太平洋戦争末期の沖縄戦を誰にでもわかりやすく教えてくれ
私も沖縄戦について詳しくないのでこれくらいしかわかりません。すみません。
4月1日の米軍上陸から6月下旬までの約3ヶ月間に渡って組織的戦闘が行われた。
正直太平洋戦争で一番の激戦と言っても過言ではない
米軍の総司令官は慎重派で奇抜な作戦は好まずひたすら正攻法で正面からゴリ押し。
対する日本軍も軍民一体となって抵抗、多くの民間人も看護や炊事雑用、前線への食糧、弾薬補給任務で軍の戦いを支えた。
最初の2ヶ月間は日本側は首里に司令部を構えて、首里北部の丘陵地帯、首里近辺の複郭陣地で米軍の猛攻を食い止め続けるが島自体が包囲されており援軍も補給も受けられない状態で少しずつ消耗。ついに米軍が首里の総司令部目前まで迫る。
ここで日本側はこのまま首里で玉砕し潔く散るか、それとも南部へ撤退し少しでも長く戦い続けるか決断を迫られる。最終的には島のさらに南部へ撤退し本土のために1日でも長く戦い続け時間を稼ぐ方針に決定。
これがいわゆる「南部撤退」と呼ばれるもので5月末日本軍は米軍の意表を突いてこっそり首里のさらに南部、島の南端へ撤退を開始する。
撤収作戦自体は全体的に見ればおおむね成功したもののやはり相当な混乱を伴うもので、民間人の非戦闘地域への誘導も間に合わず南部の地で多くの民間人が軍と共に戦闘に巻き込まれることになってしまう。
ちなみに民間人の犠牲者の大半はこの南部撤退時とそれ以後に発生したものと言われている。
当初の日本軍の作戦計画ではこの「南部撤退」は全く想定されていなかったため南部にはあらかじめ陣地をほとんど建設していなかった。(元々の計画では首里で玉砕する予定だった)
戦闘するために絶対必要な陣地や壕が存在しないため必然的に自然壕(洞窟)を戦闘に活用せざるを得ず、このために民間人との壕の奪い合いのような悲しい事態も発生してしまっている。
撤退してきた日本軍各部隊も既に首里での激戦により疲弊、ボロボロの状態。おまけにまともな陣地もない悲惨な状況であったがなんとかもう一度戦線を建て直しさらに2週間程度抵抗。
そして6月末、ついに力尽き戦線崩壊、司令部も玉砕しこれにて沖縄での組織的戦闘は終結する。
沖縄県人を騙した戦い。
本土決戦前提で敵に少しでもダメージを与える戦いだったのに内地人が自分の番になると怖がってやらず終戦。だったら玉砕とか特攻とかさせるな、ア○が!
引用元: http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1522924534/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません