江戸時代の町飛脚って現代のマラソンにも通じるぐらいすごいよね
オリンピック余裕だね
>>1
4日コース
1日江戸から箱根97km
2日箱根・大井川114km
3日大井川・桑名180km
4日桑名・大阪159km
現代のダブルマラソン 男子6時間30分
行けそうじゃないか?
現代のマラソン選手と競争させてみたいところやね。
むろん非舗装の道で
検閲でもされたら命がないのに。そこいらへんどーなの?
藩士に走らせたりするよ。幕府は専属の飛脚置い
たりしてたらしい。
江戸時代に実際にあった騒動に基づく話なんだが。
町人が武士に内緒で手紙のやり取りをしている。
馬を駆使するのは武士に限られていた
町人を荷駄扱いにして騎乗させ、馬方が引いてゆくのは許された
騎乗できる名主はいないの?
戦さのためにお城の馬場で練習してる連中でないと
馬に乗っているのは指揮官クラスに限られる
まして平時に騎乗するなんてのは侍でも例外的だ
おまえらは無暗に馬に乗りたいなんて言うんじゃないぞ
歩行者用道路しか整備してないのが当たり前の時代
馬やバイクに騎乗されると危ない
トラックに当たる荷車でも原則禁止だからな
物流盛んな都会の江戸でようやく大八車が許可される
大坂だともうちょっと小さな「べか車」でないと駄目だった
そもそも誰が作り、どこで販売し、価格はどれくらいで、あるいは
使用に登録や許可が必要だったのかどうか、どういった連中が
荷車引きに従事し、あるいは専業者がいたのかどうか、よく
わからない。京都でも江戸初期にはすでに荷車引きがおり、
欠落の非人らがその業務に従事していたという話しがある。
ものと人の文化史の牛車の巻だったか
もともと車輪を作る技術は寺社が独占してたとか書いてたような
社殿の造営に定期的に必要だから。
貴族の牛車の車輪も寺社に作ってもらってて
中世の車借も寺社所有の荷車を借りて営業してたとか
江戸時代になって急速に荷車が普及するのは、
寺社権力の解体にともなって車輪の技術が民生に拡散したから
させていたという記述が板倉政要にありました
公許式だった可能性高いですね。
請求書に驚いた前島密が一生懸命安い郵便制度を作りました。
江戸ー大坂 飛脚便料金
並便(発送日付未定 出発後十日)‥‥‥ 三十文(約600円)
幸便(発送日付既定)
十日限(およそ九日で運ぶ) ‥‥‥ 六十文(1200円)
八日限(およそ七日で運ぶ) ‥‥‥ 銀一匁五分(3000円)
正六日限(まる五日で運ぶ) ‥‥‥ 金一朱(3万2000円)
仕立(チャーター便)
正六日限‥‥‥ 金三両(384,000円)
正五日限‥‥‥ 金三両二分(448,000円)
・
・
正三日限‥‥‥ 銀七百匁(140万円)
一遍上人絵伝だったと思いますが、コジキが住んでる小屋に車が付いているのを思い出しました
資産を持ってるのか
いざり車の一種で、箱車とか小屋車って言われてるやつだね
戦前くらいまで現役で使われてたらしい
高知県土佐郡地蔵寺村、筒井何某は大正十年脊髄病となり歩行不能となる
日頃信仰の御大師様にすがろうと、いざり車を作り、父親の介護を受けつつ西国巡拝の途に登る
一心に平癒を祈願せし所、漸次に痛みは和らぎ、両杖にて歩行するを得
喜びのあまり車を奉納します 大正十二年十月十七日
平等寺奉納のいざり車(車輪は取り外してある)
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/a0/026f60e72cc2d29895a1eae5d7b33cb5.jpg
捨てられたり燃やされたりしてしまうんだよな。
馬なんぞは荷物積んで馬方がチンカラチンカラ曳いてゆくくらいのもの
街道を馬が走ると危険
乗馬や荷車は交通事故の元として規制が厳しかった
浅野内匠頭刃傷切腹の御家一大事を国元へ知らせるのも早馬ではなくて早駕籠だった
江戸時代はそんなもの
引用元: http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1533736119/
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