった時とかにそうなんだろうなと思ったりしたよ
だけどね、その俺が社会人になった2012年でも、それから11年経った今でも
実際はほとんどの会社がこのままなんだよ
これでいいのか日本
俺35だけど俺や俺より若い世代で会社を家のように思ってる人なんてほぼゼロに近いくらい見たことないよ
50歳弱くらいから上にはそういう人けっこういる印象
生産性が下がると思う
個々人の能力が低いわけじゃない
優秀な奴が順当に出世すると立場上いままでのなじみの同僚との関係性が壊れてしまう
場合によっては生○与奪権も握るようになるし、昨日まで仲間だった奴に首を切られる側はもちろんたまらんけど、それを行使することだってストレスになるだろう
なので出世したがらなくなる。あるいは上司にも部下にも都合がいいようななんでも押し付けられるヒラメみたいな奴が出世するようになる
かくして同じ横並びに甘んじる社員たちは、自身の担当業務の進捗や結果の良しあしを問わず、会社に居残ってダラダラとどうでもいい残業をし、
一番仕事が遅い奴が切り上げるタイミングに合わせて一緒にあがってサビ残からの飲み屋に繰り出すようになる
その間無駄にオフィスの光熱費だって浪費していて、誰も得しない構造になっている
サービス残業の元凶って部活でしょ
俺部活なんてやったことないけど、あんなの人生の時間の無駄だと思ってた
仕事がつまんないからこそ
痛苦を共同体験する「疑似共同体」の依存性が高まるということ
公務員組織のセクショナリズム(縦割りとか)もそうやってできあがるんだよ
そうなんか
ゲーム会社で働いててみんな楽しんでて仲間意識も高いけどな
関係あったし先輩もいいひと
バイトにも疑似共同体作りたがるよね
欧米にだって「ボスの日(部下がボスをメシに誘う…というかたかる日)」があったりするよ
俺はアメリカで働いてたぞ
給料は月に2回のペイデイで小切手で渡されたし
ボスのオフィスは机の上に顔写真乗っけてる小部屋になってたし
社員研修で「乱射魔がオフィスに乱入したとき用の対策ビデオ」見させられたこともある
その俺が言ってるんだから日本はおかしいんだよ
おれもアメリカで働いていていたけど
気の合う同僚同士でゴルフ行ったりポーカーしたりしたよ
たんにお前が嫌われていただけじゃね?
お前のアメリカ知識は洋画の受け売りだろ
俺は本当に1年間シアトルで働いてたんだよ
事実、日本社会の「重苦しさ」の理由ってこれだと思う
ようはブラック企業がダメとか、残業がダメとか
スーツ着るのがダメOLに制服ハイヒールがあるのがダメとか
テレワークしようとか社内英語化しようとか細切れに個別な要所要所ばかりをあげつらって小手先で改革しようとしても
根本土台が「疑似共同体」のゆるぎない基盤がある限りは何も変わらないと思うの
そしてこの疑似共同体みたいなのを完璧に駆逐することができれば
顕在化した個別の諸課題も自然日生に消滅すると思うわけ
つまりはほうぼうに延焼した火の先っぽばかりをみつけてでたらめに放水しても山火事は終わらない。火種を消せと
グループ内の別の事業所の人事の噂話したがる人が多いことにも気づいた
異動してきた人、管理職、いろんな情報が入ってくる総務のお姉さんとかが雁首揃えて
「〇〇事業所の××サンがどうのこうの」とか「今××サンは〇〇事業所に行ってて~」みたいな
自分の今の職場のメンツには関係ない話を延々こすって盛り上がっててびっくりした
これってまさに赤の他人のプライベート筒抜けで相互監視に明け暮れる
田舎の山奥村のムラ社会そのものじゃないかと
「擬似共同体」ってどういう意味で使ってるんだろう?
何が疑似なの?
普通に人が一つの目的の元に集まればそこに共同体とか社会が形成されるのは当たり前じゃね?
