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【江戸時代】この時代の通貨って年貢だったけど、米は輸出していたの???

2020年12月20日

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1世界歴史ちゃんねる2013/12/21(土)13:08:34.10 ID: .net

8割の農民が5割の米を消費
2割の農民以外が5割の米を消費
よって、農民の4倍食べていたのだろうか?
それとも、輸出していたのかw

 

2世界歴史ちゃんねる2013/12/21(土)15:04:12.47 ID: .net

農民はダイエットをしていて、武士は太っていた。

 

3世界歴史ちゃんねる2013/12/22(日)02:07:49.41 ID: .net

Wikiでも見れば解決する程度のことを、わざわざスレ立てるって・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E8%B2%A2
> 貨幣経済が一層進展し、年貢の銭納・代銭納などの銭貨による年貢納入が
> 畿内を中心に広く普及するようになった。

 

4世界歴史ちゃんねる2013/12/22(日)16:24:31.78 ID: .net

農民が10割の米のうち、5割を売って貨幣代納していた。
よって農民が5割を消費。農民以外が5割を消費。
結局同じだね。

 

6世界歴史ちゃんねる2013/12/22(日)16:51:55.54 ID: .net

>>4
米以外のものを売って金銭に変えて納めるってことは考えないの?っていうか、マジで聞きたいんだが、
あんた本当に「農民が5割を消費。農民以外が5割を消費」してたかも知れない、とか
本気で思ってるわけ?不思議だな

 

14世界歴史ちゃんねる2013/12/23(月)11:48:19.45 ID: .net

>>4
いくら金持ちでも、ご飯を5倍食べることは出来ない。
作った米は誰かが食べないと値打ちがない。食料だからさ。
時々、米は貨幣の代わりだからというやつがいるが、なんで本気でそう思うのか
不思議でしょうがない。教科書がそう書いてるけどさ。よく考えてみてくれ。米は、毎年収穫できるんだよ。
領主の元へ収められた年貢米は、売却しお金に変えられたから意味がある。
部下に食料として渡すだけではない。それを売って、衣類やその他消耗品を
買わなくてはいけない。換金性のない米など意味が無い。

教科書だけだと、ほんとに歪む。

 

15世界歴史ちゃんねる2013/12/26(木)20:56:19.60 ID: .net

>>14
いやいや、「米イコール貨幣」ってのと「米本位制」はちがうだろ

 

17世界歴史ちゃんねる2013/12/27(金)06:35:06.52 ID: .net

>>14
こういうのを見れば、イメージしやすいかもね。

一例として、彦根藩札の額面が米単位。こういった「米札」、「米手形」、「米切手」といったものは
金札銀札などと同じように広く発行され流通していた。

この画像の札であれば、札自体の価値は「中江・山田屋」という商人によって銀壹匁の価値が
保証されている。この札の信用が全く落ちていないと仮定すれば、取引きでは銀壹匁の貨幣と
同等で、米を買うときには「米二升」ではなく、「その時々の米相場に従って、銀壹匁で
買えるだけの米」と引き換えられた。額面の「米貮升」というのはあくまで目安。

 

5世界歴史ちゃんねる2013/12/22(日)16:31:59.42 ID: .net

慶安の御触書

 

7世界歴史ちゃんねる2013/12/22(日)16:57:39.52 ID: .net

農民が少ない気がする。
農民85 その他15ぐらいじゃないか?

 

8世界歴史ちゃんねる2013/12/22(日)16:58:19.33 ID: .net

百姓=稲作農民ではない。

 

9世界歴史ちゃんねる2013/12/22(日)17:17:10.33 ID: .net

「輸出」=外国に販売の意味なら、長崎で中国オランダ辺りには広い意味なら相当するだろ。
あとはアイヌ相手の交益。文化の頃にロシアとの交易が成立したらその後の歴史はどうだったか。

 

11世界歴史ちゃんねる2013/12/22(日)17:20:44.19 ID: .net

>文化の頃にロシアとの交易が成立したらその後の歴史はどうだったか。

西欧の勘違いに飲み込まれてたかもね。銭金の勢いは、お前らゴキブリをもたぶらかすほどだ。

 

10世界歴史ちゃんねる2013/12/22(日)17:18:16.54 ID: .net

農民からすれば、

四割を政府が持って行き、残りの6割のうちの大半を家族が麦飯として食らったって感じだからな。

養える家族にジジババを加えるか、それらを山に捨てるか。

エネルギーのおかげで、近代文明はジジババを養える社会を作った。再生産を無視した社会は滅ぶからな。

 

16世界歴史ちゃんねる2013/12/27(金)06:21:27.30 ID: .net

米ばかり食うのは武士と江戸などの町人、医者や坊主、それに在郷の庶民のうち、
体を資本にする肉体労働者たち。もちろんそれら全て集めても、農民からすれば数は少ない。逆に、農民は米をあまり食わなかった。麦飯や雑穀飯ばかり。年貢供出の後に残った米も、
一部あるいは大半は、米商人に売って現金収入としていたくらいだ。商品作物を作っている
ところでは、やや生活水準も高い。

つまり、米は余るのではなく、もともと生産量が少なかったと判断する他ない。土地の石高は、
米の値に換算した生産力を表したものだからな。麦は米より若干安い値で流通していたから、
米が余っているように見える分は、実は米でなく麦として生産消費されていたという話。
年貢はもちろん、米を優先的に供出した。生産が米と麦半々なら、農民の手元に残る米は、
四公六民として、生産量の五分の一だ。

大規模な土地改良ができなかった当時は、田んぼごとに収量が極端に違った。田んぼ一枚ごとに
収量評価がなされていたくらいだ。
しかも肥料もろくに施せないから、収量は総じて今より少ない。大正期の化学肥料の導入によって、
米の面積あたり生産量は倍になったくらいだ。
今の水田を見慣れていると、そういうこともイメージしにくいけどね。

 

18世界歴史ちゃんねる2013/12/27(金)07:20:38.50 ID: .net

>>16に補足。
米の一人当たり消費量は、数が少ない武士や町人、在郷の労働者たちが圧倒的に多かった。
武士や職人などの労働者は体が資本だからと言って、摂取カロリー自体が多い上に、
麦混じりの飯でなく米飯だからな。今の食事では副菜から摂るカロリーが非常に高いけど、当時は肉は食わず、魚もホイホイとは
買えない。だから米の飯ばかりを漬物や味噌汁で無闇にかき込んだ。その結果が、江戸の
脚気の流行だ。

また、商品作物栽培で年貢を代銀納にしてる農家では、当然ながら農民だけど米や麦を
買って食うことになる。そういった要素も踏まえなきゃならない。

そういった形で、米は一年の内にほぼ消費され、一部は売れ残った古米や飢饉用備蓄米として
翌年の収穫以後まで残り、不作凶作のときにそれらも消費されたわけだ。

 

52世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)10:31:56.36 ID: .net

>>18
すげぇなコイツ
昭和からタイムスリップしてきたのか

 

82世界歴史ちゃんねる2013/12/30(月)08:32:08.42 ID: .net

「農民は米をあまり食わなかった(>>16)」、「麦混じりの飯でなく米飯(>>18)」、「手元に米があれば、
少しでも現金収入を増やすために、自家の消費分だけ残して売り払い、(>>22)」、
「農民は麦飯雑穀飯を食ったと書いているのを、100%麦、100%雑穀と勘違いして
読んだってことかね。麦だけ雑穀だけでは粘りがないから飯にならんよ。(>>33)」
というように、当初から>農民が「ほとんど」食べられず

なんてニュアンスにならないように注意してきたつもりだけどね。

 

22世界歴史ちゃんねる2013/12/28(土)14:02:34.11 ID: .net

>>20
いや、手元に米があれば、少しでも現金収入を増やすために、自家の消費分だけ残して売り払い、
麦を買って雑穀と一緒に食ってたんだよ。
たとえば奈良盆地は米どころで、商品作物栽培によって他所よりは裕福な家が多い土地柄だけど、
大正時代に編さんされた地誌では、米だけで食うのはごくわずかで、大部分の家は麦交じりの飯。
特に貧しい家では麦飯の粥ってのも珍しくないと書いている。それぞれの実際の比率も書いてたけど、
数字は忘れた。
繰り返すけど、これは江戸時代よりも生活水準が向上した大正時代の記録だ。>さらに、米と同じだけ麦を取ろうと思ったら、5倍の耕地が必要だ。

米の農地面積あたり収量を今と同じと見積もらないように。>>16で説明済みだ。
それに、水の確保は農民にとってタヒ活問題で、ちょっと日照りになれば隣村との水論に発展するし、
そもそも水利権の関係で、農地はあっても水が引けないから畑にして麦を作るってケースは少なくない。
農民ならごく当たり前に理解できることだろう。
今の各地の耕地は、明治以後に国が積極的に水路を整備していった結果だってことを忘れちゃいかんよ。

ま、米どころか麦すら贅沢で、稗や粟や黍などが農民の主食のメインだったという主張なら、
少なくとも貧しい村ならその通りだったと言うしかない。ごく最近にも、山村のような極端に
貧しい土地では、米を食うどころか見たことさえないという人もいたりした。昭和の戦前あたりでさえ。
病気でいよいよタヒにそうだとなると、家族は里に下りて一握りの米を買い求める。で、それを
炊いて食わせるのではなく、竹筒に入れて耳元でサラサラ音をさせて冥土の土産にした。
そういう土地の郷土資料館には、実際にそうやって使った竹筒が展示されていたりする。
稗や粟や黍などの雑穀はカロリーが低いから、そんな貧しい村でも一日に4回も5回も食事を
してたなんて話もあるけどね。それだけくわにゃきゃ農作業ができなくなるんだとさ。

何遍でも繰り返すけど、今の日本の農地は江戸時代の状況とはまるっきり違う。それを
わきまえておきなさい。

 

24世界歴史ちゃんねる2013/12/28(土)14:15:43.22 ID: .net

>>22に補足。

「農民には米や麦すら贅沢で、稗や粟や黍を食っていた」という話であっても、
稗や粟や黍を栽培する畑がなければ話にならない。つまり、農家が農家として
やっていく以上は、家を受け継いでいけるだけの農地を保有していたのは自明だ。

 

37世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)06:21:23.95 ID: .net

>>22
>いや、手元に米があれば、少しでも現金収入を増やすために、自家の消費分だけ残して売り払い、
>麦を買って雑穀と一緒に食ってたんだよ。へえ、驚いた。
この論だと、米は輸出してたんだな。そんで麦を輸入してたんだ。

 

39世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)06:53:43.15 ID: .net

>>37
米生産者以外が買い、麦生産者から買った。それがなんで輸出入という話になるんだ。
どうせ>>1と同じ勘違いだろうから、>>35のリンク先読め。

 

51世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)09:59:59.04 ID: .net

>>39
あれ?「農民は」でしょ?農民以外の麦作専業民がいたの?知らなかったわ。
人口の8割の農民以外に、作った米の大半を消費できる人口がどっかに
いたんだね。知らなかったわ。

 

53世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)15:17:03.92 ID: .net

>>51
麦も市場に出て売買されているのだから、米どころで米が収穫の中心の農家が
そういう麦を買うわけだ。
お前、あんまり頭がよくないな。>>52
「農民は貧しかった」と「農民は案外豊かだった」とは、散々史学でも議論されてるけど、
ろくに議論の内容を知らない人間が結論だけ聞くと、現代人としての主観が入りまくって
まともに判断できないんだよな。

