【歴史】ユダヤ人救い、ソ連の野望阻止した陸軍中将「軍人は悪」封印された功績
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ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った日本人として、外交官の杉原千畝(ちうね)は有名だが、もう一人の存在はあまり知られていない。陸軍中将、樋口季一郎。彼はユダヤ人救出だけではなく、終戦直前に対日参戦したソ連の北海道侵攻を阻止した人物だが、いずれの功績も軍人であるがゆえに封印され、長く語られることはなかった。
第二次世界大戦直前の昭和13年3月8日、満州国との国境に近いソ連領オトポール駅に、欧州各国からシベリア鉄道を経由して逃れた多くのユダヤ難民が押し寄せた。彼らは満州国への入国を求めたが、政府は11年にドイツと結んだ日独防共協定を理由に入国ビザの発給を拒否した。
当時、ハルビン特務機関長の任にあった樋口は、人道上の問題として独断で救援列車を手配し、ビザの発給を指示。ユダヤ難民を迎え入れた脱出ルートは後に「ヒグチルート」と呼ばれ、一説だが救出したユダヤ難民の数は2万人に上ったという。これは杉原が発給した「命のビザ」より2年も前の出来事である。
産経新聞 2021/8/26 07:00
https://www.sankei.com/article/20210826-RHBE2QDWCFJR3JL6UEOOS6JS5I/
多くのユダヤ人を杉浦千畝が助けたというのに
ユダヤ人は自分らが作った原子爆弾を日本人の頭の上で炸裂させたよね
これだけはキッチリしておかなければならないな
日本に原爆を落としたのはアメリカという国だよ
今の日本の宗主国
マンハッタン計画に参加した科学者の大部分はユダヤ人科学者だ
レオ・シラード
エンリコ・フェルミ
エドワード・テラー
スタニスワフ・ウラム
ジョン・フォン・ノイマン
リチャード・ファインマン
ロバート・オッペンハイマー
アルバート・アインシュタイン
日本人に救けられた人間は混じっていないけどな
逃げて来たにしても自力で、ドイツ人の手からアメリカに逃れて来た人間がいる程度
大した事でも無いのに何時までも恩着せがましく、救けた救けたって見苦しい限りだな。本当に日本人かよ
ギリギリまで日本に油供給してくれていたのもユダヤだろ。
日本人が人道的見地から
ドイツに迫害されていたユダヤ人を救ったわけじゃなくて
満洲経営をイギリスの植民地支配を真似ることで上手に経営したかっただけだろうな
もちろん満洲は独立国で植民地ではないと形式ばった反論するやつもいるだろうが
イギリスが植民でやった政策
たとえばマレーシアには3大民族がいて互いに反目しあっていて
その上に君臨するイギリスに下からの反感が向かずに
イギリス人の支配下で、互いに対立しあうマレー人、中国人、インド人
インド人についてはイギリス人がわざわざマレーシアに持ち込んだので
植民地支配するのは他民族にして、互いに反目させていた方がうまく行くというのがイギリスの植民地経営方法
たぶん日本は、これを真似ようとして
満洲を他民族国家にしたほうが日本にとって都合がいいと思ったから
ドイツで迫害受けていたユダヤ人を受け入れようという政策だったのだろう
樋口少将の独断専行はドイツとの外交問題になりかけたが、当時関東軍参謀長だった東條中将は樋口少将の主張を認め、
ドイツからの抗議も再三撥ねつけたという。
満州国建国の理念である八紘一宇の精神にそぐわないという大局的な判断であったろう。
戦後、東條英機は戦犯としてその評判は地に落ちたが、昭和大帝の信任篤い忠臣が謂われるような暗愚な人物であったとは考えられ無い。
時が経てば樋口中将と共に名誉回復が為されることと思う。
イスラエルのゴールデンブックに名を連ねる日本人の1人。
俺は樋口季一郎を知ってはいるが、
千畝もイスラエルが表彰するまでは「誰?」だった
当時の記録としては国家の方針に背いてユダヤ人にビザテキトーにだしてた貪官汚吏でしかない
あれの真似して「人道のためなら国益だとか他国との関係なんてかんけーし!」とか言い出すバ○多発すると困るよ
なにせ中国人にビザ出しまくって国内に入れてるようなもんだからな
ユダヤだから美談にできる
これがナチスの逃亡なら糾弾だろ?
