【考古学】日本考古学史上最大の謎「土偶の正体」がついに解明
縄文時代に作られた土偶は、女性や妊婦をかたどったものだ、というのが多くの人の認識だろう。
「そうではない」という驚きの新説を提唱したのが、人類学者の竹倉史人氏だ。
では、土偶は何をかたどっているのか? その結論に至った過程と具体的な土偶の解読内容を前後編でお送りする。(JBpress)
ついに土偶の正体を解明しました。こういっても、多くの人は信じないだろう。
というのも、明治時代に土偶研究が始まって以来、このように主張する人は星の数ほどいたからだ。
そういう人たちの話を聞くと、「土偶は豊饒の象徴である妊娠女性を表しています、なぜなら……」、「土偶は目に見えない精霊の姿を表現していて……」、
「縄文人は芸術家です。人体をデフォルメしたのが土偶で……」といった「俺の土偶論」が展開される。
こうしたすべての「俺の土偶論」に共通して言えるのは、客観的な根拠がほとんど示されていないこと、話が抽象的すぎて土偶の具体的な造形から乖離(かいり)していること、
そしてその説がせいぜい数個の土偶にしか当てはまらないということである。
土偶研究は明治時代に始まり、そこから大正、昭和、平成、令和と、じつに130年以上の歳月が経過した。
それでも「何もわからない」ままであるから、アマチュアも入り乱れて「俺の土偶論」が侃々諤々、しまいには土偶=宇宙人説まで唱えられる始末――。
※略
結論から言おう。
土偶は縄文人の姿をかたどっているのでも、妊娠女性でも地母神でもない。〈植物〉の姿をかたどっているのである。
それもただの植物ではない。縄文人の生命を育んでいた主要な食用植物たちが土偶のモチーフに選ばれている。
ただしここで〈植物〉と表記しているのは、われわれ現代人が用いる「植物」という認知カテゴリーが、必ずしも縄文人たちのそれと一致しないからである。
私の土偶研究が明らかにした事実は、現在の通説とは正反対のものである。
すなわち、土偶の造形はデフォルメでも抽象的なものでもなく、きわめて具体的かつ写実性に富むものだったのである。
土偶の正体はまったく隠されておらず、常にわれわれの目の前にあったのだ。
ではなぜわれわれは一世紀以上、土偶の正体がわからなかったのか。
それは、ある一つの事実がわれわれを幻惑したからである。すなわち、それらの〈植物〉には手と足が付いていたのである。
じつはこれは、「植物の人体化(アンソロポモファイゼーション、anthropomorphization)と呼ばれるべき事象で、土偶に限らず、
古代に製作されたフィギュアを理解するうえで極めて重要な概念である。
※略
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しかし、あらためてここで実際の土偶を見て欲しい(図1)。
はたしてこれが女性の姿に見えるだろうか?
見えるかどうかという主観的な印象の次元以前に、頭部や四肢こそあれ、土偶の身体はそもそも人体の形態に類似していない。
つまり、土偶=女性像という説明は、われわれの直感に反するのみならず、物理的な事実にも反している。
※続きはソースで
画像(※後編記事より)
図3 オニグルミの殻の断面とハート形土偶の顔面(所蔵:東京国立博物館)
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図5 中空土偶(所蔵:函館市)とシバグリ。頭頂部にある突起や顎の下の曲線は、クリの果実を頭部に見立てることで氷解する
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図6 縄文のビーナス(所蔵:茅野市尖石縄文考古館)とトチノミ。眉弓の位置にあるカモメのような造形(カモメラインと命名)と、細い吊り目&鼻孔が特徴
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全く解明してなくてワロタ
ほんこれ
大体全部の土器の造形を一言で説明しようとすること自体がおかしい
確かにオニグルミ(和胡桃)の断面と顔の形状似てるなーとは思ってたわ
オニグルミはおっ似てると思ったが栗からあとは無理矢理すぎてワラタ
このスレで出てきた遮光器土偶=枝豆説は面白いと思った。
たしかに描かれているツルのような紋様はマメ科の植物っぽいなと。
ほな、斜行機土偶はなんの植物やねん
ただまあ、
遮光土偶と他の土偶とは、その精密さリアルさから、一線を画するからなあ。
遮光土偶の「目」は、エスキモーが使う「遮光器」で間違いないとしても、
人体部は、その厳イカめしさと模様から、「ヨロイ」と断定していいだろう。
つまり、遮光土偶は、いまだ氷河時代にあった日本北部での「氷上での戦い」に従事した「戦士」を現わしている。
そして、頭頂部の王冠じみたものから、その戦士のリーダーを示している。
この意味するところは、
当時の繁栄地「津軽」などを舞台にして、
オホーツクから北海道などに南下仕掛けたシベリア他民族との戦闘が頻繁に起きていた、まさに古代の「戦国時代」が現出していたのである。
エスキモー、イヌイット、とかで画像検索すると、防寒でたくさん着込んで丸っこい姿が出てくる
モンゴロイドは手足を短く進化することで寒さに耐えたので、体がほかの民族に比べて丸っこい
古代人はさらに小さかっただろう、あの丸い形はギャラ化の結果ではなく、写実に近いものではないかと思う
えーと
最初に長々と書いた他の論の弱点が
そのままブーメランで自分に突き刺さってますけど?