大正戦前期でさえ、農民の多くは米だけの飯なんてそうそう食う機会がなかった。それは、
当時編さんの地誌やら今の民俗学関係の聞き書きなどでいくらでも確認することができる。

そのレベルの事実でさえ、ろくに物を知らない子は平然と否定してのける。
こんなレベルの話はいくらでも事実として記録に残っているんだから、それを主観で
否定しようとしても見当外れの話にしかならないよ。

 

82世界歴史ちゃんねる2013/12/30(月)08:32:08.42 ID: .net

「農民は米をあまり食わなかった(>>16)」、「麦混じりの飯でなく米飯(>>18)」、「手元に米があれば、
少しでも現金収入を増やすために、自家の消費分だけ残して売り払い、(>>22)」、
「農民は麦飯雑穀飯を食ったと書いているのを、100%麦、100%雑穀と勘違いして
読んだってことかね。麦だけ雑穀だけでは粘りがないから飯にならんよ。(>>33)」
というように、当初から>農民が「ほとんど」食べられず

なんてニュアンスにならないように注意してきたつもりだけどね。

 

19世界歴史ちゃんねる2013/12/27(金)07:31:36.29 ID: .net

>年貢はもちろん、米を優先的に供出した。生産が米と麦半々なら、農民の手元に残る米は、
>四公六民として、生産量の五分の一だ。これに補足。本途物成は田んぼは米、畑は麦や大豆で4公6民などと言われるけど、
実際には「農民は生かさず○さず」の水準まで年貢率を引き上げるから、その匙加減で
高値で売れる米がゴッソリ持って行かれることになる。

 

20世界歴史ちゃんねる2013/12/28(土)12:11:32.82 ID: .net

貧しい農民はコメを食べずに麦を食ってた・・・
いや否定はしないよ。もちろん麦だって食ってたと思うよ。
だけど、こういうのを云う奴って、農家出身じゃないんだろうな。麦を作るにも農地がいるんだよ。
さらに、米と同じだけ麦を取ろうと思ったら、5倍の耕地が必要だ。
東日本なら可能だろうけど、西日本ではそんな無駄な土地の使い方は
出来ない。水が引ける限り、山の斜面に段々の田んぼを作ってる。
川の上流から、長い水路で田んぼまで水を引いて水田を作ってる。
あらゆる労力を使っても千枚田のようなものを作ったのは、土地生産性が
高いからさ。

米さえ食えない小作の貧農が、家族に食べさすだけの麦を作れる畑を
所有しているなんて、お花畑も程がある。

 

22世界歴史ちゃんねる2013/12/28(土)14:02:34.11 ID: .net

>>20
いや、手元に米があれば、少しでも現金収入を増やすために、自家の消費分だけ残して売り払い、
麦を買って雑穀と一緒に食ってたんだよ。
たとえば奈良盆地は米どころで、商品作物栽培によって他所よりは裕福な家が多い土地柄だけど、
大正時代に編さんされた地誌では、米だけで食うのはごくわずかで、大部分の家は麦交じりの飯。
特に貧しい家では麦飯の粥ってのも珍しくないと書いている。それぞれの実際の比率も書いてたけど、
数字は忘れた。
繰り返すけど、これは江戸時代よりも生活水準が向上した大正時代の記録だ。>さらに、米と同じだけ麦を取ろうと思ったら、5倍の耕地が必要だ。

米の農地面積あたり収量を今と同じと見積もらないように。>>16で説明済みだ。
それに、水の確保は農民にとってタヒ活問題で、ちょっと日照りになれば隣村との水論に発展するし、
そもそも水利権の関係で、農地はあっても水が引けないから畑にして麦を作るってケースは少なくない。
農民ならごく当たり前に理解できることだろう。
今の各地の耕地は、明治以後に国が積極的に水路を整備していった結果だってことを忘れちゃいかんよ。

ま、米どころか麦すら贅沢で、稗や粟や黍などが農民の主食のメインだったという主張なら、
少なくとも貧しい村ならその通りだったと言うしかない。ごく最近にも、山村のような極端に
貧しい土地では、米を食うどころか見たことさえないという人もいたりした。昭和の戦前あたりでさえ。
病気でいよいよタヒにそうだとなると、家族は里に下りて一握りの米を買い求める。で、それを
炊いて食わせるのではなく、竹筒に入れて耳元でサラサラ音をさせて冥土の土産にした。
そういう土地の郷土資料館には、実際にそうやって使った竹筒が展示されていたりする。
稗や粟や黍などの雑穀はカロリーが低いから、そんな貧しい村でも一日に4回も5回も食事を
してたなんて話もあるけどね。それだけくわにゃきゃ農作業ができなくなるんだとさ。

何遍でも繰り返すけど、今の日本の農地は江戸時代の状況とはまるっきり違う。それを
わきまえておきなさい。

 

21世界歴史ちゃんねる2013/12/28(土)12:19:51.80 ID: .net

戦後、貧しい家庭では麦飯だったんだが。

 

23世界歴史ちゃんねる2013/12/28(土)14:06:06.07 ID: .net

>>21
第一次大戦後の戦後不況では、政府が「貧乏人は豆粕を食え」と呼びかけた。
満鉄沿線で取れる大豆から油を絞り、その粕は有機肥料として重宝されたけど、
それを食えというわけだ。まあオカラみたいなもんっつーか、タンパク質が
残ってる分オカラより栄養があるから、餓タヒ回避にはちょうどよかっただろう。

 