国が認めないで入国させれるわけないじゃん
ユダヤ教ラビ、マーヴィン・トケイヤー
――ユダヤ人の救出は、樋口少将が独断で行ったのですか。
ト: まさか、そんなことはできません。
実は、先に述べた「要領」の決裁者も、ユダヤ人救出の責任者も、関東軍司令部参謀長の東條英機でした。
上司である東條が認めなければ、樋口少将は動けません。絶対に無理です。
何かあったら責任を取るのは、樋口ではなく東條ですから。
このことは、ユダヤ人の中でも私ぐらいしか知らないことです。
――なぜ東條はゴールデンブックには載っていないのですか。
ト: ゴールデンブックの編纂者は「東條とは会ったことも、喋ったこともないからだ」と言っていました。
もしユダヤ人が東條を知っていれば、間違いなく名前が載っていたでしょう。
――その後、日本とドイツとの関係はどうでしたか。
ト: 後日、日本政府はドイツ外務省の強硬な抗議を受けました。
東條はそれを「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」として一蹴しました。
ちなみにこの時、樋口少将から依頼されて何本もの列車を手配し、ユダヤ人を移送したのは、
満州鉄道総裁の松岡洋右でした。松岡はその後、外相としてドイツと交渉しています。
彼は日中に来たユダヤ人に「私はヒトラーとの同盟の責任を負っているが、
日本で彼の反ユダヤ人政策を遂行するとは約束していない。
これは単なる個人的な意見ではなく、日本の意見だ」と述べています。
ユダヤ人保護は国全体の「人種平等」策だった
――「ユダヤ人保護」は一部の軍人の考えではなかったのですか。
ト: これは国策でした。38年12月、首相、陸相、海相、外相、蔵相が集う最高位の国策検討機関
「五相会議」で「ユダヤ人対策綱領」が決定されます。
これは「日本が長年にわたり主張してきた人種平等の精神」に基づいて「ユダヤ人を平等に扱う」というものです。
相当な「反ナチス政策」で、世界のどの国もそんな決定はできませんでした。
世界中の人々が知るべきものです。
これを提案した板垣征四郎陸軍大臣を筆頭に、五相会議を開いた5人は全員がヒーローです。
彼らはもっと勲章を受け、尊敬されるべきです。
――ユダヤ人救済に関わった東條・松岡・板垣はいずれも、東京裁判における「A級戦犯」です。
ト: この裁判は私にとって悲劇です。正義などありませんでした。
「被告人」全員が法廷に入る前から有罪と決まっていたのです。
さらにほとんどの裁判官は開廷日に、家で寝ていて来ませんでした。
「裁判」と呼べるようなものではありません。
そんな場で、私たちを救ってくれた人々が「戦争犯罪人」として裁かれたのです。
日本は「エデンの園」だった
――満州へ入国したユダヤ難民の一部は、日本に送られ保護されましたね。
ト: そこでも日本人は、彼らを丁寧に扱いました。
実際日本人は、食べ物、着る物、住む場所、病気の治療、すべてを供給しました。
誰ひとり犠牲者は出ませんでした。
ユダヤ人たちはそんな日本を「エデンの園」と呼んでいたのです。
この事件で東條と松岡が出てこないのはオカシイ
外交問題になるのが明らかな上、親独派が主流の関東軍の中で
外交上の負担を引受けて決裁したのは東條
一番最初にソ連のオトポール駅で足止めされていたユダヤ人を
米国租借地のある上海に移動するために
特別臨時列車を13往復させて1人残さず運搬する決断をしたのは満鉄総裁の松岡
A級戦犯になったことと関係のない歴史事実は切り離して評価するべき
戦勝国にとっては日本がユダヤ人救済してくれた、では困るんだよ
だから杉原千畝だけが日本政府の反対を押し切ってやったヒーローであって欲しい
なぜなら東條などは戦争犯罪で裁いたから
イスラエルもわざと杉原千畝しか載せない
杉原は早稲田閥=マスコミだからステマが凄いのよね
やっぱり学閥は強いわ
皇軍を迎え入れた出陣ルートは後に「白骨街道」と呼ばれ、一説だがこの無謀な作戦のタヒ者の数は2万人以上に上ったという。これは無駄口が発案した「ジンギスカン作戦」数年前の出来事である。
