中国の最新鋭国家運営システム「律令制」はなぜ日本で消滅したのか?
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朝鮮半島で勢力を伸ばした新羅は、唐と手を結んで百済を滅ぼしてしまいます。国を喪った百済の遺臣たちは日本に「百済復興」のための救援を求めてきました。日本にとっては唐も百済も友好国でしたが、このとき日本は百済の要請に応え、唐・新羅連合軍と戦うべく、大軍を朝鮮に派遣したのです。しかし結果は大敗。もちろん百済再興も泡と消えました。これが白村江の戦いです。
コテンパンにやられた日本は九州北部に防人を置くなどして唐や新羅の襲来に備えますが、百済を占領した唐の軍は、白村江の戦いから2年後の665年に、254人からなる使節を送り込んできました。どうやらこのときに一種の敗戦処理が行われたようです。当時の日本は、唐に攻め込まれることを本当に恐れていたのだと思います。簡単に攻め落とされないためには、国の統治体制を強化し、天皇中心の国に作り直さなければなりません。
そこで日本は、唐に倣って律令による中央集権制を確立することにします。これが日本で律令制が取り入れられた大きな要因でした。
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このように律令も都も唐にそっくり真似てつくられ、日本は律令国家として生まれ変わります。豪族による連合国家的色彩が強かった日本は、天皇を中心とする、官吏の優越性が高い国家体制を志向するようになりました。豪族による土地や人民の私有は廃止され、土地はすべて公地となり、班田収授法に基づいて公民に割り当てられ、その代わりに公民は税を納めることが求められるようになりました。土地や人民を取り上げられた豪族は、貴族として官職などが与えられました。
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要するに、中央集権を目指してはいましたが、それが地方の末端まで徹底されてはいなかったのです。これはおそらく、日本の土俗的な社会がまだ色濃く残っていたからだと思います。中国の律令制は、秦の統一から数えてもおよそ900年の歳月をかけて磨き上げられてきたシステムですが、それをほんの少し前まで豪族の連合政権的な性格を持っていた日本が輸入したのですから、社会の実情に合わないところがたくさんありました。そのため、日本に合うようにアレンジされたり、あるいは規定は存在しても実際には運用されなかったりしたものもあったのです。
また詳細は省きますが、日本が採用した官僚制の位階序列をもとにする官位相当制も、大和時代からあった氏姓制度の色彩を残したものになりました。後に、この律令制に基づく官僚社会の中で勢力を拡大していったのが藤原氏でした。
■ 崩れ行く公地公民
このように、天皇中心の中央集権体制を目指した日本の律令制ですが、実際には豪族の力は一定程度温存されていました。
律令制の重要な部分として、唐の均田制を手本にして定められた班田収授法がありました。これは、国から受給資格を認められた人民へ田が割り当てられ、人民はその田を耕作し、その一部を税として納めるというものです。このベースには、全ての土地は天皇のものという考えがありました。
しかし、班田収授法は次第に機能しなくなっていきます。田を捨てて流浪する農民が増加したこと、割り当てる田が不足してきたことなどが原因です。
田地を増やすためには、荒地などの開墾を進める必要がありました。そのために743年に墾田永年私財法が発されました。これは自ら開墾した田の私有を人民に認めるものです。これによって資金力がある寺社や中央貴族、地方の豪族が、農民や浮浪人を雇い入れて開墾を進め、大土地を所有するようになります。こうして次第に公地公民の原則が崩れていきます。そして、ここで寺社や貴族が手にした土地は、後に荘園とよばれるようになります。
このように律令制に基づく国家運営は徐々に姿を変えていきます。建前は天皇を中心とする中央集権制でしたが、その中で少しずつ貴族や寺社などが力をつけていくことになったのです。(続きはソース)
JBpress 7/4(日) 9:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210704-00065928-jbpressz-int
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210704-00065928-jbpressz-000-1-view.jpg
唐は666年から高句麗に侵攻してるんだから、
日本とは和解して背後を固めようとしただけでしょ。
水城や山城のような防衛施設も唐を恐れてというよりは国威を見せるためだろう。
モンゴル軍すら越えれなかった海の壁は大きいし、
それは大和朝廷も熟知してたでしょ。
日本人は法を守れないし守らない
資本家が浮浪人やとって田畑開発したんだから
結果として資本家も、くいっぱぐれも、万々歳だな
ブラック雇用だろうけど
犯罪者や餓タヒよりまし
藤原家が荘園作りまくって脱税しまくったから
綱紀粛正を徹底させて汚職公務員を徹底的に摘発した
>>2
ああ、中国は今でも律令制だよ
で、日本も律令制
律令制と封建制
細かい違いは大目にみてもらうと・・・早い話が中央集権と地方分権
江戸時代までは生産拠点が地方にあったんだ
主たる産業が農業だからね
で、地方分権だった。
これでは欧米列強に勝てない
工業化を図らねば。ってことで中央集権に切り替えた
これが明治維新さ
白村江の戦いで負けた
なっ!朝鮮を助けようとすると痛い目に合うんだ
当時は日本領ともいえるから致し方ないかもしれない
で、これを教訓に日本は朝鮮と関わらないと硬く決めたんだ
んで、明治に入るとまた朝鮮と関わり始めた
それが大東亜戦争の敗戦にまで繋がる
朝鮮は大陸国
それも近い隣国
これと関わると大陸の揉め事に引きずり込まれるんだ
地政学的な問題で朝鮮とは関わってはいけないんだな
古代からそんな変わってないぞ?