25世界歴史ちゃんねる2013/12/28(土)14:27:46.50 ID: .net

>川の上流から、長い水路で田んぼまで水を引いて水田を作ってる。

ここまで分かっているなら、諸領が錯綜していた関東関西東海をはじめとする米どころでは、
他領にまたがるような水路はなかなか作れなかったという事実に気付くべきだな。
計画が持ち上がっても、何かというと利害対立でご破算になることが多く、完成にまで
こぎつけるのはごく一部だった。

 

27世界歴史ちゃんねる2013/12/28(土)22:32:06.36 ID: .net

>23
豆粕か
大正の人から聞いたけど、畑に撒く用のニシンが届いた時は
小作の人に手伝いをしてもらうそうだ
中でもマシなやつを食べるために持って帰らせるためなんだって

 

28世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)00:04:24.88 ID: .net

個々の農民とか貧しい農民のことを言ってるんじゃないよ。
人口の8割を占めた農民が、米をろくに食わずに麦を食べていたというのが
事実に反するって言ってるだけ。
米は食料だ。毎年とれる。いくら金持ちでも5倍食べる訳じゃない。
誰かが米を食べていたんだ。麦が混じることだってあったろう。
だけど、メインは米だ。麦は連作障害もある。反収も低い。
人口の8割の農民が主食にすることは出来ない。

 

33世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)05:22:23.83 ID: .net

>>27
鰊粕の食用については、瀬戸内で北前船が寄港した港町の郷土史で読んだなあ。
船が入ると女房たちが○到して状態のいいのを選んで買い、その晩の食卓に
上らせたって話。>>28
農民は麦飯雑穀飯を食ったと書いているのを、100%麦、100%雑穀と勘違いして
読んだってことかね。麦だけ雑穀だけでは粘りがないから飯にならんよ。
つなぎとしての米が不可欠。二割ほども入れれば飯になるけどね。
まだまだ貧しかった明治期あたりでは、農村でもっとも貧しいのは子守娘に
食わせる飯だった。ほとんど麦ばかりの飯に、表面に薄く白飯を塗りつけて
見た目だけは白飯のようにしたものだ。
麦飯というのも、今では押し麦で調理しやすいようにしたのを使うけど、昔は
丸い粒のままの麦をやたら時間をかけて煮て、柔らかくなった後で米を加えて
麦飯にした。

>人口の8割の農民が主食にすることは出来ない。

江戸時代の人口は今の4分の1ほどで、欧州のように麦が主食の地域は多い。
思考停止していないかね。

 

30世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)00:53:36.62 ID: .net

農民が麦が主食だったら、冷害で餓タヒ者が出ることはないよな。

 

34世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)05:38:14.67 ID: .net

>>30
米は秋、麦は春が収穫だからね。江戸時代は食糧生産量に余裕はないから、秋に米が
必要なだけ得られなければ、春まで食いつなげなくて大飢饉になる。食糧確保量が
例年の三割減になれば、全員が三割分を買い控えるわけがなく、金持ちは10割以上を
買い占め、貧乏人には手が出ない高値になるからな。天保の飢饉では、米の大凶作が確定した夏ごろに米相場が不気味に上昇をはじめ、
前年の収穫の備蓄が底をついた秋には暴騰、冬にも更に上がって餓タヒ者
病タヒ者のピークに達し、春には麦の収穫によって米相場も下がった。
もちろん例年よりは高いけど。
なお、麦相場は、米よりやや低いだけという値で連動する。平時でも飢饉でもね。

米が大凶作と分かれば、農民はそれらを引き抜いて麦や雑穀などを植えさせてくれるよう
領主に嘆願する。空き地などにもせっせと麦や雑穀などを植えていくわけだけど、秋冬で
いよいよ備蓄が底を突くと、せっかく芽吹いた麦の芽を引き抜いて食い始めるわけだ。
流民化した他所の土地の農民どもが。それではどうにもならんわな。

 

31世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)02:48:23.82 ID: .net

天保郷帳によると1835年頃の日本の総石高は3056万石
また地租改正直前の1872年の日本の総石高は3237万石
日本の総人口は1872年に3311万人(出生率等から修正された推定人口は3481万人)これだけだと1人1石の米があるように見える。

ただし石高は、田+畑+(屋敷)の合計で、米以外の分も含まれる

実際の米の生産高(玄米)は、明治の統計によると(人口は翌年の1月1日付)

2575万石 明治7年 人口3400万人
2474万石 明治9年 人口3463万人
2660万石 明治10年 人口3490万人
2528万石 明治11年 人口3577万人
3168万石 明治12年 人口3593万人
2877万石 明治13年 人口3636万人
2992万石 明治14年 人口3670万人
3045万石 明治15年 人口3702万人

つまり国民全員に1人1石の玄米が行きわたっていない

 

32世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)02:59:02.70 ID: .net

>>31
なおこの米の収穫高の数字については、
農民が地租改正を恐れて嘘を申告しているという反論がある例えば明治13年の米の収穫高は作付面積257万町に対して約1.2石/反だが、
実際には1.4石/反ぐらいであれば、3590万石ぐらいの収穫になる

ただし、実際には精米のロスを考えると、毎日国民全員が米飯を実施するためには
1人玄米1.2石ぐらいの収穫が必要であり、やはり全員が米飯100%を実行するには米が足りない

 

35世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)05:46:58.07 ID: .net

ちなみに、米のロスの大きな原因として酒造がある。
飢饉では、幕府が酒造株あたりの生産量を引き下げるようにお触れを出したりする。
しかし、米相場の暴騰で大儲けする商人どもが酒を湯水のごとく消費するのが
分かっているから、酒造家たちも、酒造株はあるけど生産はしていないって所から
株を借りて増産するなんてことまでやっていた。>>32
人一人あたりの米消費は、よく言われている「1人当たり1石/年」よりは大きいよ。
そのソースを探してる内に、このスレの趣旨そのもののサイトが見つかった。

http://navy.ap.teacup.com/straphanger/526.html

 

