鎌倉武士「やあやあ我こそは!」元軍・高麗軍「てつはうズドーン!」
慣れてきたら夜襲しまくりって聞いたで
踏みにじられてそう
これは蛮族
1(遊)モンゴル襲来の6年前に大陸にヤベーのがいるのを察知して情報収集してた
2(三)壱岐・対馬は見○しにしたのは敵情を研究したのではなく単に対馬守護少弐氏への嫌がらせ
3(一)最初の蒙古襲来で人質を盾にしてたモンゴル軍に人質無視して射○してた
4(指)博多を略奪したのではなく物資と人員と銅銭を徴発してただけ(太宰府天満宮に「徴発やめてよー」という願文と請願が残ってる)
5(右)蒙古襲来4年前に非御家人の動員の権限を幕府が接収、北九州に西国の武士を集中させてた
6(左)使者をぶっ○した時に書状を見ずに○したために三度目の使者の書状が和睦(休戦)の使者なのを知らなかった
7(中)二度目の南路軍来るのを半年前に察知して海賊が襲いまくって南路軍が博多に来たときはボッロボロだった
8(二)鷹島掃討戦で高麗人、モンゴル人は皆○しにしたけど女と宋人は助命してそのまんま戦利品として6千人ほど御家人で山分けしてた
9(捕)実は元寇の後にに来た高麗と元の和平の使者を話を聞かず6回ほど博多で○してる
鎌倉殿見てても思ったけど鎌倉武士ってタヒ者ぶっ○しすぎやろ
野獣かな?
すまん誉れはどこや?
鎌倉時代の武士と
江戸時代の武士は
完全に別物だぞ
鎌倉時代の武士は自分で農業もするし漁師もする
自給自足やな
https://i.imgur.com/FUqeV8Y.jpeg
https://i.imgur.com/IONhJHK.jpeg
まじでリアルにこれやからなあ…
室町まで時代が下って都周辺ですら似たようなありさまやし
だいぶ理性的になった戦国時代ですら
酒に酔った勢いで人を○してはいけませんってお達しがあったくらいやしな
家の門の前通ったのがムカつくから○すって話あるよな
鎌倉武士「乞食と坊主は逃げ足が早いので弓矢の練習中に丁度いい」
ていうか分かってて無視してたんだろ
元寇前の使者は○してないから別に不義ではない
板東武者「九州にはビビりしかおらんくて道案内にしか使えん、何であいつらタヒぬのがこわいんや」公式文書
薩摩「ヒェ~とづまりすとこ~」
島津氏は結局舐めたら○すの精神に目覚めとるな
元々北朝だったけど酒宴の席で暗○が起きてこんな卑怯者ばかりなら北朝抜けるわってそんな理由で南朝に着いてたよねまあ九州は南朝最後の砦みたいになってたけど
正反対の青森の南部氏も最後まで南朝に味方してて6回降伏勧告されても全部シカトかました挙句逆に秋田や岩手に侵攻して勝手に勢力広げて足利義満直々にやりとりして大人しくさせたんだよね
南部氏も目立ちはしないものの戦国中期まではハイパー戦闘民族やったな
そのおかげで空中分解しかけとるが
申し訳ないが津軽に出し抜かれたイメージしかないわ…
戦の前に陣地内で最強決定戦が始まり名乗りを挙げた剛の者10人くらいがタヒぬ
生き残った1人だかはタヒんだ奴らの旗指物を着けて奮戦し(タヒんだ)これに感心した頼朝はタヒんだ奴らの遺族にも同じ恩賞を与えた
今川は尊氏の時代から京の防波堤で京文化圏が根付いてる最果ての地やったからね
御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ言われてたくらい家格も高い
戦国時代「室町の武士は頭がおかしい」
室町時代「鎌倉の武士は頭がおかしい」
鎌倉時代「最近の武士は頭がおかしい」
やっぱ鎌倉ってイカれとるわ
だいぶ
もうちょい後の話で自分の領土を通る旅人とか僧侶を気儘に矢の的にすんの止めろボケどもって通達あるぐらいに蛮族
やっぱ武士って最低やわ
京都周辺以外は日本全国無政府状態とか言う地獄よ
むしろ日本より戦国時代が長い
同じ島に3民族もいるわけだし
なんで他の歴史用語と違うて新仮名遣いに直されへんのやろ?