東條はミッドウエーやレイテの戦闘結果を
知らされていなかった。
たぶん昭和天皇も知らされていなかった。
海軍はそれ報連相していなかった。
彼は「ミッドウエー敗戦を知っていたら
インパールは許可しなかった」と言っている。
天皇は陸海軍を統帥するんだが
個別戦闘結果を知らないで陸海軍を統帥できるか?天皇が。
これは海軍による統帥権の干犯だ。
事もあろうに欧米中ソと戦争中に報連相していない。
インパールでは陸軍軍人が大勢タヒんだが
彼らをタヒなせたのは統帥権干犯した帝国海軍だ、牟田口じゃない。
後からいろんなやつが適当に言い訳して罪をなすり合ってるだけ
近衛公と側近の共産主義者たちに
永野修身と五十六はもう鉄板だな。
大日本帝国は彼らによって自滅させられた。
いろいろツッコみどころがある
東条はミッドウェーの敗戦を知っていた
彼は「海軍が意気阻喪しないように、相応の措置をとるように」と部下に指示してる
レイテの敗戦はインパールの後、かつ東条退陣以降の話
敗戦後に、知らなかったと言っているぞ。
東條は、少なくとも岸信介よりも高潔だったと思いたいけど、東京裁判の
時期は、国体護持の大義のために、聖上に責任が及びにくいようにウソを
ついても不思議でない時期だったから、当時の発言内容をそのまま鵜呑み
にするわけにも行かないんだよね~
救われたユダヤ人は日本、そこからアメリカに渡ったと聞くが?
ロスアラモスで開かれた「原爆委員会」では、ユダヤ人のノイマンは重要な立場で出席した。
空軍が目標リストとして「皇居、横浜、新潟、京都、広島、小倉」を提案した。
ここでノイマンは、皇居への投下に強く反対し、もし空軍があくまで皇居への
投下を主張する場合は「差し戻せ」と書いたメモが残されている。
ノイマンは、戦後の占領統治まで見通して、皇居への投下に反対したのだ
その一方で、ノイマンが強く主張したのは、京都への原爆投下だった。
歴史的文化的価値が高いからこそ京都へ投下すべきだと主張した。
これに対して、ヘンリー・スチムソンが、「それでは戦後、ローマやアテネを破壊したのと
同じ非難を世界中から浴びることになる」と強硬に反対した。
その結果、すでに爆撃で破壊されていた横浜が却下され、情報不足から新潟が除外された。
最終的に、広島・小倉・長崎が残ったのである。
1937年(昭和12年)12月26日、第1回極東ユダヤ人大会が開かれた際、関東軍の認可の下で3日間の予定で開催された同大会に、
陸軍は「ユダヤ通」の安江仙弘陸軍大佐をはじめ、当時ハルピン陸軍特務機関長を務めていた樋口(当時陸軍少将)らを派遣した。
この席で樋口は、前年に日独防共協定を締結したばかりの同盟国であるナチ党政権下のドイツの反ユダヤ政策を、
「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と間接的に激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴びた
逃げたんじゃないのか
ユダヤ人迫害ポグロムはロシアも酷いからな
ユダヤ人は核兵器を開発しただけだが
日本は実際満州利権を手放さなかった
手放せなかったと言うべきで
世界恐慌を乗り切れたのは満州のおかげ
ハルノート書いた奴がソ連のスパイなんだよな
ソ連の工作で太平洋戦争が始まったも同然
「閣下は弱いいじめをするヒトラーのお先棒を担ぐことが本当に正しいことだと思われますか」
って堂々と抗弁したんだっけね
善いことをするときに相手の感謝やら見返りは一切考えないでする
ものだから、それでいいのだよ。
凍った池にスタックした鹿を助けてあげた。去っていく時に振り返りも
しなかった。この鹿がユダヤ人なのだろ。
感謝してんじゃね、
https://twitter.com/ijinmeigen001/status/1315123720265097217
>2020年10月11日
>終戦後、ソ連のスターリンはこともあろうに樋口を戦犯指名。だがそれを知った
