火縄銃・マスケット銃などの鉄砲や大砲が登場してから戦闘がどう変わったのか語ろう!
種子島をマスケット銃などという人もいるけど
マスケット銃はもっと後の時代だという人もいる
あれってどうよ?
銃の登場でどういう事が起こったか?
騎士階級や、刀剣や槍での戦闘をどう変えたかなど等やるスレ
27: 2007/07/11(水) 11:59:19
>>1
火縄銃の普及で騎士階級が戦場の主役から退いたのでなく
14後期~15世初期紀頃にスイス傭兵などが槍方陣を欧州に復活させて
やっと歩兵が騎士に対抗できるようになったからなんだぜ?
もし野戦築城も長槍兵も用いず火縄銃単品で運用したら
鈍重な重騎兵なら近づく前に大口径の銃で倒せるかもしれんが
東欧や中央アジアの本場の軽騎兵相手にしたらフルボッコにされちまうぜ
やっぱり30年戦争あたりから?
オスマントルコが、
応仁の乱と同じくらいの年代に会戦で使ってるはず。
どのくらいのを大規模っていうのかな
イタリア戦争を忘れてはなるまい
西欧で小火器がはじめて効果を発揮したチェリニョーラの戦いもあったし
フランスの攻城砲のおかげで築城法にも変化が起こったし
>>5
白羊朝のウズン・ハサンを破った戦いかな
何十年後かのチャルディラーンと似たような感じだったんだろうか
メフメト2世のときにイェニチェリの鉄砲装備率がかなり上がったみたい
これはタッチホールだろうけど
しかもどれくらい使えば大規模になるんかよくわからんが
フス戦争ってなかなか詳しい本がないのよね
日本語だと
大柄>小柄だったのが
小柄>大柄になったんで
スウェーデン軍が弱くなったというのはないの?
とりあえずスウェーデンが強くなったのは火器が普及してからだろ
鐙と一緒で何でもっと早く思いつかないよのって位単純な発想で、かつその兵種の使い勝手をかなり向上させた存在
長篠の300年後にもなって
刀槍で鉄砲に立ち向かおうとした連中って何を考えていたんだろうね
近代の真っ只中になって同じ轍を踏むとは・・・
>>23
後装式までの銃兵ってのは銃剣つけてもやっぱり白兵戦は苦手
事実ヨーロッパでは18世紀から19世紀後半にかけて
銃剣を装備した歩兵を狩るために槍騎兵が復活している。
槍に攻撃されると銃剣では対抗できないからだ
これと似たように錬度の低い歩兵相手なら乱戦さえしてしまえば烏合の衆
個人技能の高い武士階級の抜刀突撃は意外と効果的だったのかもしれないべ
武士の誉れ だったんじゃないか?飛び道具は卑怯なり・・・
哀しいですね。
でも、火縄銃などの事実上単発銃を想定していると(組織的運用をした長篠合戦もあるけど)
ゼロ距離に近づいてしまえば(装填している間に)ブッスリバッサリ!という考えもあったのかな。
明治維新時は、連発式も国内にあったそうだから・・・・ どうにもならんよねえ。
ツッコミ所は多かったけどw
戊辰戦争はほとんど鉄砲による撃ち合いだった
なぬ、中世は歩兵戦術を忘れた時代ということなのか~
戦術にもルネッサンスがあったのか・・・
十六ささげや衝撃隊みたいにゲリラ戦に特化すれば、刀で銃器と戦えるのかもね。
まぁ、西南戦争後半みたいに錬度が充実して斬り込みを受けたら即座に小隊単位で円陣を組んで銃剣を突き出すようになっちゃうと、切り込みも効果がでないらしいけど。
組んで一斉射撃?
南北戦争みたいのが近いのかな?それとも案外ラストサムライの陸軍歩兵が
一番近いのか?
