牟田口廉也ってインパール作戦を強行してた愚将と言われているけど、そこまで無能じゃないよな????
毎日宴会ばっかりやってて防衛に徹してれば
めんどくさい目にもあわなかったのに
ヒトラーは政治、軍事両面で酷い。
大局的に見て重要だったり
天王山の戦いのような場面で
負けたわけじゃない。
そう考えると東条英機の方が
酷い無能だな。
牟田口の方がマシかも。
南雲はミッドウェー海戦と言う
負けてはいけない戦いで負けた。
だが牟田口のインパール作戦は
負けたとしても全体の敗北に
影響するような作戦ではなかった。
評価されているケースもある。
牟田口は劉邦ではないか?
酷すぎる軍事的無能
南雲忠一
虎の子の空母を○す
牟田口
精鋭部隊を○してはいない
ミッドウェー海戦のように
戦局に影響はあたえず。
東条が大局的な敗北を作ったのに対して
牟田口は局地的な敗北だけ
軍事的無能度合い
東条>>>>>>>南雲>>>>>>牟田口
南雲が虎の子機動部隊を失ったのに
対して牟田口は陸軍の精鋭部隊を
失ったわけではない。
牟田口より東条の方が酷いだろ。
アメリカと戦争するという
大局的、戦略判断でのミス。
倫理的ではなくて軍事的に考えてくれ。
軍事的には強い駒を大事にするのは
当たり前だろ。
そう言うのなら戦争そのものが
人命の多大な損失じゃん。
1ミリくらいはマシかもな?
だったら敗戦確実なのがわかっているのに、
戦争を始めた東條はどうなるんだよ。
牟田口はたしかに軍事的にはゴミだが
局地的な敗北しかしてないし
全体の敗北までは影響を与えてない。
濃厚になったわけではない。
インパール作戦はミッドウェー海戦なみの
戦局影響力はない。
誰がそんなことうぃ説いている?
俺は牟田口が軍事的に有能か、
無能かの次元でしか語ってないよ。
大日本帝国陸軍が培った風土があってこその犯罪的作戦だったんだろうということはわかる。
政治的意味合いが皆無な意味の無い作戦の首謀者であり、日本帝国陸軍戦闘能力の弱体化に貢献したがゆえに、大した戦犯に問われなかったのもわかる。
ジンギスカン作戦とかいうまえにヤンゴンで兵員あつめて
まいにちバーベキューパーティやってたほうがよほど
名将あつかいされたろ。
勝算がまったくないというなら
ニューギニア、サイパン、フィリピン、硫黄島なども同様で
それらの作戦よりはマシじゃないのか?
史上、一位をとれる将軍のゴミかと
言うと違うと思うけど…。
アメリカを対日戦に迎え入れた
東條や山本の方が無能な気がして
ならない。
対米戦は山本五十六で
陸軍の東條は関知してないだろ
対米戦を始めたのは首相の東條だろ。
パールハーバーを攻撃したのは山本だが
どちらか片方だけでは対米戦は
行われなかったと思う。
対米戦争は海軍と外務省が水面下で決めたことだろ。
陸軍は対米戦争にまったく関知してない
当事者の海軍と外務省が、交渉の余地はなく
開戦するほかないという判断をしたのだから
東條は認めざるを得ない。
東條はそれに異を唱える立場にないし、情報も持ってない。
当時の政治システムでは総理にはその程度の権限しかない
野村大使は海軍とグルになって、それを察知されないように
偽りの外交をやっていたとアメリカは判断している。
アメリカ政府も日本政府も
日本の海軍と外務省にだまされたに等しい。
牟田口の作戦が犯罪行為なら
山本五十六の作戦もすべて、それ以上の犯罪行為ではないのか?
インパール作戦に関与した一万~数万の
兵士の犠牲にしか過ぎないが
山本や東条の場合、日本軍全体に及ぶ
被害になっている。
牟田口を庇う気はないが
ヒトラーの方が酷い無能だと思うけど。
ヒトラーより山本五十六の方が無能だが?
アメリカを怒らせて、アメリカを全面戦争に引きずり込んだのは
山本五十六じゃないか。
真珠湾奇襲を聞いて、連合国の首脳はみんな大喜びしているわ
日本軍全体に及ぶ被害にはなってないが
牟田口より山本や東条の方が
影響は大きいと思う。
東條は海軍と外務省にだまされて対米戦争を了承したんだろ
対米戦争の責任は、海軍と外務省が負うべき
特にアメリカに対する不法な先制攻撃は、海軍が勝手にやったことで
東條が海軍の作戦の責任なんか負えるわけがない
ヒトラーのように民族虐○行為に
手をつけなかったのがせめてもの救い。
当時の人間って虐○行為に
手をつけまくっていたからな。
牟田口はたしかに日本軍に不名誉を
もたらしたがそれは民族虐○みたいな
ものでないのがせめてもの救いだ。
ある意味、芸者を呼ぶような
遊び人でよかったわ。
俺は>>53と>>59で軍事的無能だと
結論付けているぞ?
牟田口の軍事的才覚については
一切、べんごしてない。
手をつけられたら評価のしようも
なくなる。
残された家族はどうなったんだったっけ?
そんなことを言うのなら
牟田口より東條や山本の方が
酷い損失を出しているぞ。
そもそも牟田口は一方面の軍事的ミスしか
してないから東條や山本のように
全方面でダメージをこうむる被害など
出してない。牟田口のミスが原因で
日本軍の敗北が決定した訳じゃない。
必要不可欠でない作戦で無駄にタヒ地に追いやったということでよいですか?
永遠に叩かれ続けて日本人の名誉に
泥がかぶるからな。
500年、1,000年経っても叩かれて
汚点が永久に残るからな。
だから問うてるだろ。
軍事的無能だけど当時の人間に見られた
虐○行為に関与してないから
絶望的なクズではなかった。
無駄にタヒなせた国民を生きかえさせられたらね。
無駄タヒにさせられた国民と一緒に奉られるべき者だと言えますか?
ならなかなか降伏せずに
いたずらに戦タヒ者を増やした
当時の日本政府にも問題がある
と思うけど。
日本政府って、具体的には?
東條英機ご自慢の戦陣訓を言ってます?
日本政府なんだから
日本政府に終戦交渉の権限が
あったんだろう。
具体的には?
末端の下士官が戦争をやめようと
しても無理だろ。
そんな権限を持ってないんだから。
戦争を始めたのは末端の下士官ではなく
軍でもトップに居て権限を持っていた
東條。東條が戦争を始められるのなら
終えられるのも首相の地位にある者のみ。
なかなか戦争を終わらせようとは
しなかった。
だから原爆が二つも落とされた。
器用に取り入り机上の勉強ばかりやってる小物が軍のトップになるようなシステム
やってるから牟田口みたいなハエが将軍様になりおおせるんだよな。軍というのは
畢竟私兵なんだから、最高幹部は自力で議会と交渉して軍を組成できるような
人物のみで編成されてなければいけない。私兵だからこそ大切にするし無駄な
出血は回避しようとするものだ。人間の組織は機械ではなく軍首脳は歯車ではない。
救われないとか関係ない。
スターリンにしろトルーマンにしろ
ルメイにしろ英空軍にしろ
何かしらの虐○行為をしていたから
ただ単に軍事的無能ってだけなら
まだ救いの余地があると思う。
ヒトラーの叩かれ方を思うと
これだけが救いだよ。
日本軍の名誉を民族虐○じゃなくて
ただの軍事的失策で汚している
だけだから当時の人間の醜態を見るに
軍事的にはゴミクズだが
まだ救いはある。
牟田口は自軍に損害を与えただけだから敵国からは別に追及はされんだろうな
こういう酷い作戦で自軍に大損害を与えた将軍は第一次大戦には結構いてイギリスの派遣軍総司令官のヘイグ フランスのジョフルも多数の味方を○した
中でもピカイチはイタリア軍最高司令官のルイージ・カドルナで彼の酷い指揮でイタリア軍は全兵力の1/4相当の27万が捕虜という壊滅的損害を受けカドルナは総司令官を解任された
後にムソリー二が元帥号までくれてやったりと本人は部下が悪いので自分が悪いとは全然思わなかったらしい
その自軍に与えた損害の規模からカドルナ元帥は牟田口の遥か上をいっているといえよう
英軍に評価され国軍に罵倒さ牟田口将軍がどちらかに評価されるかは自明であろう
戦後に普通に畳の上でタヒんでるから祀られてないだろう
富永の第四航空軍司令官としての言動は余りにも愚劣で最後は敵前逃亡
この辺は牟田口とどっこいだが富永はシベリア抑留で10年過ごし帰国後言い訳自己弁護の類はしなかったところに差がある
また富永と並んで昭和天皇に東條傘下の評判の良くないもの呼ばわりされた田中隆吉は戦後は鬱状態で自分が東京裁判で証言して刑場に送り込んだ武藤の亡霊に怯える日々を送ったという
彼らに比べ牟田口の心臓の強さは特筆に値する
辻とか佐藤賢了あたりも同類だろう
牟田口の考えどおりに攻めていれば、日本軍は勝てたとの見解で一致しています。
こういった情報は日本ではまったく報道されず黙○されています。
アーサー・スウィンソン大尉(英軍第二師団参謀・コヒマ戦線)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