>世界ユダヤ人会議が、世界的な規模で樋口救済活動を行った。
>結果、GHQダグラス・マッカーサーが樋口の身柄を確保し、ソ連への引き渡しを拒否した。よって無罪確定。1970年の本日タヒ去。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
何で今頃と思ったら命日だったのか
封印されていた部分は産経の妄想の部分だろ。2万人とか絶対にあり得ない。
もっとソ連軍の侵攻を抑えて、日本系の民間人の脱出や
米国への引継ぎまでの時間を稼いでおけばなあ
そういうことをちゃんと変えてこなかったから、
日本では「個」が育たなくなったんだよ。
そして衰退している。
1944年アメリカによる日本人の分析
日本人にとっては苦痛が神聖なものである
何をするかでなく長時間働く行為が美徳である
個人の幸福は尊重されない
下を虐げ上に媚びる
道徳的な善悪の分別がつかない
上に従うか従わないかそれのみである
政府の認めた思想のみが教えられる
日本の学校は精神能力を育てる所ではない
上から教わったことを丸暗記して繰り返すだけである
こうして従順で均質な日本の大衆が製造される
そもそも人種差別される側だからユダヤ人に
同情的だった背景もある
ユダヤ人差別はドイツだけでなくロシアでも
ひどかったからね
日本のゼロ戦から続く
ゼロ戦の軽快性は単にそうするしかなかっただけ
アメリカが早々に実装した2000馬力エンジンを
最期まで実用化出来なかった日本の理工系
満州国にはユダヤ人を目の敵にする白系ロシア人(要するに帝政ロシアの残党)が多くいて、上海共同租界までの通過ビザを出さなかった
これを通過させてどうにか満州国と日本に対する敵対心を解いてもらおうと満州国に圧力を加えて通過ビザを出させる活動を行った一人が樋口季一郎
ただし、1939年には上海共同租界側からこれ以上のユダヤ人の流入を中止しろと言われてしまい、日本への通過ビザに切り替わった
おそらく1938年から1941年までに7000~9000人程度が杉原ビザではない"ヒグチルート"として上海共同租界ないし日本へ達した
両方合わせて1300人弱が(上海送りを除き)日本から出国でき、残りは日本と上海に留め置かれた ※アメリカの偽善による
上海共同租界から日本を除く第三国への出国数は不明
1941年12月の日米戦争(WW2太平洋戦線)の少し前から事実上出国は止まっていた
1945年8月の敗戦までアメリカの偽善により日本・上海で足止めをくらった亡命ユダヤ人のほとんどが上海租界に押し込められる形で過ごした
とソ連が要求したのを救われたユダヤ人達がアメリカ政府に掛け合って、
GHQを通じて引き渡し拒否したそうだ
そりゃ、前から樋口季一郎の記事はいくつも出てるし、ν速+でスレも立ってる。
日本でも当時の新聞記事に乗るような表立った行動ではなかったが故に、しばらくの間は忘れられてたんだよ。杉原千畝もそうだったし。
軍人だから封印されたというのは、邪推だと思うな。
杉原千畝も陸軍軍人だった。
その写真が海外で飾られてると聞いたな。
色々揶揄されているYou Tubeだが
隠れた偉人を紹介してくれるYouTuberも居るから
You Tubeも捨てたものではない
よつべのってだいたいウヨ本が元だったりするから、
基本的にそれ臭いのがあったらもう見ないな
「素晴らしいことをした日本人!ヒャッホー日本は正しかったんだ!」じゃなくて、
世界史なら珍人物平等に扱ってて、ゆっくりじゃなきゃ当たり
1940年:日本2000:ソ連4200:ドイツ2400:アメリカ9300:イギリス3200
ソ連て工業力高かったんやなってわかたよ。
ルーズベルトでさえユダヤ人が反逆以外なら自治してよい州を作らせなかったほどだから
どちらとも戦争中は親日的武装中立を掲げるから、一定量の貿易は行い続けるしかない
当然、ソ連からの侵攻には超一流の防衛軍ハガナーが勇敢に立ち向かう。例えばモーシェ・ダヤンとか
樺太は下手したらオハまですなわち全島制圧するかも
ドイツとソ連て 工業力の差がかなりあったのかな?