当時としては最先端の近代戦争だった
あの本は、銃規制派の著者が「技術の進歩に軍事技術の進歩は必要ではない」
という持論を展開するために、日本を「好例」として持ち出したものですか
らね。著者は歴史の専門家ではありませんし、怪しいところや恣意的な所が
見受けられます。
火薬は最初○すためじゃなく脅かすために使ったっていうのが何となく分かった。
火薬が発明されたのは10世紀ですが、当初は専ら延焼させるために用いら
れたもので、爆発力が高まるのは、13世紀以降のようです。
それ以前は、竹を使って破裂する音を出していました。
>軍事技術が進歩しなかったのは、まあ当然といえば当然の結果。
進歩しなかったというより退化してしまった。
戦国時代には鉄砲や騎馬の集団戦法も確立していたのにそれが崩れた。
本来は兵卒である足軽がいつのまにか、武士身分?となり兵卒としての用を成さなく
なくなった。(特に幕府)
江戸時代鉄砲がすたれたのは
単に江戸幕府が大名の軍事力をそぎたかっただけのことじゃん
お城作るのもNGなんでもかんでも軍拡はNGだった
でありながら削いでも削いでも陸軍力は高くおかげで日本は諸外国に侵略されることなく貿易だけの関係を300年も続けられた
>>37
廃れたというか、技術的なことはともかく、数だけはありましたよ。
狩猟用には(農民の害獣駆除も含めて)使われていましたし、鉄砲屋も繁盛
していました。
一般農民が許可なく所持することは禁じられていましたが、なにかトラブル
があった時に、庄屋の無許可所持が判明したといった記録が、割とあります。
大体、近世の法自体が、苗字帯刀に代表されるように、「見ているところで
やるな」といった傾向が強かった。
件の庄屋も、「急度叱」程度で済まされたようです。役人も面倒は嫌う。
軍事技術が進歩しなかったのは、まあ当然といえば当然の結果。
17世紀には欧州で騎兵≠騎士が成立し、騎乗者が特別な立場から兵の一角
になっていたのに、幕末になってフランスから軍事顧問を呼んだ時に、騎兵
という身分とは関係しない概念が理解出来ず、騎乗が許されていた与力以上
を集めて編成しようとしたという話があります。と、これは一例ですが。
というよりも260年の太平で軍事力そのものがすたれた。
その中で最も軍事力が低下したのは幕府自身。
直参は官僚化し、江戸の生活費高の為軍役人員確保もできない。
>本来は兵卒である足軽がいつのまにか、武士身分?となり
明治には藩によって士族になったり、卒族になっていたりしたようですが。
正規の武士が指揮を志向するようになり、足軽や武家奉公人が実務的な警備
を担当させられる傾向があった、江戸後期の海岸防備などのことですか。
それでも、武士と足軽・武家奉公人は別れていたようです。
>戦国時代には鉄砲や騎馬の集団戦法も確立していたのにそれが崩れた。
大坂夏の陣まで、各陣営に雇用されていた兵力の相当数は、臨時雇いの傭兵
だったらしく、太平の世に入ると共に失業したようです。
集団戦法というのが、南北朝~室町にかけて成立した歩兵のそれであるのな
ら、そうした集団戦法に動員されていたのは、ほとんどが傭兵だったようで
すから、戦国期のような合戦の度の動員がなくなったのであれば、雇用する
対象も消える訳で、無理もありません。
「特に幕府」と名指しする理由は分かりませんね。
騎馬の集団戦法というのは、何のことでしょうか。
勿論騎馬隊などありませんでしたし、南北朝時代以降、戦国時代までの間に
下馬戦闘が増加していたようですが。
鉄砲の集団戦法というのは、どういったもののことでしょうか。
>それでも、武士と足軽・武家奉公人は別れていたようです。
これが不明確ですね、藩によってもまちまち。
幕府において足軽は御家人に編入されたのでしょうが、武士と足軽の区分けは?
譜代席(世襲)=武士、お抱え席(一代限)=足軽と考えるのが妥当かもしれま
せんがお抱え席も実質世襲化し武士化、一般的にも御家人=武士という認識でし
ょう。
>武士と足軽の区分けは?