スチルウェル中佐(米支軍作戦参謀・北部ビルマ戦線)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
アーサー・パーカー中佐の書簡(インパール防衛の英印第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
スリム中将(この戦い全般を指揮した連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』(英国公刊戦史)
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、師団の主力を持って
猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプールで英第二師団等を指揮)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
デリク・タラク准将(ウィンゲート部隊参謀長)(連合軍を勝利に導いた最大の功労者)
彼(牟田口)はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。
インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。
しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。
私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。
インパール作戦は1か月程度で終わる作戦
そしてそれは可能だったと言うこと
補給の問題ではない
>>88 みたいな専門家は否定するんだけど
なら、それ以降に亡くなった将兵は完全な無駄タヒだってこと?
どれくらいいるんだろうね。1万人規模でいるのだろうか。気の毒に・・・(´・ω・`)
大丈夫
牟田口の名誉を回復すべく、その報復で
山本五十六と半藤一利が叩きまくられている。
戦後の権力者、エセ保守勢力による東京裁判史観と海軍善玉論の虚偽は
まもなく崩壊するであろう
真実はかならず最後には理解される
牟田口と山本五十六と、どちらが真の愚将なのか
いずれかならず正しい決着がつくはず
2ページ目以降になるとほとんどヒットがない)。みなさん息をひそめて暮らしてはるんやねえ。
おまえ軍事の知識あるのか?
牟田口がどういう基準で愚将なのかを具体的に示してくれ
インパール作戦で実際に日本軍と戦った連合軍側の司令官、参謀らは皆が
牟田口の考えどおりに攻めていれば、日本軍は勝てたとの見解で一致しています。
こういった情報は日本ではまったく報道されず黙○されています。
アーサー・スウィンソン大尉(英軍第二師団参謀・コヒマ戦線)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
スチルウェル中佐(米支軍作戦参謀・北部ビルマ戦線)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
アーサー・パーカー中佐の書簡(インパール防衛の英印第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
スリム中将(この戦い全般を指揮した連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』(英国公刊戦史)
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、師団の主力を持って
猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプールで英第二師団等を指揮)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
デリク・タラク准将(ウィンゲート部隊参謀長)(連合軍を勝利に導いた最大の功労者)
彼(牟田口)はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。
インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。
しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。
私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。
引用元: https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1604069553/
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