帝国軍人だから悪という史観に潰されたお話だね。
ロシアはとにかく倒されても倒されても人が押し寄せてくるというか
そういう戦法。それでもナポレオンやヒットラーに勝ったのだからね。
発展できてないとの記事を見たのですが
軽電気ITいけないかなと おもたり。
ソ連が強かったのは重工業全振りの生産計画で、ナチスも日本陸軍も参考にするくらいの素晴らしさ
これが戦後になると生産物の多様さが求められるようになり、計画を立てていたアパラチキという官僚がついて行けなくなった
シベリア鉄道経由でユダヤ人を乗せた列車がソ満国境のオトポール駅(現ザバイカリスク駅)に到着すると、
日独防共協定を結んだばかりのドイツの意向により、入国を渋る満州国入管によって拒否された。
しかし当時関東軍パルピン特務機関長であったであった樋口李一郎少将の指示によりようやく認められた。
この事件は日独間の大きな外交問題となり、ドイツのリッベントロップ外相からの抗議文書が届いた。
また、陸軍内部でも樋口に対する批判が高まり、関東軍内部では樋口に対する処分を求める声が高まった。
そんな中、樋口は関東軍司令官植田謙吉大将に自らの考えを述べた手紙を送り、
司令部に出頭し関東軍総参謀長東条英機中将と面会した際には
「閣下はヒットラーのおさき棒を担いで弱い者苛めすることを正しいと思われますか」と発言したとされる。
この言葉に理解を示した東条英機は、樋口を不問とした。
東条の判断と、その決定を植田司令も支持したことから関東軍内部からの樋口に対する処分要求は下火になり、
独国からの再三にわたる抗議も、東条は「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴した。
日本の降伏直前、ソ連対日参戦が発生。樋口は1945年8月18日以降、占守島、南樺太におけるソ連侵攻軍への抗戦を指揮した。
そのため極東国際軍事裁判に際し、スターリンは当時軍人として札幌に在住していた樋口を「戦犯」に指名した。
世界ユダヤ人会議はいち早くこの動きを察知して、世界中のユダヤ人コミュニティーを動かし、
在欧米のユダヤ人金融家によるロビー活動も始まった。世界的な規模で樋口救済運動が展開された結果、
日本占領統治を主導していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のダグラス・マッカーサーは
ソ連からの引き渡し要求を拒否、樋口の身柄を保護した。
昭和45年タヒ去。82歳だった。
孫の樋口隆一明治学院大名誉教授は2018年6月15日にイスラエルのテルアビブ
Keren Kayemeth Lelsrael Jewish National Fund本部において「ヒグチ・ルート」で逃れた生存者カール・フリードマンの息子から
「季一郎氏のユダヤ人コミュニティーに対する前向きな姿勢がユダヤ人救出を可能にした」事により「ゴールデンブック」証書を授与されている
北海道でソ連軍侵攻を阻止したことだな。
北方領土はとられたけど、下手すると釧路あたりまで来られたかもしれん。
徴兵で徴用した一般国民を相手に威張り散らし、自身の功名心
と保身のために愚劣な作戦で国民を大量に犬タヒにさせた軍人は、
戦勝国でなく国民による裁判によって、今からでも子孫全員を
処刑して根絶やしにすべきなんだよね~
重電か軽電での生き残りの方もよろしく。
少なくとも南樺太は内地からの戦闘用航空機をふんだんに投入でき、南樺太の半分程度はタヒ守できていた
おかげで北海道をソビエトに奪われずにすんだ
つまりソ連政府は北海道を日本領土として残すと約束してる
終戦後のソ連軍への抵抗は全く無意味だった
その瞬間に降伏してたよね多分
そうなったらアメリカは原爆も使えず苦虫を噛み潰した顔になってたよな
もう亡くなられただろうなあ
立派な方だった
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1629975178/
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