ってのは賛成。
厳密に書くと木の実や貝殻を数あるモチーフの
1つにしてたっての。
だけど木の実や貝殻の精霊を擬人化し祭事の時
の偶像としたってのには反対。
子供は本来ドングリ集めるのが大好き。
となりのトトロのメイちゃんも頼まれもしない
のに集めてた。あれは秋にリスが冬越しの為に
ドングリ備蓄するのと同じなのよ。
つまりは冬越し時に食べるのドングリクッキー
の食材集めってのは、縄文キッズ達にとって
の遊びであり仕事であり本能なのよ。
今のキッズにとって「読み書き算術スマフォ」
が必須教科なのと同様、縄文キッズにとっては
「狩猟採集土器作り」ってのが必須教科。
親が子に土器作りを教える時、まず人形作り
をさせた。キッズはキッズ達にとって身近に
して大好きな木の実や貝殻や母親のオッパイや
オシリをモチーフにしてそれを作った。
キッズ達は出来上がったそれで遊んだ。
オママゴトや狩猟ゴッコ。
人形には霊が宿るという迷信が強くあった。
破棄する時、そのままでは霊が悪霊化すると
いう迷信もあった。それを防ぐ為、人形の
一部を壊し霊性を無くしてから破棄した。
こんな感じだろ?
全縄文土器に残っている指紋、髪の毛、体毛
などを調べれば、何かが分かるかもね。
問題は、遮光器土偶。
各地であの目のモチーフが現れる。
それは何故か?
説得力ある。
まぁ上で誰かが書いてるがあまりにも冗長な
文章だがw
この人の主張は、
・木の実や貝殻の精霊を擬人化した祭事用の偶像
っての。
・木の実や貝殻をモチーフ
ってのには賛成。
・精霊を擬人化
・祭事用
とかはこの人の空想に過ぎないので賛否保留。
遮光器土偶を除いて総じて技巧が大した事ないのよ。
だから俺は子供の作品だと思う。
縄文キッズにとっては木の実の殻や貝殻は遊び道具
だったはずだし。
身近なそれらをモチーフにした人形。
たぶん批判一色のひとは元の文章読んでないよなw
もっと簡潔にまとまっていれば読む人も増えただろうに
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65038?page=4
ここから先の文を要約すると、
『世界中ほぼ全ての文明において見られる植物霊祭祀の痕跡がなぜか日本の縄文時代には見られないとされていたが
痕跡が無いのではなく土偶として目の前にあったけど今まで気づいてなかっただけ』
これだけでも大分印象が違うだろう
あって然るべきものが見つかっていなかったという前提を見せるだけで説得力はぐっと上がる
> 種子や果実の擬人化
実際の種子や果実をモチーフに豊穣の女神をデザインするって発想は現代でも自然だな。
初音ミクがヤマハのキーボードをモデルにしたみたいに。あれも現代の強大な偶像だし。
本当に解明なんて言っていいのか?!
つうか植物の特徴を持たせた妊婦像ってセンもあるだろ?!
