アフリカ出身の侍・弥七、戦国時代の数奇な人生がハリウッド映画に
今から500年近く前、1人の背の高いアフリカ人男性が日本に到着した。彼はその後、武士の地位を手に入れた最初の外国人となる。その数奇な人生が、複数のハリウッド映画の題材になろうとしている。
弥助として知られるこのアフリカ人男性は、16世紀に日本統一を進めた最初の大名、織田信長の家臣となった。
歴史学者のローレンス・ウィンクラー氏によると、弥助は1579年に当時の首都だった京都に到着。彼を一目見ようと大勢が互いの上によじのぼる騒ぎで、中には押しつぶされてタヒぬ人もいたという。
来日から1年もしない内に、弥助は侍としての身分を手に入れた。間もなく弥助は日本語を自在に操り、信長のお供として戦場に出るようになった。
徳川家康の家臣だった松平家忠は1579年の日記に、弥助を目にした際のことを記している。それには、「肌は墨のようで、身長は6尺2分(約182センチ)」と書かれている。
1900年の日本人男性の平均身長は157.9センチだった。16世紀ともなれば、栄養状態が悪い日本人の身長はさらに低かったはずで、弥助はほとんどの人を見下ろしていたに違いない。
士分取り立て
弥助の誕生日や出生地については記録が残っていない。多くの歴史家がモザンビーク出身ではないかとみているが、エチオピアやナイジェリアから来たという説もある。
分かっているのは、弥助はイエズス会のイタリア人宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの視察旅行に同行して日本を訪れたことと、1579~1582年の間しか史料上の記録がないことだ。
一部の研究者は、弥助が奴隷だったのではないかとみているが、確証はない。
弥助のドキュメンタリー映画を製作しているフロイド・ウェブ氏とデボラ・ディスノー氏は、弥助が奴隷だったというのは憶測に過ぎないとみている。
ディスノー氏は、「戦士としての経験がなければ、たった1年で侍に上り詰めることは難しいはずだ」と語る。
武士階級に生まれた者は通常、子どもの頃から訓練を積まされるからだ。
戦国大名との友情
ウェブ氏とディスノー氏によると、弥助は日本に到着した直後に織田信長と出会った。信長は、弥助の巧みな話術に興味を引かれたのだろうという。
弥助についての著書がある研究者のトマス・ロックリー氏は、弥助は当時すでに日本語を少し喋れるようになっており、信長とは馬が合ったようだと説明する。
ロックリー氏によると、弥助は訪日前にアフリカやインドで生活した経験があり、こうした地域の話を信長に聞かせて楽しませたのだという。
また、日本語が話せたなら、その分だけ周囲の覚えもめでたかったはずだとウェブ氏は指摘する。
「イエズス会の宣教師たちは、日本人の魂に宗教を持ち込もうとした。しかし、弥助にそういう目的はなかった」
また、信長は初対面の際、甥(おい)を通じて弥助に褒賞を与えたという記録も残っている。
コートジヴォワール系のフランス人作家セルジュ・ビレ氏は、弥助の数奇な立身出世物語に興味を持って、弥助について本を発表している。
BBCの取材でビレ氏は、「弥助にまつわる謎が、私をひきつけた」と語った。
日本の大名の信長とアフリカ人侍の弥助の間には、多くの共通点があったとビレ氏は言う。
信長は武術を好み、自分でも練習を怠らなかった。エキセントリックな人物としても知られ、西洋の衣服を身にまとい、高い規律を身につけた教養人を側に置きたがっていた。
(中略)
米エンターテインメント誌「ヴァラエティ」は昨年5月、映画「ブラックパンサー」に主演したチャドウィック・ボーズマン氏が弥助を演じる予定だと報じた。
ハリウッドでは現在、弥助の物語の映画化が2つ、進行している。制作スタジオのライオンズゲートは2017年、黒人の侍についての映画を製作中だと発表した。
500年近くたった今も、弥助の数奇な人生は大勢をひきつけているのだ。
2020年01月20日
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-50315332
※前スレ
ー【歴史】アフリカ出身の侍がいた 戦国時代の数奇な人生、ハリウッド映画へ★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1579577021/
>>1
なんで奴隷なのにそれを否定したがるのかな
当時は農民が歩兵として徴用されてたんだから戦時経験不要なのは、ちょっと調べれば判ることだし
また適当とんでも日本にするつもりかね
白人が黒人奴隷つれてきて、それを解放して家来にしたのが信長と言うのが、ハリウッド的にタブーなのかね?
江戸時代にも西洋人の船に中国人奴隷がいるのが見つかって、日本で解放させたこともあるのにな
宣教師の奴隷ってのが不味いんじゃない?
キリスト教徒が奴隷貿易してたってね
ボビーオロゴンの声で信長に「お前、他所の国行ったことねえのかよ?」とか話してたんじゃないかと
想像してしまう。
まあ、奴隷だったんだろうな、99.9パー
夢を壊して悪いが。
奴隷=部下、他人の部下を貰い受けたんだろ。
もしくはウフ様に献上した奴隷を当のウフ様が奴隷扱いしなかったという。
で、解放したのは日本人だという。
冷静に考えたらそれしか無かろう。
弥助知らんの?
夢がどうこう以前に普通に皆奴隷として付き添ってきたって知ってるわ
森蘭丸と同格の近侍の
士分で邸宅と中元奴まで
付いてるんだぞ!
信長に献上された奴隷やで。
宣教師付きの奴隷。
モザンビーク出身。
>>1
>一部の研究者は、弥助が奴隷だったのではないかとみているが、確証はない。
弥助のドキュメンタリー映画を製作しているフロイド・ウェブ氏とデボラ・ディスノー氏は、弥助が奴隷だったというのは憶測に過ぎないとみている。
あの時代の欧州の黒人なんて奴隷以外に何が在るのかと
護衛だったとしても現地で使い捨ての奴隷戦士に決まって
いるやんwwwそれこそ記録にさえ残っていない、残す
必要の無い身分なんだから
>>396
信長に仕えていた時の身分についての論争じゃないのそれ?
奴隷扱いだったか、立派な士分扱いだったかの
それ以前は奴隷で争う余地はない
夜間はいいけど昼間は目立って仕方ないな
>>戦士としての経験がなければ、たった1年で侍に上り詰めることは難しいはずだ
羽柴秀吉
あんたが刀狩りしなきゃならないくらいには百姓も武装してましたぜ
「武士に必要なのはまず読み書きで次が計算、弓はその次な」
戦国時代と江戸時代ゴッチャにしてるだろw
尼子家臣の家訓
一応文官だが毛利と戦って戦タヒした程度には武闘派
戦国の時代劇には、たまに出てくるだろ。
日本では、結構知られた存在では?
なんか違和感があるな・・・
その中に藤堂高虎とか千利休とかいたらスンゲー目立つなw
信長タヒんでから行方不明だったよな
アイルビーバック
ハリウッドじゃ、人種平等とかLGBTが盛んに叫ばれてるから、黒人の自尊心を高める意図もあって
史実以上の身分 秀吉クラスの一軍団を率いる大将
として戦場で大活躍させるんだろうな
採算的にも黒人が主人公のブラックパンサーが
大ヒットしたし、イケると判断したんだろ。
つまんね
薙刀か蜻蛉切りで無双する感じかな
尺持たすために弥助が四国を切り取るくらいの壮大な茶番劇として描かれるんだろ
明らかに過剰な持ち上げをした寒いできになりそう
ブラックパンサーが戦国時代にタイムスリップして
無双するという。
異世界転生なろう小説みたいなのもありか?
光秀はそいつは我々とは違う生き物だからと逃がしたらしい
今だと人権団体が黙ってないな
ヤン・ヨーステン「俺は?」
取り敢えず渡辺謙が呼ばれんのかな
天下は朝倉殿に
戦争弱かった理由の一つに略奪を禁じてたってのがあるんだよな
当時の兵士は乱取りでの稼ぎを目的にしてる所があったからそりゃ士気も下がる
下手したらこいつが日本に文明を伝えてやったみたいな展開希望w
「信長タヒ後、弥助は徳川家康に改名し日本を統治した」という衝撃トンデモ展開希望。
弥助を高く評価していて信頼してた様だ。
信長の近習として帯刀許されてるんだから
広い意味でサムライでいいじゃん
俸禄とかこまけーこたーいいんだよ
弥助が奴隷じゃなかった説なんて初めて聞いたわw。そのうち中世ヨーロッパに黒人の貴族
とかでてきそうな勢いで笑うw。ポリコレに配慮しすぎて歴史がおかしくなってるぞ
ただ、サムライだったのは事実だと思う。身分がそれなりでないと信長の従者にはなれないから
。つまり、高貴な人にも会えるように、従者になれるようにサムライにした。
>そのうち中世ヨーロッパに黒人の貴族
普通に欧州に貿易にきてたぞ
アフリカの貴族(部族長の子弟)がな
>>99
>弥助のドキュメンタリー映画を製作しているフロイド・ウェブ氏とデボラ・ディスノー氏は、弥助が奴隷だったというのは憶測に過ぎないとみている。
これは信長に仕えていた時の身分についてのことを言ってるんだろ
それ以前は奴隷身分だったのは争う余地がない
「宣教師に連れられた黒人」って時点で世界中の誰もが奴隷だったって察するだろw
みたいな映画にするんでしよ
マット・デイモンあたりを使って
>>101
ラストサムライでもうやっただろ
時代設定は明治時代だったけど
鎧がカッコいいから出したいって理由で、トムクルーズが所属する、渡辺謙の反政府軍は戦国時代の武士みたいに甲冑で身を固めていたけどな。
まぁ神風連の乱だっけか?懐古調で鎧兜で身を固めた
不兵士族の反乱もあるにはあった。
切腹した信長の首を持って逃げたのが、この人だって。
信長から「光秀に首を渡すな」って言われたとか。
まあ、本当かは知らんけど。
沖田畷の戦いかと
そこまで行ったらもう遠慮いらんだろ
相棒はビキニアーマーの女侍にしようぜw
海外進出のビジョンを得るんだったっけ
wikiによると
天正10年6月2日(1582年6月21日)の本能寺の変の際には弥助も本能寺に宿泊しており、
明智光秀の襲撃に遭遇すると、二条新御所に行って異変を知らせ、
信長の後継者の織田信忠を守るため明智軍と戦った末に投降して捕縛された。
『イエズス会日本年報』によると、「ビジタドール(巡察師)が信長に贈った黒奴が、
信長のタヒ後世子の邸に赴き、相当長い間戦ってゐたところ、明智の家臣が彼に近づいて、
恐るることなくその刀を差出せと言ったのでこれを渡した」という。
家臣にどう処分するか聞かれた光秀は「黒奴は動物で何も知らず、
また日本人でもない故、これを○さず」として処刑せず、
「インドのパードレの聖堂に置け」と言ったので、南蛮寺に送られることになって、
一命を取り留めた
これがラストか
どうせまた中国とごっちゃなんだろ
いっそコメディ映画にしてくれw
武功話も聞かないのに無双しまくるのも確定だな
>>141
黒人は知らんけど
当時のヨーロッパ人も大して背は高くない
栄養状態の差もあるのかもしれんけど
フランス革命時の庶民と貴族の身長差は
10㎝近くあったそうな。
宣教師のルイス・フロイスは“背は高く、痩せていて、髭が少ない”と書き残している。
信長の背を高いとしているのは、当時の平均身長は157㎝程度だったからである。
亡骸から伊達政宗が156cmだっけか。山県昌景が小男で140cm台だとどっかで読んだ。
黒人の抱えて居るコンプレックスをモロに反映して
ヒーロー感マシマシの地雷映画になりそうな臭いを当初からさせているんだよなあ
説はどれくらいの可能性あるの?
目つきが異常に鋭い上に怒らせると○す事も珍しくなかったために
家来はもちろん宣教師も信長と会うときはビビりながら会っていた
しかも頭もよく、地球が丸いという話を家来たちより早く理解した
>弥助は当時すでに日本語を少し喋れるようになっており、信長とは馬が合ったようだ
信長と差しで話したのか、すごいね
当時の日本語ってめちゃ難しいだろ
ござりまするとか、たてまつり候とか
信長だから、言葉遣いによっては切り捨てられるぞ
>信長だから、言葉遣いによっては切り捨てられるぞ
鬼武蔵の無茶ぶりを笑って許す様な気に入った人間には甘い人ですから
尾張弁が話せたとは凄いw
みゃーみゃー
特殊合金の鎧とか、レーザーサーベルとかウェルカムだ
しかし日本史上
信長ってホント突然変異だわ
もしかして現代人が転生したか?「転生したら尾張のうつけだった件」
昔でてたよ
竹中直人の秀吉とか
「黒人の侍」の設定じたい大ヒット設定なんだから
あとは好き勝手に物語展開していいと思うよ
監督と脚本家しだいでいくらでも大ヒットの予感
まあそれでいいと思うわ
沢山の人に観てもらえるのが一番大事
好きな人はそこからいくらでも調べるでしょ
日本人より詳しい人が出てくるかもしれんw
ある老婆が決タヒの覚悟で信長に「土地を取られてしまいました」と訴えた。
周りは老婆が○されると思ったが信長は家来に「本当か調べろ」と答え、
本当と分かると取った奴をすぐに斬り○した
信長ってフェミニストだから
結構女性に甘い資料残ってる
筆まめで家臣の妻にもたくさん手紙を書いてるんだよな
おねが秀吉の浮気を訴えた時の返信がユーモアたっぷりで有名だね
信長の書状は言うほど残ってないぞ写しも含めて1500通弱
圧倒的に多いのは秀吉7000通と伊達政宗で5000通で群を抜いてる
特に政宗は筆まめで自筆の書状が1000通くらい現存してて日本一の量だな
黒人は現実離れのマッチョだし
最近はヒスパニックとかアジア人が出てきて 興ざめやわ
昔のハリウッド映画のほうがおもろい
白人社会の中で自分の力では打開できない黒人の悲壮感が感じられて
こういうテーマが好きな人はブラックスプロイテーション系の映画がおすすめ
あるかもしれんねえ
あと、なんかの映画で意味もなく 車椅子の通行人を見たことがある
今でなく昔から
一定の割合で黒人俳優を出さないといけない
アファーマティブアクションってやつ
戦国海兵隊かw
>>207
知っていても 黒人さんを(史実以上だとしても)持ち上げることは 人種融和・平等が叫ばれる
この世において、善行になるって打算も働いてるんじゃないの。
この手の白人は、自分らがかって、黒人を過酷に扱っていた罪滅ぼし的な意味もあって、過剰に持ち上げて、黒人の自尊心の回復を計っている俺立派みたいな意識もあるかも知んない。
熱田神宮に莫大な寄進したり
意外と神仏を大事にする一面もあるんだよね
>>240
織田家は神主系だから
神社には敬意はらってるんやで
奈良の鹿も、信長いなかったら
居なくなってたかもしれないし
ただ、仏教は敵対してることが多い
>>254
賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの
比叡山の焼き討ちは寧ろ心の中で喝采を送っている人も多かったろう
九州の沖田畷の戦いで、龍造寺側に大筒を使う黒人武将がいたと言う記録があるんだよな
なんか夢が広がる
裏切る心配のない捨て子で構成されてたとか聞くが
そして今度はそれに参加した近隣のお年寄りが信長のいる清洲に踊りの返礼にやって来ると、
お年寄りを身近に呼び寄せて「似合ってるねぇ」「面白いねぇ」と気さくに会話をして、
うちわであおいでやったり、「お茶でも飲んでよ」とお茶をすすめたりしました。
お年寄りはみんな感動して泣いたそうです。
やはり信長は人情味ある男だったんだな
・美濃と近江の国境にある道のほとりで、身体に障害のある乞食が雨にうたれていました。
信長は京に往復する度この乞食を見てとても哀れに思い、「乞食は住む所を決めずにさすらうものだけれど、なぜこの者はいつもここにいるのか?」
と町の人に尋ねます。すると「昔、山中の宿で常磐御前(義経の母)を○しました。その報いで、○した者の子孫は代々身体に障害を持って生まれ、
あのように乞食をしています。私たちが『山中の猿』と呼んでいるのは、こいつの事です」と答えました。
そして後日、信長が急遽京に上ることになった時のこと。その多忙の中にあってあの乞食のことを思い出し、
木綿二十反を自ら用意して、家来に持たせます。
山中で馬を止めると、町の者を全員呼び出し、皆戦々恐々としていると、
持参した木綿二十反を町民に預け「この木綿の半分を費用に充てて近所に小屋を作り、この者を住まわせて、飢えタヒにしないように面倒を見てやりなさい」
と言いつけました。さらに「近隣の村の者たちは、麦の収獲があったら麦を一度、秋の収穫後には米を一度、年に二度ずつ、負担にならない程度に少しずつこの者に与えてくれれば、
信長はうれしく思う!」と言い添えたとのこと。
姫路城での撮影を終えて書写山円教寺での撮影にはいっているそうだ
>>256
姫路城か・・・
暴れん坊将軍レベルの時代考証だな
ハリウッド映画やぞ
時代考証なんかどうでもいいだろw
そーいや江戸城のシーンは姫路城で撮ってたんだっけな
そんなもんだろ
安土城残ってないんだし、アラジンだって中東やインド文化がごちゃ混ぜなんだしw
姫路城って かって007の撮影で一部遺構が傷つけられて撮影条件が厳しくなったって聞いてだけどな
安土城は今からでも再建して欲しい
もちろん木造でな
まあその気になれば今の時代、CGでいくらでも上書き出来るw
衣装と鎧兜だけはちゃんとしてほしいな
白人てのは黒人や黄色人種に対する大きなくくりだよ
イタリアスペインが入らんわけないだろう
大航海時代始めたのはこいつらだし
世界を二つに分けて支配したのもこの二国
トルデシリャス条約ね
信長の館には1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(5・6階)が展示されています。
内部には当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根など
絢燗豪華な安土城がここに復元されています
これ使って撮影してほしい
>>295
安土城天主6層めにバテレンの絵、 大天使ミカエルの肖像が描かれていた …
安土城天主6層めにバテレンの絵、 旧約聖書に登場する大天使ミカエルの肖像が描かれていた、
その資料とは、安土城の天主閣を設計、施工した当人、
尾張の大工棟梁・岡部又右衛門以言(これとき)が書き残した『安土御城御普請覚え書』である。
ただし戦シーンの迫力は認める
>>296
あれガチでやったら
小人がポニーにまたがって突進してくるんやで
白人からみたら滑稽すぎる
当時の馬はポニーサイズが平均だ
ヨーロッパの馬も多少大きいだけで
デブの短足体系 それが世界的な馬の標準
サラブレットなんて人口馬は影も形もないわ
モンゴル人もポニーサイズの騎兵隊でユーラシア大陸を席巻したよ
焼けて移転しただけだ。それまで守護領の中島郡が尾張の政治の中心。
着眼点は悪く無いんだけどなぁ…
>>319
それは良いだろ
黒人がカッコ良く描かれればOK
あんまりサムライを持ち上げられるのもなんだし
利家も180台だし
秀頼も190ぐらいあったから大きめではあるが、
体格ではさほど珍しくない。
人々が驚愕したのは肌の色。
その辺を学者のコメントでも曖昧にしてるが
今のハリウッドで扱えるか?
弥助のナニ見て美女が一言
すごい…エレクチオン
なんか奴隷じゃ無かったことにしたい雰囲気だけど
奴隷にされてたけど優秀な人物だったんじゃないの?
奴隷じゃなくて船員だったとか諸説ある
ただそこらの外人と違って頭が良かったから日本語すぐ覚えて重宝された
黒人奴隷って黒人同士の争いで負けて売られた捕虜とかも含まれるだろうし戦闘経験有っても不思議ではないよな
織田信長→渡辺謙
明智光秀→浅野忠信
豊臣秀吉→イッセー尾形
ハリウッド配役ならこんなとこかなと予想w
弥助はケンブリッジ飛鳥が最適。
たまにはオコエくんのことも
思い出してあげて下さい、、、orz
弥助とは史実を無視してポリコレの犠牲になった?
いやそれにより救われた人物なのか
弥助を史実以上の英雄に描く事は
制作する白人の罪滅ぼし?
黒人の歴史的なヒーローに対する渇望と自尊心回復の手段?
なんか色々ふに落ちない。
信長は「家柄」より「能力重視」、神・仏を信じぬ合理主義者
そして新しいもの、珍しいものが好きだった
弥助を白人の奴隷から解放して、士族の身分を与えたのが信長だろう
この辺りをちゃんと描いてくれるか?
白人の脚本・監督なら無理だろうw
部下に下賜されて子供もできたはず
最近の史劇映画に出てくる黒人さんは
奴隷どころか対等は当たり前で、主人公を導く師匠的な役も少なくない
史実よりポリコレなんだな
弥助もこの流れになるのか
せいぜい歴代の大統領
卑屈なアメリカ人が信長を良く描くわけがない
>ディスノー氏は、「戦士としての経験がなければ、たった1年で侍に上り詰めることは難しいはずだ」と語る。
秀吉は農民で部下は盗賊だったんだが
王道だからな。ドラマだから世界どこでもエンタメ重視になるのは普通。
実際の史実は味気なくてつまらんことが多いからね。正史三国志だよ
奴隷で連れてきてるかもね
他のアジアンとか、非白人のフランス人とかw
16世紀なんて奴隷売買が普通だろ?
日本人を奴隷として売ったから禁教にされたわけではないよ
秀吉さんのそれは日本から追い出すための難癖のひとつにすぎない
はあ?
史料に残ってるんだが?
独裁者秀吉にとって外国人が自国の民を売るなんて許容できるわけないだろう?
日本人が当時50万人くらい海外に売られてるんだぞ
戦のあと、奴隷狩りするのを禁止したにもかかわらず、一向に下級兵士の間は収まる気配がなかったとされている
そのため、国外への供給ルートを断つという判断を下したとされる。最悪国内だけの売買なら人口は減らないからね。
それに東アジアでは欧州各国の商船は互いに略奪合戦してるような間柄でもあった。
ポルトガル人以外の外人からポルトガルが来た後は植民地にされるとか悪いうわさも耳打ちされてたろうし
国内の奴隷売買に関しても秀吉は対抗措置を取ってるよ
例えば島津が大友領に攻め込んで乱取りした大友領内の奴隷を島津は肥後で売り捌いた
それを知った秀吉は肥後領主の加藤清正と小西行長に精査の上奴隷を大友領に返すように
そして逆に大友領内にいる肥後の者は肥後に返すよう命じた朱印状が現存してる
国内ですら断固とした処置をしてるのに>>477が言うように単なる難癖の一つだけなんてことがあるわけがない
その50万人説って論拠があやふやで海外に売られた日本人はいたけど数千~数万の間で正確な数字はよくわからないよ
そもそも戦国~安土桃山時代に日本に来航してきた外国船で50万人なんてとんでもない数運べるわけないし
バ○に何を言っても無駄
アメリカ開拓時代しか思い浮かばないw
5ちゃんは映画「沈黙」を見てる人が少ないよね
日本の小説の映画化で日本が舞台で、たくさんの日本人俳優が出演したというのに
キリシタンたちは戦国時代が終わって秀吉の時代になっても調子こいて人身売買やってたから秀吉の怒りをかったんでしょ?
一時期大阪城内がキリシタンだらけになって
情報が海外にまで筒抜けになっていたとか知らんでしょ
奴隷に関しては宣教師たちも奴隷売買を禁止するよう求めたり
買い戻したりもしてたのよ
そこに行かずに遠い妙覚寺の信忠の元に駆けつけるあたりに何か秘密があるなあ。
普通に考えると、奴隷扱いに戻るのが嫌だったか、信長の恩を感じて敵討ちに参加したか、だな
ロシアで貴族になったアフリカ人の話を映画にしたら?
今もその末裔がいるよね
すっかり容姿は白人になったけど
弥助はアフリカのある部族の王族で戦士、語学の才能もあって、インドで日本人と知り合い日本語をすぐ覚え、そこで助けた神父の日本行きに通訳兼ボディガードとして同行…
なんて事になるよ
入ってそうなエピソード7選
第7位 恋愛
故郷やインドの恋人との別れ。最後は故郷に帰って再会を果たすエンディング。
第6位 忍者
忍者部隊が襲来し派手な立ち回り。ここで大活躍し信長から取り立てられる。
第5位 海賊船襲来
日本までの旅路で海賊船の襲撃を受ける。この白兵戦で活躍し奴隷から格上げされる。
第4位 神父様のホ○行為
カトリック神父はホ○が多いので、軽くアプローチされる。(あくまで軽く匂わすエピソード)
第3位 京都の街並みで立ち回り
泥棒や暴漢のシーンに出くわし大太刀回り。一躍京の町の人気者になる。
第2位 町娘に惚れられる
町娘が惚れてる雰囲気を出すシーンがあるが、流される。
第1位 本能寺の変で大活躍
本能寺の変で大活躍する
本来は川辺の民って事。
弥助の子孫もいないのだろ
「和人でも唐人、南蛮人でもないのだから敵ではあるまい」で
釈放南蛮寺に預けられた後は完全に行方不明
日本では弥助として信長と行動ともにしたが
イエズス会の神父連中からしたらただの奴隷なので
当時の拠点だったインドあたりに連れ戻されなくなったものと思われ
>>545
それだったらのちにフロイスが弥助談話として「日本史」に本能寺はこうだった
信長の最後はこうだったと書かないかな?でも確かフロイス日本史には信長は最後
「余は自らこの災難を呼び寄せたな」と言ったと書いてあった気がする。
これ案外弥助から聞いたのかもしれないね。
ディスカッション
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