話の始まりに立ち戻ってお話すると、足軽・同心と武士というか「士」との
違いは、騎乗が許されるか、許されないかです。
旗本が士分・士格にあたり、御家人が軽輩=卒にあたるという説もあります
が、通常は、足軽(同心)や中間・小者といった武家奉公人が、明治維新後
に一旦は卒族に配され、改めて士族に列した場合でも、「新士族」呼ばわり
されて軽んじられた「卒」にあたるとされています。
与力が馬上、騎馬の同心、馬上同心などと呼ばれ、「騎士」と称されたのに
対して、同心は歩卒、歩同心、歩行同心などと呼ばれました。
江戸後期には馬を飼育している家も少なく、幕末にいざ与力が乗ったらすぐ
落馬したという思い出話も記録されていますが、身分的に戦場で乗ることが
許されたのは、与力以上です。
それで、なんでこの点にこだわるのかというと、要するに騎乗が士=騎士の
身分に付属して許されていたからなのですよ。
ヨーロッパでも、古くは戦場における騎乗は(あちらの文化圏でいうところ
の)騎士にのみ許された特権であり、誇りでした。
14~15世紀以降は、騎士が下馬して戦うことも出て来ており、これは我
が国にも見られましたが、16世紀末以降、戦場における騎乗を特定の身分
に限定せず、歩兵や工兵や砲兵と対等な兵科である騎兵を成立されています。
馬に乗ることが許される人間が戦場で限られていては、有効な活用はできま
せん。砲兵の秘密主義や蔑視されていた工兵の地位向上に努めたのも、大き
な「進歩」でした。
つまり、馬というものを兵器よりは身分表示として認識し続けていたという
点において、日本は立ち遅れていたと申し上げたかったまでの話です。
御抱席というなら、与力もそうでしたが。
まず申し上げたかったのは、「近世における武士とは」という大袈裟な話で
はなく、単純に言えば、16~19世紀間に東西の馬の扱い方に生じた「進
歩」の間隔のことです。
回転を与えて発射したケンタッキーライフルの命中精度が良かったということだけど、
100mでどれくらいの精度だったんだろうか?
そういうの詳しい人、教えて。
高さ1.5mの位置で水平射撃をすると
約270mほど
距離だから役1kmくらいじゃないの?
それ計算するには空気抵抗による弾速の変化も考慮しないといけないからめんどくさい。
16世紀、鉄砲の生産量・性能が世界一の国
http://love.45.kg/mo0202/4/128.html
主要輸出先はオスマントルコだった。
wiki見ろ、はなしで教えてくれないか。
同じ火縄銃だけど、口径の違い。
大口径だとマスケット、小口径だとアルケビューズ(アーキュバス)といった。
後世になると、先込式の滑腔銃全般をマスケット銃というようになった。
違いというか両者基本は同じもの
鉄鋼生産、鉄砲生産高が世界一の日本の時代
http://pwvx.hp.infoseek.co.jp/0203/38/258.html
それは安土桃山時代で、江戸時代には鉄砲隊百人組がいた。
http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/8,3185,152,719,html
http://www.chubu-hakkenden.com/spot/130/
熟練したら1分で打てたらしい。
安土桃山時代に日本は世界一の水準だった
http://s1.shard.jp/rabbit1/0203/38/258.html
そのものとは、鉄鋼生産と鉄砲生産だった。
3段になるのは世紀も変わってフリードリヒ2世を待たねばならなかったと。
>>96
鎖栓や砲尾栓の材質が原因とも言われているが
ところが、その後に日本が購入した
同時期製造のアームストロング砲は殆ど事故起こしてないんだな
原因はイギリスの砲術要員に対する教育不足と
砲操作員の手抜き
と言ってもアームストロング「社製」の砲ってだけで大半が前装式だし、事故なんて殆ど起こる筈もなく
別に当時の英海軍の下っ端操砲要員の腕がアレだったのは否定しないし
幕末維新期の日本に所謂「アームストロング砲」で有名な後装砲が輸出されてて、そんなに事故を起こして無いのも否定しないがね
ただ実戦下ではあまりに大切に扱わないと駄目だったようだし
何時でも何処でもそんな大切に扱える訳で無し