単に従来説を否定するだけではねえ…
>>45
それはにわ
事実として日本は鳥獣きがや浮世絵からアニメまで
民族的にデフォルメ文化が盛んな印象があるが
源流はなんなんだろうね
源流というわけではないが、
偶像崇拝や図像を描くことを歴史上ほとんどタブー視しなかった
ってのは大きいと思う
キリスト教もイスラム教も絵姿とか図像表現には色々と規制してきた歴史があるからね。
人を2次元、3次元の作品化する時、デフォルメが
特徴的ってより、デフォルメがグローバル
スタンダードなのよ。
人を上手く作品するってのは結構困難なんだな。
写実主義(リアリズム)って方が例外なの。
2次元においてはルネサンスで放射遠近法と濃淡
遠近法が発明されて初めて可能になった。
近代主義っていう普遍主義とも合致した。
3次元においては古代ギリシャ古代ローマだけが
例外中の例外で写実主義的。
その後はルネサンスミケランジェロまで待たないと。
写実主義(リアリズム)ってのは近代主義の
普遍主義って精神と合致するの。
ローカルで民族的、土着的なデフォルメからの
解放だから。
日本は明治維新まで近代が無かったのよ。
ああ、むしろ写実主義に走った西洋が異端なのか
写実主義ってのは近代主義の普遍主義って精神と
合致する。デフォルメの仕方ってのはローカルな
民族的な民俗的な土着的な傾向がある。
写実主義ってのはそれからの解放だから。
各時代、各地、各民族に伝承されたデフォルメの
それぞれの傾向ってのが異端の群れ。
それが近代主義によって殲滅、一本化されたって
感じ。
ギガゾンビより不気味だったなアレ
みんな食品サンプル好きだもんなー
昔の人はあれを神が宿った!って喜んだ
でもそうそう現れるものではないから造形してみたんだよ
土偶が植物ならなぜ、こいつは擬人化しないんだよ?
https://i.imgur.com/Lzf7iO5.jpg
これはムック
https://i.imgur.com/6gxTpyM.jpg
二枚目は筍だな
ネコニキじゃなくて八頭身モナーのつり目バージョン
次文明の学者たちはどう理屈をつけるんだろう?
文献、資料からおおよそ正確に読み取る
断片的にSFとかファンタジーとかしか
残ってなかったらなんか勘違いされそう
古代宇宙飛行士説では土偶はグルート
歴史学における説は
史実という仮説は立てられても
事実の検証というか答え合わせはできないので
すべては仮説なのだよ
直接人間の女性像じゃなくても植物でもなんでも産み落とす母なるものを象徴しているのはありそう
縄文人は植物の育て方を分かってなかったからね、少しは分かったかもしれないけど
狩猟採取で歩き回って探してた
どういう仕組みで実が成るのか理解できないと、植物の母、神なるものを擬人化して祈ってた可能性はある
出かける時に集落の出入り口の門のところに置いておくのよ
帰ってきたら門のところに置いていたのを家に持ち帰るんだ
でな、日が暮れて門を閉める時に、誰が帰ってきてないのか一目でわかるようになってんの
縄文警備システムとかいうやつね あ、ここ、出るからね
書いてもいいけど、恥も一緒にかいちゃうよ?