36世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)06:01:51.77 ID: .net

>>35のリンク先のデータを使って計算した。
江戸時代の農民が食ってた飯は、米:麦雑穀の比は4:6くらいになるようだ。
もちろん裕福な家ほど米の比率は大きくなるから、あくまで平均。
これでは今の白飯と比べれば味は格段に落ち、ハレの日に食う白飯が
さぞや恋しかったことだろう。

 

38世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)06:46:36.89 ID: .net

>>35
そのリンク先の1人玄米1.8石というのは、成人男性が3食米飯を行った場合で、
女子供を平均化すればもっと少なくなる

 

40世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)06:58:48.28 ID: .net

>>38
「実は各種史料を見ても、1石=1人1年あたりの消費量ではないのです。
1人1日は5合と見るのがよさそうです。」と書いてあるんだから、
男女や子供まで含めた平均が1.8石という数字だろう。

 

41世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)07:25:41.46 ID: .net

>>40
何でそういう解釈になるんだよ?いわゆる「一人扶持」というのが、1人1日5合の配給で1年で玄米1.8石
それで一年間暮らすんだから、玄米1.8石を全部食いつぶしたら生活できない

 

42世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)07:32:34.56 ID: .net

>>41
一人扶持の武家奉公人ってのは聞いたことがないが、いたのか?
たとえいたとしても、農業などの本業があったり、副業を持ってたってケースではないのか?

 

43世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)07:38:58.51 ID: .net

>>41
扶持米の計算の話をしてるんだが男扶持は1日5合、女扶持は1日3合で計算する
同じ五人扶持でも、余裕のある藩なら全部男扶持で払うし、
余裕が無ければ家族構成次第で女扶持を混ぜる

いずれにせよ、男扶持なら1年1.8石、女扶持は1年1.2石に相当し、
女は1.2石で十分とみなされている

 

44世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)07:43:29.53 ID: .net

>>43
子供がいる場合には計算はどうなるんだ。
数に加えないのか、性別で判断するのか。

 

46世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)07:52:10.06 ID: .net

>>44
そういう場合は女扶持が適用されるまあ捕虜になった時の会津藩の場合だと、
大人の男子に対して3合、未成年の男子に対して1合5勺で米を申請している

 

47世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)07:56:17.32 ID: .net

>>46
30俵2人扶持の町奉行同心の中村主水も、嫁と姑との三人暮らしでさえ生活が苦しかったくらいだ。
三十俵すら付かない二人扶持三人扶持程度の武家奉公人が副業やってないわけがないわな。

 

49世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)08:03:06.11 ID: .net

>>47
さすがに幕府の役人は男扶持で計算してると思う1俵≒0.4石
1扶持≒1.8石として

30俵2人扶持は扶持米15.6石に相当

それでいて生活が苦しいということは、人件費や必要経費に色々裂いたんだろう

 

71世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)19:03:51.21 ID: .net

>>70
男扶持なら1年1.8石、女扶持は1年1.2石に相当(>>43)昔は副食をあまり食わず、主食をモリモリ食った。それこそ白米ばかり食った
江戸の奴らが脚気になったほどに。

 

56世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)17:08:26.76 ID: .net

庶民の生活は、室町期の東山文化波及と、戦後の高度経済成長期の文明化によって
格段に変わった。戦前までの生活について、ドラマなどで大都市中産階級などの生活が
イメージとして刷り込まれてしまうと、まったく正しい認識がもてなくなるんだよな。もちろん江戸時代の庶民の生活というのも、飽食の江戸や、最先端農業地域の上方
在郷や、しばしば大飢饉に見舞われた奥羽や、米さえ見たことがない人間ばかりの
極貧の山村では全く生活水準が違う。中途半端にしか知識がないと、大抵は
平均以上に豊かだった土地のほうが自分のイメージに近いために、そういうところの
情報ばかりを頭に入れて、平均とはかけ離れた認識を強固に持つことになる。
それではまともな認識がもてないよ。

「戦前までの農民は、麦や雑穀交じりの飯を食っていた」というのは、議論すべき
ことじゃない。知識として頭に入れておくべきことなんだよ。>>35のリンク先にも
そういう事実が書かれているようにね。
民俗学をかじっていれば常識レベルだし、各地の民俗学的聞き書きの類も、今なら
大正生まれの人たちが生きているから。新刊としてさえ次々に出版されている。案外、
各自自分の住んでるところの近辺のものがあるかもしれないから、調べてみてはどうか。

 

60世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)17:33:29.80 ID: .net

>>58
>>55でいいじゃん。こっちは大雑把な数字しか手元にないから、それで議論するよりはよほどいい。>>57
>つまりトータルで見ると、余った米は輸出にまわされるのではなく、
>酒などの嗜好品で大量に米が消費されていた

なんでオチでボケる?
酒造米としての利用を概算として出したら、米の総生産量からすれば微々たるものだった。
市場流通量には響くかもしれんけどね。

 

58世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)17:13:30.91 ID: .net

>>56
いわんとすることはわかるが、>>35のリンク先の1人1.8石の計算は、
全員が米をたらふく食う設定でなければ無理1人玄米1.2石という計算は、中村哲という経済学者が計算に用いている数字

 

74世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)19:46:37.17 ID: .net

>>73
その前はもっと少ない
>>31

 

76世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)20:08:58.02 ID: .net

>>74
そうであったとしても、「江戸の農民は米は殆ど食べられず麦飯や雑穀ばかり」
は間違いだ。米だからこそアジアの高い人口密度が可能なんだ。
ヨーロッパの広大な農園は、麦の反収が低かったため。
今は高くなってる国もあるそうだが。