国造(地方分権)から中央集権になったって話。
土地の個人所有が許されてない、党と国家が所有しているという点ではそれを天皇、皇帝に置き換えれば完全に律令制だな
秦が法治主義にしようとしたら滅んじゃった国民性
日本は合議制の方が合ってたから。
律令制とは現代で言う社会主義に他ならない。
社会主義派は統制経済だから専制政治を布く必要上、一党独裁体制の国家が多いが、別に合議制でも社会主義経済は可能である。
従って、合議制云々は一切関係無い。
要は、日本は喩え形骸化した建前であっても「独裁者による専制を嫌う」傾向があるという事。
日本では古来、天皇は宗教的権威のみが与えられ認められてきたに過ぎず、実際の政治は各部族の合議制で行われて来た。
だから天皇を中華王朝の皇帝に見立てて政治的に強権を与え律令制のような専制政治を布いても、日本では馴染まずに上手くいかなかった。
田んぼを全て天皇の物にする事で
外から人が入るのを防ぐ事ができた。
中華は易姓革命だし日本は万世一系だけど統治は任せただから
宋の時代。
それ以前は、色々怪しい。
都の治安を維持することすらできないから令外の官の検非違使なんてのが出てくる
こうして公務員か徐々に力を付けていったのです。
帰れなかった人も居る。だから関東の豪族や武士たちは東国に自治独立国家としての鎌倉幕府を開いた。
GHQだな
その後、なんと新羅が朝鮮半島から唐を追い出したから、唐も日本から手を引かざるを得なくなった
これが幸いした
壬申の乱はこの流れの中で起こった
それは今の世の中に民主主義と社会主義という形で分かれている
中国の方が地方軍閥が強かったりしてアブねぇよ。
日本でだけ廃れたかのように書かれているが、長期的には現実的な制度じゃなかっただけだろ
いった訳だからそういう過程で律令なんて崩壊してるでしょ
中国の律令も荘園の台頭と節度使の登場による地方豪族の隆盛で
崩壊した訳だから
「急急如律令」とか陰陽師が叫ぶだろ
いかに律令の意味が失われたかが判るわ
>これはおそらく、日本の土俗的な社会がまだ色濃く残っていたからだと思います。
まだ交通網がそこまで発展してないよね
いや陸の交通網は江戸時代とそんなに変わらないよ
むしろ官道は江戸時代より立派ぐらいかも
豪族を10年20年では排除できないから
郡司を地方豪族に任せるしかなかったって意味かと
結局今もそのままで
知事や市長や村長を国が決める時代なんて日本には来なかったわけだし
戦前には知事は政府が任命してたよ
道路網は整備されたらしいよ、維持はできなかったみたいだが。
現代の高速道路も法面崩れて通行止めになったりする度に大変な労力で補修してるわけで…
百年くらいは維持されてたんじゃないの?
官僚腐敗やディープステートを構築してる
律令じゃないが
雄牛の去勢も日本は受け入れられなかったとか
それで牛が交通に使われなくなったそうだ
日本は生体を歪めることに拒否感が強いんだな
この辺は現代人に近い感性かもしれんわ
朝鮮半島然り、現代日本然り、下手に中央集権的な統治機構が成り立つ国だと地方が衰退する
その子に分け与える田んぼがない、開墾したらそこは自分のものになる
どんどん開墾して荘園になる、荘園同士が結婚などでつながって
もっと大規模に、あたり一帯、地方を手に収める
リアルシムシティ
これからも変わらんだろう。この150年ぐらい律令制的な統治をやってきたが、
それもぼちぼち崩れつつある。
律令制を本格的に構想するは、条坊制の都も先鞭をつけて持統天皇に引き継がせるは、
あらゆる点で日本の原型を作ったカリスマ天皇だわな。
おまえよりよっぽど信頼できそうな書き手だな
歴史をおさらいしているだけで新視点や解説ではなかった
内容は丁寧で読みやすかった
↑
そもそもこの考え方が現代で通用するのか?
国=国民が主権という合理的な考えを覆せるのか?
個が全ての権利を有するってことは合理的な理由が存在しないといけない
・人間を超越している
・全ての土地を買い占めている事実
・武力による統治
など
現代に律令制など持ち出すのはキ○ガイ以外の何者でもない
デメリットは存在するが、メリットは見当たらない
特に、氏族の利益を優先せず国の利益を考えろって現代でもできてる国が少ない
秀吉の太閤検地
でも科挙なんて導入しなくてよかったよ
あと宦官も
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1625669841/
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コメント一覧
中国も日本の荘園領主よろしく、毛沢東が土地の私有化を禁止するまでは
大土地所有の貴族や領主はたくさん居たんだけどね。
中央思想が強くて皇帝に従ってたから中央集権は機能したけど自立性が高ければ
日本と同じ封建制になってたと思うよ。