それもあるかも。全部が全部同じ目的じゃないだろうし、時代も地域も様々。
オチで笑ったけど合理的だな
たけくら・ふみと 人類学者。
独立研究者として大学講師の他、講演や執筆活動などを行う。
武蔵野美術大学映像学科を中退後、東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。
2019年、東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程満期退学。
専門外過ぎて吹いた
まさに「俺の土偶論」そのものじゃねぇかw
>宗教史学科卒業
縄文期における宗教学的考察云々
埴輪は古墳上で使われた祭祀の道具である吉備の特殊器台が段々簡略化されて出来た物
初期はいわゆる円筒埴輪や朝顔形埴輪が作られた
時代が下ると古墳上で行われていた祭祀の状況や故人の持ち物や家を象る形象埴輪が出てきた流れ
発展の過程はかなりハッキリわかってる
土偶は主流な説はお守り
「全てがどこかが人為的に必ず破砕された形」で見つかるんで「ケガしたところ」とかを身代わりに壊してるんじゃないかと言われる事が多い
埴輪も土偶の一種。
用途もほぼ同じという説が濃厚。
縄文土偶→身代わり人形
弥生土偶→身代わり人形(埴輪への過渡期)
埴輪→身代わり人形(殉タヒの身代わり)
尚、岩偶や骨偶など先土器時代から、身代わり人形は有った。
そして現代、生身の女性が苦手な殿方に人気なのが等身大の女型人形。
これも女性の身代わりとして手に入れる人が多い。
土偶はモビルスーツだぞ
https://takekura.tokyo/wp-content/uploads/FB_IMG_1618290575679.jpg
木の実が6個
もう一つあれば木の実ナナは神になる
当時は印刷物なんかないんだから、典型的な顔の表現なんてものも存在しなかった。
今ならどんな小さい子でも、目と口と鼻を描いて顔を表現するが
当時は作ったものによってとらえ方も表現もバラバラ
そう言うことなんじゃないの?
アラハバキがアキハバラの神に見えた。
農村社会という同調圧力の始まり
余計なものは淘汰
今と同じじゃない?
我田引水という言葉も残っているように、農業は共同作業ではないとの説もある。
https://i.imgur.com/DllZehW.jpg
現代の日本人の体形で考えるからいけないんじゃないかな
アフリカから渡ってきたそのままの姿とするとコイコイ人の体系と似てる
といいつつ自分は全然詳しくないんだけどねw
結論から言おう。
※略
※続きはソースで
( ゚д゚)ポカーン
「我こそが古代の謎を解き明かした偉大な賢者なるぞ!」
みたいな珍妙な門外漢が毎度湧いて出てくるからな
ハイハイいつものって感じ
別に考古学に限らないぞ
かなり昔に流行った写楽の正体は~なんてのは
まさにこういう連中ホイホイだった
遊びにしては独特過ぎるし力が入り過ぎている。
で、それと埴輪のデザインの緩さと考え合わせると、
デザイン性の高さの差は霊的な強さの差を反映してるんじゃないかと思った。
つまり、デザイン性の高い土偶は神や精霊で、
デザイン性の低い埴輪は人間などの霊やもののけ姫のコダマのような弱い精霊。
DQNの改造車とか改造バイクとか何処で勉強してきたんだかしらんがレベル高いで。
かっこいいとかかわいいとかエ○いとかの情熱がバ○テクハンドメイドを誕生させる。
>>346
それは現代では神とか霊とかの意味が薄れて
関心の対象が全く変わってるから。
古代以降の仏像だって魂を込めたものが沢山あるけど
それと同等の遊びのものなんてまずないでしょ。
https://i.imgur.com/wzoHHnM.jpg
https://i.imgur.com/BTGVyQ3.jpg
となりのトトロのメイちゃんも必タヒにドングリ集めてた。
秋にリスがドングリ備蓄するのと同じ、本能なのよ。
縄文時代には冬越しに備えてドングリ集めんのは
子供の役割であり本能だったんだよ。
大人が囲炉裏のそばで粘土をコネて縄文土器を作ってる。
子供は余った粘土をもらい、人形を作る。
子供にとって身近な木の実をモチーフにして。
人形には霊が宿ってしまう。
廃棄する時には一部を壊し、霊が悪霊にならない様に
霊性を消してから廃棄する。
とかじゃね?
中には小便が入れられる中空構造の便利なのもあったのじゃ
130年かけて何も分からなかった学会に何を期待するんだよ
しかも造形がカワイイのよ
フフw とか言いながら
コネコネしてた古代の人の思いが伝わって来るのがステキ
https://i.imgur.com/6U4MuGz.jpg
でも遮光器土偶は 結局アレは何なんだ?
霊力を宿すとされる眼を強調したデザインであることは確実
問題は見開いた眼ではなくて、細めた、あるいは瞑った形で表すこと
宗教上極めて重要な意味があるんだろうけど、正確なところは作った人に尋ねるしか無いなw
つちだま?