当時の後装式のアームストロング社製の砲がビックリドッキリメカなのは確かだよ
原因は基本的に貴方の書いてる通り
ちなみにフランスは地道にその部分を強化してドイツも追随
おかげで英海軍は装甲艦時代に長らく前装式の砲を使う羽目に
後装式の砲については当時の英国お得意の、最新兵器は輸出して運用方法を確立させよう方法で
日本の他はイタリア、イベリアの2国にラテンアメリカ次いでに米国向けの輸出専用みたいな扱い
戦闘用に改良されなかったのと
他国からの技術流入がなかったので
職人のおもちゃ見たいになったんだな
優れた技術があったのにもったいない
和算も似たような感じだったな
ライフル以前の欧州の銃と比べても。
金属薬莢の登場以前では着火装置の違い(日本→火縄式のまま、欧米→火打石式から雷管式へ進化)ライフリング、着剣装置の有無しか実質的な違いはない。
実際火縄銃工達は幕末に雷管式でライフリング付きの銃を製作してみせて
「日本製も洋銃と変わらない」
と息巻いたが製作の可否より量産性のほうに問題があったわけ。
>着火装置の違い、ライフリング、着剣装置の有無しか実質的な違いはない。
どれも結構な差だと思うが・・・
ましてや三点セットなら決定的と言うか別物レベルかと。
当たってタヒぬ分には、どれでも同じだけど。
戦争なかったし
「戦争は変わった」感は異常。
銃とか進化しすぎだろ。
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1356824600/l50
戦後時代はまだ銃と弓に桁違いな差は無かったからね。
量産制に優れ武芸として発展してた弓の方が優れてた面もある
威力が桁外れだろ
かわりがなければクロスボウみたいに廃れるだろ
パーツ点数、だいたい幾つ位なのでしょうか?
普通の火縄銃ってどれのこと?
火縄銃の部品数はカラクリ(機関部)でほぼ決定するから具体的に指定しないと
一般的かどうかは判らないがこちらは平カラクリ
http://www.geocities.jp/nosuka02/mukashi010503.html
同じカラクリでも部品数が違うことに気がつくと思う
これに筒と台の部品を合わせたのが火縄銃本体の部品数となる
“普通の火縄銃"と問われても答えられない理由がわかってもらえると思う
手工芸品なんで時期や製作者によっても部品数は変わったりするのよ
火縄短筒なる意味不明なものは日本以外では殆ど存在しない筈。
銃の怖さは扱いの簡単な点
よしんばある程度防げる甲冑あったとして
そんな甲冑は数が支給できないし長い訓練が必要
数でもみ潰されて終わり
生産で遅れを取るわけないだろ
>>134のレスが
銃の登場は、女子供が兵士となることが一般化した原因
というならごもっともだが
>銃はね、昨日まで戦ったことのない女子供でも撃てる
だからね
きみの反論は見当違いということになる
もしくは話題そらし
女子供が中世で戦ったか?→フス戦争→どのみち女性兵は一般化しなかっただろ
とずれている
農民や女子供でも短期間の訓練で撃てるようになるか否かが話題であって
女性兵の一般化と銃の問題は話題にしていない。君が言っているだけ
仮に君の主張が正しいとして
女性兵が一般化しなかったことと銃の扱いが弓より容易いこととの関連性が全くない
君は自分の論を説明するために
女性兵の登場と兵器の取り扱いの簡単さとの相互関係の方を説明せにゃならなくなる訳だ
銃(火縄銃、マスケット)が優れているのは短時間の訓練で使い物になること
弓と比べると習熟度が格段に少なくて済む
あとは身につけられる装甲では気休め程度にしかならない点だな
ヨーロッパでは全身鎧を諦めてブレストプレートだけになり最終的には装甲は諦めた(戦列歩兵)
お前ら火縄銃とかマスケットとか撃てるの? ぶっちゃけ銃ナメすぎ
日本の火縄銃はいつも上位の成績を収めている。
一つは江戸時代の職人芸のレベルの高さ。
それと機構が火縄式であること。
幕末に入ってきたゲベール銃のような
フリントロック式先込め滑腔の銃は
火打石をブッタタク衝撃が大きすぎて命中精度がひどく悪いんだと、、、
洋式銃がまともに当たるようになったのは雷管式になってかららしい。
要するに当たらないから数を揃えて一斉射撃なんですな。
外国軍の数打ちゃ当たる意識と日本軍の一発必中意識の差は
このあたりが遠因かも?
