秀吉の大陸攻めのとき、戦国と明のオールスターが集っていたらどっちが勝っていた?
明史に勝算なしと言われるほど日本の武士は明兵を圧倒していた
つまり、作戦は失敗したが強かったのは日本ということになる
ただ、当時の明は王朝末期のボロボロ状態なのでボコボコにされたのも仕方ないとも言える
では、洪武永楽あたりのオールスターならどうだったんだろうか
日本の戦国オールスターと明オールスター
戦って真に強いのは一体どっちなんだろうか
>>1
>ただ、当時の明は王朝末期のボロボロ状態なのでボコボコにされたのも仕方ないとも言える
>では、洪武永楽あたりのオールスターならどうだったんだろうか
なんで「洪武永楽あたり」が「オールスター」と言えるんだ?
16世紀の明代には王守仁、戚継光などの優れた官僚、軍人がいたし、
仏朗機砲や魯蜜銃などの新式の火器も使われている点では、
明初の装備と比べてはるかに強力なはずだ。
「何でもかんでも明初が良いとする見方」や、
「皇帝ばかりに注目して官僚以下の階層は無視する見方」など、
明代史に対する誤った見方、偏狭な見方を広めた
朱元璋スレの弊害はとてつもなく大きいな。
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」
「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 タヒ而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)のタヒによって戦争は終わった
日本軍と明軍の主要な戦闘
1.祖承訓率いる明軍先鋒隊五千騎が平壌城を急襲
→小西行長の配下一万によって撃退される
2.李如松率いる明軍四万三千余が平壌を総攻撃
→小西行長とその配下一万五千はたまらず敗走、明軍は平壌城を奪還
3.李如松は平壌城を落とした勢いに乗じてさらに南下。体勢を立て直した日本軍四万一千は漢城近郊で明軍二万と激突
→日本軍が数に劣る明軍を大破(碧蹄館の戦い)。
4.明・朝鮮連合軍が守る南原城を日本軍が襲撃
→陥落
5.稷山で解生率いる明軍先遣隊八千と黒田長政率いる五千の部隊が遭遇戦
→一進一退の攻防の末、明軍は戦意を喪失。日本側に援軍が現れたのを機に撤退
6.楊鎬、麻貴率いる明軍四万四千と、朝鮮軍一万二千の連合軍が完成前の蔚山城を急襲(蔚山城の戦い)
→加藤清正を指揮官とする篭城側一万が防戦、
その後日本軍一万二千が駆けつけ連合軍を大破
日本軍は敗走する連合軍を30里に渡って激しく追撃し、壊滅的な打撃を与えた
7.麻貴率いる明軍二万四千、 金応瑞率いる朝鮮軍五千五百の連合軍が再び蔚山城を襲撃(第二次蔚山城の戦い)
→日本軍は防戦に徹し、これを退ける
8.董一元率いる明・朝鮮連合軍およそ三万七千(諸説あり)が泗川城を襲撃(泗川の戦い)
→島津義弘配下七千が城外へ打って出て連合軍壊滅(すげえ)
9.劉テイ率いる明軍二万二千、権慄率いる朝鮮軍六千、
陳リン率いる明水軍二万、李舜臣率いる朝鮮水軍七千からなる連合軍が順天城を襲撃(順天城の戦い)
→小西行長配下一万三千が防戦し、これを撃退
10.明・朝鮮連合水軍五百隻が島津水軍五百隻と激突(露梁海戦)
→双方に甚大な被害。しかし島津水軍は小西行長らを撤退させるという作戦目標を達成し、連合軍は明水軍副将の鄧子龍、朝鮮水軍大将の李舜臣が戦タヒした
明が滅んだの直接的な原因は内乱であって、しかもボロボロとはいえ
清ですら実力で山海関を突破したわけではない。
白村江も朝鮮支配権を巡っての戦いだし
一時的な大規模乱取りで終了だろ
かといって秀吉の構想のように明に首都を持って行くなら確実に分裂する
何代かかけないと厳しいかもね
後金が成功したのはヌルハチ、ホンタイジ、ドルゴンと優秀な指導者が続いたからでもあるね
中国支配を成功させた異民族は基本的に本拠地を中国国内に移転させてるからなぁ
日本の場合天皇が日本を離れるわけがないわけで
宮家の一つを中国王に任命して支配させるとか有りなのかな
秀吉の時代なら秀次を朝鮮王にでもして秀頼は日本を支配で良いのかな
秀吉自身は天竺征圧に向かうという案もあったという。
世界帝国を目指す上では日本国内に本拠を残す事に拘る気はなかったみたい。
若しくは秀吉はこれから世界を目指すから、とりあえず天皇には明の首都でも献上しとけば文句は無いだろ程度の感覚だったのかもしれないが。
正直なところ信長みたいに明確なプランがあった訳じゃ無さそうだけどね
当時の日本人はおろか現代の日本人でも考えつかなそうなことを
城下町への集住も楽市楽座も三段撃ちも先人がいるから
むしろ信長の特徴は良いと思ったものは誰がやってたのだろうと積極的に取り入れる柔軟性だと思う
明が最強だったのは洪武帝か永楽帝かだけど、どっちかというと難しい
永楽帝は自身が最強の将軍で道エンが軍師としてバックアップ
洪武帝は自身より徐達と常遇春が総司令官として指揮する。軍師に劉基。
人材的には洪武帝だが、君主では永楽帝
とはいえ洪武帝は戦争じゃないとこに本分があるし
外交謀略なんかを含めたら洪武帝が勝ちそう
でも永楽帝には鄭和艦隊もいるし、どっちとも分からんね。
日本とじゃなくそっちのが面白い気がする。
引用元: http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1309036534/
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