 

77世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)20:11:59.87 ID: .net

>>76
自分は一度も「江戸の農民は米は殆ど食べられず麦飯や雑穀ばかり」
なんて主張してないけど?石高3000万石=米生産3000万石=人口3000万人

という単純な図式が成立しないということを言いたいわけで

 

78世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)21:11:53.28 ID: .net

>>77
ああ、すまん。別人だ。申し訳ない。いろんな説があるらしいね。速水、鬼頭、あと誰だっけ。

 

79世界歴史ちゃんねる2013/12/30(月)05:26:56.24 ID: .net

>>76
麦飯や雑穀飯は、米半分、麦や雑穀が半分の飯。比率は1:1とは限らないけど。
「米の飯が食えない」ってのは、米100%の飯が食えないという意味。
山村であれば、文字通り、米0%の雑穀ばかりを食ってた土地もあるけどね。

 

45世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)07:47:31.62 ID: .net

こういう話も、「農民が白飯を常食するようになったのは戦後」という常識さえ知っていれば
議論がこんな風に脱線することもないんだけどね。知識のない奴が多いからこうなる。主食に関しては、明治大正戦前期の農民でさえ、江戸時代の江戸の庶民よりも下だったんだよ。
江戸は、乞食でさえ白飯を貰おうとしたくらいの飽食都市だった。

 

48世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)08:03:03.67 ID: .net

江戸の下女はまかない付きで、それとは別に年収2両3両程度。
それより生活水準が低い武家奉公人は想定しがたいんじゃね。

 

50世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)09:30:01.30 ID: .net

単に二人扶持三人扶持程度の場合には、諸藩が庄屋などに勝手方役人としての仕事を
させる場合に、格式として武家奉公人の形を取るために与えるような形式上のものじゃないのか。
そういう例はいくらでもある。うちの先祖もそうだった。

 

54世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)16:59:10.35 ID: .net

明治3年に、過去5年間の各府藩県の税収を調べたところによると、
総内高3220万石に対して1070万石しか現石(税収)はなかった。
また廃藩置県後の明治5年の税収は、総石高3160万石に対して1258万石よって五公五民も税金を取られたという認識自体間違いで、
実際には多くの地域で四公六民だった

幕末の総人口3300万人の内、8割近くの2600万人が「農」の人口(壬申戸籍)
しかしながらこれには漁師・非米生産農家も含まれる

幕末の玄米の収穫高2800万石の内、1200万石が年貢米としてとられ、
1600万石が「農」のところに残る

「農」1人が消費できる玄米は0.75石
実際には100%米飯した場合の玄米の消費量は1.2石程度になるので、
「農」の米飯率は平均62%ぐらいになる

 

66世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)18:27:15.03 ID: .net

>>54
幕末の2800万石ー酒200万
1人一食ご飯二杯で150g×3回×365日=164250 そばもうどんも餅もを食べることも
あるだろうから、333日分で1人一石。非農業700万人×1石=700万石
農民 3300万人-700万=2600万人 2600万石÷2600万人=1石

農民にも一石残るな。

 

55世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)17:08:20.95 ID: .net

1200万石の内、武家・武家奉公人・寺社等350万人が
1人平均1.2石の玄米を消費したとすると残る780万石が流通米となる一方明治7年の府県物産表によると、清酒だけで312万石の生産があり、
味醂・酢・米粉等を含めると332万石
精米の過程のロス等を考えると、約400万石の玄米が加工用に使用されるので、
残りは380万石

これを残りの非農業人口350万人で消費すると、1人0.92石しか玄米を消費できない

 

59世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)17:25:59.98 ID: .net

>>55
素晴らしい。

 

57世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)17:09:23.01 ID: .net

結論をまとめると、
実際に年貢米として徴収された米は幕末の時点で1200万石程度
そしてこの1200万石の内、【加工用として400万石の米が消費される】ということが、
無視できない要素となる人口の2割の約700万人が残りの800万石消費したとすると1人1.1石強に相当するが、
実際には「農」に含まれる漁業・非米生産農家(米ではなくて銭等による納税)が
数百万人単位でいるわけで、結局全部日本国内で消費使用としても、1人1石にも足らない

つまりトータルで見ると、余った米は輸出にまわされるのではなく、
酒などの嗜好品で大量に米が消費されていた

 

60世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)17:33:29.80 ID: .net

>>58
>>55でいいじゃん。こっちは大雑把な数字しか手元にないから、それで議論するよりはよほどいい。>>57
>つまりトータルで見ると、余った米は輸出にまわされるのではなく、
>酒などの嗜好品で大量に米が消費されていた

なんでオチでボケる?
酒造米としての利用を概算として出したら、米の総生産量からすれば微々たるものだった。
市場流通量には響くかもしれんけどね。

 

61世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)17:45:59.49 ID: .net

酒造米で消費された量について、ググっても見つからんからデータかき集めて
計算してみた。http://www.kytk.net/rekishi.html
このHPによれば、明治15年には生産量は55万klだそうだ。江戸時代からはそれほど
生活水準が上がってなく、また酒税によって各戸の自家醸造がなくなった時点での
数字だから、案外江戸時代の酒造米消費に近い数字じゃないかってことで採用した。

灘の酒蔵での酒造は、米と水をちょうど半々で仕込むらしいので、酒造米の体積は
27,5万kL。1石が180Lだから、153万石ってところ。なお、麹は酒造米に含めた。

桁とか計算とかあってるかどうか、誰か見てくれ。これで合ってるなら、かなり流通する
米の相場に影響したことだろう。道理で酒造の制限令がしばしば出されたわけだ。

 