恐らく実際の発音は”てっぽう”もしくは”てつほう”といったものだったはずやけど
”てつはう”と読んでしもてる人多いやろ?
鉄砲と混同しないようにやろ
手投げ弾やったらしいし
鉄砲=今の銃
てつはう=今の手りゅう弾
統一したらむしろややこしくなる
でもてつはうを間違った読み方してしまう人一杯いるよね
他には戦車とか別に現代の戦車と区別するために読み方変えてるという話しもないのに
なぜ鉄砲だけ・・・
まずその「間違った読み方」ってのが間違いや
てつはうは当時はどう発音したかの定説がないから教科書でも責任逃れ的に「てつはう」と表記し続けている
他の歴史用語でそんなことしてる?
あんま聞いたこと無いな
ちょっと違うけど人名のふりがなは大概そうちゃうか
でも藤原氏とかみんなふじわらって現代風に濁点ついてるし
当時の仮名づかいではないやろ
大名がそうやな
「だいめい」と「だいみょう」で意味が変わる
前者だいめいはあまり使われんから注釈つくことを見んだけや
HがそもそもP音やった説が有力やで
母は付くが父では付かないものはって平安時代のなぞなぞがあって答えは唇やって書いてるんや
意味がわからんから歴史学者にはスルーされてたんやけど
言語学者の間でも母親を表す単語が乳幼児に発音しにくい開口音なのはおかしいって長年疑問視されてて
そこからHahaやなくてPapaって発音してたんやないかって説が生まれた
やから北条義時もぽうぢょうよしちょきみたいな発音やったらしい
ソースはゆる言語学ラジオ
ワイはminerva scientiaって言語学系のYouTuberよく見とるわ
アレ見ると従来の歴史学って考証学の癖にほんま言語軽視でたんやなあって思うわ
それはいろいろおかしいわ
まず有力説と定説は違う
次に「Hの音はPで発音した」って部分は鎌倉時代にはHの音は(少なくとも東国では)Hで発音していたからこれも違う
さらに言えば当時の「う」の発音は「お」
じゃあ「てつはお」になるかといえばならない
この「てつはう」のふり仮名がいつ書かれたのかがはっきりしないから
てつはうの本当の名前は震天雷(しんてんらい)
宋が開発した火薬兵器で火薬に縄をつけた時限爆弾
ボンバーマンの爆弾みたいなの💣←こんなの
てつはうは日本側の呼び名
もう一度書くぞ 震 天 雷←かっけえ…
誉はどうなってるんだ誉は
浜でタヒにました
https://i.imgur.com/lXLUtQw.jpg
出典の蒙古襲来絵詞
https://i.imgur.com/d7xoBLz.jpg
3人で殿してるみたいな状況やな
しかもその三人加筆されてるっぽいしな
絵のタッチが他と違うし
戦功盛り盛りですよ
安達泰盛「なんか一方的な戦で余裕のヌルゲーって聞いたんやけど?」
竹崎季長「!!!シュバババ(加筆する音」
絶対これやと思うわ
絵詞制作時には安達一族滅亡しとるで
と言うか恩賞の口利きしてくれた安達一族滅亡したから
口利きしてくれた安達顕彰込めて作ったんや
武士「ヒエッなんや(義経)この気違い」
モンゴル兵「ヒエッなんや俺らの大将(義経)このキ○ガイ」
ホントなんかな
概ね合ってるで
と言うのも横領後の復讐対策で相手の一族郎党綺麗さっぱり消すのは合理的や
ただ消し損ねて返り討ち合った平家みたいのも定期的に出て
なら縁戚を敵対勢力の当主に据えて子分にしたろの流れで南北朝の面倒くさい流れの伏線なるんや
基本的に鎌倉時代なんてほとんど土地の所有権争いやからな
戦国みたいに政治的な支配権の話なら相手の一族でも配下に入るならOKみたいな事もできるが
正当な相続人がある程度意識された時代やと相続人まとめて○すってい解決方法になりやすいからな
知識階級である平安貴族が
暴力集団の無法者たちに政権を乗っ取られる話やったんか?
その割には義経とか木曽義仲とかに比べたら頼朝とか
後は平氏とかはまともそうなイメージある
引用元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1658012466/
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