凄い頭悪そうなんだけど
運命共同体との区別な
つまりは田舎だ
平成生まれの俺やお前でも
遠くの田舎に爺ちゃん婆ちゃんの家がある(あった)だろう
そこにいけば近所は同じ苗字の表札だらけ。先祖代々の地縁・血縁社会があって
プライバシーやプライベートが確立されておらず、公私混同がまかり通っているんだよ
良く言えば相互互助(実際はこれは縁故採用での就職あっせんなど「無敵の人」対策には効果的)が盛んで安定社会だが
悪く言えば自分の秘密や尊厳を守れない、自由がどこにもない地獄の環境だ
そういう田舎を不便だと毛嫌いして「オラこんな村いやだ」で都会に出たのが昭和の大人たち(つまり俺やお前の親世代)なのだが
彼らもしょせん田舎者なので、共同体のプラスの面への終着意識を捨てきれず
新卒一括採用制度のもとで田舎出身の就職者が集まりやすい東京の会社で疑似共同体が形成されやすい
会社のみんなともう会えなくなるんだな、と思うと
寂しかった
これがわからないんだよ
俺恵比寿のベンチャーで働いてた時は
殆どスラックとかヤマーとかFacebookメッセンジャーとか使ってリモートワーク(※約10年前)だったから
そもそも会うこと自体なかったし
そのリモート環境で「今日から○○さんジョインします。なんとあの××商社出身です」「突然ですが××さんは今日で退職です」みたいなやりとりが誇張なしにほぼ毎日のようにあって
仮にフェイストゥフェイスで会う必要のある場面でも、会うたびに創業社長とコアメンバー以外の顔ぶれは入れ替わっていたから
会社って本来そういうもんが普通だしみんなそうなんなきゃだめだと思ってたけど
人を引き留めるときに居心地のよさを交渉材料にしない縛りプレイをわざわざ選ぶ理由はアメリカ人にだってないだろ
あいつらも「代わりの誰かじゃなくジョン、君と働きたいんだ」とか「おいおいマーティー、うちで続かないなら他では絶対通用しないぞ腰抜け野郎」とか言ってるよ、多分
お前のアメリカ知識は洋画の受け売り
ごもっともか?
視野の狭いバ○が背伸びしてる感しかないけど
アメリカのどこにいたの?
俺はツテがあってシアトルでサービス業を少しやってた
戦後の日本なら創価学会や天理教あたりが疑似共同体として活躍したものだが
それがいつの間にか会社の役割にとってかわられてしまっているということ
で、今日本の会社の「現場第一線で決定権を持つ年長」が定年前のアラ還くらいで
彼らは管理職や経営陣の世代でもあると、「会社とは疑似共同体である」という誤った意識が社会全体に蔓延するようになるわけだ
エリートが消えた結果よ
LGBTQを尊重します
SDGsに取り組んでいます
社内公用語は英語です
コロナが終わってもテレワークを確立しています
ヨギボーで寝っ転がってMBA広げてる兄ちゃんが社長です
↑こういう「今風の会社」ほど
お客様向けのCMや就職ナビの掲載ページの外面をうまく作ってるだけで
中に入るとガッツリ昭和の疑似共同体でびっくりする
ハラスメントもあるし縦割りもあるしサービス残業だってする
そういうのめっちゃ警戒するんだよ
だから俺、アムウェイのサプリメント飲んでるけど直接ネット通販で購入してるんだよね
振り込めや
向こうは振り込みという制度がないんだよ
クレカですらその月の分を銀行窓口で払うんだぞ(俺はこれを知らずにカード止まったことがあるので、おそらく合衆国でクレカはもう作れない)
そうなのか
アメリカって思ってたより田舎なんだな
そうだよ
洗濯機は昭和の二層式だし、職場はFAXをまだ使ってたよ
アメリカはGAFAのイメージと現実の乖離が激しすぎる
結婚相手が会社内の事務員とか
そういうのってどうかしてると思う
自分の1度しかない人生を会社に預けちゃってるじゃんって思うのよ
実際ブラック企業ほど拘束時間が長く人間関係も内向きだから、社内恋愛、社内結婚の多さはブラック度を測る指標になると思う
もし外向きな会社なら自浄作用で改善するし、異なる人がやって着やすく人の出入りがあって凝り固まらなくなるから
金もらえなかったら絶対やらん
それが普通だよ
だけどその感覚があると「薄情でヤバイやつ」みたいなサイコ扱いされるらしい
学園祭のクラス展示のモザイク壁画作りの準備のために延々居残ってる生徒と一緒という感覚かもしれない
部活はまだ試合を通じて結果を出すからいいけど、学園祭のモザイク壁画なんて完成しても成績がアップするわけではないし人生の時間の無駄でしかない
横並びでその場所にとどまって実利のない取り組みに延々と従事することが意味があるみたいな、そういう価値観
自分はこの世でただ一人孤独な存在になってしまう
