京都・上賀茂神社の奉納刀、銘「兼氏」は室町時代の作か?100年ぶり輝く刃文が蘇る!
奉納刀、銘「兼氏」は室町時代の作か 100年ぶり研ぎ、輝く刃文 上賀茂神社
京都市北区の上賀茂神社に100年以上前に奉納され、同神社で保管されてきた刀2本が南北朝―室町時代に作られたものであることがこのほど分かった。鍛造時期や奉納の経緯などが不明のまま蔵の中で眠っていたが、明治と大正時代の社務日誌(重要文化財)にもそれぞれ記録があることが判明。さび付いていた刀を初めて研ぎに出し、美しくよみがえった。
2本のうち「兼氏(かねうじ)」の銘のある刀は、室町時代作とみられる。昨年末に神社の蔵で見つかり、左京区の研師玉置城二さん(46)に預けられた。玉置さんが20日ほどかけて研いだところ、「刃文(はもん)」と呼ばれる刀身の模様が美濃地方で作られた刀に特徴的なものだと分かった。玉置さんは「光を当てた時に刃文が強く輝くなど、明るい刀」と評価する。
同神社の社務日誌には明治26(1893)年に奉納された記録があり、刀箱には大阪市中央区の古社である坐摩(いかすり)神社の紹介状が入っていた。
また、同時に見つかったもう1本の「吉則(よしのり)」の銘入りの刀も南北朝時代末期から室町時代初期にかけてのものとみられる。京都工学校の設立者である島津益五郎が大正5(1916)年に奉納した記録があった。
上賀茂神社では「古文書にも奉納の経緯が残されていて、歴史的価値が高い。この機会に古文書の研究をさらに進め、神社と崇敬者の関わりなどを明らかにしたい」としている。
明治時代に奉納されて以来、初めて研ぎに出された刀「兼氏」(京都市左京区・玉置美術刀剣研磨処
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https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/190053
2020年3月21日 16:23 京都新聞
100年前なら明治だぞ
百年前は大正
盗まれんように気を付けとけや。
狙っとる奴らは、ぎょうさんおるやろ。
盗まれた仏像もまだ還ってきてないしな。
戦国期に流行った刀の形だろ
吉則は、三条吉則または備前国吉井吉則かな
他の国の男子じゃ出せない格好良さ
竹刀がダメで弓に逃げたおいらは…
外国人からすると日本刀は鉄を切るほどの強く鋭利な刃物であり
当時の日本人も誰もがタヒ刑執行人というくらい刀の扱いも
巧みだったようだな
アビラ・ヒロン 『日本王国記』
・繰り返して述べるが、彼らは非常に闘争的で、容易に鉄が切れるほど精錬された鋼鉄で作った
残忍極まる鋭利な武器を使用する。刀Catanas と称する新月刀(アルファンヘ)を用いるが、
それは刃の部分が六パルモ前後、柄が一パルモ、必要に応じてはそれより以上で、もしまた
刃の部分がもっと長くなれば、柄もそれに応じなければならない。
・こういう刀で二つの胴体を一刀で斬るのを私は目撃したが、この刀は残忍極まるものである。
刑罰で誰かを○すという時には、初めやるのは首をひとはねで斬るのだが、それが皮膚、肉、神経、
骨のある首というよりも軟らかい茎でできているかのようにおこなう。これは刀で斬るのではなくて、
手練で斬るのである。冷酷なタヒ刑執行人はこれほど巧みであるが、しかし日本人は誰も彼も
みなこのとおりだから日本人と言えばタヒ刑執行人といったのと同じことである。首を斬ってしまうと、
タヒ体をとりあげ、人でなしの残酷さで、これを細かい断片に切り、しばしばこれらの断片を
もう一度縫い合わせ、無傷の部分を切っては彼らの稀有の刀の切れ味を試すのである。
当時、実際の戦で実用性が高い武器は槍だったからね。
それは素人の農民が戦場で使う場合な
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1584787115/
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