目からビーム撃ちそう
ソースの4ページ目から先に書いてある
過去の事象が明らかになればなるほど、現在の精神世界は豊かになるじゃないか
動物と同じ快楽を幾ら追い求めても、生活が「良くなる」ことは無いよ
女性と言い切るには人間の女性ではないのでは?と思うけど
植物にも見えない
なんで植物に四肢みたいなのがあるんだと
根菜に偶にあるこの手の奴か?
https://pbs.twimg.com/media/Dd2uksZUQAAykta.jpg
確かにあるけどwそんなん特殊で滅多にない植物だけを形にするというのもw
古代宇宙飛行士説動画ばっか見ているから、どうしてもそっち系に見えてまう
数千年以上昔の豪雪地帯の食糧事情では背丈もかなり小さかったのではないかと
遮光器土偶に似てると思うんだが
ブラック・ジャックで出てきた奴に似てると思った
本物は見たことないけど
「今日の山菜採りでは採れますように」と祈ってた可能性はあるな、子供のおもちゃでもいいけど
飢饉になれば、必タヒに祈ったはずだ、その文化は、分類すると精霊信仰なんだろう
そして弥生人が来て稲など植物を栽培する方法が分かると、次は太陽の動きが重要になって
日照時間や季節、太陽と植物の因果関係が分かり始めて、太陽信仰になっていくわけだね
縄文人てどんぐりとか拾ってたレベルやぞ?
植物なんかほとんど知らん
農業というほどではないにしても
食える植物、美味い植物を集落の周りに撒いて栽培してたみたいではある
https://www.obayashi.co.jp/kikan_obayashi/detail/kikan_59_harada.html
近年では土器に残された圧痕の分析から、アズキやダイズなどの豆類のほかアワ・キピなどの穀類が、
すでに縄文時代に盛んに栽培されていたことや、岡山県などの一部ではイネ(陸稲)が栽培されていたことも知られている。
ガイゾックの旗艦要塞バンドックがモデルだろ
小学生の頃から知ってらぁ
http://zambot3.net/mecha09.html
https://discoverjapan-web.com/wp-content/uploads/2020/10/25a4eecaf878263ab9c1d7ec2bb1cf16.jpg
女性にも見えないし
出身|千葉県佐倉市 江原台遺跡
身長|119㎜
時代|縄文時代後期
これは肩の穴がポイント
おそらくここに木の枝とか骨やらを加工したものを刺して肩パッドにして遊んでいた
中国人のO2が 多数派
次に多いのがO1b2 L682
このざっくり大まかに弥生系といわれるO1b2に関しても、
日本と韓国では全く違う! ←ココ重要 !!!!!
韓国では水稲文化と関係がないO1b2のタイプの L682
(旧 XO-47z)が35%で、対照的に日本ではたった8%
日本では水稲遺伝子と言われるO1b2a1a
旧47z (O-47zが多くで日本で30%もある
これは韓国には少なくて、だから朝鮮半島には水稲が少ない
未だにBC500年より以前の水田祉が出ない状況と合致!
次いで朝鮮半島では≪エベンキのC2≫ ←ココ重要 !!!!!!!
で構成されている
日本は〔D1b縄文遺伝子〕が多数派 ←ココ重要 !!!!!!!
(これが朝鮮半島や中国東北部と、日本人との決定的な違い)
次に多いのがO1b2の中でも水稲耕作遺伝子のO1b2a1a
次が中国人のO2
★エベンキのC2は日本ではごく僅かしか発見されない ←ココ重要 !!!!!
(これが朝鮮半島や中国東北部と、 日本列島人との決定的な違い)
たんに人形作りがブームで、用途は土地によって様々だった可能性は?
規律というか、少なくとも一定の(宗教的)目的のために製作されたことは確かだ
大量の土偶を単なる手遊びで作るほど、縄文人は暇じゃない
奇妙なのは、殆どの土偶が故意に一部を破壊され、欠損していること
最初から壊すことを目的にした、彼らにとって重要な「物」だったのだろう
土偶自体が神だったのか、依代だったのか、単なる儀式の道具だったのかは、当時の宗教観が明らかにならない以上、不明というしか無い
引用元: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1619392017/
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