63世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)17:52:46.47 ID: .net

天保年間には、天保の飢饉で米商人どもの米価吊り上げに憤った老中首座の大久保忠真が、
勘定方役人に対して、流通米を全て買い取り再配分するのに必要な資金を計算させた。
その数字は三百万両だったそうだ。もちろんこれは、天領の年貢米を買う必要はなく、諸藩や農民などが自分のところで
消費する米を対象外とし、あくまで流通している米を買い占めるための額。300万石って
ところかね。

>>61はその半分ってことになってとんでもない数字だけど、実際には、酒造米の多くは
「天領の年貢米や、諸藩や農民などが自分のところで消費する米」に含まれていたのかもね。
それでも、酒を一切造らなければ飢饉は解消されるんじゃないかって数字ではある。

 

65世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)18:05:34.44 ID: .net

>>64
http://www.nrib.go.jp/sake/sakefaq02.htm
現在の技術だと、白米1キロから酒1升、
玄米換算だと玄米1.2キロから酒1升
玄米1升は1.5キロ程度なので、単純に換算すると、酒1升に必要な玄米は0.8升>>61の清酒55万 kLを、1石180 Lで換算すると、306万石だから、
明治7年の数字と大して変わらない

現在の技術でも清酒310万石を作るのに必要な玄米の量は250万石で、
さらに昔の方がロスが多い

プラス味醂・酢・米粉等を加えると、400万石は大目の見積もりかも
知れないが、加工用に消費される玄米は300万石を大幅に超えるはず

 

67世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)18:27:29.87 ID: .net

>>65
確かに玄米と白米の区別をつけてなかった。>現在の技術でも清酒310万石を作るのに必要な玄米の量は250万石で、
>さらに昔の方がロスが多い

これは確かだろうか。今のほうがアルコール度数が上だから、仕込み量も
今のほうが多いかもしれないよ。データはある?

>プラス味醂・酢・米粉等を加えると

米酢は清酒を酸化させて作るものだろうし、味醂の生産量は多くない。
米粉は、米の自家消費分から各戸で臼でひいて作るんじゃないの?
酒がダントツで、他は微々たるものだと思うけど。

米の総生産量の一割程度が加工用って感じじゃね?

 

62世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)17:47:16.81 ID: .net

2800万石に対する400万石は1/7で、全然無視できる量じゃないぞ

ちなみに『明治七年府県物産表』は、「明治前期産業発達史資料」に収録されている。

オンラインでは中身を見ることができないが、これを分析した山口和雄氏の論文が以下で閲覧できる。
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/30974/1/1_P23-58.pdf
清酒の生産高は319万3598石、1756万62018円

また府県物産表から農工業の生産高を評価すると

2億2728万6701円(61%) 農業
[この内、米は2591万4013石で1億4279万9024円(43%)]
1億1189万1559円(30%) 工業
1456万5405円 林業
747万8000円 畜産業
727万6345円 漁業
380万8964円 鉱業
3億2730万6974円 合計

上の数字には鹿児島県・沖縄県・北海道が含まれない
また残念ながら商業経済の評価ができていない
なお上の合計を単純に平均米価だけで換算すると、商業を除く実態経済は7000万石レベルになっていたことになる

 

64世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)17:55:33.14 ID: .net

>>62
酒一石は酒造米0.5石を使って作られるってことで、酒造による米消費は数字を半分にしてね。
俺の概算と大して違っていないようで、安心した。

 

65世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)18:05:34.44 ID: .net

>>64
http://www.nrib.go.jp/sake/sakefaq02.htm
現在の技術だと、白米1キロから酒1升、
玄米換算だと玄米1.2キロから酒1升
玄米1升は1.5キロ程度なので、単純に換算すると、酒1升に必要な玄米は0.8升>>61の清酒55万 kLを、1石180 Lで換算すると、306万石だから、
明治7年の数字と大して変わらない

現在の技術でも清酒310万石を作るのに必要な玄米の量は250万石で、
さらに昔の方がロスが多い

プラス味醂・酢・米粉等を加えると、400万石は大目の見積もりかも
知れないが、加工用に消費される玄米は300万石を大幅に超えるはず

 

68世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)18:39:51.94 ID: .net

清酒なのに酒粕によるロス分を計算してなかった。玄米のことも加えて計算しなおすと、
清酒55万 kLに必要な米は244万石と出た。

 

69世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)18:46:40.30 ID: .net

まあ、最終的な結論、「庶民は白飯を無闇に食えなかった」ってところは異論がないっつーか
こっちも散々主張してきたことなんで、「酒造で消費される米は無視できないほど多い」を
結論にして話を終わろうか。

 

70世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)18:47:47.18 ID: .net

66
すまん、引いてなかった。データをまとめ。
幕末の3160万石、明治5年の人口約3400万人、清酒160万石1人一食ご飯二杯で150g×3回×365日=164250 そばもうどんも餅もを食べることも
あるだろうから、333日分で1人一石。

非農業700万人×1石=700万石
農民 3400万人-700万=2700万人
3160万石-200-700万石=2260万石  2260万石÷2700万人=0.873石-農民分

赤ん坊から年寄りまでだから、1人一石(毎食ご飯二杯)必要かどうかは
別にして。
昭和の頃は、1人二俵の計算で自家米を取っていた。120kg(0.8石)
年寄りと子どもがいたから。
成人男性だと、1.2石ほしいかも。

 

71世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)19:03:51.21 ID: .net

>>70
男扶持なら1年1.8石、女扶持は1年1.2石に相当(>>43)昔は副食をあまり食わず、主食をモリモリ食った。それこそ白米ばかり食った
江戸の奴らが脚気になったほどに。

 

72世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)19:19:05.07 ID: .net

「石高」というのは土地評価で、
実際に米の収穫高が3000万石に達していたかどうかは微妙

 

73世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)19:44:36.76 ID: .net

>>72
明治の初め頃のトン数からすると、そんなに極端な差はないと思うよ。
明治16年、4566000トン(3044万石)不作らしい
明治20年 5970000トン(3980万石)豊作らしい

 

75世界歴史ちゃんねる2013/12/29(日)19:58:52.75 ID: .net

石高に占める田、畑の割合は、全国的な統計が残っているわけではないので、
実際の数字は不明だが、例えば1646年の「正保三年 肥後国郷帳」によると本地田方:37万8752石1斗6升2合
本地畑方:19万5512石0斗4斗
本地小物成:5447石5斗8斗5合
本地石高合計:57万9711石7斗8斗7合
新田田方:2万3777石1斗6斗4合
新田畑方:1万4314石1斗2斗6合
新田石高合計:3万8091石2斗9升
肥後国総石高:61万7803石0斗7升7合

で、田の石高40万2529石3斗2升6合は総石高の65%に過ぎない。

肥後の総石高は、明治5年の時点で85万1237石0斗5升2合9勺1才に増えているので、
1650年頃の田畑の比率を保っているのなら、明治初期の肥後国の田の石高は約55万石程度と見積もれる

実際の明治初期の肥後国の米の収穫高は、全国農産表によると
82万0385石 明治9年
62万5310石 明治10年
56万4963石 明治11年
79万1357石 明治12年
62万5302石 明治13年
84万3277石 明治14年
67万3106石 明治15年
70万6243石 7年平均の米収穫高

つまり「田の石高」というのは米の不作時の最低ラインに相当し、
肥後国の場合は豊作時にはその1.5倍もの米が収穫できた

ただし豊作時でも肥後国の明治5年総石高には米の生産高が届いていないし、
明治9年〜15年の平均米収穫高は明治5年総石高の83%程度に相当する

 

80世界歴史ちゃんねる2013/12/30(月)05:42:51.63 ID: .net

>そうであったとしても、「江戸の農民は米は殆ど食べられず麦飯や雑穀ばかり」
>は間違いだ。何度でも繰り返すけど、当時の庶民の生活水準を史料によって確認するのでなく、
民俗学の研究成果によって確認するのでもなく、あまつさえ計算によって、米が
行き渡ってないという結果さえ、数字を恣意的にいじって否定しようとするのであれば、
もう何を言っても無駄だと思うわ。

思い込みの激しすぎる人間があまりにも多い。テレビドラマでNHKでさえ平然と
スイーツな形に変えて流したりしてるせいで、想像力の乏しい人間の勘違いを
助長するという悪循環に陥っている。

たちの悪いことに、こういうのを専門にする民俗学者でさえ、今まだ語り部がいる
大正時代の生活状況さえまともに想像できないなんて冗談みたいな状況も
あるからな。一般人なら仕方のない面はあるけど、それにしても酷い。

 

81世界歴史ちゃんねる2013/12/30(月)06:59:55.47 ID: .net

生産された食料である米が、人口の多数である農民が「ほとんど」食べられず
と主張した奴が何を言ってんだ。
一部の農民は米が口にはいらない事を否定なんかしていないよ。

 

83世界歴史ちゃんねる2013/12/30(月)08:33:16.86 ID: .net

一般的な農民の多くが「ほとんど」食べられなかったのは、100%白米の飯だ。

 

84世界歴史ちゃんねる2013/12/30(月)21:03:00.73 ID: .net

夫食貸しでは、
成年男子で、米2合、麦4合
女性、15−60歳以外の男子は米1合、麦2合
が支給された。このことから、農民は米1に対して麦2を緊急時食べていた。
通常は1対2かこれ以上で食べていたと思われる。

 

85世界歴史ちゃんねる2013/12/30(月)21:25:02.04 ID: .net

庄屋日記から、祝儀において白米を送る習慣があったりする。
白米が貴重であったと思われる。

 

86世界歴史ちゃんねる2014/04/14(月)01:14:22.61 ID: .net

米が貴重なんて言い草は現代においてお金は貴重というのと同じ
なんの意味もないわ

 

87世界歴史ちゃんねる2014/05/01(木)23:57:15.58 ID: .net

よくわからんが、山奥や超貧乏じゃなければ玄米はそこそこ食ってた
って事にしようぜ

 

88世界歴史ちゃんねる2014/05/02(金)17:23:21.86 ID: .net

>>87
そうだな。そこそこ山奥だが、良いコメが取れるおかげか明治生まれの
じいさんでさえ麦は知らんと言ってたな。
水に困らない土地のおかげか、せっせと田んぼを作ってたようだ。
おかげで山の斜面も棚田ばかりだった。
麦畑を作る土地はなかったね。

 

89世界歴史ちゃんねる2015/01/16(金)18:56:04.46 ID: .net

一般的な農民が日常的に米を食えるようになったのは戦後だが、一般的でない農民なら別だしな

 

90世界歴史ちゃんねる2015/03/31(火)12:00:22.77 ID: ObguwObo+

「実は輸出していた」
これで丸く収まる

 

91世界歴史ちゃんねる2015/03/31(火)19:58:28.16 ID: SDsLKxjzt

江戸の都市住民は貧しくても米ばっか食ってたわけだし、
農村部によっては富豪庄屋だって、白米だけではほとんど食わない、と
いう場合も多かったと思うが。これは「米」に対する価値観の違いだろ。
�川期より以前年米が年貢として重要視される以前まで農村部はより多く
米を食っていた気がするんだが。まぁとにかく地域によってかなり差があった

 

92世界歴史ちゃんねる2016/02/02(火)08:17:05.91 ID: .net

基本は雑穀との混ぜご飯だろ

 

引用元:【江戸時代】それで米は輸出していたのですか?

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