>>140
>フリントロック式先込め滑腔の銃は
火打石をブッタタク衝撃が大きすぎて命中精度がひどく悪いんだと
火縄式もフリントロック式も火皿の火薬の燃焼ガスが薬室の火薬に引火して発砲するので
引き金を引くのと発射には時間差がある
衝撃自体たいしたことないし
命中精度に影響を与えるなんて考えられない
ちなみに火打石を叩くのではなくて、火打石で鋼を叩く
衝撃の影響はバカにならないよ
よく言われる有効射程の50mあたりでも
0.5度ズレるだけで30~40cmとかブレるし
>>175
戦列歩兵同士の集団戦なら問題なしかと
衝撃でぶれたとしても狙った隣の兵士に命中したって構わない訳だし
そもそも、フリントロックライフルをライフル銃兵や猟兵といったシャープシューター達が装備していた位だから、射手の腕前で制御出来る範囲の衝撃だっとのかと
300ヤードを越える狙撃さえ行われていた位だし
マンターゲットへのフリントロック式の命中率(スムースボア / ライフル)
160ヤード 21% / 49%
240ヤード 4% / 21%
(プロシア軍によるテスト結果)
まぁ、実際の運用では問題なくても
167の言うような命中精度自体に影響が無いってのはないと思う
140みたいな射撃大会なんかじゃ結構な差がつくと思う
>このあたりが遠因かも?
弓でもだいたいそうなんだよな
日本人は個人の技量を重視する
結局、女性兵なんていたのか? 名前は? 子供産む女性が戦タヒしたら困るなら
なんでフス戦争は女性や子供が戦った?
で誰でも簡単に使えるんだったら、なんで銃使う専門職がいるの?
>>145
>なんでフス戦争は女性や子供が戦った?
ものすごく簡単な話でまっとうな兵士がいなかったから
この時代は戦闘に従事する人は騎士とその従者と傭兵しかいない
フス戦争は異端であるフス派とローマ・カトリックとの戦い(教皇が聖戦を宣言している)でもあるんで
味方する奴なんていやしない
ヤン・ジシュカはやむを得ずフス派の人たちから兵を募ることになる
戦ったことのない人たちを戦力として使うための鉄砲だよ
構造も操作も簡単で筋力も長期間に渡る鍛錬も必要無いから
>で誰でも簡単に使えるんだったら、なんで銃使う専門職がいるの?
専門職ではなく兵種
何か勘違いしているようだけど、鉄砲のたぐいは特殊な技能は要らないのよ
イングランドのロングボウ兵が廃れた理由はすでにこのスレに書かれているな
それの事知りたいんだけど何処か分りやすいとこってない?
それの図面みたいなのも有ると助かるんだけど
>それの図面みたいなのも有ると助かるんだけど
そういうのは見たこと無いな
絵は見たことあるけど。検索すれば出てくる
ワゴンブルグって農作業に使うありきたりな荷車を利用したものだったはずだし
フス派って戦闘記録残してないんだよな。当たり前だけど
これの答えもフス戦争を目の前の箱でちょっと調べたら分かる話
ローマ・カトリックに異端宣言されて、討伐のための十字軍を招集されている
当時教会から異端宣言を受ければ人として扱われなくなる
村ごと町ごとジェノサイドなんだわ。
「男は○し女は犯す」とか甘ったるい事にはならない
女が戦タヒしたら困るとか以前の話
銃弾の価値ひとつ比べても今と天と地ほど開きがあるだろうに・・・
練習中にトラブったら、どう解決すんの?
バ○農民に銃を渡したからどうこう出来るほど現実は甘くないって
弓よりはるかに高価なものがなぜ普及し主兵器になったんだ?
江戸幕府がなぜ入り鉄砲として規制したんだ?
誰が操作しても武士の弓より威力が段違いだったからだろ
それにタッチホール式の銃に「どう解決するの?」って迫るほどのトラブルなど発生しない
機関部ないんだから
君の方こそ銃の感覚を現代と混同しとる
どんなトラブルを指しているのかは分からないけれど、訓練中にトラブったら熟練者や担当指揮官が対処するだけかと。
それとも訓練中に反乱を起こす系のトラブルを想定しているのかな?
>>156
火薬、特に軍用の上質な火薬は貴重でしたからね。
ナポレオン戦争中のスペインでは、マスケット銃の火薬をスペイン農民が欲しがり、弾薬盒やパウダーホーンの火薬を横流しする兵士が絶えなかったと。
小説でお約束として描写される位にw
しかも健康な男子限定なんやで
武士の骨も発達した筋肉が骨を削って筋が入ってたそうですよ
滋賀県長浜市に行ってきた。また行く。国友の鉄砲と大砲が有名だ。
戦国時代に刀鍛冶がネジをつくった。火縄銃の量産体制が整う。鉄砲鍛冶の工業団地っぽくなる。
愛知県に鉄砲町ってあったと思う。けっこうあちこちにある。
種子島が有名だけど他にもルートはあったそうだ。
江戸時代は幕府の独占するので停滞するんだけど各藩の武士は細々と研究は続けていた。
鉄砲鍛冶から花火、空気銃、望遠鏡を作るようになる。
福井のメガネも関係があるかもしれない。
信長が長篠合戦用に鉄砲を、かき集めていたころ
島津は7700丁、大友は2万丁あった
松前藩(≒渡党←アイヌ一派)も含めて
北海道の各アイヌ部族は、各勢力ごとに数十挺ほど鉄砲持って争ってたとか
近世アイヌ民族の社会と生活 – アイヌ文化振興・研究推進機構
http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1215.pdf
> 津軽藩士は
> 松前城下でアイ ヌ民族の武装についての情. 報を収集していますが、
> それには、. 「〇本具足は少しばかり之れ有るべき由。
> 〇自分にて木具. 足仕立て、 着け申し候う。
> 〇鉄砲三、 四拾挺も之れ有る. べき由。〇弓丶 鍵は大方所持仕り候う由」 とか
http://30932531.at.webry.info/201205/article_4.html
> アイヌの鎧、甲冑は基本的に倭人のものと同様で、
> 武器の備えもかなり先進性を帯びており、
> たとえば1669年のシャクシャインの戦いにおいては、 倭人側の相当数の武士が
> アイヌの火縄銃の犠牲になったということがわかっているそうである。
松前藩(もとアイヌ)は単独では弱小藩で、アイヌ勢力に鉄砲や兵力で負けてたらしい
貧乏な松前藩(アイヌ渡党)は、金掘りで少し潤ったが
少ない収益の独占のため
和人の流入を制限した程で、1799でも武家は足軽含め170戸規模のみの弱小藩
シャクシャインの戦い(1669)
シャクシャインの勢力らが、民間の和人らを虐○して回った武装テロ事件
ハウカセ: 江戸前期の蝦夷地の5大勢力の1(シャクシャインの戦いでは中立)
<参考文献>
海保嶺夫『近世蝦夷地成立史の研究』,喜多村校尉編『津軽一統志』(『新北海道史』7巻)
また,ハウカセは近江八幡出身の金太夫という娘婿に
軍事顧問的役割をさせており,
蝦夷地への武器輸出が不可能になったシャクシャインの戦の時点で
40~50挺もの鉄砲を所持していたといわれる点などから,
松前藩のほかにも和産物輸入ルートを確保していたとも考えられる。
5大勢力のひとつ中立のハウカセすら、40~50挺の鉄砲を所持し、
また蝦夷地には、大陸由来の鉄砲もあった、とする説もある
引用元: https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1179124918/
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