それが怖いから必タヒに「簡単に首が切れない正社員になるため」に就職活動するし
そのまま40年ばかし定年まで居座るし、還暦すぎても給料半減しても延長するし、65で関連会社に出向してかつての上司と再会してタヒぬまで会社に人生をささげる
自分の父親とか周りの大人見ているとみんなこんな感じだけど
これどう考えてもおかしいよね。「自分の人生」はいったいどこにあるんだ?見返りは疑似共同体に属するだけの永遠なる「組織の奴隷」じゃねえか
まあ実際にはその会社が傾いたら
そんな養う余裕はないのであっけなく捨てられるだけなんだけどね
なので「疑似共同体」はあくまで「疑似」でしかないの
田中角栄の時代みたいな、他人の人生の面倒を見てくれる共同体の親分は今の日本にはどこにもいない
俺今30くらいで親父もそんな感じだから
ただ、じゃあどう生きるかという点は俺は自分で確立したけど田舎で特に何も考えてない奴は厳しいと思う
ようはだな
俺らの祖父母の代(戦前世代)は田舎の古民家に住んで先祖代々の土地に根差した生業をしていた(例・3ちゃん農業)
その伝統共同体の不便や苦労を知っていた親世代(戦後昭和世代)は高度成長期やバブルの東京に豊かさを求めたが、人生の起点が共同体である以上アイデンティティ確立に疑似共同体が必要だった
そしてその子世代の俺らは生まれた時点で東京近郊で、そこには「古里」はないが「地元」がある。仲間はいるが共同体は求めてはいない
となると世代ごとに脱共同体のサイクルみたいなのがあって
我々の世代の責務は共同体そのものを断ち切ることではないかと思うのだよ
じゃあ自己責任論で孤独にタヒねというわけではなく、ティンダーでセフレつくるみたいに中身のマッチする人間同士だけでくっついて充実した人間関係を構築すればいいんじゃないかということ
そしたら仕事がクソならさっさとやめればいいのよ。人づてがあれば再就職先も見つけやすいんだし
そりゃ歴代大統領に
カソリック教徒は暗○されたJFKと今のバイデンしかいないんだもの
アメリカは自由の国じゃない。ガチムチ宗教国家だよ
幼稚園から大学までに知り合った(ネット経由、習い事、バイト先経由なども含める)友達が関東一円に一定数いて
社会人になってもそいつらと遊べるからいいんだけど
現実の東京の会社員は
田舎出身者が圧倒的多数で、東京で知り合いは一人もいない
アパートの隣の人との挨拶すら交わさない。おそらく普通に生きていれば東京では一生孤独のままだ
そういう背景の違いがあるから、田舎出身者のペースで疑似共同体としての会社が機能し続けるんだと思う
組織への帰属意識は本能にる欲求なので別に間違いでもない
だったらテンニースがいうところのゲゼルシャフトでいいでしょ
1990年代の俺はそう思ってた
本来業務時間外でも仲間と示し合わせてダラダラ残業し、職場のノリのまま飲み屋に行って朝まで騒いで仲間に解放されてカプセルぶちこまれて酒臭いまま出社して課長に叱られる
そんなサラリーマン、ごまんといるでしょう
おかしいとおもわないか「家族に属している自分の人生」より「会社に属している自分」を優先しすぎているんだよ
まな娘の誕生日は忘れているが、事務の姉ちゃんの誕生日は覚えていて、同じメンツでパーティやって誕プレ渡したりしているわけで
板書の詰め込みや大学のマスプロ教育みたいなもんばかりで
しまいには学園祭や合唱大会の練習やクソ制度の部活動みたいな行事だらけなことが
疑似共同体にしがみついて駒になるだけの「会社人」を作る要因になっていると思うんだわ
職場の仲間とよくバスケやフットサルしに行ってるわ
昼休みの雑談も楽しいし
俺が今までいた職場で
ブラックだった場所はみんな「バスケサークル」があったな
エリートはとことん知力を伸ばし、そうでないならマイスター制度で職人として育てるみたいな
そういうの作らないとだめだと思う
70歳過ぎのいかにも団塊世代の高度成長期の敏腕サラリーマンだったんだけど
数年前に引退して暇を用いて地元の自治会の役員をやるまでは
「地域のつながりが一切なかった」らしい
50年近くその街の同じ家にずっと住んで、そこの家から会社に通ってたのに、ほんとうに住まいは寝泊まりするためだけの場所で
自分の地元であるはずなのに身の回りの徒歩圏のことすら何も知らないままで、あとから人づてができて、防犯パトロールや神社の祭りとかやるようになったらしい
一緒に高級な酒飲ませてもらってその話聞いてびっくりしたよ
疑似共同体は根深くても、本物の共同体にはそこまで薄いとは
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません