漢帝国と古代ローマ帝国が「ほぼ同時に衰退」した偶然ではない理由とは?
寒冷化が崩壊させた古代ローマ帝国
この時代に入るや、ついこの間まで「Pax Romana」「五賢帝時代」などと謳われていたのが嘘のように、一気に帝国の崩壊が始まります。
歴史に疎い者にとっては、「ついこの間まであれほど繁栄していた国がどうして!?」と訝しく感じるほどですが、前時代までの“平和“はあくまで「マイナスベクトル(崩壊)」と「プラスベクトル(温暖気候)」が±0となった絶妙な調和の上で保たれていただけの“見せかけの平和“であって、“支え(温暖気候)“を失えば一気に崩壊する程度のあやういものだった ─―ということを知っていれば、この時代の崩壊も当然のことと理解できます。
ローマでは、寒冷化の到来によって帝国の収益が急速に悪化し、その結果、兵への給与が滞ることが常態化していきます。兵の不満が募り、それはやがて各地で「兵乱」という形となって表面化していきました。
しかしながら。洋の東西と古今を問わず、“正統性“や“大義名分“を持たぬ叛乱軍など、「賊軍」の汚名を着せられて鎮圧・処刑される定めにあります。生き残りたいならば、叛乱軍は自らの“正統性“を掲げねばなりません。
こうして叛乱軍は勝手に「新皇帝」を祭りあげたため、帝国各地で皇帝を僭称する者が現れ、帝国は収拾のつかない大混乱に陥りました。
一兵卒が皇帝を僭称し、何人もの皇帝が併存して、血で血を洗うが如き混迷の時代を政治的には「軍人皇帝時代」といい、社会的・経済的には「3世紀の危機」と呼びます。
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英雄にも止められなかった「ローマ帝国の分裂」
もはや「放っておけば解体に向かう」帝国を担うのに凡帝では荷が重く、帝国にふたたび統一をもたらすためには「英主」の出現が待たれますが、その歴史的役割を担って現れた人物こそがディオクレティアヌス帝です。
彼は対立皇帝・僭称皇帝をつぎつぎと討ち破って久しぶりの「単独皇帝」となり、ローマに再統一をもたらしました。
しかしながら、この偉業を成し遂げた彼の力量を以てしても、「もはや、解体しつづけるこの帝国を一人の皇帝で統治することは不可能」と悟り、「四分割統治(テトラルキア)」を断行。
したがって実質的な統一は10年と保たず、以降の帝国は「統一」とは名ばかりの分裂時代を迎えます。
次時代の「ローマ帝国の東西分裂」の前提条件はすでにこの時代に生まれていたのでした。
同時期に中国各地にも現れた「皇帝」
ローマが「平和」から「危機」に陥落する転換期となったのが180年から193 年ごろですが、まるで息を合わせるように、中国でも「安定期」から「混乱期」の転換期となる象徴的事件が起こっていました。
それが「黄巾の乱(184~192年)」です。
後漢は第4代和帝以降、原則として幼帝が立ち、その幼帝の横には外戚・宦官が控えてこれを操り、宮廷には奸臣・佞臣(ねいしん)が巣くい、地方には酷吏・汚吏が蔓延、この悪政に耐えかねた農民は流民と化して各地で盗賊・叛徒となって国を荒らす。
このように、前漢と同じ途をたどっていき、その行きつく先に発生したのが「黄巾の乱」です。
この叛乱を境として、中国史はいわゆる『三国志』時代に入りますが、各地に「皇帝」を僭称する者が現れたこの時代は、ローマ史では「軍人皇帝時代」を彷彿とさせます。
世紀でいえば3世紀ごろ(184~280年)でしたから、時代的にもローマの「3世紀の危機」に符合します。
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司馬炎が担った「ディオクレアヌス帝」と同じ役割
42: 2020/01/15(水) 10:30:56.49 ID:ZjcderOa0
>>1
きっと181年にニュージーランド北島にある火山がVEI7の巨大噴火を起こしたからだね。
地球規模の影響を及ぼす火山噴火による冷害って怖いよね。
フランス革命を起こした食糧危機だってどこかの火山が爆発して冷害がおきたからだろうし
同じ時期に日本では天明の大飢饉が起きているから、地球規模の災害のせいだよね
地球に生きている以上、地球の活動で人間は翻弄されるよね。
>>1
ちょうど、塩野七生先生の「ローマ人の物語」を読んでいます。
塩野先生が言うには、ローマ帝国が衰退していった原因は紀元250年の蛮族(ゴート族、マルコマンニ族等)侵略と
各皇帝達が皇帝(インペラトール)としての責務(ローマ市民の食と安全を確保すること)をいつしか忘れてしまったことだと言及していますね。
「魚は頭から腐っていく」のことわざの通り、紀元250年以降皇帝の座を巡り内乱が頻発したのが痛い・・・。
>>45
大義名分で公共工事に投資させチカラを削ぎ、
お家騒動でお取り潰しを常におこない、
儒教の普及で上位下達の教育を普及させる、
そういう意味で徳川の治世は天下泰平の真髄
江戸時代に(島原の乱とか除いて)平和が続いたのは、
やっぱり参勤交代が大きかったでしょ
各藩の負担は滅茶苦茶重かった
>>1
漢末の黄巾の乱とテトラルキアのはなし?
そら気候変動が起きて匈奴が東西に移動始めたから、
押し出されてフン族が西方へ、
圧迫されたゲルマン民族が移動して、ゴート族が逃げてきたってわかってるけど。
そんな初歩的な世界史の知識がどうかしたか?
匈奴とフン族は時代がかなりちがうんじゃなかったっけ、匈奴のほうがずっと昔でしょ
行動が同時代に重なることはないと思うけどどうかな
まあ両方とも謎の多い民族だし(もtもと遊牧移動民族であったことは確か)、匈奴の子孫がしぶとくがんばって
フン族を圧迫したというのはありえるかもしれない
匈奴が中国を、フン族が結果的にローマをおびやかしたのはおもしろい
>>435
匈奴はフン系とも言われてる
正確に言えば白匈奴または白フンの話
アッティラ時代とゲルマン民族の二回、
ユーラシアでは大規模な遊牧民族の移動が起こってる
この記事って375年のゲルマン民族大移動前後のテトラルキア分割ならこれ
> 原始ゲルマン人は中世初期に再編されゲルマン民族となり[1]、
4世紀以降フン人の西進によって、ゲルマン系諸民族は大移動を開始し、
ローマ領内の各地に建国して、フランク、ヴァンダル、東ゴート・西ゴート、ランゴバルドなどの新しい部族が形成された[2]。
ゲルマンという名前の由来は、「ドイツ」を英語で言った時の、German に由来すると言われている。
っていうか、正確に年代を比較すると。
ローマ:マルクス・アウレリウス・アントニヌスの治世(~180年)
言わずと知れた5賢帝の一人・哲人皇帝。ローマ帝国の最盛期の一つと言ってよい。
漢:黄巾の乱:184年、董卓が少帝を排して実権を握る:189年
で、時代的には明らかに漢の方が早く衰退しているんだよね。
>>1の言ってることは全く説得力がない。
マルクス皇帝の治世はまだ本格的ではないがゲルマン民族との戦いが始まったりしてそんなに平穏ではなかったぞ
彼がタヒんだ後はグラディエーターで知られる董卓のような暴君コンモドゥスだし
もちろん霊帝と違い危機に対して真面目に立ち向かっていたからこそ名君と呼ばれるにふさわしいけど
それは10世紀じゃなかったか?
渤海が唐突に滅亡して、東アジアの国が日本以外総入れ替えになった。
唐→五代、宋
新羅→高麗
渤海→契丹
南詔→大理
多少の暗愚帝でも、地球レベルの気候条件のお陰で十分な食料生産量を確保出来ればどうにか治められるって話。
今は、年々、温暖化で暑くなっているけど、
これが逆に、年々、寒くなってきて冬が早く訪れて
しかもなかなか春がこない、
という年が毎年つづくようになっていけば、
経済だって停滞するわな
歴史街道がソースだぞ
ソレ以上の何を期待してるんだ
この時代は寒冷期だから、逆グレタだろ。
お?ダメリカさんこんにちは????????
外敵との戦争をやめると
内輪もめが始まるんだな。
ゾロアスター教だからな
寒冷期に火は強い
吉野石膏みたいなもんか?
教科書的にも、北方ゲルマン人の移動の前哨
中国では、匈奴の盛衰、北方ツングースの盛衰が第一義的な影響因子だといわれていると思う
交通が活発になると疫病も一気に広まる
今でいうと新型肺炎だな
国慶節だな今月
ロシアとか、きちんと守る国は、割と広大な土地を維持する
ロシアは守ってないぞ
満洲支配した
北海道よこせって言ってたのにア○なのか
てか災害が戦争の原因になったりするし
黄巾族の反乱って100万人単位だったのに鎮圧できたんだもん
何進がさっさと宦官皆○しにしとけば良かった
なにをとち狂ったのか地方の群雄を都に呼び寄せてとかア○ちゃうか
>>27
例えば北京に100万人単位の反共産党の暴徒が迫ってきて
頼みの武警が手もなく一蹴されたら
習近平も全国から人民解放軍呼び寄せるだろ
その中で一番頭数揃えて来た所の司令官が
「あれ?いま習近平拘束したら俺が次の主席じゃね?」とか、つい思ってしまったら…
という感じで、同じ様なシチュエーションはどこでも起こりえるね
それはトドメであってそもそもは皇帝が金銭で役職を売り出したからだろう
今は温暖化による食料生産の減少が起きてる
世界的凶作に海水面上昇で沿岸都市水没
大量の難民でて終末戦争
戦争はクソみたいな連中が移民を受け入れたあと始まってるけどな
文化、宗教が違う人間と一緒に暮らすのは間違ってる
お互いストレスたまるだけ
移民で成功した国が1例も世界に無いよな
アメリカ(ただし先住民の虐○絶滅で決着)
>>33
そう言う記録があるのはペスト流行の時ぐらいでな
ついでにストラディバリウスも生み出したが
引用元: http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1579049442/
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